注意:流血があります。今回は他の話とは雰囲気が少し違います。
大江山には恐ろしい鬼が住んでいる。
迷い込んだものはまず生きては帰ってこれない。
迷い込まないものもある日、山から下りてきた鬼に連れ去られる。
どちらにせよ、喰われるのだろう。
鬼は古来より人々を恐れさせた。その恐ろしい怪力。雄偉な体。
到底人の太刀打ちできるものではない。その中で大江山の鬼たちは都にでて、人をさらっては山に連れて帰る。誰も戻りはしない。
闇夜でも、白昼でも。誰もが恐れを抱きながら生きて居る。
人は恐れるべき。あやかしは恐れさせるべき。それがこの世の理だった、はずの時代。
☆
とある日のことである。
数人の「客」が大江山に来た。鬼たちは物珍しそうに自らやってきた人間達を見ていた。
見れば彼らの身なりはいい。都の貴族なのかもしれない。それぞれが特徴のある顔つきをしている。一人はずんぐりした大男でむすっとしている。他には涼し気な目元をした美男子などがいる。
全員腰に刀を佩いているようであるが、鬼は人の武器などあまり気にはしない。言うならば、鳥に鋭いくちばしがあることを気にする人がいるだろうか。又は、カマキリの鎌を恐れる人がいるだろうか。
鬼にとって「人」とはその程度なのである。
その一団の棟梁なのだろうか、精悍な顔つきの男が朗々とした声で鬼たちに言った。
「我らは都に向かう途中で道に迷ってしまいました。どうか、一晩で結構ですので、宿をお貸しください」
鬼たちは騒めいた。皮膚の赤い鬼たち。頭に大きな角をたて、恐ろしい顔つきの彼ら。
そんな鬼に宿を貸してくれという男。鬼たちはどっと笑った。その笑声は山々を震わせ、空気を振動させるほどに豪快である。
だが、それは気にいられたということだろう。鬼は剛毅であることをなによりも好む。
鬼たちは快く男達を迎え入れることにした。それに男達はとある手土産を持っていたのだ。あの一団の長である男は深々と頭を下げていった。
「ありがとうございます。これはささやかですが都に届けるはずだった酒があります。どうでしょうか、お礼としてお納めいただけませんでしょうか」
その申し出に鬼たちは狂喜した。全員が笑いながら口々に男達をほめたたえている。繰り返すが鬼たちは剛毅であることを何よりも好む。男達が鬼である自分たちを恐れずにいる、そして様々な物言いをする。痛快なのである。
ちっぽけな人間ごときが、恐れもせずにいることが面白いのだろう。
「宴会だ! 客人を持てなせ!!!」
鬼の棟梁がそう叫んだ。
酒呑童子という名で恐れられた、鬼である。
☆
酒は毒。
男達は偽装。
気が付いた時には酒呑童子「だった」。首がぽろりと落ちている。
強かに飲まされた鬼たちは地べたで蠢いている。彼らは怒りと悲しみに震え、涙を浮かべながら咆哮した。体に回り切った酒の毒が彼らをむしばんでいる。それは鬼にのみ効く毒である。
鬼たちは自らの棟梁をむざむざと殺されたのである。目の前で。
鬼たちの声に木々が揺れる。ばらぁとあたりの葉が散る。それでも「人」の棟梁たる、あの「男」の顔色は変わらない。まるで退屈そうな、そんな不思議な顔をしている。彼は冷ややかに鬼たちの恨みを声を聞いている。
そんな姿に鬼たちは激昂した。
牙をむき、毒の回った体を無理やり起こす鬼たち。復讐の念で体を動かす。彼らから発される殺気があたりを包み込む。ぽとりぽとりと近くを飛んでいた小鳥さえ落ちてくる。
それでも「人」の棟梁は冷静さを失わなかった。彼は袂をひるがえして鬼の住処から出ていく。 怒り狂う鬼たちを相手にせず。
とうていこの場で敵うわけではない。しかし、その男の顔には冷たい笑みすらあった。
鬼たちはそれを叫びながら追いかける。
ばきばきと樹木をなぎ倒し。目の前の岩を手ではじき飛ばし、いつの間にか馬に乗って逃げている男達を追う。ここに来るまでに隠していたのだろう。
男達は振り返りもしない。
うっそうとした森の中、悍馬を巧みに扱い。焦ることもなく、怯えも見せない。武人としての練達が彼らの動きに見える。
それでも逃げることが卑怯だと、鬼たちは思う。それは単なる彼らの価値観でしかないことを知ることができなかったことが彼らの哀れである。
開けた場所に出た。
遠い空の蒼さが見える、そんな広場。そんな墓場。
馬を駆る男達を、巨大な鬼が追い続ける。毒が無ければすでに追いつき嬲り殺しているだろう。繰り返すが鬼にとって人など大したことはない存在なのである。
旗が、並んでいる。
白い旗に咲く竜胆(りんどう) の花。源氏の旗。
その旗の下に無数の武者が並ぶ。それぞれが煌びやかな鎧に身を包み、かれらの郎党だろうか、雑兵は数え切れない。武者たちは鍛え上げられた体を目いっぱいにつかい、和弓を引く。向かってくる鬼たちにむけている。
ひゅっと空に矢が一筋。
その後を追うように無数の矢が空に浮かぶ。
空が一瞬暗くなった。とある鬼が一人とまり、空を見る。
天を陰らせたの矢の雨。それが鬼たちの上に降りそそぐのである。
矢じりが鬼たちに突き刺さり、怒号と悲鳴のまじりあった地獄絵図。容赦などない。頭に眼に、首に、腹に、腕も足も分け隔てなく矢が突き刺さっていく。
――!!!
