君と僕の物語   作:名無しの執筆者

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こしょう


第十二話 「姉妹」

 ──泣き虫と弱虫──

 

 手をついて頭を下げ、私は深く息をした。

 ずいぶんと長い間──時を忘れていたみたい。

 冷んやりとした指先はまるで氷のよう。感じる重圧がとても重たくて、息をするのが厄介だ。

 たまらず顔を上げた楯無の視界に入る、年老いた男。──彼は父だ。

 

「解っているのか、刀奈よ」

 

 その名で呼ばないで──。

 腕を組み、娘を見下ろす更識玄郎は、冷たい声でそう言った。頷き、再び深く頭を下げた楯無は、不快感にも似た感覚を覚える。

 

「楯無の名はお前のものだ。ならばその使命、果たすことが当然のことであろう」

 

 ひとつひとつが冷たく、そして重い。

 楯無は父に向かって、ただ頭を下げるしかなかった。

 

「何にうつつを抜かしているのかは知らぬ。だが、課せられたものを忘れるほど、お前はそれに執着しているのか?」

 

 執着。その言葉、胸に響くものだ。

 彼のことを思い出した。朗らかに笑う彼の顔を、楯無は思い出した。──同時に、彼によく似た少年のことも、思い出してしまった。

 

「……お前のその指輪が原因か?」

 

 ハッとした。楯無は、直ぐに指輪に手を重ねた。

 父がこちらに歩んでくる。きっとこの指輪を剥ごうと目論んでいるのだ。

 楯無は激しくなっていく鼓動に目を見開き、すがるように指輪に意識を集中した。父の足音が次第に近付いてくる。嫌だ、取らないで。この指輪は私の大切な物なの。胸の内の叫びは決して父には届かない。加速していく鼓動ばかりが、耳元で叫んでいる。

 グッと手首を掴まれ、強引に体を起こされる。

 小さな悲鳴が、口元から思わず零れた。

 顔を上げると、父と視線が合う。父の無言の視線は、確実に指輪を捉えていた。

 楯無はそんな父の圧に負け、指輪をはめた指を差し出した。怖かったから、震える手を差し出した。

 父の玄郎は、そんな娘の姿を見つめ──そしてついに指輪を掴み、力を込めた。

 嫌だ──! 張り裂けそうな思いが、口から飛び出しそうになった。けれど怖かった。それを躊躇った。大切な彼の指輪がゆっくりと引き抜かれていくさまを、「泣き虫」の私は泣きそうになりながら見つめた。

 

「──や、やめて……!」

 

 けれどそれを、突然そのか弱い声が止めてくれた。

 動きを止めた玄郎と楯無は、声がした方を向いた。そして見た。その今にも泣き出しそうな少女の姿を、妹の更識簪の震える姿を瞳に捉えた。

 

「それ……お姉ちゃんの、大切な指輪……。だから、取らないで……お父さん……」

 

 震えた声だ。きっと懸命の勇気を出しているのだ。

 彼女は──更識簪は、姉の窮地を必死で救った。

 彼女はもとよりそんな性格はしていない。楯無と玄郎の間に割って入ってきたことなど、一度も無かった。ましてや姉の為の──楯無の為の勇気など、一度も垣間見せたりはしなかった。それほど彼女は弱く、影だった。なのに、

 

「……向こうへ行ってなさい」

「い、嫌……っ!!」

 

 彼女は勇敢だった。怖いはずの父に向かって、震えながら立ち向かっている。

 それを見、楯無は胸に熱が生まれるのを感じた。熱い熱い、火傷しそうな熱だ。

 歯を食い縛り、ぎゅっと瞼を閉じる。このままでいいのかと自分に言い聞かせ、心を律していく。

 私は更識楯無だ。そして、簪の姉だ。

 彼女が産まれた時、決めたことがある。

 全ての厄は、私が引き受ける。そしてこの命を、お母様の代わりに守ってみせる──。

 手はまだ震えていた。父への恐怖が無くなった訳ではない。けれど覚悟を決めていた。言葉を紡ぐ覚悟を、歯向かうことへの覚悟を決めていた。

 

「私の言うことが聞けないのかッ!!」

「ひっ……!?」

 

 喰い下がらない簪に対し、ついに声を荒げた玄郎。

 それに楯無は目を見開き、錆び付いた口を開いた。

 

「やめなさい! 更識玄郎ッ! 楯無の名を継ぐ我が妹に対し、何たる蛮行か! お役御免の老人は、大人しく報告を待っていることが常だった筈──過度の手入れは、良からぬ祟りを招くと知りなさいッ!」

 

 凛──とした声。

 玄郎に言葉を叩きつけた「更識楯無」は、掴まれていた手を振り払い、唖然とする簪の元に歩む。そして背中を軽く押して共に歩き、無言で佇む玄郎の横を通り過ぎた。──玄郎は部屋を出て行くその最後まで、何も言ってはこなかった。

