可愛いの条件 ~ Story of Rin 作:Kohya S.
年の瀬も押しせまり、史郎の通う千歳橋高校も冬休みを迎えていた。
そんな日の夕方、史郎は自宅の近所の――つまり音ノ木坂学院からもほど近い、ファーストフード店へ向かった。凛との待ち合わせだった。
店につくが一階、二階ともに凛はいないようだったので、そのまま二階で待つことにした。
窓際の席に座る。外をなんとなく眺めると、夕日が目の前の通りを赤く染め始めていた。
凛が告白を受け入れてくれて、史郎と凛は二か月ほど前に付き合い始めていた。ただ凛はμ'sの活動で忙しく、史郎と会う機会はどうしても限られていた。
それでも放課後に一緒に食事をしたり、試験勉強したり、ときどきデートに行ったりしていた。
千歳橋高校の文化祭では、史郎は写真部の展示に凛のステージでの写真を出展し、来場者からはいたって高評価だった。文化祭に来てくれた凛も写真を見て嬉しそうだった。
関係はすこしずつ深くなっているはず、と史郎は思う。
ぼーっと通りを眺めていた史郎は、走ってくる人影に気付いた。凛だ。相変わらず元気だな、と思う。
私服の史郎と違って凛は制服姿だった。学校からそのまま来たのだろう。店に走りこむ。
しばらくすると階段を上って、トレイを持った凛がやってきた。
「待たせちゃったかな? 史郎君」
そういいながら史郎の前の席に座る。
「いま来たところだよ」
凛はこの季節にもかかわらずコートも着ておらず、かつ生足に見えた。興味を持った史郎は聞いてみる。
「……凛ちゃん、足、寒くないの?」
「ぜんぜん平気だニャ!」
そうなのか、すごいな……。
史郎はあらためて先日のことを思い出す。
「ラブライブ予選突破、おめでとう」
史郎は凛をじっと見つめていった。
クリスマスに行われたラブライブ予選は史郎も見に行っていた。それ以来、電話では話したものの、凛と直接会うのは初めてだった。
「……ありがとう」
凛はすこし恥ずかしそうに、それでもまっすぐに史郎の目を見返した。自信、ついたみたいだな、と史郎は思う。
「雪、たいへんだったな」
「そうなんだよー。凛たちは、先についてたからいいけど……穂乃果ちゃんたち、遅れないか心配だったよ」
凛はその日のことを思い出したのだろう、ため息をついた。
「でも、歌にはあってたと思うけど?」と史郎。
「そうだね」
凛は微笑む。
「そのおかげで……予選突破したのかもしれないぞ」
「そうかなー? でも、それなら天気にも感謝しなきゃ、かな」
凛は首をかしげた。
「それで……」史郎は――まだ面と向かっていうのはすこし恥ずかしくて――窓の外に目をやる。「凛ちゃん、衣装、すごく似合ってた」
「えへへ……照れるニャ」
「……可愛かったよ」
「もう、史郎君てば……」
凛は顔を赤らめて下を向いた。まだこっちのほうは慣れていないみたいだな……。そんなところが余計、可愛いんだけど。
「……それで、ごめんね、史郎君。あまり会えなくて……」
凛はまだわずかに上気した顔で続ける。
「……クリスマスも、会えなかったし」
「ううん、気にしなくていいよ。さすがに立て込んでたしな」
史郎は頭を振る。もちろん史郎にとっても残念なことは否めなかったが――。
「ありがとう。……それで、お正月だけど……元旦は、μ'sの一、二年生で初詣に行こう、ってことになってるんだ」
史郎はうなずいた。
「史郎君も、一緒に行く?」
「えっ」
二か月前、凛の答えをもらったあとで花陽と真姫に紹介されたときのことを思い出した。ふたりとも興味津々のようで、たいへんな質問攻めにあったのだった。ふたりとはそのあと、凛と一緒にたまには会うようになっていたが――。