それでも止まらない。鬼たちはもはや我を忘れて突進する。巨体が大地を揺らす。後から後から森を抜けだした鬼が続いていく。矢の雨だけでは鬼たちは止まらないのである。
白い旗のもとへ鬼たちが迫る。愚かな人間どもを皆殺しにする。それだけしかない。
「この綱に続け!!」
そんな中で一人の若武者が馬を見事に駆り、飛び出した。
見れば眉目麗しい。その手に持つ刀が陽光に光り、輝いている。彼の後ろから無数の騎馬武者が咆哮を上げて、鬼たちに突進する。怒り狂う鬼が一匹。「綱」とはせ違う。
きらと「綱」の剣が光る。まるで髭でも薙ぐかのように鬼の首が落ちる。
鮮やかな手並みを血で彩る。
鬼達の動きは遅い、それは飲まされた「酒」だけのせいではない。矢に何かが塗ってあるのだ。鬼たちがさらに人間の卑怯さに怒りを深めるが、どうしようもない。人は人と戦うのならば卑怯を嫌う。妖と戦うのであれば卑怯などない。全てが武略なのだ。
それでも鬼たちは剛力を持って暴れまわった。
武者を引きちぎり、跳ね飛ばす。鬼の鉄のような腕に人の体など葉っぱ一枚と変わりない。
「死ねや!」
戦場に叫ぶ一人の老武者。鬼に言っているのではない。彼は味方に死すらも恐れるなと言っているのである。老武者はさらに叫んだ。眼をいからせて、戦場を見回す。
「この碓井が眼は貴様らの武功を見逃さぬ! 存分に死ねや!」
一匹の鬼に数十人でかかる人間達。無数の刀や薙刀が鬼の体を抉る。鬼に一太刀を入れてから、その巨体に吹き飛ばされる者もいる。だが、武者達は鬼に群がる。
死などよりも、転がっている鬼(恩賞) の首が欲しい。自らが死んでも碓井が忘れなければ子孫に手当もあるだろう。なら、鬼など怖くなどない。死ねば恩賞。生きれば儲けものである。
戦場には声が満ちている。
鬼の声。人の声。その差があるのだろうか。互いに思っていることは一緒である。
皆殺しだった。
☆
眼を見開いた星熊勇儀は体が思うように動かない。
昨日飲まされた酒には鬼を無力化させるなにかが入っていたのだろう。
紫の着物を着崩して、駆ける。凛とした瞳に映るのは白い旗。竜胆の花。そのもとにいるであろう「あの男」。我らを騙し打ち、誑かした男。
――
武者が迫る。勇儀は腰をかがめて体全体を使って殴り飛ばす。鎧をぶちくだき、武者だったものが飛ぶ。ぱらぱらと血が雨になり、直ぐに止む。
ばらっと紫の着物の裾が浮かび上がる。ぎらぎらとした瞳、凛々しい顔つき。頭に生えた一角。美しいと、思わせてしまう勇儀の姿。ただ、その眼には怒りの炎が燃えている。
一足に飛ぶ。
駆け抜けて「あの男」の首を引き抜く。それだけはなんとしてもせねばならない。「酒呑童子」の仇をとってやらねばならない。尋常な勝負ならば彼女にも文句などない。許せないのは詐術を使った卑劣さである。
酒はただの毒ではない。何かしらの呪術を使った特殊な毒であろう。その証拠にあの男達も飲んでいたのである。
地面を蹴って進む彼女は、飛ぶが如し。
降り注ぐのは矢の雨。彼女は使えない左手を腰を捻り、盾にする。矢が刺さろうがなんだろうか、もはや関係はない。血に濡れた衣が揺れる。
眼前には武者の群れ。勇儀は蹴散らすために息をすう。胸に空気を貯めて、身体を一瞬、弓なりに反らす。そして叫んだ。
「邪魔だぁ!!!」
数秒、間が空いた。
次の瞬間に暴風のような「声」が武者たちを弾き飛ばす。彼ら自身も馬も、旗も吹き飛んでいく。勇儀は声だけで道を開けたのだ。悲鳴が遠くなっていく。吹き飛ばした武者が地面に転がり、ひき肉になる。
勇儀の前に居た者たちはそれでほとんどが消えた。だがすべてではない。
そこに男が居た。大男である。紅い具足をつけている。
