消えていく程度の話   作:ほりぃー

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嘘をつかない程度の話

 砂浜に足をつけた時、妹子は心から安堵のため息を漏らした。

 空を見上げれば海鳥が涼やかな風と共に飛び去って行く。

 

「ああ、今から行くのか。私は帰ってきたというのに」

 

 彼は薄い笑みを浮かべて、遠く旅立つ白い鳥に言った。妹子は砂浜を歩きながら、何度も大きく息を吸っては、ゆっくりとはく。

 

(ああ)

 

 永い旅だった。遠く波濤を超えて使いを果たした。万全とまではいかないが、朝廷に報告するには十分な成果はあった。

 

 妹子が振り返れば砂浜に船を引き上げている人夫たちがいた。彼は「やまと」の言葉でお互いに話をしている、ただそれを聞くだけで妹子は帰ってきたことを感じるのである。

 大陸の皇帝より使わされた使者もすでに休まれているはずである。明日には朝廷に参内して報告をする必要があるだろうが、このわずかな時間こそが妹子にとって訪れた安らかな時間だった。

 

 彼は懐に隠した巻物の感触を確かめる。「皇帝より授かった返書」が彼の懐にある。波に揺れる船の中で使命感と責任感により彼はその身から一切離すことはなかった。

 

(しかしこの返書……報告するべきか、否か)

 

 妹子は妙なことで悩んでいた。彼には同行してくれた使者がいる。親善の使いとすればそれで充分である。

 使命を考えれば返書はそのまま聖徳王に渡せばよい、妹子ほどの優秀な男からすれば特に悩むことではないはずなのである。

 

 そんな彼の近くを近隣の住人だろう、粗末な服を着た子供たちが走り去った。何をしているかはわからない。ただ、妹子はひげをなで、優しく微笑んだ。

 妙案とはいつも歩きながら浮かぶものだろう、妹子はゆったりと歩を進める。

 海岸から離れると、藤の花が咲いていた。

 

「おぉ」

 

 紫の小さな花がしだれ、山間美しく咲いている。

 少しあるくと、さらに鮮やかに藤の花をつけた木があった。妹子はゆるやかに微笑み、それに近づいた。

 

「これは、小野殿」

 

 風に揺れる藤の下、その少女は立っていた。

 帽子をつけ、白い着物を身に着けている。妹子はその姿を見た時に、ぞくりとした。

 

「これはこれは、物部殿。お久しぶりです。先ほど帰着いたしました」

 

 妹子は大陸で癖になったのか両手を組んで腰をかがめる挨拶をした。内心ではすでに様々なことを想い、考えた。これを偶然と思うほど彼は単純ではなかった。

 

「いやぁ。なんとなくお散歩をしていたら藤が見えたのでのう。それできてみれば、まさか小野どのと合うことができるとは」

 

 物部布都。それが彼女の名前だった。彼女はその小さな手のひらで撫でるように、愛でるように藤の花に障る。その横顔はただ、愛らしい少女の姿であった。

 

「これも神々のお導きでしょうか。ありがたいことです」

 

 妹子はそう言った。神「仏」とは彼は絶対に言うことはない。布都は「そうじゃのう。ありがたいことじゃ」と無邪気な笑顔を妹子に向けた。

 

 その優し気な笑みに妹子は一瞬気が緩んだ。だが、彼はごほんと咳ばらいをした。人の心の底などわかるものではない。それこそ豪族の一族に気を緩めることは危険であると彼の感覚が言っている。

 

「船もそろそろ岸に上がったことでしょう。明日は朝廷に参内し、此度の使いの報告をいたします。物部殿、その時に改めて話をいたしましょう」

「……」

 

 丁寧に礼を行い。妹子は踵を返した。

 その背に布都は言葉を言う。

 

「小野殿。頼みがあるのじゃ」

「なんでしょうか」

 

 緩やかに振り向き、それでいて警戒しながら妹子は言った。今度は逆に布都が丁寧に頭を下げ、涼やかな声で言った。

 

「此度のお使い。誠にご苦労様でございました。太子もお慶びされるでしょう」

「……これは、痛み入ります」

「そこで! な、の、じゃ、が!」

 

 いきなり顔をあげた布都の目はきらきら輝いている。本当にただ好奇心に動かされる少女としか見えない。妹子は思わずくすりとしてしまった。渡海前も彼女とは何度か話をしたが、鋭いようでいてどこか抜けている。ある意味親しみやすい。

 

「どうしても大陸の皇帝とやらが出した返書がみたくて仕方ないのじゃ……。のう、すこし、ほんのすこしでよいから、見せてはもらえないであろうか? の? の?」

 

 布都は目をぱちぱちさせながら妹子に言った。いうところ、重大である。返書を勝手に読もうというのであるから罪を得てもおかしくはない。

 

「ふむ。それは難しいでしょう」

 

 妹子は言いながら見せたい気持ちもあった。「返書」の内容は妙なものであった。それに彼も中は見ている。朝廷に報告するべきかどうかを悩んでいたところもあるから、誰かの意見は聞きたかった。