 

 2

 

 心臓が痛い。

 熱に体が犯されていく。

 言ってしまった──言ってしまった。

 父に、初めて歯向かってしまった。

 

「……くだらぬことだと分かっているけど」

 

 胸を押さえつけながら、吐血するように零す。

 楯無は未だ止まない父の重圧に顔を歪め、屋敷を支える柱に手を付いた。

 隣にいる簪は、困ったように手を彷徨わせていた。姉が心配という気持ちと、助けた方がいいのか? という気持ちがどっちつかずになっているようだった。

 

「だ、だいじょう……ぶ?」

 

 その言葉は聞こえなかった。耳に何かが詰まっているみたいに、風の音すら伝わってこない。

 

「なぜ……」

 

 ──父は、何も言わなかった。

 楯無は震えた。

 毅然だった態度など、すでに無い。

 彼にどんな思惑があったのか、それは分かっている。彼は私に仕事をさせたいのだ。あの老人は、長く続く代々の家業をおろそかにさせたくない──そう思っているから、手を上げてきたのだ。

 楯無は玄郎の娘だ。

 玄郎は楯無の父だ。

 親が子に手を上げる。それは、すでに無くなってしまった躾のやり方だ。暴力だ。けれど、間違いではない。

 

「お母様……」

 

 今は亡き、母を思い出した。

 母は優しかった。何とも言い難い、暖かさを持っていた。だからどうしても比較してしまう。あの父と、母の愛を──。

 柱から手を退かした楯無は、佇む簪を見た。

 簪は母によく似ている。容姿は親子なので当たり前だが、何より身に纏う雰囲気が同じなのだ。

 きっと彼女は優しく育つ。現に、とても優しい。

 まさかあの状況を救ってくれるの人間が、彼女だとは思わなかった。嫌われていたと思い込んでいたから尚更だ。

 楯無は簪の肩に手を乗せ、そして抱き寄せた。

「わわ」と彼女は突然の抱擁に驚く。けれど嫌がる素振りは決して見せない。むしろ待っていたかのように、それを静かに受け入れた。

 

「無茶なことして……ほんとに……」

「でも……酷いこと、されてたんだよ?」

 

 その言葉に思わず涙が込み上げる。

 楯無は簪の優しさに、本当に縋りそうになった。

 

「ごめんなさいね。駄目なお姉ちゃんで……」

 

 いつも気丈であろうとした。

 彼女を幸せにする為に、家業を全て引き継いだ。

 その結果、私はこの子に嫌われた。

 才を持つ姉と──それを持たない妹。

 彼女の中でそれが出来上がり、楯無は姉としてでは無く、「楯無」として見るようになった。怯えるようになった。

 簪が──この子が日陰を好むようになったのは自分の責任だ。

 家族の為に沢山を犠牲にしてきた、私個人の過ちだ。

 けれど、それでもこの子は救ってくれた。

 私を──更識刀奈を──必死で。

 

「ごめんね……ごめんね……ッ」

 

 震えがどうしたって止まらない。涙が止まらない。

 "刀奈"は簪の温もりにどうしようもなくなって、これまで経験してきた苦しみの日々を一気に思い出した。

 

「……お姉……ちゃん」

 

 少女はか細く、呟いた。

 ──ああ、またそう呼んでくれるの……?

 刀奈はさらに彼女を抱き締め、そして髪を撫でる。

 それに簪は決意したように眼光を宿し、弱々しい姉の体を負けじと抱き締め返した。

 

「お姉ちゃんは、泣いてた……。あの夜の日に……ひとりでずっと泣いてた」

 

 あの夜の日とは、いつのことだろう?

 

「……私……初めて見た。お姉ちゃんが泣いてるところを……初めて見た。……ずっと、お姉ちゃんは辛かったの?」

 

 本当ならば、そこで頷いてはいけないんだろう。これ以上の弱さを出してはいけないんだろう。

 けれど刀奈は甘えてしまった。その彼女の抱擁に、優しさに甘えてしまい、頷いてしまった。

 簪は少し黙り込んだ後、そっと口を開く。

 

「──お姉ちゃんは、私が守るよ」

 

 目を見開いた──。

 刀奈は涙に濡れた顔を上げ、簪を見つめた。

 彼女はとても優しく、そして強い目をして言った。

 

 だから、一緒に頑張ろう──と。

 

 私は思わず嗚咽を上げた。もう駄目だったからだ。

 必死に止めていた悲しみが、決壊して溢れてくる。積もりに積もった悲しみが、声となって溢れ出す。

 泣きじゃくる刀奈。

 それを撫で続ける簪。

 その光景に、かつての不仲は無く。確かな姉妹としての絆を存在させていた。

 

「私は……お姉ちゃんの妹だから」

 

 言い、簪は満面の笑みで頬んだ。




続く
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