百万大図書館   作:凸凹セカンド

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貸本屋、戌と話す

 

 

 

 

「こんにちは」

「あ…いらっしゃいませ」

「店長さん、いますよね」

「奥にいますが…」

 

 ひょっこりと常に半開きの扉から顔を出した男の疑問系と見せかけた確定的な言葉に、ムーディは苦虫を噛み潰したような顔をして、男の背中を見送った。

 

「…引きこもりの店長がいないわけないじゃん」

 

 右手のはたきで右肩を叩きながらため息をつく。丁度彼の右側面下段の本棚から書籍を引っ張り出していた常連も思わず頷いていた。

 

 隙間なく紙の束に侵略されている店の奥。唯一人間数人が活動できる程度のスペースが確保された番台には、今日も黙々と活字を追いかける女店主が一人。

 

「こんにちは店長さん、いい天気ですね」

「……」

 

 流れるような動きで来客用の椅子を引き、腰掛けると、パリストンはにこやかな表情でシェスカに声をかける。まるで狙い済ましたかのようにカップに口をつける寸前に目を合わせてくるその首の動作は確信犯という他ない。シェスカは口内に広がる芳醇な紅茶の味わいにかぶさる、不快感を煽る副会長の笑顔というオプションのせいで、刻みたくもない皺を眉間に盛大に寄せる。そんな状態で無視もできず嚥下と同時に無言で会釈した。

 

 

 

 

 貸本屋、戌と話す

 

 

 

 

 貸本屋「百万図書」の周辺五十メートルは空き地である。

 近所の家屋も隣家との距離が離れており一軒家が多い。都会というには寂れているし、田舎といわれるほど廃れてもいない。

 ただし、最近は某協会の副会長が多忙を極める中足しげく通っているという噂がたち、多方面から注目を集めているため、見慣れないよそ者が目に付くようになってきている。

 樹木に覆われた通りの道幅は、交通量が少ないわりには広い。

 そんな道路を、清潔感のあるホワイトパール色の高級車が走る。

 車内が見えないようにカーフィルムが貼られているため、運転手以外に搭乗者がいるかどうか判別はできない。運転手はハンドルを操作しながら空き地しかないエリアに車を進める。

 周囲は空き地ばかりのなかに、ぽつんと建つ小さな店舗。

 その店舗に駐車場は元からないが、周りの空き地が駐車場のように使われて久しい。土地自体も整備をしていないだけで店主が買い上げている。

 店舗脇に停まる高級セダン。その隣に、ホワイトパールの高級車は並列して停まった。

 

 

 

 常に半開きになっている出入り口を大きく広げ、店内に足を踏み入れる。

 

「これは…」

 

 店内を見て感嘆の声を上げる。

 本本本本。

 本本本。

 本本。

 本。

 入り口から入ってすぐ、視界を埋め尽くす書籍の数々。視界が開けるとともにまるで暴力のように襲い来る圧倒的蔵書量による圧迫感に、彼女は一瞬呆けた。

 右を見る。本棚にはぎっしりと隙間もないほどに書籍が詰め込まれている。しかしどれもこれも余計な圧力がかからないように無理に押し込めてはいない。理路整然と並べてあるように見えて、実はジャンルも著名も言語もバラバラであるので、実際は整理されていないところが窺える。棚用スライド式梯子が取り付けられた本棚の高さは軽く200センチを越えている。

 左を見る。こちらも同じように本棚にぎっしりと隙間なく書籍が詰め込まれている。右側と違うところは、右に広がるつくりになっている店舗なので左側は右側と違い本棚の後ろが店舗の壁になっているというところだ。そのせいで、左側の本棚は右側の本棚の高さを優に越えて天井近くまでもある。しかし、何人かリュックを背負った客が上っているのを見るに、これがこの店のいつも通り、なのだろう。