それが五人分になるのか……さすがに遠慮したいな……。
「……えーと、やめとくよ」
「そっか、残念だニャ」
凛は眉を寄せた。それでも次の瞬間、顔を上げていう。
「それじゃ、二日はどうかな?」
「うん、それなら大丈夫」
「……どこに行きたい? 初詣とか?」
「凛ちゃん、もう済ませてるんじゃない?」
「史郎君に付き合ってもいいよ」
にこっと笑う凛。
「それも悪いな……」史郎は上を向いて考える。「凛ちゃんが行きたいところでいいけど」
「そうかー。じゃ、考えておくニャ」
「うん、よろしく」
そのあとしばらく雑談をしてから二人は店を出た。日はすでに沈んでいたが空には残照がわずかに残っていた。
年の瀬の風は冷たかった。
史郎は凛の手をにぎった。凛は史郎に微笑みかけ、身を寄せた。ふたりはそのまま別れ道まで手をつないでいた。
・
年が明けて元日、史郎は自宅で過ごしていた。
午後、凛から電話があった。
「あけましておめでとう、史郎君」
いつものように明るい声だ。声を聞くだけで史郎は嬉しくなる。
「うん、おめでとう、凛ちゃん」
「今年もよろしくね」
「こちらこそ」
でも、すこし眠そうだな……。そう思った史郎は聞いてみる。
「凛ちゃん、もしかして眠い?」
「さっきまで寝てたんだ……」
ふわあ、とあくびをする凛。
「二年参りだっけ?」
「うん、神田明神に行ってきたんだ。すっごい混んでてびっくりしちゃった」
「お疲れさま」
「でも、楽しかったよ」
凛は笑って続ける。
「そう、真姫ちゃん、着物、着てたんだよ。すっごく似合ってんだ!」
「……凛ちゃんも、着てみたら?」
「えー、着物なんか持ってないニャ」
そうか、残念だな……。意外に似合いそうに思うんだけど。
「史郎君は、なにしてたの?」
「昨日は紅白歌合戦を見て、寝ちゃって……今日は寝正月だよ」
「それも、うらやましいニャ!」
「……μ'sも、そのうち紅白とか、出られるかもな」
「えー、そんなのありえないよ」
凛はそういって笑ったが……ないとはいい切れないと思うぞ。
「それで、明日だけど……」凛がいう。
「東京タワーとか、行ってみたいな」
「メジャーどころだね」
煙となんとかは高いところに――ということわざが思い浮かぶが、あわてて打ち消す。
「小学生のころ、行ったきりなんだよね。……いいかな?」
「うん、いいよ」
史郎に
「それで、おすすめ神社、希ちゃんに聞いてきたんだ。
「愛宕神社か」
名前は聞いたことがあるかな……。
「凛ちゃんならおすすめかなって、いってたよ」
「付き合ってもらって悪いな。道順とか、調べておくよ。……明日は、迎えに行こうか?」
「そうしてくれると嬉しいな」
はしゃいだ声の凛。
「じゃ、九時ごろでいいかな」
「うん、待ってるね」
凛は電話を切った。
東京タワーに愛宕神社か……ちょっと調べておくかな。
・
翌日、東京は風もなく穏やかなよい天気だった。ただ、この季節らしく気温は低かった。
史郎は、凛の家族に会うかもしれないので多少とも落ち着いた格好がいいだろうと思い、オフホワイトのニットセーターに黒のスキニーパンツ、それにカーキ色のチェスターコートを選んだ。
忘れずにカメラも持つ。
ちょうど時間通りに凛の家へ着いた。呼び鈴を押す。
「はーい」と凛の母の声。
「あの、七尾ですが」
去年の秋以来、何度か訪れているので、凛の母とは顔なじみだ。
「あ、ごめんなさいね。もうちょっと、待ってくださいね」
「はい」
門の前で手持ち無沙汰でしばらく待った。
ガチャリと音がして玄関が開いた。出てきたのは凛ではなくて、彼女の母だった。
「あ、あけましておめでとうございます」
