「ルシルフルさんって何か食べれないものあります?」
「いや、ないよ。割となんでも食べる」
ムーディはその返事に安堵したようで、包丁を握ると野菜を刻み始めた。トントントンとまな板に当たる規則的な音が聞こえる。
「私的なお客さんでも泊まったりしなかったから、いろいろ足りないものもあるかもしれません。何かあったら言って下さいねー」
そういって手際よく家事をこなしていく男を、クロロは器用だなと思いつつ眺める。
クロロの知る中で、貸本屋一行以外で「百万図書」の住居スペースに招待客が泊まるのは彼が初めてではないだろうか。少なくとも、よく目にする常連客では見かけたことはない。彼は、店主はパーソナルスペースに他人が入るのを嫌がる性質かと思っていたが、ただずぼらなだけなのか、或いは、危機管理の欠落している主に代わって従者が立ち入りを禁じていたのかもしれないと結論付けた。
その危機管理を行う従者は、今この空間にいない。
「……なんでこうなった」
「君の今回の件の借りにしては軽いと思うけど」
ぽつりと、思わず呟くクロロに、隣で古い文献を読んでいる店主が視線も上げずに応えた。
クロロはそちらに視線を寄越して「まぁ…道理はわかるよ」と嘆息する。その際その文献に非常に心惹かれたので、読み終わったら貸してくれるようにお願いした。この文献に金はかからない。
「ディルムッドが試験から帰ってくるまで、君は私の護衛だよ。その間は店と家にある本は好きに見ていい。寧ろ好条件だと思ったけどね。まあ、私なら勘弁かな。時間もそうだし自分の行動を縛られるの嫌いだし」
つまり、そういうことだ。
槍騎士、悲嘆にくれる
「幸運値か、幸運値なのか!?」
両手で壁に寄りかかり、頭をがっくりと垂れる青年は、苦痛に喘ぐかのように慟哭に近い声を漏らした。
これを近くで聞くものがいれば理解不能な青年の言動に首をかしげたことだろう。この世界でもその意味を正しく理解できる人間は残念ながら一人だけだ。
ディルムッド・オディナは薄暗くじめじめとした地下で試験の開始を待ちながら、何故自分はここにいるのかと悲嘆にくれていた。
いや、主の言い分はわかるのだ。
彼女の命令が、今このときでないと実行できないということも理解できるのだ。
だが、だがしかし、彼は理屈ではわかっていても感情ではそのことに反発を覚えずにはいられなかった。
何故、貴様が主の護衛なのだああああああああ!!!!!
帰ったらクロロ殺す。と言わんばかりの八つ当たり以外の何物でもない気迫に、ここから遠く離れた貸本屋で、状況に慣れたクロロが優雅に珈琲を飲んでいると、壮絶な悪寒に苛まれたのは蛇足である。
みしみしと、彼が両手を付いた壁が不穏な音を鳴らす。あまりの気迫に、試験常連で新人を陥れるのが何よりの楽しみである男も、彼に近づくことができずにすごすごと踵を返す。
あるものは口の端をいやらしく吊り上げて「ああ、なんて素晴らしいのだろう」と彼を好色な目線で眺めている。
あるものは「なんでここにいるのだろう」と内心首をかしげ、なんとか自分の正体を悟らせないように擬態に余念なく努めている。
ディルムッド・オディナには当たり前だが戸籍が存在しない。彼はこことはまるで違う異世界の英雄であり、サーヴァントという形をとった英霊と呼ばれる人間を超越した存在である。
この世界で戸籍がないということは、約半数以上の人間が『流星街』と呼ばれる場所の出身と考える。それほどに、戸籍管理のしっかりとなされた世界なのだ。
シェスカには勿論、ムーディにも戸籍が存在し、しっかりと国からの保証などが受けられるようになっている。
しかし、これが戸籍のない人間だと、とたんに不審なものをみるよな目つきになり、酷いときには言われもない侮蔑を受けることもある。
貸本屋「百万図書」には、純粋に本を借りに来る人間だけが訪れるわけではない。
時には殺害という手段をもってしてでも富を得ようとする輩が次々と現れるのだ。店主はそれに実は辟易としているし、表情に出ないだけでどうにかしないといけないと思ってもいた。いたが、いかんせん彼女の脳内の約七割以上が本に傾向していた。なおかつ悪いことに、そのすべてを武力でもって押さえつけることのできる従者がいるものだから、彼女はそれを優先事項からことごとく排除していた。
しかし、あの日。