 上を見る。上はロフトになっているようで、そのロフトを支える柱の上にも書籍が積まれていることが下からも確認できる。おそらく、ロフト部も下部店舗と変わらず書籍が山と積まれているのだろう。そこにも人間の気配を感じるので、誰かいるのだろう。マニアの情熱というのは、インドア派な人間でもアグレッシブにしてしまうらしい。しかし、それは仕方のないことなのだ。この店舗で取り扱われている書物の中には、手に入れることすら難しいレベルのものから、失われて久しい過去の遺産までもが取り揃えられているのだから。

 奥を見る。並んだ本棚の所為で見えにくいが、奥に番台がある。

 彼女は奥へ足を進めた。

 

「こんにちは」

「あ、いらっしゃいませ」

 

 平積み作業を終えるタイミングでかかった声に、ムーディは視線を上げた。

 そこには、女性が立っていた。

 理知的な雰囲気の、清潔感のある女性だ。

 ムーディが立ち上がり会釈すると、彼女も同じように会釈を返す。非常に常識的で丁寧な応対だった。ここ最近破天荒で非常識が服を着て歩いているような人たちとばかり会っていたので、荒んだ彼の心が少し癒された。

 

「アポイントなしで非常識なのはわかっているのですが…店主とお話がしたいのです」

「…は、ぁ…えと、どちらさまで」

 

 店主シェスカと話がしたいという人は、実はそう少なくもない。ほぼフリーパス状態の某常連やその友人たちは言っても聞かないので放置されている状態であるし、某協会の副会長はスーパーシカトタイムにどうもぐりこむかという、非生産的な行為に勤しんでおり、店主本人が「無視してなさい」というので、触らぬなんとかということでこちらも放置されている。

 そのほかのお伺いに来店する人々は、店主と友誼を結びたいというマニアや、書籍の入手経路について疑いの目を向ける調査機関や、難癖をつけて財産を奪いたい頭のねじが抜けている人といった、難儀する輩がよく店主に会わせろと来店する。

 そのほとんどは、店主に無視され心が挫けたり、有害と判断され槍騎士に排除されている。

 

「失礼しました。私はチードル・ヨークシャー…ハンターです」

 

 

 最近、大物多すぎ…。

 ムーディは何匹買っても懐の痛まない猫を被って、心の中でため息をついた。

 

「お伺いしてきますのでお待ちくださいね…今来客中でして」

「アポイントなしですから、お気になさらず」

 

 

 本棚と本棚の狭い道を慣れた動作で進んでいくと、本棚に隠れて奥まで進まないと見えない来客のストライプの背広と、その横で無表情の中で唯一不快を表すように眉間に皺を寄せた店主の姿が見える。店主の傍には槍騎士が胡散臭そうな表情を隠しもしないで来客を見下ろしていた。

 

「店長ーお話中すみません」

「何」

「店長にお客様ですー…「すぐ連れてきて」

「……はい」

 

 ムーディの言葉に被さるように答える店主。「ああ、誰が来ても今お話中の似非王子よりましですもんねー…」できるアルバイトは正確に店主の心情を汲んだ。

 

 

 どうぞー、と軽い調子で案内され、チードルはどこからどう見ても素人であろうムーディの背中を追いかける。

 少し開けた場所につき、彼が横にずれる。

 最初からこの店に能力者がいるとは入店した時点で了解していた彼女だが、そこでにこやかに、胡散臭い笑顔を持って出迎えた男があまりに意外で顔をしかめた。

 

「っ!?パリストン!」

「あれー、こんにちはチードルさん!こんなところで会うなんて!いっやーすっごい偶然ですね!」

 

 本屋一同「胡散臭ぇ」という表情を隠しもしないで、どうやら知り合いらしい来客たちのやり取りを見守る。

 チードルはパリストンを見るや否やいやそうな表情を隠しもしなかった。理知的な言動を取っていた人にしてはなんだか意外だな、と笑顔で腹の探りあいになってきている二人のハンターのやり取りを傍観するムーディ。

