それは仕事の後、男達が気分よく酒を流し込んでいたときのこと。
今日の仕事はなかなか大きく、近年会うことのなかった手応えのある敵にも出会い、それを討ち取った彼等は、酷く上機嫌だった。
全員気分が高揚しハイペースに酒の蓋を次々に開けていく。空になる酒瓶やビール缶がひとつの山を作り上げていく。
戦利品を眺めつつ、手に好きな銘柄の酒を持っている彼等の頭は、はたと手を止め苦笑した。
「どうした、団長」
「いや、この本。……そういえば、これを見て欲しくなって襲撃して、ボコボコにされたのを思い出した」
団長と呼ばれた男はとんでもないことを口にした。
普段は理性的で冷静な男だ。そうそう妙なことを口走ることもない。しかし今は、格好こそ仕事着のままだが、オフのスタイルに着崩している。酒が入り、思わず口走ったのだろう。
仲間達が呆気にとられていると、団長もはっと、自分の不用意な発言に気付き口を開く前に、仲間達による質問攻めに埋もれた。
貸本屋、従者の戦闘を観戦する
太陽は空の真上にあり、燦燦とその光を注いでいる。高層ビル群が太陽光を反射してきらきらと輝いている中を、一人の青年が鬱屈とした表情で歩いていた。
人工林の木陰が涼しげな公園のベンチに座り込むと、深いため息。
青年、クロロ・ルシルフルは頭を抱えいていた。
昨夜の飲み会の所為で二日酔いが酷いという情けない理由で、ではない。そちらのほうが、心情的にまだましだっただろう。
クロロは、人にあまり知られてはいけない職業を生業にしている。
幻影旅団――――通称、蜘蛛。
史上最凶と悪名高いA級首の盗賊団。彼等は全員が凄腕の念能力者で、熟練のハンターでもうかつに手が出せないと世界中で恐れられている。
旅団団長、それがクロロの職業。
彼は職業柄、非常に慎重で用心深く、理知的な性格をしている。それは自他ともに認められていることで、蜘蛛の中でも「頭脳」役として働いている。
しかし、彼は飲み会の席で思わず過去の出来事を口走ってしまった。
当時飲み会に参加していたメンバーが、全員旅団結成当時の気安いメンバーであったことが、何よりも彼の口を緩ませたのだろう。
「しまった……」
心底困り果て、がっくりとうな垂れるその姿は、誰がどう見ても後悔の念に苛まれているようにしか見えない。事実、彼は後悔していた。
蜘蛛は、全員がこの世でいう強者の集いである。
残忍な性格のものもいれば、天然なものもいるし、中庸な意見をするものも中にはいる。しかし、その全員が等しく息をするように人を殺し、狙った獲物を強奪する。それが、幻影旅団。
その団長であるクロロもまた、人を殺すことに躊躇いのない男であり、世界でいうなれば絶対強者の中の一人である。
「つい…ディルムッドのことを…」
彼は、貸本屋「百万図書」の常連である前に、一度「百万図書」を襲った盗人としての来歴がある。
そこで、その店の最強の守護騎士により瀕死に追い込まれた経験がある。
それに関して彼はもう気にしていない。
普通はここで、絶対強者の矜持として彼に一矢報いるために行動するべきなのだろうが、クロロはそうはしなかった。
その店の守護騎士が、明らかに異常で異端であることに気付いたのだ。
もし店主にその旨を伝えたならば、彼女はクロロの勘の鋭さに舌を巻いたことだろう。間違いなくかの守護騎士、ディルムッド・オディナは人ではない。英霊と呼ばれる人間の枠を超えた神聖なる存在であるからだ。
本能的に、人間では決して勝つことのできない相手と認識したクロロは、ディルムッド相手に生き残った自分の命を粗末にはしなかった。
厚かましくも一度襲った店に笑顔で来店、着々と店員と店主の距離を縮め、常連という地位を手に入れるに至った。
彼は、ディルムッドが「人を超えるほどの何か」に気付いたが故に、彼の逆鱗たる店主にも手を出さず客として友人として接してきた。
けれど、彼が身をおく幻影旅団の団員は、勿論貸し本屋一行のことなど何もしらない。
彼等の信頼する団長を『ボコボコ』したこことのある人物がいるとしたらどうするか。
――――――喧嘩を売りにいくに決まっている。
旅団員は「戦闘狂」の気がある人間が多い。
もし、そんな人物がいるとしたら、団長の『敵討ち』の前に、まず喧嘩を売る。間違いなく売る。
これがもし、クロロが殺害されていたならば話は別だが、クロロは彼等に『ボコボコにされた』といってしまった。
戦いが大好きで、強い人間と見えるのが好きな彼等は、クロロに詰め寄った。
団長を追い込むほどの人物とは誰なのかと。
適当にゾルディックあたりの名前を出してもよかったのだが、彼等とて馬鹿ではない、それが嘘だと見抜くだろう。
もし仮にゾルディックに被害が出たら、それはそれでことだ。クロロには懸命に口を閉ざす以外方法がなかった。
しかし、その程度で彼等が納まるわけがない。執拗な質問攻めに耐えたクロロの精神は、自己嫌悪と後悔で珍しいことに一杯一杯であった。
もし、このことがディルムッドに知れたら。