史郎は一礼する。
「おめでとうございます。……凛ちゃん、早く」
母のあとから凛があらわれた。
凛は驚いたことに……着物姿だった。
着物は薄い黄色の地に、ピンクのグラデーションが川のように流れていて、梅などの花が散らばっていた。帯は白地になにかの文様が描かれており、中央を紅色の帯締めで締めていた。
手には巾着袋と、折りたたんだ服を持っている。
「もう、恥ずかしいよ……」
凛は頬を赤らめてうつむいた。
「似合ってるわよ、凛ちゃん」と母。「ねえ、七尾君」
史郎は目をパチパチさせながら凛に見入っていたが――母の言葉で我に返った。
「……はい、すごく似合ってます」
「ほら、凛ちゃん、七尾君もそういってるじゃない」
「えー、そうかな……」
凛はゆっくりと史郎の前まで歩いてくる。
「七尾君、今日はよろしくお願いしますね」
玄関から母がそういって頭を下げた。
「わかりました」
史郎もこたえた。
「いってらっしゃーい」と手を振る母に送られて、史郎と凛は歩き出した。
「その……びっくりしたよ、着物なんて……」
「うん……凛もだよ。昨日、真姫ちゃんの話したら、ママ、張り切っちゃって。ママのなんだ、これ」
そういって凛は袖を振ってみせる。
「へえ、すごいね。振袖っていうの?」
「なんかね、訪問着っていうみたい。既婚かどうか関係なく着られるんだって」
「そうなんだ」
史郎はあらためて凛を上から下まで眺めた。足元は当然ながら足袋に草履。髪は軽くカールさせて、小ぶりな橙色のコサージュをあしらっている。
着物は上品でいながら華やかで、凛の魅力を引き出していた。
見違えちゃうな、と史郎は思った。
「なんか、へんかな……」
そんな史郎のようすが気になったのか、凛が戸惑ったように首をかしげる。
「……ううん、逆だよ。その、すごく可愛い……というかきれい、かな」
「そっか」
凛はますます顔を赤くして目を落として――それでも嬉しそうだった。
「せっかくだから一枚、撮っていいかな」
「もう……しょうがないなあ、史郎君は」
史郎はさっそくカメラを取り出して、数枚、シャッターを切った。
「……でも、東京タワー、ちょっと遠いし……。それに、愛宕神社、階段が急みたいだよ。その格好で大丈夫かな」
「凛なら、鍛えてるから大丈夫ニャ!」
「うーん、和服でも通用するのかな……。たいへんだったら、いいなよ」
「了解ニャ!」
姿は変わっても話し方は変わらないのか、と史郎はすこしおかしくなった。
さすがに寒さを感じたのか凛は手元の服を広げて羽織った。
「……それは?」
「羽織だよ」
羽織は明るい無地の藍色で、腰のあたりまでの丈だった。
時代劇のおかみさんみたいだな、と史郎は思った。これも悪くないな……。
・
珍しく史郎のほうがペースをあわせながら駅まで歩いた。地下鉄に乗り、途中で一度乗り換えて、東京タワーの最寄り駅へつく。
駅から地上に出るとすぐにタワーが見えた。
ふたりは緑地の脇の大通りを歩いた。すぐ近くに見えたタワーは意外に遠かった。
凛はどうしても歩きにくそうで史郎は気になった。
「凛ちゃん、大丈夫?」
「うん、大丈夫だけど……あまり早く歩けないね」
凛はもどかしそうに笑った。
十分ほど歩いて最後に坂を上り、ようやくタワーの下にたどりついた。
タワーをバックにローアングルから一枚、凛をカメラに収めた。
入場券売り場でしばらく並ぶ。正月二日とあってさすがに混雑していたものの、それほど待たずにすみそうで史郎は一安心した。
この格好だと、ちょっと寒そうだしな……。凛をちらっと眺めて史郎はそう思った。
「せっかくだから、上の展望台まで行く?」
待ち時間に聞いてみる。
「うん、行きたいな」
