遅くなって大変すみません。
この話は他の話と違って、血がでます。グロほどではないですが、苦手な方は気を付けていただくか。ここでおやめいただければ幸いです。
一人の男が居た。
強い男である。断固たる目的意識、合理的な思考。そしてなによりも彼を「強く」させたのは、氷のように冷たい心。
その男は虎と呼ばれていた。強兵と呼ばれる山国の武士たちを掌握し、猛将を従え、智謀を煌めかせる幾多の人材を集めた。彼の周りには英雄と呼ばれる人々が星のように居た。それは虎の牙とでもいえばいいだろう。
彼は、父を追放した。そして息子を殺した。
彼は壮大な創造を行った。大河を支配し、金鉱を掌握し、城下町を繁栄させた。
彼は残忍に戦争を行った。村々を焼き、神であれ仏であれ逆らう者を戮し、騙し、その両手で欲しいものを掴みとった。その果てに巨大な領国を築きあげることができたのだ。彼は最後の時ですら、甲冑を身にまとい。戦地で息を引きとった。
人は時に化け物になる。
一人が、数万を殺し。一人が数十万を生かす。
彼はその「一人」であったろう。鬼も天狗も彼の所業の果てに、野望の果てから見れば歯牙に掛ける意味すらない偶像である。ただただ、現実を強烈に変えていく姿は妖怪の恐れる「英雄」と言える。
彼の跡を継いだのは心優しく、真面目な青年だった。
大名として後世に残る肖像画にただ一人、戦国の世で「家族」と共に描かれた人である。
化け物ではない。ただ、ただ一人の人間として父親の偉大さに向き合うことをしたと言える。彼の人生は研鑽と練磨の日々である。そもそも彼は後継者として見られていなかった。単に兄たちが「いなくなった」為の「繋ぎ」である。
それでも彼は運命と向き合った。
父親の残した巨大な領国と領民。勇猛な家臣。強力な軍団。そして、巨大な「敵」。
才能と言えるものは彼に合った。明晰な頭脳も個人的武勇も人よりも遥かに優れている。ただ、それだけであったが彼は懸命になって人間として堕ち行く何かに抗った。
それは刀槍の日々。
彼は受け継いだ全てで烈火のように戦った。英雄である父すらも超える勢いを世に示した。軍神と名乗る男の目を引き、魔王と呼ばれる男を翻弄し、のちに天下を取る男を圧倒した。
皮肉にもそれが彼の人生を破滅へと導くことなる。恐れられるということ、力を示すという事は敵視されるというである。
その報い、その青年の絶望は硝煙の匂いに包まれていた。
彼は見た。自らの采配の下で死骸になっていく者たちを。銃弾の音と共に死を刻み付けられた設楽が原。東西を敵に囲まれた地獄の窯の中で、父の築いた物も自らに従った者たちもすべからく斃れた。
それは殆ど決まっていたことではあった。彼の受け継いだ地盤では既に敵わない「何か」がそこにあった。ここで彼も死ねれば楽だったのかもしれない。
だからこそ、その戦場でも死ねなかった青年はどう思っただろうか。少なくとも彼は諦めることはしなかった。
たとえどんな卑屈と言われようとも長年の宿敵に頭を下げ、考えることは良く実行した。その狭間で彼は敵国から伴侶を得る。敵国の女性と仲睦まじい夫婦と成れたのは、青年の実直さに因るものでもあり、そして彼の前半生に家族の温かみがなかったからかもしれない。
青年はもがいた。
軍神の息子とも手を結び。四方へ外交の手を尽くした。だが名門としての誇り、そして、手に持ってしまっている「力」は彼の首を絞めることになる。青年はその人柄はどうであれ、世の人々からは強者として認識されていた。つまりそれは、殺すべき相手であるということだ。
彼の人生の終わりは味方の裏切りから始まる。
死力を尽くして自らの運命を支えようとしていた彼の末路としては、不似合いなほど惨めな最期である。広い彼の領国で彼の為に戦ったのは彼の弟のみである。父を支えた功臣も自らの親族も彼を見捨てた。