そう思うと気が気ではない。
彼は死ぬことを常に日常として享受している狂人だが、自分から命を粗末にするほど阿呆ではない。
もしディルムッドに知れたら。間違いなくディルムッドはもう一度クロロの息の根を止める寸前位まで彼を追い込む。
殺しはしないだろう、と彼は考える。
店主、シェスカ・ランブールも従者の気質と似て中庸な言動や態度をとることが多い。殺生を勧めていることもないし、彼女は意外とお人よしの部分があり、いうなれば非常に甘い。そんな彼女が、知り合って長いクロロを殺せと従者に命ずるとは考えにくい。
では、なにが彼を苦しめているか。
それは、あの店に面倒ごとを持っていくことで―――――入店禁止になることを恐れているからだ。
生き残ったとして、目の前にある獲物を前に手も出せずただその存在を認知するだけ。
そんなことを、クロロは耐えられそうになかった。今まで金さえ払えば手に入っていたのだから、余計にそう思う。
「厄介なのは…」
真実にいち早く気付きそうな旅団員は、情報処理の得意なシャルナーク。そして、直感の冴えるマチ。
「……拙い…」
番台に腰掛けたシェスカ・ランブールは、眉を顰めた。もともと表情筋の動かない彼女が眉を顰めると、些細なことであるがすぐに気付くことができる。従者ディルムッドは、彼女のその変化に首を傾げた。
本当に珍事といって差し障りないことに、手にもった本を開かず、じっと考え事をしているようで、指先を睨み付けている。眉を顰め、指先を睨み付ける主人に、声をかけようか従者は迷った。
指先に何かあるというわけではなく、たまたま睨み付けたのが指先だったのかもしれない。たまに、本当にごくごく稀に、虚空を睨みつけて考えに耽るときがある。その内容はてんでばらばらで、とりとめのないことに妙に拘って思考を停止させていたり、どうしても食べたいものがあるときに行動するべきかしないべきか延々考えていたり、たまたまディルムッドが声をかけたときは間の悪いことに両親のことを考えていたときで、非常に気まずい思いをしたりと統一性はない。
「…紅茶のお代わりでもいれましょうか?」
無難なところから攻めてみる。シェスカは、ピクリと指を動かし、のろのろと視線を従者にあわせた。
「……もらおうかな」
自分に話す内容ではない、と判断したディルムッドは笑顔で頷くと彼女の目の前に置かれた、手のつけられず冷めてしまったカップを手に取った。
彼女は、必要ならば必ず従者にその内容を話す。話さないということは、自身で解決できる内容ということだろう。それか、まだ先延ばしにする内容か。
「いらっしゃいませー」
新刊の整理に屈んでいたムーディが、来客に顔を上げると、ぎょっと目を見開いた。
そこには、屈んでいる体勢にしても見上げなければいけないほど、一般人を遥かに超える巨漢がいた。筋骨隆々、獣の毛皮でできた服を着たその男は、失礼な話だが本屋に用があるとはとても思えなかった。しかし客は客である、ムーディは根性で笑顔を作った。男はムーディをちらりと見て興味をなくしたのか、狭い店内を睥睨する。
客たちは良くも悪くもこの店で起きるごたごたに慣れてしまっているので大げさに騒ぎはしないが、男の所作に何か悪いものを感じ始めていた。
男が脇に本の積み重なっている入り口を超え、入店。二メートル四十センチを超え、天井をぶち抜いてロフトや柱で支えている天井空間はわりと広い「百万図書」であっても窮屈さを覚えるほどの巨漢である。その巨漢の後ろから、特に比較すると余計にそう思える小柄な黒髪の男と、携帯を弄る金髪の男、丈の短い胴着を着た女が入店してくる。ムーディの視界を遮るものがいなくなり、店外をみると、また何人かいるようだ。ムーディはとても嫌な予感がして、さっと番台に駆け寄った。
駆け寄ると、ディルムッドが険しい目をして立っていた。彼の琥珀の目は、酷く警戒しており、後ろでマグカップに口をつけ本を脇に寄せたいつも通りの店主がいなければ、軽くトラウマになるほどの雰囲気である。
「ディルムッドさん…」
「シェスカ様といろ」
ムーディに目もくれず、視線を巨漢一行に向けるディルムッドに気付いた男が、野生的ににやりと笑う。
ずんずんと進んでくる男の体は横幅だけでも軽くムーディ二人分はある。所狭しと本が山積みされている店内で気にも留めず歩かれると、それだけで本が雪崩を起こす。
それに、ぴくりと眉を顰めたのは店主であるシェスカ。
ここにある本の半数以上が彼女の念能力によって作り出されたものであるが、それでも一般の客はそれを読みたくて借りていく。「百万図書」に訪れる客のほとんどが、本の虫、重度の本マニアなのだ。基本的に本の扱いは丁寧である。
雪崩を起こすのはいい。店内が狭すぎて山積みするしかないのだから、そうなることは考慮している。しかし、それが起きたのに気にも留めずに歩くというのは、彼女には許せなかった。
そこは本好きとして慌てて片付けるだろう!
