百万大図書館   作:凸凹セカンド

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短い


貸本屋、過去を顧みる

 

 

 

 

 シェスカは狂いそうだった。

 どうしようもないほどの強い欲求。

 喉がからからに渇き、意味もなく自傷行為を起こしそうだった。

 

「シェスカちゃん、駄目よこんなに遅くまでご本読んじゃ」

 

 母親が本を奪い、明かりを奪う。

 

 ああ、ああ、ああああああああああああ。それは私の本だ、私の!私の本!!

 

「お母さん、嫌だ最後まで読ませて」

「明日ね」

 

 なんと残酷な。死刑宣告にも等しい言葉。

 母親は、自分がどれほど酷な言葉を吐いたか知らない。

 

 

 ああ、ただ―――――――――本が読みたい。

 

 

 

 

 

 

 貸本屋、過去を顧みる

 

 

 

 

 

 しとしとと雨が降っている。

 いつもはマニアで賑わう貸本屋「百万図書」も、雨の日は客足が遠のく。レアな古書や歴史書が多くの割合を占めるこの店に、客が慮って扉を開けなくなるのだ。湿気は大敵。ただしこの店の大抵の書籍が念能力による複製ということを知っている人間だけは別だった。今日この店の扉をくぐった人間の半分は、念能力者だった。

 

 番台に腰掛、本を捲る店主シェスカの元に、淹れたアールグレイのカップを置くと、ディルムッドは真面目に働くムーディと客の動きに注意する。

 シェスカは、本の頁をぱらぱらと捲ると、深い碧眼を瞬かせ、気だるげに雨粒の撥ねる窓ガラスに視線を寄越した。

 

 そういえば、彼に出会ったのもこんな天気の日だった。

 

 ヨルビアン大陸のある程度発達した国のごく平凡な町に生まれたシェスカは、自分がこの世界とは違う異界に生きていた人間だったことを八歳の誕生日に思い出した。

 それは、混乱を避けるために施された封印であり、最初の激痛が治まるとすんなりとその事実を受け入れた。

 そして、行動にでた――――――――本が読みたい。

 ただただ本が読みたい。何でもいい、絵本でも、児童書でも、教科書でも、漫画でも、小説でも、古書でも。なんでもいい。なんでもいいから本という本が読みたい。

 人間のもつ三大欲求のうち、食欲、睡眠欲、そして性欲を跳ね飛ばし「読書欲」を持った彼女は、家中の本を読み漁った。

 しかし民家においてある本の数など高が知れている。彼女は次なる本を求めた。

 最初のうちは、両親も意欲的に彼女に本を与えたが、睡眠も忘れ、食事も一食しかとらず、ただ本にのみのめりこむ娘のその異常さに気付き、本を取り上げた。

 たかだか八歳にしかならない小娘の力では限界があり、両親に抗うことはできなかった。むくむくと生まれる欲求を飼い猫や念能力の開発に回すことでなんとか落ち着かせようと努力をした。

 念能力は比較的簡単に習得できた。十歳になる頃だった。それはそうなるような「契約」だったのだから当然である。彼女はそのことには一切疑問を抱かなかった。

 念能力を得た彼女は歓喜した。

 何故ならそれは両親に知られずに本を自分のものにすることができる能力であるからだ。両親に奪われた本も、彼女の知らない本も、今は失われて久しい本も。そのすべてが彼女の意のままに幼い手に収まるのだ。

 両親に隠れて本を読みふける毎日が続いた。

 学校に登校しても、そのままサボって本を読みふけった。

 学校の授業など受けなくても、彼女は十分に本で知識を得ていたのだ。必要のないものに時間をかけるより、彼女は本を読むことに時間を費やした。

 けれども、勿論そんなことが何日にも続くわけがない。

 両親は学校に呼び出され、シェスカ自身も注意を受けた。しかし、勿論シェスカはそんなことで真面目に学校に通うわけがなかった。寧ろ抑圧されていたからこそ反動のように貪るように本を読み続けた。

 両親は、買い与えてもいない本をどうやって手に入れたのか、どうして自分達の子供がここまで本にのめりこんでいるのかが気になった。いや、恐れていた。何か別の生き物のようにさえ感じてきたのだ。

