ある日のこと。仕事から帰り、夕飯で腹を膨らました後のこと。
「あー眠ぃ」
その日、タイガは目の下にクマを作りながら洗い物をしていた。
広大なミッドチルダ首都、クラナガンにおいて虎屋はかなり田舎にある店だが、口コミで広がって現在はクラナガン都市部からも客足は伸びてくるようになった。売り上げが上がるので嬉しいことは嬉しいのだが、それでここまで疲れるのは最近の悩みであった。
いや、世の社会人の皆様に喧嘩を売っているわけではない。これには色々事情があるのだ。
というのも今日、学者から遺跡発掘で見つかったという遺産――
当然、管理局などの専門家に持っていくように言ったが、これがしつこかった。管理局にロストロギア判定されて研究の機会を失うのが嫌なのか、もしくは安く済まそうとしているのかは知らないが、そんな考えは簡単に読んでしまうタイガである。
結局、偉そうなおっさんは引き取っていったが、帰り際にやたら子供くさい捨て台詞を吐いていった。そしてゼロにこっそり仕組ませておいた落とし穴に見事に引っかかってくれた。思わず笑ったが悪くない。
つまり、タイガが疲れているのはそういった人を追い返すのに苦労したためなのだ。しかもその状態で預けられたデバイス修理をして帰ってきたのだから、その疲労度は半端ではない。
そんな分かりやすく疲れているタイガだったが、ふとキッチンを伺うようにピョン、と覗く一房の毛の束に気がついた。
ふむ、あの動き……何かを言おうか迷ってるな?
「リオー。どうした? ご飯足りなかったか?」
向こうが迷ってるならこちらから声をかけるまで。その毛は一瞬、ギョッとしたように震えたが、やがて恐る恐ると顔が覗く。
リオは少し気まずそうにタイガの顔を見る。
「いや、ちょっと頼みたいことがあったんだけど、なんかお兄ちゃん疲れてるみたいだったからさ……」
頬を指で掻きながらそんなことを言う。疲れたと言っても、一晩寝れば回復する程度だから何も問題無いというのに。
リオは上目遣いでタイガを見上げた。
「その……勉強教えて欲しいんだけど……」
「任しとけ、いくらでも教えてやる」
クマが一瞬にして消滅する。彼女が天然の上目遣いで少し恥ずかしげに言ったそのお願いは、意図せずして一人の男のHPを全快させたのであった。
「へー、魔法学院てこんなことするのか」
リオの教科書をさっと読み、タイガはそんな感想を漏らした。
「あれ? お兄ちゃん博士号持ってるってお母さん言ってたけど」
リオの言葉に苦笑する。
「ただの論文博士だよ、デバイス工学だけ。学校は聖王崇拝がなんか性に合わなかったから初等科二年の途中でやめた」
先生方には生意気な子供だったろうと今更に思う。
そもそも、勉強するためにクラナガンに来たというのに、肝心の学校を辞めたのだ。
この知らせには同じく春光拳を習っていた従姉妹のリンナも愕然としたという。
じーちゃんにはこっ酷く叱られたっけか。
「へー、初耳」
「まあ言う機会もなかったしな。あ、別に聖王オリヴィエ自体が嫌いってわけじゃないぞ」
タイガは勉強机に向かっているリオの後ろに立ち、何をしているのかをのぞき見る。
「どこが分かんない?」
「んと……この
「あー……ややこしいからなぁ、ベルカ関連は」
ちょっと待ってろ、と言って部屋から出ていくタイガ。しばらくすると大きな本を脇に抱えて戻ってきた。
「何それ?」
「ベルカ関連の集本。難しいのから子供向けのまである。教科書見た感じだと、ベルカ戦乱期の王達のことを覚えといた方が良さそうだからな。これ読みやすいし、子供向けでもちゃんと史実に基づいてるようだし」
「お兄ちゃんそんな本持ってたっけ」
「こないだ本棚整理したら出てきた」
要するに、今まで物に埋もれていたと。
リオがこめかみを抑える。
兄の部屋がまた汚くなってたら私が掃除しよう、とリオは心に決めた。
「まあこれはテスト直前とかに読めばいいだろ。他に分かんないとこあるか?」
そう言いながら本を渡す。リオは受け取るとその本をとりあえずカバンに入れておき、机に向き直る。
「えっと、こことこことここ……」
「あー、それはこれとこれを掛けてここを足して、そしたらあれをこうしてこれを良い感じに……」
そうして勉強を進めていくと、
「そういえばこの間、虎屋の隣の喫茶店の人が『タイガくん×エリオくんなんてどうかしら』ってブツブツ言ってたけど、どういう意味?」
「一生理解してはいけない話だ。それを理解した瞬間、人は腐った修羅の道へ迷い込み、二度と戻ってくることはない……」
「えっ」
年頃の妹に何教えてんだあの人は。とりあえず、今度会ったらしばく。
そんなんだから結婚できないんだよあの人……。
気がつけば既に二十時を過ぎていた。うとうとし始めたリオだが、十分勉強は進んだと思う。
「にしても……」
「ほえ?」
不意に何か呟いたタイガに、眠たげなリオが目を向ける。
「リオ、十分頭良いじゃん。随分焦ってたからもっと色々聞かれると思ってたんだけどな」
彼女が勉強中に聞いてきたのは、大半がこの年齢の子には難しめの応用問題。基礎や軽い応用問題はサラサラと手を動かして解いていってしまうため、思わず感心したものだ。
「えへへ、本当?」
「おう、ホントホント」
リオの肩を揉んでやる。そんなに長時間勉強したわけでもないためそんなに凝っていなかったが、昔からこうしてやると気持ち良さそうに満面の笑みを浮かべるのだ。それを見るだけで、こっちも疲れが取れる気がする。
「うっし、なんか食うか? 軽めのやつなら作ってやるよ」
「ホント!? ならごま団子!」
「オッケー、任しとけ」
ごま団子を頬張ったリオはその味に頬っぺたが落ちそうになり、そんな彼女の緩んだ表情にタイガは癒された。
その後も二人の勉強会は深夜まで……続くことはタイガが許さず、二十一時頃には風呂も歯磨きも済まし、床についたのであった。
ちなみにテストは普段より点が高かった。