ひとつ絶対零度の声音でお帰りいただこうかと、口を開きかけ、従者の様子に口を閉じた。
「用件を聞こう」
「いっちょ俺と戦えよ、色男」
ディルムッドは睨む視線に険をこめた。
ディルムッド・オディナはフィアナ騎士団に所属する根っからの騎士であり、現在はただ一人の主であるシェスカを守る忠義の騎士である。
正々堂々とした騎士の戦を誇りとし、勝利を主に捧げる彼に、戦うという選択は吝かではない。それが騎士道にのっとった戦いであればあるほど、彼はそれに応じる。
しかし、目の前の巨漢と戦う意味がない。
巨漢が害をなすためにこの店に訪れたというのなら、それは勿論排除すべき害悪であろう。しかし、特に手を出すでなく、「戦え」というのはどういった思惑のあってのことだろう。
ディルムッドは、目の前の男を図りかねた。
「……何故?」
「ん~?何故って俺が戦いたいからだよ」
ディルムッドの名声は、途中退場だとしても轟いている。見る人間が見れば、底を感じさせない技量を感じ取り、本気をだしていないことも簡単にわかる。克己心溢れる挑戦者がいてもおかしくはない。
目の前の男がバトルマニアだとするならば、では連れはなんだというのか。
ディルムッドの視線に気付いた巨漢の連れのうち、金髪の青年が人好きする笑顔を浮かべた。
それを見て貸本屋主従は常連の男を思い出し、なにやら嫌な予感を感じた。
「ギャラリーだから気にしないで」
「いいからとととするね、やる気がでないならそこの女ちょと痛めつけてやろうか?」
轟!
「っっ!」
見えない圧力。それを気迫というのなら、そうなのだろう。
ディルムッドから向けられるそれは、幾多の戦闘を経験し、世界で言う絶対強者的立場にあるものを一瞬でも竦みあがらせるにたる力をもっていた。
「……いいねぇ、信憑性あがってきたじゃねぇか」
冷や汗をかきながら、巨漢の男が舌なめずりをする。
「フェイタン、余計なこというなよ!あー、寿命縮むっ!」
金髪の男は一歩引いて、独特の口調の男を怒鳴った。
フェイタンと呼ばれた小柄な男は、隠すつもりもない圧倒的な殺気を当てられ、それに一瞬でも怯んだことに憤慨した様子で、眦を吊り上げて傘に手をかけている。
「いやさ、他所でやってよ」
空気を読まない店主の一言は、満場一致で可決された。
*****
とりあえず、思いっきり平手を食らわせてみた。
クロロ・ルシルフルは、それを甘んじて受け入れ、右頬にいいのが一発はいる。はいるが、勿論それはダメージには直結せず、赤くなってすらいない。むしろ、殴ったほうが痛い。
「………理不尽すぎる」
「いや、ディルムッドを連れてる時点で君もたいがい理不尽だから」
右手の掌をひらひらと動かし、なんとか痛みを誤魔化そうとするシェスカに、クロロは苦笑した。
「……彼等は仲間か?」
「そう…遅かったか…」
「ということは、やっぱりあの男が団長をボコボコにしたやつなんだ」
貸本屋「百万図書」から離れ、町を出ると広がるアメリカンな荒野に全員が移動することになると、いつの間にかクロロが現れ、シェスカの隣にいた。
貸本屋主従の冷たい目に晒されて頬をひく付かせたクロロは、巨漢の男とディルムッドが戦っている間、シェスカを責任もって護衛する旨を伝え、彼等と合流した。
「団長?」
シェスカが、クロロの姿を認めると集まってきた巨漢一行の言葉に首を傾げる。
「あだ名だ、あだ名」
「ふぅん」
「あ、俺シャルナーク。よろしくね本屋さん」
男はシャルナークと挨拶したが、他のメンバーは特に自己紹介らしきものはしなかった。シェスカに興味がないらしい。シェスカも興味がないので別段気にしていない。
「…よくディルムッドが移動を許可したな」
「私に手を出さないというのを約束させていたわ。どこまで本気か知らないけど、約束はしてくれたし、ただ単に戦いたいだけのようだから、私が許可した。店で暴れられると嫌だもの」