 ある日、いつものようにシェスカは家を出て学校を目指した。勿論サボる気でいる。

 向かうのは小高い丘にある木。木陰は涼しいし人のこない絶好の場所は、彼女のお気に入りの場所だった。

 そこに付くと、ハンカチを広げそこに座り、念能力を発現させる。現れたのは、一冊の古書。

 テレビで最近話題になっている古代文明時代の思想家の書いた指南書。普通に美術館レベルのそれを無造作に素手で捲る。

 そのとき、彼女は気付かなかった。

 彼女を監視する二対の目に。

 

 帰宅した彼女を待っていたのは、荒縄を持った父と、背後で気配を消して潜んでいた母。母親に後ろから拘束されたシェスカは、縄をもった父に拘束され、荷物を取り上げられ地下室に放り込まれた。

 呆然と地下の扉を見つめるシェスカ。何が起きたか、彼女には理解できなかった。

 数分か、或いは数時間か、時計のない部屋で彼女は薄暗い闇の中蹲っていた。かすかに明かり窓から漏れる月の光で、今がもう夜も更けた時間だということがわかる。

 なぜ、両親がこのような暴挙にでたのか、検討が付かなかった。

 自分はいつも通りすごしたはずだ、前日も両親に特に変わったところは見当たらなかった。

 何かしただろうか、それとも薄々は気付いていたが、気味が悪くなって軟禁することにしたのか。たしかに、外聞は非常に悪いと思う。

 拘束され動けないでいる間、ぐるぐると考えを巡らせる。流石にこんなときには本を読みたいとは思わなかった。ただ、こんなことをされるのなら、この家を出たいと思った。

 

 しばらく蹲って亡羊としていると、地下室の扉が開いた。かすかに差し込む明かり。降りてきたのは、両親、そして見知らぬ男。

 見知らぬ男はパリッと糊の利いたグレーのスーツを着こなした神経質そうな男で、こんな田舎町には似合わない垢抜けた感があり、すぐによそ者だと知れた。

 よそ者はニコニコと笑顔を貼り付けてシェスカの前に跪いた。

 その笑顔が作り笑いであると、すぐにしれた。なんだか嫌な気配がする。念能力者たる彼女のシックスセンスがそう告げる。

 

「こんにちは、シェスカちゃん。オジサンの質問にお答えできるかな?」

 男の目に宿る酷薄な気配に、シェスカはただ従順に頷いた。それから両親をちらりと見ると、両親はすぐに目を背けた。悲しくなった。

「シェスカちゃん、このご本はどうやって手に入れたか、オジサンに説明してくれる?」

 念能力を話すのは、自分の弱点を話すのと同義であり、普通はそうそうと話はしない。しかし、シェスカの持つ念能力「百万大図書館」は、攻撃性もなければ、凡庸性もない趣味のための能力だ。話したからといってそれが利になるとは思いもしない。

 だが、たかだか十年と八ヶ月ほどしか生きていない少女が流暢に自分の習ってもいない能力を話すのは、いくらなんでもおかしい。そのくらいは転機のきいた彼女は、「八歳くらいからずっと本が欲しいって思ってました。思って思って神様にお願いしてたら手の中に出てきたんです」とファンタジーな、まるで魔法のような、子供の夢物語にでてくるような答えをかえした。

 男は、それを聞いて口を弓なりに歪ませ喜んだ。

 両親は、自分の子供を今度こそ明確に気味が悪いと表情に表した。

「そうか、そうか。お願いしたら出てきたんだ」

 男は確認のためにそう聞いてきたので、シェスカはがくがくと震えながら頷いた。

 男から発せられる圧倒的なまでの気配に気圧されたのだ。

 

 男は、念能力者だった。

 

 くるりと背を向け、両親に向き直った男は口を開いた。それをきいたシェスカはあまりのことに絶望した。

 

「いいでしょう、ランブールさん。貴方のお子さんはすばらしい恩恵をもつ宝子です。彼女をいただきます。報酬は、貴方の借金の全額取り消しです」

 

 小額の父の借金取り消しなど、のちにシェスカのもたらす莫大な利益を思えばマイナスにしかならない。しかし、事業を失敗し徐々に生活が苦しくなってきた父には願ってもいない申し出だった。父はその申し出に飛びついた。気味の悪い子供を、愛せなくなって久しい穀潰しを与える代わりの代金としてはあまりにもできた話だと思ったのだろう。

 