片目をつぶり、勇儀を睨む。仁王立ちの男。
それなのに髪を一本にまとめた童子のような風貌。肌は赤い。
「ここから先はいかさねぇぞ、くそが!!」
大男は叫ぶ。勇儀の「声」に負けぬほどにあたりを震わす。
勇儀は一瞬おどろいてから、全力で殴り飛ばしやろうと笑った。楽しそうにである。いい武者であることはすぐにわかる。だから容赦せず殺す。
勇儀が飛ぶ。腰を捻り、一筋の矢のように一直線。大男に殴りかかる。
大男は両手を広げた。腰を落として、溜める。鬼の力を真正面から受け止めようというのだろう。
勇儀の拳が大男の胸板に突き刺さる。まるで岩を割った様な音。ばらばらと砕ける大男の具足。彼は血を吐きながら一歩も下がらない。
ぎょろりと剥いた眼。大男が勇儀を見る。
勇儀は驚いている。毒が回っているとはいえ手加減なく殴った。それに耐えたこの男はなんだろう。一瞬ぽかんと口を開けてしまった。
大男が血を吐きながら叫んだ。
「足柄山の坂田金太郎を……なめるんじゃねぇ!!」
勇儀の顔を掴む坂田。そのまま地面に全力で投げつける。
轟音と共に地面にたたきつけられる勇儀。だが、顔は笑っている。彼女は眼を煌めかせながら立ち上がる。衣が揺れる。歯を見せて笑う。
「人間にしちゃ、頑丈じゃないかっ!」
「上から見てんじゃねえぞ。畜生ごときがっ」
坂田の両手は丸太のようである。筋肉が膨れ上がった、武人の腕。
対する勇儀の腕はしなやかである。白く、美しい手である。勇儀は笑いながら言う。
「はは、言うじゃないか。それじゃあ相撲でもするかね?」
「望むところだ。俺に相撲で勝てると思うなよ!」
二人は笑っている。何がおかしいのかそれは、彼らにもわからない。
勇儀と坂田が同時に飛び出した。がごんと巨大な何かがぶつかりあった轟音があたりに響く。二人は歯を食いしばりながら、両手を合わせる。大男と美女が組んだその姿は異様である。
互いに地面に足がめり込んで、それでも引かない。坂田の腕に筋が浮かび、彼の赤い顔がさらに真っ赤に上気する。勇儀は歯を食いしばっているのだが、嬉しそうである。
「……どうした? その程度かい?」
勇儀が挑発する。気を抜けば坂田に押し切られると思っても言ってしまった。
このような力比べを人とできるとは思ってもみなかった。もっと楽しみたいのだ。星熊勇儀は根っからの鬼なのだ。
「俺はガキのころから熊相手に鍛えてんだよ」
歯を食いしばりすぎて口元から血が流れ出ている。坂田の眼は充血し、恐ろしい形相である。彼は渾身の力を振り絞る。それでも勇儀を一歩下げることができない。
「人にしておくには惜しい男だ」
心の底から勇儀は称賛している。
「てめぇこそ、鬼畜生にしておくには惜しい女だっ!」
負けず嫌いなのだろう坂田は無理して叫ぶ。それでも二人は譲らない。万力の力を込めた押し合いは立っている地面に亀裂を作る。二人を包む空気は熱い。
勇儀は嬉しそうにしている。啖呵を切られたことすらも嬉しいのかもしれない。
「はは、いってくれるじゃな……ガッ?」
勇儀の左胸に矢が突き刺さった。一瞬のすきに坂田が彼女を押しきって「しまう」。勇儀は数丈飛ばされて、地面に転がった。だがすぐに身を起こそうとする。
「う、ぁ」
視界がゆがむ。立ち上がることができない。
坂田は呆然とした顔で彼女を見ている。左胸の「矢」を彼は訳が分からないと言った顔である。
勇儀はよろよろと立ち上がる。矢に貫かれたごときでこうはならない。ならば答えは一つである。
「また……毒か……」
怒りに震える声。この勝負を邪魔されたことへの燃えるような感情が彼女を一歩進ませる。ぎらぎらと光る瞳は、ただただ純粋だった。鬼に策略などない。