「わかった。そういえば、下の展望台までは、階段でも行けるんだよね」
「この格好じゃなければ、階段で行くニャ」
凛はポーズを取って笑った。
エレベータでまずは下にある大展望台まで上がる。
「わー、高いね!」
凛はさっそく窓に近付き歓声を上げた。
さらに上、特別展望台へのエレベータに乗れるまでには待ち時間があったので、ふたりは大展望台を見てまわった。
凛は羽織を脱いで手に持った。うん、やっぱりこっちのほうが映えるかも……。
「神社があるニャ」
フロアの一角に紫色の幕がかかっていた。ふたつの灯篭も並んでいる。
「えーと、タワー大明神……?」
「お参りしていこう!」
史郎と凛は参拝した。これ、初詣になるのか……。
展望台には床がガラスになっている場所もあった。
凛は恐る恐るといったようすでそこに乗り、下を見下ろしていた。それが面白くて史郎はシャッターを切った。
時間になり特別展望台へ向かう。途中の通路は階段が多くて史郎は不安になる。
「大丈夫かな」と聞く。
いざとなったら手を貸さないと……。
「うん、だいぶコツがつかめてきたみたい」
凛はゆっくりと、しかし危なげなく上っていく。このぶんなら、手を貸す機会はなさそうだな……。残念だけど。
小さなエレベータに乗って特別展望台についた。大展望台にくらべるとフロアは狭かったが、眺望は大いに開けていた。
「わあ、すごいニャ!」
凛は歓声を上げた。
正月の東京の空気はいつもより澄んでいるようで、展望台を一周するとスカイツリーや新宿のビル街はもちろん、富士山まで見えた。
史郎は何枚か風景を――そして凛を撮影した。
凛はしばらくの間、飽きずに外を眺めていた。史郎はその横に立って、外を見るふりをしながら凛を見つめた。
着物の襟から
凛に気付かれずにその姿をじっくり見られる機会がやっと訪れて、史郎は心が躍った。おしとやかな凛はいつもの活動的な彼女とは印象が違っていて、史郎は凛の新たな魅力をみつけたような気がした。
史郎は去年のデパートでのライブを思い出す。
あれから凛ちゃん、可愛くなったけど……いや、もともと可愛かったけど、さらに可愛くなって……でも、まだまだ、もっと可愛くなるのかもしれないな……。
史郎はあらためて巡りあわせに――そして自らの幸運に感謝した。
「史郎君!」
凛の呼びかけに史郎は我に返った。
「あ、もういいかな」
「うん!」
凛が満足したようだったので、ふたりは大展望台へ、そして地上へと下りてきた。
・
「楽しかったニャ!」
凛は晴れやかな笑みを浮かべた。史郎も笑い返す。
若干の空腹感を覚えた史郎が、ポケットからスマートフォンを取り出してちらっと見ると、昼が近付いていた。
「……凛ちゃん、なにか食べてく?」
「うーん……凛はまだ、大丈夫かな」
凛は一瞬、悩むようすだったが、すぐにそう答えた。
「休憩は?」と史郎。
「史郎君が大丈夫なら、凛は大丈夫ニャ」
体力の違いを知っている史郎は苦笑した。
「俺も、まだ平気かな。……でも、その格好だし」
史郎は凛の全身を見て続ける。
「愛宕神社だっけ、そこまではバスかタクシーで行こうか」
「えー、凛は平気だけど」
口をとがらせる凛。
「でも、草履だし……無理しない方がいいよ」
歩いても十五分ほどのようだが、史郎は念のためを思って主張する。
「わかったよ。心配性なんだからー」
タクシーはもったいないという凛に応じてバス停まで歩く。幸いバスはすぐにやってきた。空席がちらほらある程度の込み具合だったので、史郎は凛に席をすすめて自分は立った。
「ありがと、史郎君」
凛は素直に座った。格好のせいかな、と史郎は思った。