それはどうしようもない、暗い闇の底に落ちていくかの様で。
★☆
朝焼けに黒の騎馬武者が奔る。
右手に持った長槍をぐるりと回せば、風を切る音が鳴る。左手には長刀を煌めかせる。手綱は持たず、ただ馬と共にある。黒塗りの鎧は重厚であり、鈍く輝いている。
騎馬がうなる。山国を駆け抜けた駿馬は栗色の悍馬。ぎらぎらと光る両目と荒い鼻息は人すらも噛み殺しそうなほどである。蹄で地面を蹴れば、一足で自らの影すらも追い越すほどに速い。
騎馬武者は吠える。彼の馬もそれに呼応するかのように強く地面を蹴る。
騎馬武者の名を四郎という。天日を背に彼は敵陣に突撃する。彼の眼前に広がるのは槍を構えた兵の列。風にはためく旗頭は丸に竪木瓜、四郎は眼をいからせて馬上で長槍を振るう。鍛えこまれた腕としなる槍。
眼前の敵兵の横面を斜め下から撃ちあげる。人が飛ぶ。その僅かな隙間に四郎は馬を入れて、疾風のように駆け抜ける。
そこに四郎に遅れて数十騎の騎馬武者が敵陣に駆けこんできた。彼らは手に得物を持ち、各々縦横無尽に戦った。
鮮やかな手並みだった。一瞬の出来事と言ってよい。
四郎は逃げて行く敵をあえて追わずに自らに付き従っている騎馬武者の群れを見る。それぞれが煌びやかな軍装に身を包んでいる。赤備えとまではいかないが朱塗りの兜を好んでつけているものが多い。敵兵の血をその身に浴びている者もいる。
だが、反面煌びやかな軍装であるということは殆ど闘争をしていない証拠でもある。今どれだけ勇敢にたたかったとしてもどうしようもないことは四郎たちにも分かっている。今のように油断している敵陣を切り裂くことはできても、衆寡は敵せない。
「はははは」
それでも四郎は朗らかに笑った。それにつられて騎馬武者たちも笑った。絶望の中に似合わぬほど明るく彼らは笑っている。
四郎は空を見る。冬空に似合わぬほど太陽の輝く日である。暖かな日差しを横切るように一羽の鳥が東へ飛んでいく。
「あれはなんの鳥だろうか」
一瞬羨ましそうにつぶやいた四郎を周りの取り巻きが見る。その後にあれはなんだ、と不毛で柔らかい議論が起きた。四郎はうっすらと微笑み、手綱を引く。あぜ道を彼は馬と一緒に進む。もう一度空を見ながら。
彼に、いや彼らに行くところはない。この世のどこにもありはしない。
自らの城に匿うと言ってくれた家臣は旗をひるがえした。彼は四郎達を城の近くまでは来させたが敵に寝返り。鉄砲で四郎達を追い出した。それからの落伍の途中が今である。
四郎の周りを固める騎馬武者は若いものが多い。それに続くのは女子供である。そこには四郎の妻子もいる。彼はたまに馬をおり、弱った子供などを載せてやったりした。それに倣うように他の武者たちも馬を降り、自らは徒歩になる。
四郎はたまに遅れている者がいないかと声を掛け、時には冗談を言いながら歩いている。うららかな日であるから、のどかに遠くで鳴く鳥の声の響く中彼らは歩いていく。整然とした歩みは落ちていくというよりは、少しそこまで来たというかのようである。
四郎は歩みをすすめながら思い出している。
遠い子供のころのことである。神様からすれば昨日くらいのことかもしれない。そう、とある神様に何度も相撲を挑んで転がされた記憶である。金色の髪に市女笠を被った妙な神様である。
「まだまだねー。こんなにか弱い私に敵わないなんて男じゃないわ。へへん」
「……もう一度だ!!」
何度挑んでも容赦なく泥の中に転がされた記憶を彼は微笑みながら思い出す。結局大人になってからは小柄な神様に相撲を挑む気は無くなり、一度も勝つことはなかった。
四郎達はとある山のふもとまでたどり着くことができた。そこには古城があるが、今は使えるような物でもない。彼らは女子供の「疲れた」から、ここで良いと決めた。