「い、嫌!嫌だ!お母さん、お父さん!」

 シェスカは喚いた。そんなことは嫌だった。男が何者かわからない、そんな男に自分を売るといっているのだ。売られるということは「人権」を無視されるということだ。道具と同じだ。シェスカには人格がある。道具など、そんなことは許せるはずもない。

 しかし、男は無慈悲に肩越しにシェスカをみて、ため息をつくように口にした。

 

「子供に、親は選べないものね?」

 

 薄ら寒ささえ感じるその声音に、シェスカは凍りついた。この男は絶対にまともな人間じゃない。こんな男に連れていかれたら、何をされるかわかったものじゃない。

 

 両親は呆然と男の背中を凝視する娘を置いて早々に地下室から出て行った。流石に居たたまれなかったのだろう。ただ単に興味がなかっただけかもしれない。

 

「明日、用意ができたら迎えにくるから、おとなしくしているんだよ」

 

 男は、そういって絶望にぬれるシェスカを置いて地下室を出て行った。

 

 シェスカは身動ぎひとつせず、じっと地下室の扉を眺めた。

 

「このままじゃ、終わる。……私の人生終わる」

 

 口に出すと、じわりとその言葉が染みてきた。

 どうにかしなければならない。どうにか逃げ出さねば。しかし、どうやって?

 彼女の念能力は、攻撃性がまったくない。彼女の体は、同年代よりちょっとだけ強いだけ。そんなことで、あの男から逃げ出せるわけがない。

 彼女は懸命に考えを巡らせた。

 そして、「契約」を思い出した。

 

 息を深く吸い込み、そして吐く。

 何度も深呼吸を繰り返し、意を決したように自分の唇に歯を立てた。

 

 幼くまだ丸い顎を鮮血が流れる。

 

 ぽたぽたと地下の無機質な床に血液が滴る。

 

「……魔法陣とか…ないけど…略式でも、大丈夫か?」

 

 一抹の、いやとてつもない不安を抱えるが、彼女にはそのくらいしか方法がなかった。

 

 ゆっくりと息を吸い込み、痛む唇に舌を這わせ、血を舐める。

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。始まりの言葉による契約の元。

 降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ

 閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。閉じよ(みたせ)。

 繰り返すつどに五度。

 ただ、満たされる刻を破却する

 ――――告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ

 誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、

 我は常世総ての悪を敷く者。

 されど汝は我との契約を担う者。されど汝は契約の言霊に導かれし者。

 汝三大の言霊を纏う七天、

 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

 

 垂れた血液に淡い光が宿り、ゆっくりと円を描くように蠢く。その円は直径にして五センチほどの小さなものであったが、効力を発揮した。

 

 彼は、呼ばれるのを待っていた。

 契約はとうの昔に済まされている。

 呼ぶのは主の声ひとつ。

 

 

「サーヴァントランサー、ディルムッド・オディナ」

 

 埃だらけの地下室に似合わない、酷く神聖な気配の青年が一人、そこに立っていた。

 

 シェスカは、自分の頬を涙が伝うのに、気付かなかった。

 

 

 