鋭い視線で指先を睨みつけていたのは、そのとき読んでいた本に書かれていた主人公の境遇が、彼女にほんの少し似ており、優先事項から外していたその懸案に思い至ったのが原因だった。どうでもいいことにぐだぐだと時間をかけることが、本当にごく稀だがある彼女はそれに陥り、まるでタイミングを狙っていたかのように常連の仲間に従者が喧嘩を売られたことから、これを逃がすとこんな機会はないだろうと、彼女は決意した。
ハンターライセンスを従者が得ることで、彼の素性は誰にも文句の言われない不動のものとなる。店に来る遠慮したい輩を警察に突き出すときに、そのライセンスひとつで不審から一転笑顔になる。店にプロハンターを雇っていると知れれば、金しか頭にない馬鹿を一気に減らすことができる。
「俺が試験を受けている間、誰が主をお守りするのですか!」
「ここにいる厄介ごとを運んできた張本人が。貸し借りが嫌だと思うならルシルフルは勿論命がけで私を守るよね?守れよこの野郎」
クロロに拒否権など最初から存在しなかった。
彼女の護衛を疎かにするという選択肢もなかった。
まだ殺されたくはない。
提示された条件もはっきり言えば好条件である。
現に、実際彼女の護衛についたクロロはその日のうちに「条件飲んでよかった」と思ったのである。本読み放題、三食寝床つきなんて、ここに住もうかと思ったほどである。
こうして、槍の騎士は試験会場へと見送られ、今に至る。
ジリリリリリリリ。
さまざまな受験生がひしめき合う、第287期ハンター試験が開始されようとしていた。
*****
「ハンター試験?そうだなぁ、長いときには一ヶ月以上かかるときもあるし、短いときは二、三日で終わるときもあるそうだよ」
茶請けのマドレーヌを口にしながら、シャルナークはシェスカに答えた。
「ふぅん、決められた試験ではないのね」
「うん、毎回試験官によってころころ代わるみたいだね。俺のときも結構面倒だったし」
「難しい?」
「世間じゃ難関とか言われてるけど、能力者ならほとんど問題なく合格すると思うし、御宅の槍使いなら楽勝じゃない?」
シェスカはその答えに満足したのか、目を伏せると珈琲に口をつけた。
貸本屋「百万図書」の番台に腰掛けた彼女の横では、勝手知ったる様子で来客用の椅子を引っ張り出しそこに陣取って本を読みふけるクロロと、団長の様子を見物に来たシャルナークが、茶菓子をつまんでいた。
シャルナークは特別シェスカたちに何かをしにきたというわけではなく、興味本位で訪れたから気にしないで欲しと断ってクロロの横に腰掛けた。
話の流れで彼がハンターライセンスを持っていることをきいたシェスカは、いつもなら必ず自分の傍にいる従者がいない違和感にやはり慣れない様で、シャルナークに試験について質問をしていた。
「あー……試験といえば…団長」
「何だ」
ちらり、と本から視線を上げる。このあたりはシェスカにはない気遣いである。
シャルナークはちらりとシェスカを気の毒そうに見ると、クロロに向き直った。なんだその視線は、解せぬ。とばかりに半眼になるシェスカ。
「今期の試験、ヒソカも受けるって」
「…ん?去年は落ちたのか、あいつ」
「試験官半殺しで強制退場らしいよ」
「……あー、…ディルムッドか……」
「絶っっ対、目をつけられてると思うね。強いし、好みでしょ絶対」
「待て待て、誰だ。女か?面倒ごとか?」
仲間内の不審な会話に、眉を顰めたシェスカが会話に強制介入する。二人はシェスカに生暖かい視線を寄越すと口の端を歪めた。
その反応に、ぴくりと彼女の眉が跳ねる。
「男だよ。俺たちの……あー仲間って言いたくない。仕事仲間なんだけど…」
「仲間なんじゃないか…そいつが何?面倒ごとは勘弁して欲しいんだけど!?」
言いよどむシャルナークの言葉に、嫌なものを感じたシェスカがギッとクロロを睨む。するとどうだろう、クロロも凄く嫌そうな顔をしていた。なんだその哀愁漂う表情は。
「……ウボォー…ああ、この前ディルムッドと戦った巨漢なんだが、あいつと同じくらいの戦闘狂だ。多少、いやかなり性質の悪い、な」
*****
高速で飛んできた物体を、布で包まれた愛槍で弾き返すと、襲撃者は嬉しそうに破顔した。
「なんのつもりだ」
「うん?君ってとっても美味しそうだから、ちょっと味見?」
