さえずる鳥の声に目が覚めた。
目を覚ました場所が木の上だったから、重吾は危うく落下しかける。あわあわと手を振り、姿勢を戻す。下を覗くと、そこにはちょうど良く母の束がうたた寝をしていた。
重吾はよっ、と猫のような軽やかさで木の上から地面に着地すると、スヤスヤと眠りこく束の肩を揺らした。
むにゃむにゃと、うっすら束が目を開けた。
それに息を大きく吸い込んだ重吾は、口を開けて、
「わっ──!!」
束の耳元で囁いた──否、轟いた。
「んんっ!? なにっ!?」
ガバッと起き上がった束が、口元からよだれを垂らしながら周囲を警戒する。
重吾はおかしくなって、あははと笑った。
むむ、と重吾の存在に気付いた束が、そんな息子を睨み、仕返しと言わんばかりのくすぐりを仕掛けてきた。
突然の脇腹への襲撃に変な声を上げた重吾は、込み上げてくるこそばゆさに暴れた。
「おかーさんにイタズラとはナ〜」
「寝てたからっ!だって寝てたからあっ!」
「このこのこのぉ!」
「お腹、いたい、死んじゃうよ……!」
「そりゃ駄目だ」
パッとやめた束。
立ち上がった重吾。
互いに木の根元に座る。
「風の知らせで誰かがピンチな気がして起こしたんだ。どこかの誰かが、すごく危ない状況になってないかな?」
こめかみの辺りが痛いのだ。
たまにある痛みだが、とても痛い。母さんに教えてもらった偏頭痛とは違う、深く残るような痛みなんだ。
問いかけに束はニコリと笑った。
慣れた手付きで投影パネルを出現させると、虚空に浮かび上がるそれをこちらに良く見えるよう向けてくる。
とんとん、とパネルの画面を突いた束の指先を追うと、そこには良く知る「更識楯無」が映っていた。
「あ、あわわわっ!!!!」
重吾は画面に飛び付き、食らいつくように顔を押し付けた。見開いた目に映る楯無は、息が切れた様子で大地に倒れている。
「母さん、黒兎は!?」
叫びにも似た声に、束はよし来たと指を鳴らした。
向こうを歩いていた一夏と箒が、そんな二人の姿に気付いて、こちらに方向転換してくる。
「えーと、エネルギーはあるし……あ、でも武器が無いや」
「いいの! すぐ行くの!」
「まあ、待ちなさいな」
慌てる重吾とたしなめる束。
近付いてきた一夏と箒は互いに顔を見合わせ、首を傾げた。
「よく分かんねえけど、落ち着けよ」
「急いても良いことはないぞ?」
諭す一夏に同乗し、箒は頷く。
しかし重吾はそれを聞かず、束が取り出した黒いアクセサリーを奪い取るようにして首にかけた。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
珍しく慌てる束に少しだけ躊躇いが出るが、重吾は我慢出来ないといった感じで走り出す。
見ていた一夏はそんな二人に怪訝な顔をし、衝動的な勢いで重吾を追いかけた。
「おい! 待てってば!」
「好きな人が危ないんだよっ! 邪魔しないで!」
「は、はあ……!?」
よくわからないこと言う重吾に一夏はさらに眉を顰めた。あと少しで転びそうになる。
「束さんが駄目って言ってんだろっ」
しかし重吾は止まらない。
猪突猛進の速さで、ぐんぐんと篠ノ之家の周りを取り囲んでいる木々の中を突っ走っていく。そして次第に背中を捉えることが出来なくなり、息切れの所為もあって、一夏は足を止めた。
「なんであんな速いんだよ──くそっ」
苛立ち交じりに地面を蹴る──が、それは重吾を見失ったことへの苛立ちではなく、彼の言った言葉、
『好きな人が危ないんだよっ! 邪魔しないで!』
その言葉からくる自問の所為だった。
◆
──速く、速く!
足元はデコボコで、道はグネグネと入り組んでいる。
森なんだから当たり前。そうでなきゃおかしいさ。
不自然な呼吸と共に吸い込んだ酸素を吐きそうになりながらも必死で走り続ける。
陽の光が遮断され、微かな木漏れ日しか侵入を許さない森林の猛威が、体の体力をどんどんと奪っていく。
「──あ、見っけ!」
探していたそれを発見し、勢いのついた体を無理矢理に止めてそれを目指す。
ぜえぜえ、と呼吸音が不思議な音を立てているが、重吾は気にせず目的の品に飛び付いた。そして"乗り物"であるそれに体を強引に押し込んで、スイッチを押した。
「場所は……──あの人のいる場所ね」
狭い乗り物の中、ピピピッと音が鳴る。そして暫くして、全体がガタガタと振動を始めた。
息を呑んだ重吾はそれに歯を食い縛り、突如やってきた押し出される感覚に体を抱いた。
2
こいつは化け物か──?