 

「このとーりじゃ。お、おっと」

 

 頭を下げた布都が帽子を落としそうになり、あわててなおした。妹子はふっと笑い。誘惑に負けてしまう自分を客観的に見ていた。

 

「物部殿のご意見もお聞きしたいところではございました。しからば、内緒でございますぞ」

 

 内緒、と少し砕けた言葉遣いをしてしまうことは妹子の心を布都が和らげたのかもしれない。

 

「かたじけない。太子様が書かれたことにどう返事を出されたのか、気になってしかないのじゃ」

 

 妹子は懐から「返書」をとりだして、両手で持ち、頭を下げる。丁寧なその扱いとは逆に今から勝手に布都に見せるのだから、ちぐはぐではある。布都も両手で受け取り、しゅるしゅると紐解いた。

 

「おお、やはり外来のものはすごいものじゃ」

 

 布都はふんふんと言いながら、目を動かす。それからだんだんとその好奇心に満ちた目を困惑に曇らせ、わなわなと肩を震わせた。

 

(それはそうであろうな)

 

 妹子にもその気持ちは分かった。最初は自らの国が貶められているのかと思ったのだ。その返書は

 

 ――日の昇る蓬莱にいるあなたのことを日がな思っております。

 夢の中に現れる青い髪の仙女に女の身でありながら宰相を務めるあなたのことを常々お聞きしております。此度の倭国よりの国書は快いものではありませんでしたが、貴女が私のもとに来てくれるのであれば末永く和を結べましょう。

 遣わせる使者には言い含めておきます。よい返事をお待ちしております

 

 そのようなことが延々と書き連ねてあるのである。

 妹子が困惑したのも無理からぬことだった。明らかに「国書」への返書というわけではなくこれでは私信のようなものである。

 妹子は何度考えてもどうしたものか結論が出ない。これをそのまま報告してよいものであろうかと思っているゆえんはここにあるのである。

 

「こ、これではまるで」

 

 布都はむむむとほっぺたを膨らませている。怒っているのであろうが、単純にかわいい顔をしていた。

 

「こ、恋文ではないかー!! というか、この青い髪の仙女ってあやつのことじゃないか!」

 

 ばりぃっと布都は巻物を破った。

 

「!!??」

「!!!?」

 

 妹子と布都は口を開けて、お互い目をあわせて、無言だった。遠くを鴉が鳴きながら飛んでいく。

 布都は巻物を両手で持ち、妹子にそっと手渡すと丁寧に礼をして、どこかに行こうとした。

 

「待て!!小娘」

「は、はなせぇ。わ、わざとではないのじゃぁ」

 

 わざとであろうとなかろうと妹子とすればここで逃がすわけにはいかない。妹子とて必死であり、布都も必死である。

 

「はなせぇぇ」

 

 いろいろと棚に上げて布都は言った。

 

 

「も、もうしわけないのじゃ」

 

 布都は地面に額をつけて謝った。妹子はその前に立っている。彼の身なりはぼろぼろでところどころ衣がほつれている。そのうえ肩で息をしている。

 

「も、ののべどの、な、なんという。はあ、ことを、してくれた」

 

 流石に情けないと妹子は思い、身なりを整えて、大きく息を吸った。

 

「私は使いとしての任を果たせずといわれるやもしれませんぞ」

「う、うぅ……」

 

 布都は情けない声を出している。妹子はあまりのことに逆に冷静になっていた。このことをどのように報告をするかということである。幸い返書は破れたとはいえ読めないことはない。

「じ、実は小野殿」

「……」

「我は太子の命を受けてここで待っていたのじゃ」

 

 なるほど。と妹子は不機嫌そうな表情の裏で思う。此度の使いでは相手の国に対し、相当踏み込んだ文書を持たされたことは妹子が一番よく知っている。場合によっては殺されていたかもしれない。

 その返書である。実際の内容はともかく、朝廷にそのまま報告されれば困る内容かどうかを確認しに来た、というところだろうと妹子は思った。

 

「それでは摂政殿にはこのことを伝えてくださるのですね?」

 

 妹子はそう念をおした。しかし「ここは知らぬふりをして驚いて見せるべきだったか」と内心は思う。

 

「も、もちろんじゃ。ううぅ、な、なんでこんなことにぃ」

 

 ぐすぐす泣き始めた布都に妹子は逆に憐みを覚えた。しかし、彼とて保身は図らなければならない。

 

「物部殿。疑うわけではございませんが……このこと神々と祖霊に誓ってくださらぬか」

「……」

 

 はっと布都は顔をあげる。偽りを行わない、ということを神々と自らの祖先に誓うということは絶対の約束をしろと露骨に求められているともいえる。無礼と言えばそうであるが、妹子とて裏切りを許すわけにはいかない。

 

「小野殿を我はこの身にかえてでも守ることを誓うのじゃ」

 