まったく同時刻に、彼の主がしたように眉間に盛大な皺を作ると、ディルムッドは襲撃者を睨み付けた。
左目の下には涙型、右目の下には星型のペイントが施された、まるでピエロの様な格好をした男。
第一次試験の途中、階段を上りきった先での茶番の後に、試験官とディルムッドに向かって、男はトランプを放った。
試験官はそれらを全部掴み、ディルムッドはすべてをはじき返す。
試験官サトツは、以後同じことがあれば試験官への反逆行為とみなし即失格と厳しく非難したが、ディルムッドに対して行われた襲撃に関してお咎めはなかった。
ディルムッドは、悪寒を覚え腕をさすった。
なんだあの獲物を狙うようなねっとりとした視線はっ!
百戦錬磨の騎士とはいえ、変態には慣れていないのである。
「あんな変態にも試験が受かればライセンスを発行するのか?狂気染みているな」
できるだけ変質者から距離をとろうと、移動に移動を重ね、試験官の真後ろにつける。【詐欺師の塒】とよばれるヌメーレ湿原は、濃霧によって視界が遮られるが、サーヴァントであるディルムッドにはたいした障害にはならなかった。たしかにサーヴァントアーチャーのような飛びぬけた視力があるわけではないが、それでも常人を遥かに超える視力を有しているのだ。
「レオリオ――――!クラピカ――――!キルアが前に来たほうがいいってさ――――!!」
「どアホ――――いけるならとっくにいっとるわい!!」
「緊張感のないやつら」
併走する少年二人組みのうち、黒髪の少年が後方に向かって叫ぶ。それは後方においてきた仲間を気遣うものだった。
ディルムッドはそれを微笑ましい思いで聴いていた。清廉潔白な騎士である彼にとって、血の匂いを撒き散らすもう一人の猫毛の少年とは違い、黒髪の少年は非常に好感のもてる存在だった。先ほど変態によって落ちたモチベーションが微かに回復する。ああ、主。シェスカ様。俺はがんばります。必ずご命令通りライセンスを獲得してまいります!クロロ殺す!
若干意識が暗黒面へと向かっていくと、その気配に気付いたのか猫毛の少年が恐ろしいものを見たかのように、目を見開いて距離をとる。ディルムッドは少し傷ついた。
「ってえ――――!!」
「レオリオ!!」
後方で男の悲鳴が上がる。それは先ほど少年が呼んでいた仲間の声だった。
「ゴン!」
猫毛の少年の制止も聞かず、黒髪の少年、ゴンは後方に向かって逆走する。
ディルムッドは、麗しい少年達の友情に水を差した変態に、盛大な舌打ちを送った。
試験官の後ろをキープしたまま着いた先には、二次試験会場となるプレハブの建物が建っていた。
ともに併走していた少年は非常にディルムッドを警戒しており、終始ぴりぴりとした雰囲気が漂っていた。二次試験会場についた途端に距離をとられると、やはり少し傷ついたのだった。
二次試験は正午ぴったりに開始されるらしい。会場からは常に何かの唸り声のような音が聞こえており、受験者たちは荒い息をつきながら試験会場を見守っている。
ディルムッドは今しがた走ってきた道を振り返った。
あの黒髪の少年はまだこちらに来ていない。
「あの変態に殺されてしまったのだろうか」
一目見ただけでも将来有望そうな彼が殺されてしまったというのは非常に残念で、ディルムッドは、もし彼が本当に殺されたというのなら、機会があればその仇とってやろうと誓った。『弱きを助け強きを挫く』聞くものが聞けば、そんな勧善懲悪などこの世には存在しない夢物語だと嘲笑するだろう。しかし、彼は騎士である。その考えを理想とし、理想に近づく騎士足り得ようと努力する英雄であった。この試験を受かれば、誰にでもおかしなほどに優遇されるライセンスが得られる。たとえ大量殺人者の変態であろうとそうだ。それが、どうしても納得がいかないのは、異界の出身であるからだろうか。
視界の隅で、ぎりぎりに試験会場に到達した少年と金髪の青年を見つけて、ディルムッドは知らず頬を緩めた。
****
二次試験官メンチは、その青年を見て思わずうっとりしそうになり、気を引き締めた。
なんでなんでなんで!?なんでこんな美形が?あ、いや、美形が試験受けちゃ駄目とかそんなんじゃなくて!おかしいわよ、なんで?初めて見たのよ?こんな胸が高鳴るなんて可笑しいでしょ!?可笑しいわよ!ちょ、ブハラ、私のことちょっと殴って!