 店主シェスカを見れば、半ば興味を失っているようで紅茶に口をつけながら半眼で二人のやり取りを静観している。すすすっとシェスカに近寄り「どうします?」と声をかけるムーディ。念能力者同士が衝突でもして被害が来ないように、護衛であるディルムッドは二人を庇える位置まで移動し、横目に二人を見る。

 

「ほっといたらいいんじゃない?面倒くさそう」

「あ、じゃあ俺仕事戻りますね」

「頼んだ」

「はい」

 

 さっさと仕事に戻るムーディの背中を見送り、シェスカは本を開いた。

 チードルとパリストンの間には、局地的寒波が襲ってきそうな雰囲気が漂っているが、それはいつも別の常連と護衛が起こしている超常現象でもあるので、店舗内の客の誰も気にしていない。

 

「結局…何しにきたんでしょう…」

「さあ…」

 

 シェスカは勤勉な護衛の背中を見る。

 いつでも動けるように彼女を庇え、なおかつ二人に接近できる距離を感覚で測る彼は紛うことない歴戦の戦士の背中をしている。

 そんなディルムッドの真面目さと正反対に、徐々に漫才地味ていく(主にパリストンのせい)二人組みに重いため息をつくと、シェスカはマドレーヌの包み紙をといて、護衛の口に放り込んだ。

 

 

 

 

**

 

 

 

 

 チードルは「そうではない!」と自身を叱咤した。

 調子に乗ったパリストンに付き合っていくうちに、嫌味の応酬になり、最終的には殺気混じりのにらみ合いになった所で、自分がどこにいるのかを思い出したのだ。

 普段は冷静沈着。しかしパリストンが絡むと沸点が低くなり、理性が徐々に崩れる。このあたりが、とある育児放棄の駄目親父に「キャラが固定していない」などといわれてしまう要因だった。

 

 チードル・ヨークシャーはパリストン・ヒルが嫌いだ。

 明言してもいい。

 いつも胡散臭い笑みで他人を懐柔して、部下を道具か奴隷のように使い潰し、協会を私物化し、あまつさえ尊敬し敬愛するハンター協会会長にいつも反抗的だ。そんな男をどうして好きになれるのか。この面の皮の厚い男のどこがいいのか、ファンの気が知れない。

 同じハンター十二支んでももっとも嫌われているといっていい。けれど、会長は黙認している。そんな会長の判断に異を唱えるわけにはいかない。

 しかし、危険な思想をもっていることは他のメンバー共通の認識だ。できるだけパリストンが強力な駒を得ないようにしなければならない。それを未然に防ぐことも、自身ができる会長への貢献と、チードルは確信している。

 

 だからこそ、彼女はこの()に来た。

 まさかそこでパリストンと会う羽目になるとは思いもしなかったが、これは完全に彼女の予想外のことだ。彼女の得た彼の今日のスケジュールに外出はなかったはずだし、彼がいつも使っている社用車も見当たらなかった。おそらく別の車でここに来たのだろう。

 自分の行動が筒抜けになっていた?

 いや、それはない。チードルは顔を顰めて胸中否定した。

 ハンター協会副会長という役職上、スケジューリングの組み換えは非常に厳しい。逆にチードルは彼よりも少し自由が利く。当日までスケジュールは予定通りにし、思いついたかのように外出した。仲間内にも話さなかったのだから、漏れようもない。

 

 嫌な偶然だ、重いため息が漏れる。

 

 ニコニコと笑顔を振りまく男は「あれ、もうお仕舞いですか?」といわんばかりの表情だ。またも一気に頭に血が上りそうになり――――――二人同時にその場を飛びのいた。

 

 

 ―――――威圧感。

 

 

 嫌な汗が一気に噴出してくる。

 常に余裕の表情を張り付かせている男も口を真一文字に閉じているが、そちらを見る余裕など互いにない。視線を上げるのさえも恐ろしい。

 

 誰の?