「マスター!」

 ディルムッドは拘束され涙を流す幼い主人を見て血相を変えてその体を起こした。

 サーヴァントの持つ膂力で荒縄を引きちぎり、涙を掌でぬぐう。

 少女の体は長い拘束の所為で筋肉が硬直しており、上手く動かせずにいたが、震える手を自分の頬を撫でている手に寄せ、しっかりと握った。

「助けて…」

 か細い少女のうめき声に、ランサーはしかと頷いた。

 少女の体を断りをいれ抱き上げると、二槍を片手にまとめて地下室の扉を目指す。

「上には両親がいるの…」

「どうされますか?いえ、マスターは誰からこのような…」

「拘束したのは両親よ」

 少女の意外な言葉にディルムッドは硬直した。

 年端も行かない少女を、拘束し地下室に放置した。状況から鑑みるに、どうみても躾の一環とは思いにくい。

「私、明日になったら売られるの。買い付けにきた男は能力者…ええと念能力者といって、なんか超常的な力をもっている人たち……逃げないと、明日…」

「理解しています。主を危険な目には合わせません」

「……勝てる?」

「人間では俺を殺すことはできません」

 断言する青年に、シェスカは脱力して体を預けた。

 彼は彼女が新たに人生を歩むに当たり「契約」のもと使わされた彼女の従者。強さに関しては問題ないと、彼女の知識が告げる。

 ああ、もう大丈夫。

「しかし、放っておくと狙われる可能性もあります」

「この国には、人権はちゃんと存在するわ…両親がもし、男と契約を結んでいれば…」

「その契約書を破棄し、この家をでます」

「それがいい…」

 ディルムッドは地下室の扉に手をかける。鍵など存在していなかったかのように扉を力でぶち破ると、悠々と廊下を歩く。

 窓の外では、しとしとと雨が降っていた。

 扉の破壊される音は、大きくはなかったが、一応警戒していたのか父親が飛び出してきた。

「シェ、シェスカ…!お前何者だ!?娘をどうする気だ!」

「人に売りつけるような男が軽々しく『娘』などと呼ぶな、虫唾が走る」

 ディルムッドが怒気を隠しもせずに言葉に乗せる。それだけで、常人には耐え難いほどのサーヴァントの殺気が押しかかる。

 数秒もしないうちに、父親は泡を吹いて倒れた。シェスカは、倒れた父をじっと見下ろす。

「もう父親だとも思えなくなったな…」

 徐々に感覚を取り戻してきた少女に、もう歳相応の子供らしさは見当たらなかった。

「……ま、一応遺伝子の提供者だしね。放っておこう」

 青年に担がれたまま、廊下を進み、居間へと進むと、椅子に座っていた母親が立ち上がって二人を見た。その手には、何かの紙の束。

「ディルムッド、あれを…」

 ディルムッドは是と頷くとシェスカを降ろし、ゆっくりと母親に近づく。

「シェ、シェスカちゃん…」

「お母さん、それをください。それが貴女との縁を切ったもので、私の人格を無視する非道なものだということはわかっています」

「しぇす…か…」

 母の表情がとろりと蕩け、頬が紅潮し、涙目でディルムッドを見上げる。

 ディルムッドは、顔を顰めた。

「そちらを手渡しなさい」

 母親は抵抗もせずにそれをディルムッドに手渡し、縋ろうとその手をさらに伸ばしてきた。ディルムッドはその手を掴み自分のほうに引き、期待に目を輝かせた母親の首に手刀を落とした。

 がくりと膝が折れ、ゆっくりと床に倒れこむ。

「……え、何?」

「申し訳ございません、俺の呪いです」

「何それ怖い」

「……申し訳ございません」

 

 

 朝、家を訪れた男を、ディルムッドはあっけなく拘束した。

 男も、能力者であるが故に、遥かに自分より格上の相手であるディルムッドに反抗せず、契約書を取り出すと手渡してきた。

「貴女は借金のかたです、なくなったとなれば彼等が返すだけですから。営利企業なんです。当然でしょう」

 男は残念そうであったが、シェスカを相手にするにはディルムッドという強大な敵を倒さなければならない。割りにあわないと思ったのだろう。

 自由を得たシェスカは、ディルムッドと共に家を出た。

 自分自身を守るために、両親の側にいることはもうできない。

 

「天空闘技場というところがあるんだって」

「戦いならお任せください」

 

 

 

 

 **********

 

 

 

「こんな天気だったねぇ」

「は?」

「家を捨てた日」

「え、吃驚したいきなりだね」

「そういうルシルフルもいきなりね」

 視線を正面に戻すと、人好きする笑みを浮かべた常連が立っていた。まったく気付かなかった。表情には出ていないが、実はとても驚いている。

「独り言よ」

「気になるな、シェスカの昔って」

 番台に近づき、頬杖をつくと、彼女の顔を覗き込む。

 ディルムッドが近づいてきたので、ぱっと身を離す。

「面白くもないわよ……で、今日はなに?」

「あ、今日はねぇ…」

 

 

 新たな茶葉の匂いが鼻腔を擽った。ムーディだろう。

 

 彼女は、「人間」として生きていることに今日も感謝をした。

 

 

 

 

 

 




なみに、このあとはすぐには天空闘技場には行かず、数年間ふらふらしてシェスカが15・6歳くらいになってから闘技場にいきました。その間に「貸し本屋やろう」とか、数人の知己を得たりとします。本関係じゃない知人ならそこそこできたかな?って感じですかね。

詠唱はディルムッドを呼ぶためにちょっと違う感じです。語彙能力のなさが露呈しましたね。

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