 布都は懐から何かをとりだす。それは美しい勾玉であった。紐が通されており。美しく光っている。

 

「お疑いであるならば小野殿。これは物部の宝じゃ。これを証としておぬしに預ける……うぅ。お気に入りなのに……」

「それでは」

 

 妹子はその勾玉を恭しく預かる。彼の目の前では小柄な少女がぐすぐすと鳴いている。その瞳からおちる大粒の涙は彼女の純粋さが現れているかのようだった。

 

★★

 

 妹子の流刑が決まったのは数日後である。

 返書の紛失がその罪状である。破れた返書はいつの間にか彼の手元からなくなっていた。

 

 妹子は物部布都を呼び出した。

 夕暮れの中彼女は妹子の邸に独りやってきた。彼女を奥に通し、妹子は剣を腰にして向かい合った。

 

「これはどういうことでしょうか? 物部殿?」

「……さて、なんのことでしょうか?」

 

 表情のない布都の顔。薄暗い部屋の中。揺らめくろうそくに照らされる。

 

「貴女はあの時に私にお約束をしてくださいましたなぁ!」

 

 語気が粗くなってしまった。妹子ははあはあと息を吐く。しかし怒りは収まらず懐にいれておいた勾玉を掴んで、布都に投げた。かつんと彼女の手前でそれがはねる。

 布都はただ、緩やかに平伏していった。

 

「我はあのお約束をお守りいたしました」

 

 雪のような声だと、妹子は思った。麗しい声音はひどく冷たい。

 

「で、では摂政殿の判断だと……?」

「さあ、どうでしょう」

「物部殿!! 私は貴女のやったことを訴えてもよいのですぞ」

 

 物部の一族からは恨まれるかもしれないが、ここまで侮辱されてはどうしようもない。

 

「……小野殿」

 

 長いまつ毛。布都はゆっくりと目を閉じてから、開く。

 

「我を訴えるのはいつでもどうぞ。ただ、貴方が無実ならば……物部の一族も蘇我の一族もそなたを許すわけにはいかなくなるでしょうな」

「そが……?」

 

 蘇我がなぜ出てくるのか。妹子は思った「物部」と「蘇我」は対立していることは彼も知っている。海を越えた後に手を組んだことも考えられるが、数日前の朝廷参内の折には相変わらずぎすぎすしていた。

 布都の大きな瞳に妹子は映っている。

 

「……太子様はいずれ小野殿を呼び戻し、要職に着けるとおおせです。それに臣下として類まれな大きな功績をあげられた、とも」

「……」

 

(俺は)

 

 妹子は思う。

 

(警戒されている)

 

 大陸への使いという命を懸けた功績。それを純粋に答えるならば様々な権利権限を与えられて「しかるべき」なのであろう。それはすなわち小野の一族の興隆に繋がるだろう。ゆえに物部も「蘇我」も快く思わないであろう。

 

 布都はちらと落ちている勾玉を見る。

 

――いつでもどうぞ。

 

 布都はそう言った。つまりいつでも物部布都の非をならす手が妹子にはある。彼はもう一度目の前に座っている少女を見た。すました顔でその大きな瞳を妹子に向ける少女。

 

 

「そうですか、摂政殿にはお礼を申し上げておいてください」

 

 妹子は言った。

 そう、わかったのである。

 自らの功績の大きさを豪族達は警戒するだろう。しかし、罪を得て配流される妹子はその点では安全である。仮に後々朝廷に呼び戻されたとしても警戒は弱まっているだろう。逆に「都合がよい」のである。

 

「必ず太子にはお伝えしましょう。それでは妹子殿、我はこれにて」

 

 丁寧に。ひどく丁寧に礼をして布都は立ち上がり、踵を返した。

 

「物部殿」

「はい。なんでしょう」

 

 振り返った布都の顔は部屋暗さから一瞬、表情が見えなかった。

 

「どこからが、本当なのですか?」

「どこからが、とは」

 

 ――こ、恋文ではないかー!!と喚いた少女。

 ――ただ泣いて懇願をする少女。

 ――今、目の前にいる少女。

 

 どこからが演技で、どこからが本当なのか。いや、それよりも布都の言動に明確な嘘はない。つまり、彼女は嘘をついて妹子を騙しているというわけですらない。そのうえ、自らの身を殺しかねない証拠も渡している。

 

(青い仙女……あれにもこの少女は心当たりがあるようなことを、ならば、ならば隋の皇帝すらも……?)

 

 布都は妖怪でも見るような妹子の顔にやさしく微笑みかける。

 

「……不思議なことをいうのじゃ」

 

 にこり、と少女らしく彼女は言った。彼女はそのまま部屋から出ていく。妹子はその後ろ姿をただ見ていた。

 

 

 外に出た布都は空を見上げた。

 空に敷かれた星々を見ながら、

 

「へくち。ううーさぶいのう」

 

 体をこすりながら帰路につく。いずれ滅ぼす、帰る場所への。

 

 


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