バスの車内アナウンスにしたがって、ふたつ目のバス停で降りる。
すこし歩くと左手に神社の参道の入り口があった。
参道には大きな鳥居が立っていて、その先には左右に階段が伸びていた。左側が一直線、右側は折れ曲がっているようだ。
有名な初詣スポットらしく、参道の入り口からすでにかなりの人だった。
「これは……急だね」
左側の階段の前で史郎は上を見上げた。石造りの階段は角度も急だが、それぞれの段に高さがあり、かつ、その高さもふぞろいだった。
「いつもなら、だーってのぼっちゃうのにな」
不満そうな凛。
「じゃあ、こっちから行こう」
史郎は右側の階段を指差す。
「はーい」
そちらも石造りだが多少ゆるやかなようだ。
ふたりはゆっくりと上り始めた。ゆるいとはいえ段数はかなりのものだ。
途中の踊り場ですこし休憩して、なんとか上り終えたころには史郎は息が上がっていた。
「さすがだね、凛ちゃん……」
「もう、情けないなあ……」
凛はそういったものの、史郎はその顔に疲れが見えるような気がした。いつもなら平然としてるのにな……。やっぱり慣れないのか。
上った先の境内は参拝客で混雑していた。屋台なども出ていてにぎわっている。
写真はほどほどにして、手水舎で手と口を清めて参拝の列に並んだ。
「ちょっと待ちそうだね」
史郎は凛に話し掛ける。
「うん」
凛はどこかうつろな表情で――史郎は不安を覚えた。
「大丈夫、凛ちゃん」
「うん、ぜんぜん平気」
ならいいんだけど……。
列はゆっくりと進んだ。その間も凛は無言だった。
ようやく列の先頭へ出た。賽銭を入れて鈴を鳴らし、参拝する。最後に一礼して神前を離れた。
「なにをお願いしたの?」
「えへへ、内緒ニャ」
凛は笑ったが顔色はさえなかった。
史郎はあたりを見渡すが――境内は人混みで休めそうな場所は見当たらなかった。
「凛ちゃん、下りたら休憩しよう」
「……うん、ごめんね」
凛は力なく微笑んだ。
ゆるい方の坂を下った。凛は足元がおぼつかないようで、片手を手すりにかけ、もう片方の手を史郎が支えるような形になった。
凛ちゃん、相当大変そうだな……。
ようやく階段が終わった。
「お疲れさま、凛ちゃん」
凛はこたえなかった。それどころか、やっと下まで来て気が緩んだのか弱々しく史郎に倒れかかる。
「凛ちゃん!」
「ん……」
凛は顔を上げたがそこにはいつもの元気はなかった。
史郎は凛の肩を抱いて歩き、近くの車止めかなにかに座らせた。凛の体は思ったより
「凛ちゃん、大丈夫?」
史郎は腰を落とし見上げるような格好でたずねる。
「……ニャ」
凛はなにかつぶやいたが周囲の喧騒で史郎には聞きとれなかった。耳を近づける。
「……おなか、すいたニャ……」
「えっ」
意外な言葉に史郎は言葉を失った。そういえば、もうお昼、かなり過ぎてるな。ずっと無理してたのかな。
「……なにか、買ってくるよ」
「あまりしっかりしたものは……ダメかも。綿あめとか……欲しいな」
「うん、わかった。ちょっと、待っててね」
境内の屋台にあったかな……そう思いながら、史郎は急な方の坂へ向かった。
階段を駆け上がるがその勢いは続かず――それでもなんとか速足で上り切った。屋台を探す。
えっと、綿あめと……ふたつ買うか。あと、甘酒も買っていこう。
それらを手に今度は下りる。段が狭くて高い階段は、上るよりもむしろ下りるのがたいへんだった。史郎は気がせくなか、転ばないように慎重に足を運んだ。
凛はそのままの姿勢で座っていた。
「凛ちゃん!」
史郎は駆け寄った。息をはずませながら袋を開けて綿あめを手渡す。
「はい……買ってきたよ」
「ありがと……」
凛は受け取り、そろそろとほおばった。
