「生犬神家をこの目で見ようとは…誰か金田一先生を呼んでくるんだ」
「主、キンダイチ先生とやらのご連絡先はどちらですか?」
貸本屋「百万図書」の周辺には、不届き者がトラップにかかり死屍累々の体をさらしていた。
貸本屋、帰還する
「てーんちょーう!ディルムッドさーん!ビスケさーん!……あれ?ルシルフルさんは?」
「あら、おかえりムーディ。ルシルフルは帰ったわ」
シェスカ主従とビスケが店舗の前に到着すると、タイミングよくムーディがタクシーに乗って現れた。扉を開けると、腕に紙袋を大量に提げ、大きく手を振っている。
アルバイトは「ナイスタイミングじゃないですか?」と腕時計を見て嬉しげに笑う。
「それにしても、結構かかってますね」
「そうね、原始的なトラップなのに、意外とかかってたわ」
「原始的で現代まで通用するということは、それだけ効果的ということでしょう」
ムーディ、シェスカ、ディルムッドと、貸本屋一行はそれぞれ店舗の周りで醜態をさらしている老若男女の人間を見下ろす。
それをたまたま目撃したタクシー運転手は、可哀想なほど顔を青ざめさせて急いで車をUターンさせていた。
「こうも大量だと処理に困るわねぇ」
店主が頬に掌を寄せて面倒そうに眉根を寄せると、トラップの解除と神字の刻まれた鍵を外していたビスケットが呆れた顔で振り返った。
「あんたは何のためにディルムッドに試験受けさせたの。さっさと警察に連絡しなさい。全部あっちがいいようにやってくれるわさ」
「なにそれ素敵」
「あ、ディルムッドさんおめでとうございます」
ビスケは南京錠を開錠すると、それをシェスカに手渡す。シェスカは南京錠をくるくると回し、それを上下左右からじっと観察した。
「あんたが本以外をとくと観察するところを目にするなんて、珍しくって槍でも降ってきそうだわさ」
「ディルムッドが上から跳んでくるよ」
「怖いわ!」
事実、サーヴァントの脚力をもってすれば天上から槍の雨を降り注がせることは可能だ。ただ残念ながらどこぞの英雄王のように規格外なほど数を揃えることはないので、現状二本だけにとどまるが。
「これ、意外と使えるね」
「気に入ったのならあげるわ。それでたまには外出しなさい。引きこもりもたいがいにしないと体力落ちるわよ」
深いため息を吐くビスケットの姿に、母親みたいだな、と胸中呟きながら、返事を返さず渡された鍵を懐にしまう。閉ざされた引き戸を引くと、循環されずに溜まった店舗内の独特の空気が一気にあふれ出す。
周囲を確認し、隣にたったディルムッドが先に店内に入ると、次いでシェスカ、ムーディ、殿をビスケットが務める。
シェスカが一歩、店内に足を踏み入れた瞬間。
今まで、まるで死んだようだった店の中が、息を吹き返したかのように雰囲気を変貌させる。
特に、他の3人のように住んで慣れているわけではないビスケットにはその違いが顕著だった。
店内のいたるところにある本が、呼吸を開始したことが手に取るようにわかった。まるで生物のようだ。
いくら長い付き合いとはいえビスケットも店主の能力の詳細はしらない。
念能力者が自分の念能力を話すことはほとんどない。ビスケットがシェスカの念能力で知っていることといえば、彼女が何らかの方法で本を複製し、それは彼女の手から離れると7日間で失われるということだ。
ただ、10日間という長い間彼女が留守だった店舗にある本は健在だ。
これに制約がかかっていることは明白だろう。
…シェスカの手となるものとして、土地、あるいはこの店舗自体があの子の一部として扱われる。じゃなければ、店に並んだ時点で、7日たてば本は消える。流石に1週間ごとに更新は面倒でしょうしね。
推測の域を出ないことではあったが、ビスケットはこの土地あるいは店に制約がかかっているのではないかと考えた。
そして、本体が帰還したことで、心臓が抜けた体が改めて活動しはじめた。
シェスカの能力は誰に知られてもたいして困るものではない。完全に趣味のための力だからだ。
ビスケットがそれを推察したのはただ単に念能力者である彼女の癖だ。
「さすがに少し埃っぽいね」
「掃除しちゃいましょうか」
「先に警察に連絡して頂戴。疲れてるのなら掃除は明日からでいいわよ、どうせここにくる客は埃を気にするような繊細な奴こないし」
