百万大図書館   作:凸凹セカンド

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貸本屋、異邦人と話す

 

 

 

 

 

「聞いていた情報と違うじゃねぇか」

『了解いたせ。どちらが本物かはわからぬが、微かでも可能性があるのならばそちらを探る必要もあるだろう』

「そりゃそうだが…」

 

 男は電話口で愚痴をこぼし、つるりと引っかかる髪のない後ろの首を掻いた。

 目的のものを手に入れるために随分手のかかる近道をしようとしているというのに、電話口の男が新たにもたらした情報が本当なのだとしたら、近道といっていたはずが、随分と遠回りしたことになる。男が納得できないのも無理はない。

 

『ともかく、真偽を確かめろ。頼んだぞ』

 

 一方的に告げると、電話は無常にも切れた。

 

 

 

 

 

 貸本屋、異邦人と話す

 

 

 

 

 

 端正な顔に疲労を色濃く残し、心持足取りが重そうな気配さえある常連客、クロロ・ルシルフルが来店すると、ムーディは新書の平積み作業をいったんとめてから顔を向けた。

 

「いらっしゃいませ、ルシルフルさん」

「やあ、ムーディ」

 

 クロロは片手を挙げて微笑する。それだけで陰のある美形のできあがりである。あーもう爆発しろ、とモテ期がいまだ来ない全男性を代表して、ムーディは心の中で叫んでおいた。

 クロロは慣れた様子で店内に足を踏み入れる。何人か相変わらずの常連が声まではかけないがちらほらと視線をよこすのは、一時期店番をしていたからだろう。いつものようにムーディは店主に声をかけ、奥へ消える。

 番台に腰掛けたシェスカは、古びた表紙の書物に書かれた文字を追うのに忙しそうにしていた碧眼を一瞬止めて、黒尽くめの客人にその視線をよこす。

 

「変態は連れてきていないでしょうね」

「まずそこかー。せめて形でもいいから労わって欲しかったなー」

「そんな君にこの言葉を贈ろう、自業自得、と」

 

 冷淡に返された返事に、クロロは来客用の椅子に座ると深いため息をついた―――瞬間。目にも留まらぬ速さで後頭部に手を伸ばし、重量のあるそれを受け止める。

 彼の掌には、言語辞書ほどの厚さのある書物が収まっていた。物理に滅法強いクロロはそんなことではダメージは負わないが、自分より上位者に後頭部を狙われてぞっとしないほど鈍感でもない。

 それは店のロフト部から、目の覚めるような美貌の青年が嫌がらせに投擲してきたものだ。体重を感じさせない動きでロフトから一気に跳躍し、目の前までやってくる。相変わらず嫉妬をするのも馬鹿らしくなるような美形の姿に、店主のいう「変態」もこっちに執心してくれればいいのにと思う。

 青年は射殺すような視線はそのままに「またきたこいつ」といいたげな顔を隠しもしない。

 

「ディルムッド、ありがとう」

「お安い御用です」

 

 店主が声をかけると、打って変わって輝くような笑顔で返事を返す。手に叩きがにぎられていることから、ロフト部の掃除をしていたことが察せられた。

 

「ルシルフルさんルシルフルさん、これお土産です」

「ん、ああ、ありがとう」

 

 お茶を盆に載せて戻ってきたムーディの手には、紙袋が握られていた。それを、袋ごとクロロに渡す。クロロはそれを受け取ると、紙袋の中身を覗き込む。

 

「旅行いったんだ」

「はい、ヨークシンに!楽しかったです、また休みとって行きます!」

「……ドリームオークション?」

「はい!」

「そうか…できるだけ大通りを通りなよ」

「??はい」

 

 クロロの意味深な言動に目をぱちくりと瞬かせるムーディ。慣れない旅行者が観光地のイベントで迷子やトラブルに会うのを危惧しての忠告と取れなくもないので、意味を深く考えず首肯した。その様子を見守る主従は、クロロが少なくともヨークシンの裏事情を了解していることを理解し、シェスカはその出自から若干顔を顰め、ディルムッドはやはり危険だと眉根を寄せた。

 

「ところで盗人、あの変態は撒いて来ただろうな」

「本当にいやになるくらい息の合った主従だなぁ君たちは…」

 

 

 

 

****

 

 

 

「ごめんよ、邪魔するぜ」

 

 その男が貸し本屋「百万図書」を訪れたのは、黒い常連客が入店して、店主が手に持っていた古い書物を肴に二人の会話がヒートアップ、アルバイトには手がつけられなくなってきたころだった。

 ムーディは立ち上がり男へ近づいていく。

 男はまだ若く、ムーディと同じか若干上といった年頃のようだが、彼とは違い鍛え上げられた体つきをしている。ムーディを見つけにっと笑った顔は幼い子供のようで好感が持てる。

 

「いらっしゃいませ、本日はどのような御用でしょうか」

「巻物を探しているんだ」

「はい」

「―――――隠者の書ってやつなんだが」

「んー…自分じゃわかんないんで、ちょっと店主に聞いてみますね」

「あ…ああ」

 

 巻物を探している、といって注文してきた男はムーディのあとに続き、たいして奥行きもない店の奥へついていき―――――目を見張った。

 