「甘いね……」
「ほら、甘酒も」
凛の手に握らせる。
「……えへへ」
凛は甘酒と綿あめとを交互に口に運んだ。最初はゆっくりだったが、だんだんペースが上がっていった。
凛は終始無言で食べ終えた。
「はーっ、生き返ったニャ」
顔を上げた凛には生気が戻っていた。
乱れた呼吸がようやく戻った史郎も、凛のとなりに座った。
「はあ、心配したぞ……」
「ごめんね、史郎君」
凛は上目遣いで恥ずかしそうにいった。安心した史郎は自分でも綿あめを食べる。
「……おなか空いてたなら、いえばいいのに」
「帯がきつくて、食べられそうになかったの」
「あー、そうなのか」
たいへんだな……。
「朝も、おもち一枚しか、食べてないんだ」
「どこかに寄って、ゆるめてく?」
「うーん、凛じゃ、ゆるめたら取り返しがつかなくなりそう……」
凛は目を落とした。うーん、たしかにそれは困るぞ。
「ママ、張り切り過ぎなんだよね……」と凛。
「まあ、着物を着てもらうチャンスで……嬉しかったんだと思うよ」
俺も嬉しかったけど、と心のなかで付け加える。
「うん、いままでは……去年までは、ママにそんなこと、いわなかったし、ね」
凛は史郎へ微笑んだ。史郎も笑い返した。
「じゃあ、ちょっと早いけど、帰ろうか」と史郎。
「うん、ごめんね」
「いいよ、ぜんぜん。初詣もできたし」
史郎は立ち上がり凛に手を差し伸べた。凛はその手を取った。
ふたりは近くの地下鉄の駅までゆっくりと歩いた。凛の足取りはしっかりしていて、史郎は安心した。
史郎は足元が気になって聞いてみる。
「草履、痛くない?」
「うん、それは平気だよ」
凛はかかとを上げてみせた。
途中、神社のある山をくぐるトンネルを通る。トンネルの入り口のわきには階段があり、ここからも上れるようだった。
「あれ? なにか書いてあるニャ」凛が気付く。
「愛宕山エレベーター……」
「……これ、使えばよかったね」
「ああ」
ふたりは顔を見あわせて苦笑した。
・
地下鉄に乗り、途中で一度乗り換えて淡路町駅で降りた。
駅からは凛の、そして史郎の自宅までは数分だ。
「今日はありがとう」
歩きなれた道で凛がいった。
「いや、俺のほうこそ……初詣、付き合ってもらったし」
「……神社、たいへんだったね。ごめんね」
凛は首をすくめる。
「気にするなよ。……東條さんのおすすめなんだっけ」
「うん、凛ちゃんなら、って……」
「あー、そういう意味か」
史郎は口を押さえて吹き出した。着物で行くなんて、伝えてないだろうからな……。
「……?」
凛は首をかしげた。
「でも、凛、楽しかったな」
「俺もだよ。それに……」あらためて凛の姿に目をやる。「珍しいものも見れたし、な」
「珍しいはひどいニャー」
凛は頬をふくらませたが目元はゆるんでいて――本気ではないようだった。
公園を通りがかる。正月二日のせいだろうか、公園には誰もいなかった。
「えっと、あと何枚か、撮らせてくれないかな」
「仕方ないなあ、もう」
史郎は凛にポーズを取ってもらい、カメラに収めた。
公園から凛の自宅まではすぐだった。
「史郎君、これから時間ある?」
もうすこしというところで凛がいった。
「大丈夫だけど……」
「じゃあ、公園で待っててくれるかな?」
「うん、わかった」
なんだろう……。
凛が呼び鈴を押すと、凛の母が玄関を開けた。
「ただいまー」
「お帰りなさい、凛ちゃん。……七尾さんも、わざわざありがとうございます」
「いえ、とんでもないです」
史郎は凛の母のお辞儀にこたえて頭を下げた。
「じゃあ、史郎君」
凛が手を振りながらウインクする。
「あら、上がってもらえばいいのに」と母。
「いえ、これで帰ります」