敵のライフルが、こちらを捉えている。
息をするのも忘れ、すかさず銃口を手で押し除けた。
顔の真横でライフルの発射音が鳴り、冷や汗が滲み出る。敵が放つ真っ直ぐな殺意に喉が渇き、息が張り付く。
ラージは少しも消耗することのない敵の闘志に対し、己の精神がだんだんと消耗してきているのが分かっていた。
数はこちらが勝っている。戦い方の技量も、共に同じほどのもので、単純にごり押してしまえば勝てるのだ。しかしそれなのに自分達が勝てないでいるのは何故だ。
「くそ!」疲労している我が身に喝を入れるが、それで勝てたら苦労はしない。舌舐めずりする。ラージは熱を持ち始めているバーニアを心配しながら、さらなる加速をかけた。
思うに、敵はコンビネーションが上手いのだ。
言ってしまえば、こちらは即興のチームだ。合計六人。元々会議をしに集った政府の人間を護衛する為の者共だ。皆に合わせた武器だって所持していないし、それぞれの得意のレンジだって解らない。
対しては敵はコンビネーション抜群のコンビなのだ。
片方の敵がバリアで護り、もう片方の敵は、相方の炎で援護してもらいながら、蜘蛛の脚のマニピュレーターでこちらを苦戦させてくる。役割分担がハッキリとしている。
それだけで苦戦させられる──とは思いたくはないが、現にこちらは攻めることができていない状況だ。何度も覆そうと全力を出したが、この状況が全てを物語っている。
「厄介すぎるでしょっ……もう!」
仲間の一人が愚痴を叫ぶ。敵のマニピュレーターに剣戟を加える彼女は、苦渋に顔を染める。
ラージはそれを見て、焦ったように各武装に保存しておいたエネルギー停滞を解除し、それを腕に装着するナックルに集めさせる操作を行った。
(楯無は充分な働きをしたし、ナターシャは捨て身の特攻でミサイルを受けてくれた。私だけ何もしなかったら、どやされちまうじゃないか──!)
急な発進は、全身に圧がかかった。
踏ん張りで歯を噛み締めながら、戦闘空域に戻ったラージは、そこにいた敵の背中に大きく蹴りを入れる。
ガァン──と大きな衝撃音の後、蹴り飛ばされた敵は、グルグルと回転しながら暫く落下して、そして体勢を立て直して再び空に上がってきた。
隣の仲間がライフルを貸してくれる。
ありがたくそれを受け取ったラージは、とにかくありったけ乱射し、グングンと上昇してくる敵を撃ち落そうとした。だが、敵はそれをバリアを展開することで弾き、怯むことなくこちらに向かってくる。
「ざけんな……っ!」
全く加速度を落とさない敵のスピードに思わず気圧され、射撃を止めたラージは、あと少しで白兵戦の間合いに入ってくる敵に構えた。右腕に装着しているナックルの起動をし、ブウンと音を立てたそれを合図にエネルギーのチャージを開始した。
これからするのは、一撃必殺である──。
国家代表の座を楯無に譲る前は、接近戦で他者を圧倒していた。〈ガイア〉はそれに合わせて建造された機体なのだ。背面のブースターと、各関節装甲内に組み込まれたスラスターの恩恵で、「アマゾネス」と呼ばれたこともあった。拳に装着する武器も、ねじ伏せる目的のみで設計された制圧兵器である。
だから、接近戦で負ける訳にはいかない。空唾を呑み込み、寸前まで近付いた敵にタイミングを合わせたラージは、過去の自分を今に重ね、奮い立たせた感情と共に拳を突き出した。
「む? 何かおかし──うわっ!?」
勘か何か──本能でも予想でもない感覚に、ラージはその動作を躊躇った。と、いうよりも、体が勝手に拳を引いた。
『うふふ、遅いわ……よ!』
既に眼前まで接近していた敵が、ガシと腕を掴んで引いた。
言葉の意味を理解できぬままラージは、何の前触れも無く急速に減少し始めた〈ガイア〉のエネルギーに驚愕した。不可視のモニターにいくつもの警告サインが表示され、そして一際激しいアラームが鳴ったのち──目の前に「ゼロ」との表示が浮かび上がり、突然体が謎の浮遊感に包まれる。
「な、なんだってんだぁ〜!?」
あ、ああ──! 落ちている、落ちているのか!
ラージは先ほどの「ゼロ」がガス欠の意味だということを理解したと同時に、今の自分がかなり危ない状況だということも悟って青ざめた。今、私は下に落ちている!
だんだんと機体が待機状態に戻る予兆の、粒子化現象を起こし始めていた。それにさらに焦る。ブースターは既に粒子となって消え、次は体の装甲が消えようとしていた。これでは辛うじて地面に着地できたとしても、全身がバラバラになる。なってしまう。
嫌な想像にあわあわとなった。歳なんて関係無い。切羽詰まった状況は誰もが慌てる。
ラージは何とか着地をズラせないかと下を向くが、視線の先に広がる大地は──土、土、土──硬い地面だけである。
ラージは一瞬動きを止め──そしてどうしようもない現実に体を抱いて叫んだ。笑った。泣いた。
「いやあああん! 誰か助けてくれぇぇえ!」
駆けていく景色。
行き違う雲の群。
下ではなく、上にあがる涙。
ああ、短い人生だったぜ──楯無、リディア……お前らの子どもにラージおばさんと呼ばれたかった……な──。
「……ん? なんかおかしくね?」
ふと、そこであることに気付いた。
あまりにも自然で、あまりにも当然のようなことだったから、ラージ・エレクトロは"それ"の理解に時間がかかった。
辺りを見渡すと、景色はもちろん止まっている。
流れていた雲も、いまは優雅に漂っているだけで、残像のような速度で滑ったりはしていない。上にあがっていた涙の雫も、当たり前に頬を伝っている。
唾を呑んだラージは、腕だけでなく、体全体に感じる暖かさに上を見上げた。人の熱に似ている。上を向くと、太陽の眩しさが網膜を刺激した。顔を思わず顰める。
だが、それは一瞬だけ──ラージは、すぐさま目を見開いた。
「大丈夫? おばさん」
だって目の前に、屈託なく笑う少年がいたから。
「すてき……」
顔が、何故だか熱かった──。
続く