百万大図書館   作:凸凹セカンド

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貸本屋、破壊する

 

 

残暑の日差しがまだまだ容赦無く照りつける夏の末。チードル・ヨークシャーは貸本屋「百万図書」の常に半開きになっている扉をくぐった。

 相変わらず暴力的なまでの書籍の圧迫感と、古い本独特の匂いが鼻をつく。虫干しを定期的にしていたとしても、この数と、実質働いているのがアルバイト一人という事実が、まったく間に合っていないことを示していた。

 我関せずと自分の世界に没頭する来店客たちの中に、念能力者がいないことを確認すると、彼女は書籍の荒波を泳ぐように前に進んでいく。前回の失態のもと天敵(パリストン)がいないことも確認済みだ。向かうのは彫刻のように不動の姿勢を見せる女店主の定位置、カウンター。

 

「あ、えっとこんにちは」

「こんにちは、店主さんは」

「はい、いつも通り奥にいます」

 

 屈みこんだ自分の上にかかる影に顔を上げたアルバイトのムーディは、彼女の存在に気付くと案内役を買って出て先頭を歩く。特別広くもなければ迷うような作りでもないのだが、前回と違い、きちんとアポイントを取って訪れた彼女は正式に店主の客でもある。客をもてなすのも彼の多様な仕事のひとつだ。

 

 

 

 貸本屋、破壊する

 

 

 

 

 

「店長ぅ、ヨークシャーさんご案内しました」

「ごくろうさま」

 

 活字の海を縦横無尽に泳いでいた湖面を思わせる碧眼が、ゆったりと持ち上がり二人を視界に収めた。

 ムーディはチードルに椅子を進めると、そのまま店舗奥へと消えていく。先日出かけた折にいい茶葉を手に入れてきた。店主のお気に入りだ。

 貸本屋「百万図書」店主、シェスカ・ランブールは彼女にしては珍しく、手に持っていた書物を閉じると、チードルに向き直った。彼女の傍には、美貌の槍騎士が不動の姿勢で護衛についている。

 チードルは努めて彼を視界に入れないよう店主に向き直ると、長い髪を揺らして会釈し、それぞれ挨拶しあった。ここ最近来店してきた癖の強すぎる訪問客たちを脳裏に描くと、その常識的すぎる態度に槍騎士は胸中感動に震えた。彼は真面目すぎるのだ。

 

「時間を作っていただきありがとうございます」

「とんでもない、このような身分ですから、いくらでも。それで、お尋ねしたい()があると聞き及んでいますが?」

 

 シェスカがことさら真面目に対応している理由――――正体不明の、奇妙な()について、智慧をお借りしたしたいと、チードルから連絡があった。

 シェスカの行動理由のほぼ七割を占める活字への渇望。

 彼女の念能力「百万大図書館」は、この世に溢れる膨大な数の書物を彼女に与え、その渇望を満たす。「正体不明」「審議するべき書物」「レアリティの高い稀覯本」といった判断に困るものに対して彼女の知識は大いに活用される。

 チードルもそれを認めたため、今回自分に回ってきた処理に困る本の扱いを、彼女に頼ったのだ。

 もともと彼女は著名なハンターといえど、専門は難病。形あるものより、ないものに対しての知識を有する彼女に、何故お門違いにも「本」が巡ってきたか。

 彼女は店主に促され、鞄から一枚の写真を取りだした。未知に挑むハンターあるまじきことだが、できるだけ視界に入れないように、それを番台の上にそっと差し出す。

 

 それは一言でいえば、異様(・・)

 

 撮影者が、苦心して撮ったのだろうことがよくわかるほど、写真自体はぶれていた。しかし、そこに写る悍ましい本は、そんな状態であってもその異常性をまざまざと見せつける。赤い天鵞絨に無造作に転がされた、それ。表紙は人間の皮膚で装丁されており、苦悶で大きく口を開いた歪んだ表情を浮かべたデスマスクがあしらわれている。

 躊躇うことなく写真を手に取ったシェスカから思わず魔導書(・・・)の名前が漏れる。

 

螺湮城教本(ルルイエ異本)…っ」

 

 槍騎士、ディルムッド・オディナの脳裏に、かつての戦争の記録(・・)が蘇る。あれは、たしかに数多の一般人を殺め、自分たちを苦しめた魔導書に違いない。その悍ましく理不尽な力を振りまいた存在(キャスター)を、忘れるわけがない。だが、なぜここにあるのか。

 