 愚問だ。

 そんなものは決まっている。

 

 

「……私とは違い常にお忙しい副会長さんは、もうお仕事に戻られたほうがいいんじゃないですか?」

 

 ぱらり、と頁をめくる音がやけに大きく聞こえた。

 余裕を崩された男の、衣擦れの音が、よく聞こえた。

 

「そう……ですね。そろそろお暇します」

「道中お気をつけて」

「またきます」

「態々ご足労いただく必要もありませんよ?さようなら」

 

 若い女の声は、酷薄に、淡々と、パリストンの帰りを促した。

 女の最後の言葉と同時に、威圧感が掻き消える。

 ハンター十二支んと呼ばれ、敬愛する会長にその実力を認められた自分が、これしきで醜態をさらすわけにはいかない。

 チードルは、ぎっと睨み付けるように視線を上げ…ほうとため息をついた。

 

 自分の語彙能力では語りつくせないほどの、美男子。

 人ならざるものに祝福を受けたかのような、この世界において()とつくものが霞むほどの、美丈夫。

 そんな存在が、チードルと、パリストンを睥睨している。

 

 美しいとは、聞いていた。

 聞いていたが、こんなにも魔性の存在であるなど、思いもしなかった。

 

 チードルはふわふわとした感覚に包まれ、胸元をぎゅうと握り締め「それでは、店長さん、また」天敵の声にはっと我に返った。

 

「チードルさんも、さようなら」

 

 揶揄るような含みは一切なかった。

 しかし、彼女はさっと頬に朱を走らせた。

 なんて失態!なんて無様!

 ぶるぶると拳を震わせ、改めて魔貌の男を視界に入れる。

 

 やはり、美しい。

 じわじわと神経が侵されるような、甘美な感覚が迫ってくる。

 

「私はチードル・ヨークシャー!店主とお話がしたい」

 

 それで負けては、会長に顔向けできない。

 

 きっと正面を向いた双眸には、理知的な光が宿っていた。

 頬は…赤かったが。

 

 

 

 

 

 結果だけいえば、チードルの心配は杞憂だった。

 槍騎士ディルムッドは、彼の主である「百万図書」店主シェスカにのみ従っている。彼女が命じなければ、彼自身も嫌っていることだし、パリストンの駒になることはまずありえないだろう。

 貸本屋店主も、パリストンに対する見解はチードルとどっこいで、むしろ半眼の彼女と硬い握手を交わした程度に、彼に辟易していた。

 パリストンの甘いマスクと言葉巧みな話術に陥落する女性を数多く見てきたが、それ以上の極上の美丈夫の存在と、彼女自身の興味のなさに、まずそれはありえないと判断した。チードルは自分の観察力と勘には自信がある。詰めの甘さがあると多少自覚はあるが、貸本屋一行がパリストンになびくことはないだろう。

 それがわかっただけでも店を訪れた甲斐があったし、何より知的好奇心旺盛な彼女は、「百万図書」の品揃えにも大変感動した。改めて本棚を漁ってみると、時間を忘れて没頭してしまっていたのだ。

 ほくほくとした顔で、三冊借りて、店を後にする。

 車内で頁をめくり、先ほどの貸本屋一行の顔ぶれを脳裏に描く。

 あの男が出現しないのならば、常連になってもいいと思っていた。

 

「…あら?」

 

 ふと、先ほどのやり取りと思い出す。

 チードルは自分の観察力と勘に自信がある。

 パリストンは、業腹だが、その手の手管には長けた男だ。彼なら、店主の興味が自分にないことなど、とうに理解していてもおかしくはない。

 パリストンは狡猾で、判断力の高い男だ。

 その男が、靡くはずのない相手にいつまでも時間をかけるだろうか?

 

「……もしかして(・・・・・)、あいつ…」

 

 チードルは掌で口元を覆い、自分の辿り着いた推測に唇を戦慄かせた。

 

 

 

 

 




ちな、彼女の考えているような関係ではありません。

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