※前後編です。主人公が誰で、どこにいるのか分かれば。後編の流れが分かると思います。
夏のとある日。集落の見える丘の上である。
耳に響く蝉の声。
風が頬を撫でる感触。
木々の騒めき。
少年は切り株の上に腰掛けていた。武士の子供だろうか、平服ではあるが腰には大小の刀を差している。ただその小さな体には似合わない。眼は爛々と光り、虚空を睨むその表情にはどこか威厳の「種」のような物があった。
遠くで鳥が鳴いている。ピィーと伸ばしたような声。
信州の山奥であるから珍しくもない。少年は別にどうという反応もせずに動かない。
彼の名は「四郎」という。その名のとおり四男である。父はこの国と隣国の国主であり、この世でもっとも名高い武将の一人である。それは四郎の一生を重圧の下に押しつぶすことになるが、彼はまだその苦難を知らない。
考える余裕もなかった。そもそも彼は父のもとにはいれなかったのだ。理由はあるだろう。政治的にも家政的にも原因は求められる。だが、少年が感じたことは単純だった。親に愛されていない、どうしようもない淋しさだけが彼にはある。
そして母も死んだ。つい最近のことである。彼女も四郎と同じく「父」から捨てられたも同然で遠ざけられた。つまりは親子で父親から離されてしまった。
四郎は無表情で虚空を睨んでいる。泣くことはしない。理不尽なほどの寂しさと叫ぶ出したいほどの不遇があろうとも、聞いてくれるものなどいない。だから彼は一人ここに座っている。
「だーれだ」
四郎は後ろから眼を抑えられた。子供らしくびっくりした彼は妙な悲鳴を上げて、後ろを向こうとする。しかし、後ろの「彼女」は四郎の頭を抱くようにして離れない。四郎の鼻を甘い匂いがくすぐる。
「ぶ、ぶれいもの!」
かろうじてそう抗議する。実際無礼であろう。一応は国主の血縁者である。必死にふりほどくと勢い余って四郎は転げた。ごろりと草むらの上に転がるが、直ぐに膝をたてて刀を構えようとして、腰にないことに気が付く。
転げた時にするりと抜けて鞘ごと地面に落ちたらしい。やはり体にあっていないのだ。
四郎はバクバクとなる心臓を右手で掴み、前をきっと睨む。後ろに居た物を確かめようとしたのだ。彼女はいた。
金の髪が陽光で光る。紅い紐で顔の両側で結わえている。それがゆれる。
にっこりと四郎に微笑みかける彼女。頭に被った妙な目玉のような飾りをつけた市女笠の縁を掴んでいる。
「や! 四郎」
そう軽快な挨拶を諏訪子はした。しかし当の少年には心当たりがない、ただこの世の者とは思えない姿に一時当惑したが、元来誰よりも真面目に武士の子たろうとしている彼であるから直ぐに立ち上がる。
「……何者であるか。俺を誰か分かったうえでの狼藉であろうな」
「うん」
「うん……貴様! お、おれを馬鹿にしているのか」
「いーや」
「く、く、くそ」
四郎は顔を真っ赤にして怒る。まるで感情があふれてくるかのようだった。誰からも大切にされていない劣等感と無様に転げた情けなさ、それが剥き出しの怒りになった。
ただそれを見ても諏訪子はくすりといたずらっぽく笑い、その瞳で彼をまっすぐみる。金色の瞳に四郎が真っ直ぐと映る。可愛らしい唇をにやりとさせた彼女は思いもよらぬことを言う。
「いろいろとたまっているようね。よーし、相撲とろうぜ!」
「あ!?」
「おんやぁ? 四郎はこんなか弱い女の子にも相撲で勝てないのかなぁ?」
挑発するためだろう。諏訪子はわざと横を向いて馬鹿にしたようにくすっと笑う。それが四郎の感情のタガを完全に外した。
「な、なめるな!」
とびかかる少年。眼は血走り、幼いながらに鍛えた両腕に力を籠める。このまま押し倒して殴りつけてやろうとした。しかし、諏訪子は向かってくる彼に構えて。タイミングよく張り手をくらわす。