 番台に座る女と熱く語り合っている黒尽くめの男。視界に入れた瞬間に己ではどう足掻いても勝てる見込みのない絶対的な実力差を感じ取ったのだ。彼とて鍛錬に鍛錬を重ね、十代の前半には人を殺める仕事にすらつくほどの実力者である。しかし、実力者だからこそ、最近新たな修練で手に入れた力を手に入れたからこそわかる、その男から感じる絶対強者の気配に瞠目した。

 黒尽くめの男、クロロはその場に入ってきた客の姿を見て、感じ取り、微かに目を細める。――――気づかれた。

 

「ん…ハンゾーか」

「はっ…え、いやいや、あんたなんで!」

 

 身を硬くした男の耳朶に、女性をころっと転がせるような聞き覚えのある美声が届く。

 体をずらさなければ見えない位置に、絶世の美男子が棚に背を預けて立っている。男は、その青年に見覚えがあった。ありすぎた。

 

「なんでも何も…俺はここの従業員だが?」

「はあ!?」

「なに、ディルムッド知り合い?」

「はい、ハンター試験の同期です」

 

 黒尽くめの男のさらにその上を行く絶対的強者が貸し本屋の従業員という現実に、ハンゾーはぽかんと間抜けに大口を開けて晒した。

 

「店長店長、隠者の書っての探してるらしいですよー」

「隠者の書…?ああ」

「あるのか!?」

 

 ハンゾーの緊張等もろもろの事情など知る由もないムーディは、頬杖をついてこちらに視線を寄越すシェスカに用件を伝え、彼女はその巻物の名前を反芻し古典的に掌を拳の底で叩いた。

 

「ある…というか、貸し出し用じゃないんだけど」

「そこを何とか譲っていただけないか」

 

 ハンゾーはクロロをあえて意識しすぎないように注意しながら興奮気味にシェスカに詰め寄る。ディルムッドの眉がぴくりと跳ねた。

 番台から二歩離れたところまで近づき、じっと彼女から目をそらさない。

 クロロがあまりにも強烈過ぎてきちんと目視していなかったが、改めてシェスカの姿を認めると、ハンゾーはともすれば視線が下に下りそうになるのを堪えた。この店では珍しく非常に自分に正直な男である。ムーディにとっては好感のもてる反応だった。

 

「譲るもなにも…勘違いしないでいただきたいのは、うちは貸し本屋だということだ。本の販売譲渡は行っていない……それに、君が欲しいのは本物(・・)でしょう?」

「何…?」

「君の期待にはこたえられないといってるんだ。まこと残念なことにね」

 

 シェスカはそういうと興味が失せたように碧眼を伏せ、カップに手を伸ばす。それに納得が行かないのはもちろんハンゾーである。彼からすればただの言葉遊びにも聞こえる彼女の言葉に、もともと血の上りやすい彼が納得できるわけがない。

 手を伸ばそうとして、かちりと固まった。

 

 はくっと、空気が口から漏れる。

 全身が縄に絡めとられたかのように動かない。

 脂汗がにじみ、頭がぐらぐらと揺れる。

 

 ハンゾーただ一人にだけ向けられた、「百万図書」の二大強者による牽制は、すでに牽制という名を超えた凶器になろうとしていた。

 

 ハンゾーが『念』を習得したのはハンター試験を終了してからだ。

 彼の求める隠者の書は、ライセンスがなければ入国困難な国にあると、情報で知らされていた。なので、ハンター試験を受けライセンスを習得したのだ。そして、裏試験に挑み、見事合格。本格的に隠者の書を探そうとした矢先に、特にライセンスがなくとも入国できる国の、とある店に目的のものがあるかもしれないと、足を伸ばした。しかし、そこで待っていたのは、難解ハンター試験をも超える難易度の絶対強者だった。

 

 今、動けば、死ぬ――――。

 

 ハンゾーの意識が自身の死を悟った、その瞬間。

 

「店の中でやめてくれる?」

 

 店主によるその一言で、あっけなく解放されたのだった。

 

 ハンゾーは、どっとその場でひざをついた。

 ムーディはあまりの展開に目を白黒させている。唯一の一般人である彼には、何が起こったのか理解できないのだ。

 シェスカはカップをソーサーに戻すと、崩れ落ちたハンゾーに「あのさ」と声をかけた。

 

「君がこの店のことを何も知らないことがよくわかった。……この店にあるすべての書物は、私の手から離れると七日で消える(・・・・・・)。これが、この店が貸本屋(・・・)である理由なの。勿論、意味がわからないほど愚鈍ではないでしょう?」

 

 ハンゾーは、そういうのは先に教えてくれよ、とお門違いと知りながらも、恨めしげにシェスカを見上げたのだった。

 

 

 この店に、彼の目的のものはない。もうそれがわかっただけでよかった。一刻も早くこの店から離れたい。彼は涙目になりながら店を出て行った。

 

 彼にはなによりも、ディルムッドの氷塊の様に温度のなくなった瞳が堪えた。

 

 

 

 

「ところで隠者の書って何かな?俺も気になるんだけど」

「貸し出しをしていない、個人鑑賞用につきお教えできません」

 

 

 

 

 


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