「客商売あるまじき言動ね…」
ムーディはシェスカの言葉に従い、アンティークのような黒電話に手をかける。ディルムッドは住居の点検に向かっている。
ふいと視線を天井に向けると、陽の光を浴びてきらきらときらめくものが見える。ただしロマンチックな要素はほとんどない。ただの埃だ。
彼女は掃除をしない。というか家事をしない。読書以外に自分の労力を回すとしたら、周りが煩くいう食事、入浴と生理現象くらいのものだ。自分の部屋も、ムーディが月に一回耐えられなくなって突撃してくるまでそのままだし、せっかく掃除されてもまた同じような有様になってしまう。彼女はそれを反省しない。同じ屋根の下に住んでいて、いくらディルムッドという絶対庇護者がいたとしても、ムーディがシェスカに他の男同様の目を向けないのは、そういった背景がある。つまり、女とし見られていない。よくも悪くも彼は店主を店主としてしか見ていない。彼女らの生活は驚くべきバランスで保たれている。
「ああ、落ち着いたら珈琲飲みたい」
いつもの定位置に腰掛けると、呼吸するのと同じようにページをめくった。
****
「それでは彼らを住居侵入罪未遂で連行します」
「お願いします」
ディルムッドは早速習得したライセンスカードを提示し、警察官にトラップに引っかかった犯罪者たちを引き取ってもらうよう交渉した。
この地区にくる警察官は、よくも悪くも「百万図書」で起きるごたごたに慣れているので、最初は派遣された警察官も嫌そうな顔を隠しもしなかったが、ディルムッドがライセンスカードを手渡した瞬間、顔を引き締めた。「国家権力さえああなるとか怖い」とアルバイトが戦々恐々としていたのは余談である。ディルムッドも若干その効き目に引き攣っている。
トラップにかかった人数が尋常ではなかったので、集まったパトカーはまるでドラマのワンシーンのように空き地や路地を塞いでいる。赤色灯がくるくると回り、一面赤色になっている。流石にこれはご近所でもうわさになるだろう。
「さて、ようやく落ち着いたな」
「お疲れ様です。俺お土産買ってきたんで、ディルムッドさんもお茶しましょー」
「ああ。それより、どこにいってたんだ?」
「知人と一緒にヨークシンあたりまで。観光するところいっぱいあるんですよ、流石観光地!たくさんオークションもありましたし、値札競売市って楽しかったです」
「…よからぬところには近づいてないだろうな」
「よからぬところ?」
ムーディは首をかしげた。ディルムッドはその反応に苦笑して気にするなと告げると、店内へ足を向ける。
ヨークシンシティのあるヨルビアン大陸は、正規のオークションにまぎれて闇オークションが存在する。そこに一般人が足を踏み入れることはないが、稀に関わってしまうことがある。その末路は悲惨としかいいようがない。クロロかビスケット、あるいは主従がそばにいるならばともかくとして、ムーディのような一般人がもし関わってしまってはただではすまないだろう。
ヨルビアン大陸はシェスカの故郷のある大陸で、彼女は親元から離れてしばらくは、ヨルビアンを中心に行動していた。
あの日、シェスカを一度
正確に言えば、ディルムッドを人目につかせないようにするために、あまり人気のない場所を選んで歩いていると、たまたまオークション会場から出てきた男に出会っただけなのであるが、あのときのシェスカの嫌悪に塗れた顔を、ディルムッドは今でも鮮明に思い出せる。
彼女がこの世で嫌悪する人間は少ない。彼女自身が世間に興味がないからだ。
その彼女が嫌悪する数少ない人間。それが、あの男だ。
『おや、奇遇ですね。こんにちはシェスカちゃん』
そういって旧知の間柄のような親しげな態度に、主人の顔が歪む。それを見た従者の行動は早かった。
牽制で矛先を突きつける。
男は『怖い怖い』と笑って両手を挙げた。
『こんな所で会うとは…いけませんね。早めに離れることをおススメします。…オークション会場が近い。狙ってくれといわんばかりです』
そういって、ディルムッドに阻まれていることなど意にも介さないようにシェスカに視線を向ける。
シェスカは、できるだけ男の視線から逃れようと、ディルムッドの腰あたりにしがみついて後ろに隠れた。
男はその姿を見て笑った。