「げっ!」
妙な声を上げて四郎は転がる。少女とは信じられないくらいに力が強い。
諏訪子は両手を腰に当ててあっはっはと高笑い。
「あはは。年季が違うぜー。こちとら神代からやってるんだから」
「……がああ!」
「おっいいね」
それでもなお向かってくる四郎ににんまりする諏訪子。ぱんと両手を鳴らして腕を上げる。そうしてわざと隙をつくる。
勢いよく腰に抱き付いてくる四郎。だが諏訪子はびくともしない。それどころか彼の腰を掴んで放り投げる。地面を転がる彼だが、直ぐに起き上がって突進する。それを律儀に諏訪子は受け止め。
「どっせーい!」
容赦なく放り投げる。一瞬の宙に浮いた四郎の体。そして直ぐに地面に落ちる。
ここまで来れば彼とてわかった。この少女は人間ではないし、尋常の力ではない。それでも彼は上着を脱ぎ、肌を出す。ぺっと唾を吐き。にやにやとしている諏訪子を恐ろしい目で睨む。
男である。意地があるのだ。
「もう、手加減せぬぞ!」
「おおーう。のぞむところよ」
諏訪子は途端にニコニコしながら四郎に答えてあげる。しかし、全力で突進してきた彼を情け容赦なく地面に転がす。四郎は四郎で諦めることなどない。力の続く限り彼は少女へ挑み続ける。
それでも諏訪子はころころと四郎は転がしては「もう一丁」などという。
★☆★
夕焼けに空が染まる。
四郎は地面に転がったままぐったりしていた。指一本動かす力などない。ただ口では。
「まだ……まだ……」
などとうそぶいている。ただ全身汗にまみれ、息が荒い。体中に重りでも括り付けているかのような疲労感を生まれて初めて味わった。しかし、諏訪子と来れば先ほどまで四郎の吸っていた切り株に腰掛けてにやにやしている。
夕焼けに彼女の頬が光る。楽しいと顔に書いている。
「修行が足らないようね」
「……ばけ……ものめ」
「あら、ひどい言われよう。失礼しちゃうわ。これでも私は神様なんだけど」
「お前様な……神がいるもの」
四郎は悪態を止めない。疲れ果てていても妙に真面目に強がる。両手を大きく広げて、大の字で寝ている。自分は強くあらねばならない、彼はもっと幼いころから誰に言われるでもなく思っていた。
鴉が鳴いている。
諏訪子は立ち上がりつかつかと彼に寄る。そして寝ころんでいる彼の真上で腰を折り、覗き込む。四郎の前に優しく微笑む彼女の顔。思わず少年は息を止めた。美しかったとは口が裂けても言えまい。
諏訪子はすっとしゃがんで正座する。四郎の頭のすぐ上に両膝をそろえた。そして彼の頭を両手で鷲掴み。ぐいっと引き上げる。妙な悲鳴を四郎が上げても気にせず、彼の頭をそろえた膝の上に載せる。
そのまま優しい手つきで顔を撫でる諏訪子。
と、思いきや直ぐに両頬を摘まんで横に伸ばす。
「ひゃ、ひゃなせ」
「あははは」
透き通るような笑い声。彼女はさらにうりうりと少年をからかう。だが四郎は不思議と悪い気はしなかった。一日中暴れまわったからだろうか、少し眠い。膝の感触が心地よい。
諏訪子はまた彼の顔を覗き込む。次はなんのいたずらを仕掛けようか、そんな顔だった。しかし、諏訪子は空を見た。
夕焼けがオレンジに染めた空。黒い鴉が飛んでいく。
上を見上げたまま、諏訪子は呟くように言う。
「一人にしないでってさ」
「は?」
「四郎のことを頼まれたんだよ。普段はあの女をたててやってるけど、御指名ならってことで」
「何を……言っているんだ」
諏訪子は四郎の顔を両側から手で包んで、ぐいっと覗き込むように顔を近づける。彼の瞳に映る自分が見えるくらい近くに。静かな夕方に蝉の声。夜になるまでに鳴いてこうというのだろう。
「いいお母さんを持ったよ。死ぬ間際に私に聞こえるくらい強く、四郎のことを念じてくれたからさ、ここにきたんだ。まっ、血縁ってのもあるけどね」