史郎はもう一度会釈する。
「そうですか……。今年もよろしくお願いしますね」
史郎は母の笑顔に送られて凛の家をあとにした。
・
公園まで戻ってベンチに座って待つ。
手持ち無沙汰の史郎は今日、撮影した写真を確認してみた。うん、可愛く撮れてるな……。
「史郎君、お待たせ」
史郎は顔を上げた。凛はカジュアルな服に着替えていた。白いシャツにペールイエローのミニスカート、ファー付きの水色のハーフコートをあわせていた。胸元にはピンクのリボンを結んでいる。これはこれでありだな、と史郎は思った。
「着替えてきたんだ」と史郎。
「うん、さすがにちょっと……疲れちゃった」
そういって凛は笑みを浮かべる。
「別にお母さんに……隠す必要、なかったんじゃない?」
「うーん、着替えるために帰ってきたっていうと、ちょっとママに悪いかなって」
「なるほどね」よく考えてるんだな。「……それで、どうするの、これから?」
そういって史郎は立ち上がる。
凛は両手で史郎の手を取った。
「凛、ラーメンが食べたいニャ!」
午後の中途半端な時間だけど……そういえば、俺も、はらへったな。
「よし、行こうか」
「うん!」
ふたりは手をつないだまま歩き出した。
「もう、昨日からお餅とおせちしか食べてないんだよ」
「うちも似たようなもんだよ。やっぱり、飽きるな」
「そうだよー。ママ、お正月は楽だわ、とかいってるんだ……」
近所のラーメン屋で、凛は醤油ラーメンを史郎は塩ラーメンを食べた。
「はー、堪能したニャ!」
凛はご満悦だった。
公園まで戻ってくる。凛は公園の真ん中に走っていった。ステップを踏み始める。
「食事してすぐ動くと、お腹、痛くならない?」
「よいしょっと。ぜんぜん大丈夫だよ」
凛は意に介さなかった。史郎はしばらく凛を眺めた。これは……「Snow halation」だな。
凛が動き続けながらいう。
「それより史郎君……もっと鍛えたほうがいいよ。……階段から下りてきたとき、息、上がってたよ」
「あ、見てたのか……」
史郎は頭をかく。
「えへへ、見てたよー。はっ」
凛は最後に上を向いてポーズを取った。
「あれは……凛ちゃんが心配で、急いでたし……」
史郎はきまりが悪くてそっぽを向いた。
「あのときは、ごめんね」凛は声を落として続ける。「でも……凛、嬉しかったよ」
史郎は凛に向きなおった。意外なほど近くに凛がいてびっくりする。
凛は目を落として頬を上気させていた。
「凛ちゃん……」
史郎は凛の手を取った。凛は無言で体を寄せてくる。
史郎が顔を近付けると凛は顎を上げ、目を閉じた。史郎も目を閉じて――大切なものに触れるかのように、そっと唇を重ねた。柔らかい感触が伝わってきた。
すぐに唇を離すと凛を抱き寄せた。凛の細い腕が史郎の背中に回された。
そうしていたのはごく一瞬だったろう。ふたりはどちらからともなく体を離した。史郎も凛も顔を真っ赤に染めていた。
「えーと、その……」
目をそらして言葉を失う史郎。
「あの……」
凛も同様に下を向いていたが――顔を上げて笑った。
「えっと、今年もよろしくニャ!」
「それ、もう聞いたよ……」史郎は吹き出す。
「あれ、そうだっけ? まあ、いいじゃない!」
「……そうだな。こちらこそ、よろしくお願いします」
史郎はすこしあらたまって頭を下げた。
「えへへ……」と凛。
「いい年になると、いいな」
「そうだね」
ふたりは公園を出て家路についた。
「そういえば……凛ちゃん、なにをお願いしたの?」
「秘密だニャ! ……でも、ちょっぴり
そういってはにかむように微笑む。
「……そうか」
史郎が凛の手をにぎると、彼女も力強く握り返してきた。