「知っているのですね」

これ(・・)は、今どこに…?」

「ハンター協会に。…これの所有者はことごとく発狂しています。何らかの力が働いているのは間違いありませんが、誰一人これの知識を持つものがおらず…扱いに困っていたのです」

 

 難病ハンターであるチードルに、魔導書がめぐってきた理由。それは、それを手にした人間がことごとく発狂し、自我喪失に追い込まれたからに他ならない。

 念というのは、奥深い。深い恨みや未練をもったまま念能力者が死亡すると、その念は恐ろしく強く残る。この本もまた、そんな強い恨みや未練の末に、所持者に害悪を振りまく存在になったのではないか、と考えられた。あるいは、本当に目に見えない病原菌の寝床となっているか。

 その両方の可能性から、それはチードルのもとへとやってきた。

 

 ルルイエ異本…原本は紀元前三千年頃、人類以前の言語で記されていたとされる。甲骨に書かれたオリジナルがあるといわれるが、すでに破壊され、漢文で書かれた人皮巻物と、英語訳、独語訳、伊語訳が存在する。伊語訳は14世紀にマルコ・ポーロが中国から持ち帰ったものを十五世紀に魔術師フランソワ・プレラーティが部分的に伊語へと翻訳し、それをナポレオン・ボナパルトが所持していたという説がある。

 

 もともとこれ自体は架空の書籍だったのだが、シェスカというイレギュラーが存在する以上、広大な百万世界にはこれが実装されている世界線があってもおかしくはない。実際、ディルムッドは、この魔導書を使った教信者に辛酸を嘗める苦戦を強いられたのだ。まったく同じもの…つまり宝具(ノウブル・ファンタズム)ではないことは間違いないが、それでも数多の信仰をもつ魔導書だ。それ自体が人理から外れた力を持っていることは間違いない。

 

「ディルムッド…」

「はい、お任せくださいシェスカ様」

 

 チードルは、なぜここで槍騎士の名がでるのか不思議でならなかったが、この悍ましい本について自分より遥かに知識を有する彼女が必要だと考えたのならば、なによりも必要なのだろうと納得した。相手の念能力を探るのはご法度。対面したこの貸本屋が、実は除念師である、という可能性だって捨てきれないのだ。

 

「これを誰かに持ってこさせるのは危険です。面倒ではありますが、私達が保管場所まで移動します」

「それは!助かります」

「できるだけ誰も近づかないようにしてください…危険です。ですので、心苦しいのですが、これは処分させていただきたい」

 

 初めて見る貸本屋の店主の強い視線に、気圧されたわけではなかったが、チードルは静かに頷いた。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 部屋に一歩踏み入れると、それだけで空気が変質したような錯覚に陥る。否、もしかするならば、それは錯覚ではなく事実であったのかもしれない。

 暗く、そして、恐ろしいほどに広く、何もない部屋だ。

 その存在に恐れるように、部屋の隅に追いやられている台座。その上に、その魔導書は在った。表紙は人間の皮膚で装丁されており、苦悶で大きく口を開いた歪んだ表情を浮かべたデスマスクがあしらわれている。見えてはいないが、背表紙には美少年の裸像を模った銀細工が施されているはずだ。

 

「私は、本という本。あらゆる活字を愛している」

 

 ディルムッドを伴ったシェスカは、まるで劇作家のように派手に両腕を広げると、そう愛を囁いた。湖面をたたえた碧眼は、その視線を魔導書から一ミリも動かすことなくとらえている。二人は、開いた距離を埋めるように台座に足を向ける。魔導書から放たれるプレッシャーが増したような気がした。それは――――なにを恐れてか(・・・・)

 

「魔王が作曲したとされる闇のソナタを代表に、超常の存在によって齎されただろうものはいくつか聞き及んでいるし、たとえそれが読めない見れない聞けないものであっても、私はその存在を許容し、愛する。――――――が、貴様はだめだ」

 

 シェスカの繊手が持ち上がる。号令をかけるように、それがゆっくりと前に切られた。

 それを待っていたといわんばかりに、ディルムッドが愛槍を構える。

 魔術的防御や魔力的効果を打ち消すことのできる、彼の愛槍破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)

 

「さようなら螺湮城教本(ルルイエ異本)。二度とこの世に現れてくれるなよ」

 

 駄目だ。その存在を許容することが、どうしてもできない。

 苦い記録になってしまっているとしても、彼を追い詰めたそれを、彼女は―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちなみに、あれはなんだったんですか?差支えなければ」

「異界の邪神をたたえる魔導書です」

「」

 

 いあいあ!

 

 

 

 

 




勿論本来の螺湮城教本ではありませんよ!

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