「メンチ、どうしたの?食べないの?」
「……な、なんでもない。いただくわ」
青年の持ってきた寿司を一口食べる。
駄目だ、全体的にバランスが取れてない、シャリも硬すぎる。
「…不合格」
呟くようにいうと、青年はやれやれと呆れたように肩を竦め、次の受験生に場所を譲り調理台に戻っていった。
うっ…。そりゃ、見たらわかるわよ、彼が一流の武人であることなんて。でも試験は試験だもの。この試験は料理を見るんだから、私的な思いで試験の合否は決めちゃいけないの!しっかりしろメンチ!いい男がなんだ!いい男が…!……試験が終わったら逆ナンしてやるんだからああああああ!!
結局、会長が出てきて再試験になったわ。いや、いいんだけどね、再試験。自分が悪いって思うところあったし。
マフタツ山での再試験。ゆで卵を作るように指示したけど、谷に飛び降りる人間は63人だけ。勿論、その中にあの美形の24番もいたわけだけど…。
えーっと…非能力者よねぇ?びっくりして思わず凝視しちゃったけど、崖を手を使わずに走って上ってきたように思えるんだけど?
…会長が物凄くいい笑顔なのが気になるわ。
くそう、早く試験終わらないかしら。最終試験終わったら即効でナンパするのに!
飛行船で出された食事を試験官だけで食べていると、今年の受験生の話になった。一度全員落としておいてなんだけど、粒ぞろいよね。
「新人がいいですね、今年は」
サトツさんの言葉には同感。
それぞれ受験生の評価を上げていくけど、やっぱり気になるのは…。
「24番は…規格外ですね」
「あー、それ同感。見た目も反則だけど、中身も反則よね、彼」
「多分彼は、あの中で唯一44番と正面切った勝負で勝てる存在でしょう。会長も随分気にしていましたよ」
「あー44番ね…一回24番にボコられちゃえばいいのに」
「それはそれで喜びそうだよね」
ブハラの最後の台詞に、全員思わず鳥肌たてちゃったわよ。
試験はさくさく終わらせます。^^ヒソカ?変態だよね!
※合格者の人数の変更がかかってます。
あと、別にディルムッドさんはキルア嫌いじゃないよ。ただ、こんな子供が血の匂いを…Orzみたいな感じです。
そういえばマチたちには魅了は効かないのかという問題。えーっと心構えの問題とか思ってます。たとえば、まだ作中には出てきてないので伏字ですが、●●●は男性に対して好意的であるので、効きますが、ストーカーになるほどではありません。もとから自制心の強い人は、がんばって抗う感じ。
今回のメンチも、男性に対して好意的で、惹かれているんですが、試験官という立場で抑えてる感じです。
マチは、たぶん元から旅団内の男性以外はそんなに興味もなく、もとからちょっと拒否をしているような人で、ディルムッドとの接触は「団長をボコったかもしれないやつ」という警戒心があったため魅了にいたりませんでした。
と一応作者のなかでは折り合いつけて書いてるつもりだったんですが……苦しいですかね?一応、一般男性より好意的にはなると思うんですけどね。つまりもれなくツンデレってことかい?マチのツンデレとか俺得です。