『君のような女の子…容姿といい、能力といい。格好の獲物です。そちらの方が強いことは身をもって知っていますが…この都市は魔窟ですからね。昔のよしみで忠告しておいてあげますよ』
男はそれだけいうとその場から姿を消した。
男のいう『魔窟』という意味を理解するのはその時点ではできなかったが、ビスケットと知り合い、あの都市で行われるオークションや市長と蜜月の関係にあるマフィアの存在をしり、ディルムッドはあの都市にできるだけ近づかないことを誓った。
シェスカのこともあるが、騎士として潔癖すぎる彼には、あの都市はあまりにも腐敗しすぎていたのだ。
店舗に戻ると、二人の姿が見えなかった。住居のほうに引っ込んだらしい。引き戸を閉め『閉店』とやたらやる気のない筆跡の札を下げると、奥へと移動する。
香ばしい珈琲の匂いが鼻腔くすぐった。
「あ、店長、ちょっとまってくださいよ!お土産あるんですってば!」
「早くだしなさいよ」
ごそごそと紙袋から箱を取り出すと、テーブルに箱ごと出す。いちいち皿に盛らないあたりがこの店の従業員らしいといえばらしい行動だった。
「あらムーディ、ヨークシンにいったの?これ空港に売ってる銘菓だわね」
「そうですよ、見ただけでわかるなんて凄いですねビスケさん」
「にょほほ、あたしこれ好きなのよ」
箱から掌に収まるほどの小袋をつまむと、嬉しそうにビスケットが口に運ぶ。ムーディも「これ試食したとき一目ぼれしたんですよー」と同じようにほくほくと口に頬張っている。
「ヨークシンっていえば、9月にあるわね、ドリームオークション」
「あ、10日間あるって奴ですね。俺と一緒にいった奴も9月に行くっていってました。俺も誘われはしましたけど…」
「なーに有給使えばいいわさ。あんたどんだけ働いていることか!10日間どころか1年分くらい溜まってるわよ、きっと」
にやにやとビスケットは笑うと、ビニールの小袋がうまく破けず苦戦している店主と目が合った。店主の手から騎士の手に渡った小袋が、難なく破ける。店主の掌に菓子がのった。
「何?」
「あんたもねぇ、あたしにいわれたからとかじゃなくて出かけなさいよ。昔は結構出歩いてたんでしょ?一緒に旅行にでもいってきなさい」
それは紛れもなく、母性やおせっかいからきた言葉で、彼女に他意はなかったのだが、シェスカは微かに口の端をゆがめた。誤魔化すように無言で菓子を口に含む。
それをみたディルムッドが、ビスケットに向かってにっこりと笑う。
ほやん、となりかけ、何かに気づいたビスケットは「にょほほほ…」と冷や汗をかきながら笑って珈琲を飲む振りをして誤魔化した。
道中、シェスカを店舗から連れ出した件で散々お説教されたばかりだったのだ。舌の根の乾かないうちにまた「出ろ」とは、流石にタイミングが悪い。店の前でも同じことを言ったが、冗談めかしにいうと従者が恐ろしすぎる。
「ムーディ、いきたいなら別にいいわよ。私はいかないけど」
「ええっ本当ですか!?」
「ええ、でもあまり危険なところにはいかないようにね」
「大丈夫ですよ、俺と一緒に行った奴の友達で、凄く詳しい人が案内役してくれましたから。ヨークシン暦長いらしいです」
「そう」
ムーディはまさか許しをもらえるとはおもっていなかったらしく、うきうきと興奮した様子を隠そうともしない。やはり長い期間閉鎖されたところに閉じこもっていると、ときたま刺激が欲しくなるらしい。
彼の土産の量を見ればわかる。
ムーディは旅行を満喫してきたのだ。
よほど楽しかったのか、お茶の時間は彼がヨークシンの出来事を3人に聞かせていた。
ディルムッドがハンターライセンスを取ったことで、警察との連携もうまくいくし、犯罪抑止力としては申し分ない威力のそれは、この店にやってくる犯罪者の抑制に十分に活用されるだろう。
これで少しはムーディの進まない仕事もさばけるはずだ。ともすれば余裕の出た彼に休みを与えることは、彼のストレスの緩和にもなる。余裕が生まれると、人間は不満を強く思うようになる。そうして彼に辞められてもこまる。このくらいは必要処置だろうと、シェスカは許可をだしたのだった。
その夜、ムーディはともにヨークシンシティに出かけた知人に電話をかけ、一緒に行ける旨を伝えた。
「そう、行ってもいいって許可がでたから。
もしここに、主従のうちのどちらかがいれば必ず止めたことだろう、男の名を口にして。