赤い鬼の瞳は真っ直ぐである。そう勇儀は遠くを見る。
竜胆の花。その旗のもとに弓を構えた武者が一人。
その顔はあの「男」だった。酒呑童子と鬼たちを騙した「男」である。
冷たく深い黒の瞳が勇儀を見ている。まるで虫でも見ているかのようだった。坂田との闘いを好機と見たのだろう。卑怯そのものである、それでもその弓の手並みは鮮やかだった。
「ふざけるな。人間」
揺らぎながら勇儀は言う。
「我らを騙し、今は戦いを汚そうとするのか!! 恥を知らないのかっ!!」
血を吐きながらの叫びが戦場に木霊する。目の前の坂田は顔をしかめた。握った拳が震えている。恥じているのかもしれない。勇儀はやはり坂田はいい男だと思う。
勇儀の視線の先にある「あの男」はゆっくりと弓に矢をつがえる。表情にさざなみ程度の変化も起こらない。勇儀の声など何ほども心を動かさないのだろう。
日が、陰った。男が雲の影に黒く染まる。
その冷たい瞳だけが黒い人影の中で光っている。
勇儀は呆然とそれを見ている。ただ、静かに「男」が自分を殺しに来る姿は吐き気のするほどに薄気味の悪い何かを感じさせた。あれが本当に人間なのかと勇儀は思った。
勇儀は胸を張った。空を見上げてみればよい天気である。
卑怯者に討たれるのは癪だった。彼女は目の前にいる坂田に話しかけた。
「ああ、あんた」
雲の間から日が戻ってきた。明るい日差しがこの一匹の鬼を照らし出す。
屈託ない笑顔で坂田に微笑みかける勇儀。血だらけでも、騙されても心から曇りのない顔で笑う。
「なかなか強かったよ。ま、私が本調子ならまけやしないけどね」
「…………」
一筋の矢が空に舞う。それは正確に勇儀の額を射抜くだろう。彼女は眼を背けることなくそれを見ている。避けることはできるだろう。地面に無様に転がればである。勇儀はちょっとそんな自分を想像して子供のような顔でくすくすと笑う。
逃げも隠れもしない。引きも下がりもしない。嘘も衒いもない。鬼はただ春の日差しの中でたたずんでいる。
「おぉおおおお!」
坂田が奔った。巨体が勇儀の体に覆いかぶさるように重なり。ぶすりとその背に矢が立つ。
赤い鮮血が飛び、勇儀がぱちくりと眼を瞬かせる。目の前にある大男の顔はにやりと笑う。
「行け。もう、もどってくんじゃねぇ」
勇儀は少し優し気に坂田を見た、いつのまにかあたりには霧が立ち込め始めている。
晴天の下に霧とは、不可思議だった。もしくは鬼の誰かの能力なのかもしれない。
霧が勇儀を包み込んでいく。彼女は両手を組んで鼻を鳴らす。
「口説くには1000年早い」
「そんなんじゃねえ! 調子に乗るな!」
霧の中に消えていく勇儀の笑い声が響いて、消えた。
☆
男は舌打ちした。勇儀を討ち漏らしたことに多少不満であった。
だが、次に為すべきことを手近にいた部下に短く伝える。無駄のない言葉だった。
男は都から派遣された武士である。令が下ったから鬼を討った、ただそれだけである。
おそらく鬼のため込んだ財宝や人質などもいるだろう。それを鹵獲すれば昇進の糧になるだろう。
男はこの「鬼退治」が終わった後のことを考えている。朝廷に今を時めく一族の中心に取り入る必要もあるだろう。部下への恩賞も不満の出ない程度に「値切らなければ」いけない。
現実に考えなければならないことが多い。男には感情的になっている暇はないのである。
だがあの声を彼は思い出した。
「恥を知らないのかだと?」
今はいない一匹の鬼に男は応える。
「正々堂々正面から戦えば、我らは一人残らず死ぬだろう。我らは弱いのだ……だから殺し方を工夫した、ただそれだけだ」
男は吐き捨てる。彼の歩くたびに腰の刀が音を鳴らす。
彼の眼は前を見ている。冷たく、そして遠くまで。