それからは早いてきぱきと若い男達が陣を張り、旗を立てた。それはここに彼らがいることを示しているかのようである。最後の意地なのだろう。
四郎も手伝おうとしたら、数人がかりで床几(しょうぎ・小さな椅子) に座っているように押さえつけられた。彼は苦笑して、どしりと人の真ん中で座る。彼は木槌の音を聞きながら、
ちょっとだけ遠い昔のことを思い出している。
四郎が大人になり。見捨てたと思っていた父に呼び戻された時にその神様は一番喜んでくれた。
「ばんざーい。ばんざーい。しろうよかったねぇ」
「ば、ばんざい、とはなんだ?」
「え? 知らないの? ふふふ。勉強がたりませんなー」
「……わ、悪かったな!」
今でのあの神様のにやけた顔が目に浮かぶ。まるで自分のことのように喜んでくれた反面、あの神様と来たら口に手を当てて「しらないんだぁ」などと言ってきた。後になって知ったが「万歳」とは唐の作法だという。
「知っているわけなかろう」
床几の上で四郎は呟いた。周りの男達が一斉に彼を見ると、手を振ってなんでもないと答えた。少し恥ずかしい。彼は照れ隠しにむすっとして、眼を閉じる。そう、眼を閉じれば昨日のことのよう思い出すことは多い。
父のもとに戻った四郎はなかなか「神様」に会えなくなった。それでも時間を見つけては馬を飛ばして会いに行った。することはたわいもない会話や遊びである。それでも四郎は神様の下へ何度も通った。
「父上」
突然呼ばれてはっと四郎は我に返った。
彼の前には一人の武者がいた。四郎は思わず顔をほころばせてしまう。今年元服する予定だった息子である。赤々と輝く伝来の大鎧を身にまとい、大振りの太刀を腰に佩いている。死ぬ前に急ぎ元服をさせたのである。
その息子の後ろには、彼の妻の姿があった。黒髪を後ろに結び、優しい顔をした彼女に四郎は機嫌よく頷く。彼女は隣国から嫁いできた姫であり、この落伍にも付き合う必要はなかった。本家に帰ればいいだけなのである。
それでもついてきてくれた彼女に四郎は申し訳なさと感謝を持っている。不覚にも目頭が滲んだが、息子の前で泣くわけにはいかなかった。
「父上。あの神様はいまごろ何をしているのでしょうか」
「…………さて」
四郎は微笑みながら答える。息子が生まれた時には狂喜していつの間にか神様の所へ来ていたことがある。そのまま神様に抱き付いて高い高いをしたあたりで四郎はゲンコツを食らった。
「あれは痛かった」
「何がですか? 父上」
それには答えない。その後には息子が生まれたと知った神様は四郎に負けずに嬉しがってくれた。顔をくしゃくしゃにして、高い高いではなく四郎を投げ飛ばした。
成長した息子を連れていくと、何故か神様は四郎には姿を見せず。後でぼろぼろになった息子が「神様にやられました」などと言って帰ってきたので周りを困惑させたが、四郎だけは苦笑いをした。
その彼も四郎の目の前で立派な武者姿になっている。思わず四郎も神様が悦んでくれることを、あの笑顔を思い浮かべた。彼が顔を上げると神様はいなかったが、微笑んでくれている妻の姿がある。
一夜明けた。
朝日が空を焦がしていく。ばたばたとはためく軍旗が四郎の小さな陣を何重にも取り囲んでいる。木瓜紋の記された黒い旗は、四郎が生涯をかけて戦い。敗れたもの。
銃声がとどろく山際。天目山と称される山並みをみつつ四郎は朝の風に涼しさを覚えている。彼の手には小刀が握られている。血を丹念にふき取ったそれを彼は一度鞘に直す。
妻子を苦しませることなく、終わらすことができた。
四郎はどっと疲れたように感じたが、今少し。ほんの少しの間だけは気を張らなくてはいけない。彼が総大将であるうち、いやこの世にいる内は弱みを人に見せてはいけないのだ。