視線の先に、巨漢の男とディルムッド。
巨漢はぐるぐると手を回して準備運動をし、ディルムッドは槍を構えている。
「……あとで洗いざらい話して貰うわよ」
「わかっているよ」
轟音が荒野に響き渡る。
従者の勝利を確信しているシェスカは、腕を組んで完全な観客となった。
「いやいやいや、何さあれ」
「早いね、目で追うのがやっと」
「ウボォーの拳受けてどうして平気な面してんだ、あいつ!」
眼前で繰り広げられる戦闘に、自身もまた高い戦闘技術を持つ幻影旅団のメンバーは戦慄した。
貸本屋の護衛と戦っているのはウボォーギン。誰よりも戦闘を愛し、ガチンコを好む彼は、団長クロロを退けた男との戦闘を楽しみにしていた。
彼等は世界に強い人間がいることを理解しているが、そんな中でも生きていけている自分達の戦闘能力を信頼していた。
そんな中、団長クロロをボコボコにしただろう男。
途中、クロロが合流したことで、それは確信に変わり、皆が男の戦いに注視していた。
鍛え抜かれた体や、その身から発せられる気迫は本物で、確かに期待はしていた。
――――――――――しかし。
「ここまで来るといっそ化け物なんじゃとか思うんだけど!?」
「だからなんでそう…!ああ、ウボォー!」
「………おいおいおい」
彼等は知らない。
今、彼等の仲間であるウボォーギンが戦っている男の本性を。その力を。
人の身で到達することのできない、英霊の力を。
******
「お疲れ様」
シェスカがそう声をかけると、ディルムッドは頭を下げた。そうして、隣のクロロを蹴り、彼女の隣に立つ。
「扱いが酷くはないか?いつもか」
クロロは、あいたたた、と半ば本気で痛がりながら、視線を上げ、半死半生のウボォーギンに念糸縫合をかけているマチと、それを見守るメンバーの下へ足を進める。
「団長」
「強かっただろ?アレ本当に存在自体が反則だから」
「何アレ、あんなのあり?ほとんど攻撃が効いて無いみたいなんだけど」
シャルナークが顔を顰める。大半のメンバーが同じような顔をしていた。
「俺は彼等との付き合いのメリットデメリットを考えて、距離感を掴んで相手をしている。今回は俺が不用意な発言をしたからこうなってしまったわけだが…」
「団長」
クロロの言葉を遮り、右腕がくっ付いたウボォーギンが上体をあげる。
にやり、と笑った顔は野生の獣のようで、負けたというのに悲壮感は感じられない。
「面白かったぜ!あんなやつがいるとは、世の中広ぇもんだなぁ!」
クロロは、微かに目を開いたあと「そうだな」といって笑った。
「――――――…というわけで、俺の不用意な発言に、仲間が暴走してしまったんだ」
「つまり全部君の所為か」
絶対零度の双眸がクロロを射抜いた。
あ、これは拙い。
「主、いい機会です。出禁などいかがでしょう」
ここぞとばかりにいい笑顔のディルムッドが追い討ちをかける。
やはり、そうくるよな。と半ば覚悟していたクロロはがっくりとうな垂れた。
幻影旅団一の肉体を誇るウボォーギン相手にしても、ディルムッドの矛先にぶれはなく、圧倒的な実力差を見せ付けて勝敗を決した。
ウボォーギン自身が戦闘を楽しみ、戦闘後に相手を貶めるようなことを言わなかったディルムッドを認めた。
他のメンバーも戦闘を見て「あ、これはやばい」と思ったらしく、戦闘狂の気のある者は戦いたそうにしながらも、特に遺恨を残す様子も無かった。
「……そうだね…ディルムッド」
「はい」
「君は、今期のハンター試験を受けてきて」
クロロは何故か、ぽろっと言っちゃうような気がすると勝手に妄想してます。だって太公望だってぽろっとしちゃうくらいだもの。
戦闘描写苦手なのでさくさく終わらせてしまいました。脳内補完をよろしくお願いします。
ディルムッドクロロの息の根止める寸前までいけませんでしたね。残念でしたー。