「母上が……? お前を?」
「お前とは失礼だなー。年長者は敬うべきだぜ?」
「……い、いらぬ!」
「お?」
四郎はもがく。
諏訪子の言うことが本当であれば、彼の母親が死に際に残した「祈り」がこの自称神に通じたのだろうが。だが、四郎はそれに反発した。
「お、おれは武士の子だ。母上にも、そこまで心配されるようでは情けない。俺は一人でもやっていける!」
「わかっていないね」
「なんだと。何が、何が分かっていない」
四郎は眼をいからせて諏訪子を睨む。既にこの少年の行動原理はこう、なっている。
母親も死に。実家もなく。父親にも遠ざけられた彼には「強くあろう」とする心が強い。それは孤独に向かうもの。誰かの情けも祝福も受け取ることができず。自ら切り開いた物にしか信じることができない。哀れな心。
諏訪子は彼をやさしく見下ろして、髪を撫でる。それを煩わしそうに払う四郎にくすりとする。可愛いものである。
「わかっていないよ。私は神さまは神様でも由緒正しき祟り神よ?」
「…………ぇ」
「おや。どうやら四郎は私がいい神さまと思ったのかしら。残念、今の私にできること言ったらそうね」
にやぁと赤い口を開ける。
「呪うことくらいかしら」
四郎は呆然とする。流石に言葉の意味が分かるが、実感が全く分かない。
そもそも「母親」が死に際に頼んだものが「祟り神」で律儀にやってくることなぞ考えられない。しかも呪うなどと言っている。筋が通っているようで通っていない。しかし細かいことはどうでもいいのか、諏訪子はもう一度笑う。
「そういことで四郎、私がこれから面倒見てあげるよ。まー、今の私は本当にどの程度のことができるかわかんないけど……とりあえず、呪いがとけるまでは」
「…………ど、どうやったら解ける……?」
「死んだら」
「の、呪い殺す気か」
「まあ、今から死ぬまで呪うからそうとも言えるかも知れないわ。長生きすれば後々良い呪いだったって言えるんじゃないかしら? そんなに怯えなくても大丈夫よ。単純明快な呪いだから」
呪い、そんなに明るいものでいいのか。四郎は困惑するしかできない。諏訪子はにやにやしながら彼の頭を撫でる。
「死ぬまで一人にはさせないわ。安心して呪われなさいな」
四郎は見上げる。見下ろす諏訪子を。なんといっていいのか分からない。
「おっと、変な気は起こしても無駄よ…?」
「へんな、き」
「……わからない? わからないんだ。ぷーくすくす。初心ねー」
からかいながら諏訪子はわしゃわしゃと四郎の髪を撫でる。それから目隠しするように袖で彼の顔を覆う。それに四郎は抗わない。妙な心地よさがある。力を抜いて、ただ神に抱かれて寝そべっている。ある意味天下人でも出来ぬ贅沢であろう。
「……ぃ」
「おや、どうしたの?」
抑えている諏訪子の手を四郎が掴む。払おうとするのではなく、暖かさを感じたかったのかもしれない。張りつめていた心が、少しずつとけていく。漏れた「声」を諏訪子は聞き逃さないよう耳を近づける。
祟り神は四郎を抱くようにその耳を近づける。
少年は小さな、小さな声で泣くように言う。それは諏訪子と四郎だけの会話。
「なぜ、なぜ母上は先に逝かれた……、俺を、俺を一人にした」
「安心していいよ、頼まれたから」
「父上はなぜおれを遠くにやったんだ……。なぜ、誰も俺を見てくれないんだ」
「私がみてるから、いずれみんなが気が付くよ」
夕日が沈んでいく。代わりに星が現れて、天空を彩る。
天の川のよく見える夜に少年は祟り神へ言の葉を終わることなく、語る。諏訪子は全てを受け止めて優しく頷く。
少年は呪い殺される日まで、祟り神とあること願う。
四郎はその時代で殆ど珍しく「家族での肖像画」を遺した子です。