あの父の死の後でも、
あの設楽が原の後でも、四郎は毅然としていなければいけなかった。
そのころには神様へ会いに行く余裕は殆どなかったが、一度だけ政務の合間に行った。
いつもと変わらない神様が其処にて、四郎は不覚にもその日だけ弱くなってしまった。背を撫でる小さな手が彼には忘れることができない。
それでも今は彼に最後まで付き従ってくれた者たちは今、敵を食い止めてくれている。僅か数十騎に過ぎない武者たちが天下の大軍を相手に戦っている。理由はただ一つである、死に名誉を添えるためだけ。
遠くに雄たけびが聞こえる。四郎はそれに聞き覚えがある。
「土屋……逝ったか。苦労だった」
消えていく勇者に労いの言葉を掛ける。四郎は鎧を脱ぎ、兜を置いた。白い装束を着た時、意外と心に波は立たなかった。彼は小姓の張ってくれた小さな囲いに向けて歩みを進める。
「あの時行くことはできなかったな。悪いことをした……」
一歩、歩くごとに何かを思い出す。
あの浅間山が噴火した時のこと。それから木曾が寝返った時のこと。
あの日の夜。四郎は一人、庭に立っていた。まだ咲くはずもない桜を見つめ、呆然と時を過ごしていたのだ。そのころには神様と何年も会ってはいなかった。ただ、自らの終わりを確信することができた。
ふと、桜の陰に少女が立っている。ぼんやりした姿で顔立ちはよくわからなかったが、小さな手を自分へ差し伸べてくれる彼女に四郎は微笑みかけた。会いに来てくれたのだろうと、直ぐにわかった。
そしてその手を取れば、どこかに連れて行ってくれたのだろう。四郎はそれでも首を横に振った。彼に付き従ってくれた者たちを置いて、一人で行くことはできない。
「いけぬ」
それから
「すまない」
付け加えた。影は手を下ろして、肩を落として。消えていった。四郎は一人になった。
三方へ置かれた鋭利な脇差を手に取ると、四郎は着物の腹部を広げる。鍛え上げた肉体がそこにある。
終わらせる前に彼は介錯をするために残ってくれた若い小姓に暇を出した。最初は嫌がった彼を主命として無理やり下がらせた。口実なんてなんでもよい、このありさまを後世に残してくれとでもいった。
遠い闘争の音を聞きながら、四郎は脇差を日に照らす。美しい刃紋を見ながら、思うのは申し訳ない気持ちである。父に、部下に、妻子に、祖先に彼は唇を噛みながら頭を下げた。
血が飛んだ。突き立てた刃を横に引く。
唇を噛み切る程に歯を食いしばり、声を殺す。
何万の命を活かした父に、何十万の者の運命を零落させたことを詫びる。全ての痛みをこらえ、苦痛を押し殺す。自らは苦しまなければいけないと青年は思う。
だからこそ倒れはしない。刃を抜いてから目の前に置く。紅く地面を染めた。
朦朧としてくる意識の中で、音が遠くなっていく。だが、まだ行くことはできない。長い旅路である。
四郎は見た。
いつのまにか黒い影が其処にいた。
彼の傍に誰かが立っている。力を振り絞って仰ぎ見れば、その顔は真っ黒である。口もなく、眼もない。小柄な姿ではあるが異形の姿だった。死そのものなのかもしれない。
それは一人の祟り神。この青年を呪い殺しに来たのだろう。
その神様は座り込み、両手で四郎を包み込む。触られたところが黒ずんでいく。それは呪い。この世にも恐ろしい死の呪い。
四郎はだんだんと痛みが無くなっていく。神様に触られたところからはもう何も感じない。癒しているのではなく、ただただ呪い殺している。もう何も感じなくていいように。
四郎の頬にぽたぽたと何かが落ちてくる。神様の顔は見えない。閉じていく世界の中で四郎は口を動かすが、声が出ない。ぽたぽたと水が落ちてくる。それは涙の様。
「がんば……た……えらい……う」
何かが聞こえる。だがもう何も見えない。呪い殺してくれたのだから。