前には蜘蛛、後ろには魔女。
前後をおとぎ話の悪者に挟まれている。
恐ろしい──とはまた違った感覚。
身の内を駆け巡るものは恐怖でもあり、闘志でもあった。
井伊月重吾は視線を一瞬だけ下に動かす。ハンモックのようなエネルギーの網に体を預ける更識楯無の状態を、一瞬の伺いの間に確認する。
うん。大丈夫だ。これなら僕も──。
キュッと拳を握り締め、細く息を吐いた。
熱を持った息の残留が、白い煙となって目の前で霧散する。揺ら揺らと動き、空気に溶けていく。
蜘蛛と魔女──その両方を視界に収めた重吾は、初めての本格的な戦闘に自分の鼓動が速まっていることを知った。落ち着かなきゃ。再び息を吐いて、冷たい冬の空気を吸い込んだ。
そして、唐突に戦いが始まった。
パンッ、と破裂音を背中から鳴らして、まず蜘蛛が接近してきた。背面に背負うマニピュレーターから覗くブースターの輝きの度合いを見るに、加速度は半分ほどか。
(でも速いや……!)
両手をグーにして、水平になるように縦に構える。
横を向き、顔は正面に向け、思考の半分を蜘蛛に向ける。背中の魔女はハイパーセンサーの恩恵による360度の視界で常に観察している。何かあろうものなら、すぐに反応出来る。
重吾は近付いてきた蜘蛛に視線を定めながらも、背後の魔女にも意識を傾ける。人間の意識では到底真似出来ない、脳の力の奥底を使うような技術だ。故に、神経が過敏になる。
その時──ヒュッと風が顔を打ち付けた。
それにより音の消えた世界が訪れ、全てがスローに映る。雲の流れも、風の音も、そして目の前の敵の動きも──遅く、遅く──そして速く。
「……ッ! あぁ!!」
突如加速した世界の光景に忘れていた呼吸を再開させた重吾は、迫り来る蜘蛛の敵に向かって空を蹴った。大地を蹴る要領で空中を駆けた。
秒単位で迫り合う互いの体──。
重吾は息を吐き出した。
敵も息を吐き出した。
冬の冷たさに凍らされた息が白くなり、両者の間に停滞し、
「ふっ──」
『死ねやァ──!』
互いに繰り出した一撃によって霧散した。
「井伊月くん!」
下から楯無の声が聞こえてくる。
だが重吾は、自分のことで精一杯だった。
敵の腕は二本じゃないのだ。背中に蜘蛛脚のマニピュレーターを六足も携えている。
それが独自の意思を持つかのように襲いかかってくるのだから、少しだって目を離す訳にはいかないのだ。
強い! みんなが勝てないのが分かるよ……!
カウンター。ひたすらにカウンター。
こちらから攻めることは決してしない。間合いは常に把握し、一定を保ったまま、越えられてしまうことを注意する。
まるで食らい付くように様々な角度からくるマニピュレーターは、そのひとつひとつに関節のような部位があるからタチが悪い。あれがあるから、予測出来ないような、不可思議な攻撃が可能になっているのだ。
重吾は息をするのも忘れ、必死にマニピュレーターとその本体の女性に「防」を貫いた。攻撃? いやだよ、怖いもん。
肘、籠手、脚、膝。武器となる体の部分は全て使っている。
けれどそれだけをして、ようやく防げているといった状況だ。
「おい! ロシアの子! あの子が引き付けている間に避難するぞ! 捕まれっ!!」
「やっ! も、もっとゆっくり……!」
視線での確認は出来なかったが、どうやら仲間の誰かが楯無を連れ出してくれたようだった。
しかし安堵感を感じている場合ではない。
重吾はだんだんと激しさを増していく敵の攻撃にいっそう意識を高め、瞬きをも止めた。全方位からくる蜘蛛の脚の全てを、見開いた視界の中に収める。
が、その時、
「ぐぅ……!!?」
脇腹を刺されたような痛み。それが走った。
『よそ見してんなやァ!ははははッ!!』
「う、あぁ──あ……っ!」
ずっと続けていた防御を止めた所為で、ついに一撃をもらってしまう。腹部に強烈な蹴りを入れられてしまった。
「おらよォ!」
続けざまに顔面を殴られ、吹き飛ばされる。
あまりの衝撃に声も出ず、歪んだ視界で自分の体を見下ろすと、脇腹の辺りに小さな「火」が残留していた。
ハッとし、その原因の根源を理解したのも束の間、体が急に後ろではなく前に引っ張られた。急な転換に呻く。おかしい。僕は飛ばされていっている筈なのに……!
見ると、体に何かが巻き付いていた。これは……蜘蛛の糸?
眉を上げた重吾は、巻き付いた糸を視線で辿った。そしてその先に存在していた蜘蛛脚を背負う女性と目が合った。
女性は、マスクで顔を隠し、口元だけが伺えるその唯一のパーツを、酷く歪に歪ませた。
『死・ね』
グンとたぐられ、息が詰まる。
体に巻き付く蜘蛛の糸はマニピュレーターの先端から伸びている。きっと寄せ切った途端、あの六足の強靭なマニピュレーターの怪力で捻りつぶすつもりなんだ。
すかさず蜘蛛の糸を掴み、強い力を加える。しかしどんなに力を込めても、全く形状が変化しない。まるで束ねられた鋼のようである。
そうしている間に、体は敵の元へ引き寄せられた。
息を飲んだ重吾は、敵があらかじめ振りかぶっていた拳をまともに腹で受け止めてしまい、堪らず呻き声を漏らす。装甲で守られた体だとしても、その一撃は致命的であった。
内臓を拳で撃ち抜かれたのが駄目だったのか、変な気持ち悪さが体中を走り回っていた。喉元から込み上げてくるものがとても嫌な気分にさせる。
堪らず吐き出したそれは、赤黒い色で染まっていた。
表情を歪めた重吾は、それを見たことによりさらに激しさを増した腹部を片手で押さえ、もう片方の手を敵に翳した。
『あん?』
きっと敵には、降参のサインに見えたに違いない。
けれど違うんだ。これは猫騙しだ!
重吾は朦朧としてきた意識の中で五指を広げる。するとその手のひらがカッと閃光を放ち、周囲の空を白に塗り潰した。
『な、なんだってんだ……!?』
「パンチっ!」
閃光の光により怯んだ敵に、重吾は拳を叩き込む。
皮膚を伝い、殴った感触を感じる。
重吾は女性の怯んだ様子にさらに力を入れ、今度は蹴りを放った。それも容易く、女性に直撃する。
『クソガキがァ!』
まだ視界の安定しない敵が、もがくように両手足をバタつかせた。背中のマニピュレーターも、それに合わせて狂ったように暴れる。
重吾はその隙にと、体に巻き付く蜘蛛の糸に手を伸ばした。たまに飛んでくるマニピュレーターを避けながら、しっかりと絡み付いているその糸を、少しずつ解いていった。
「なんなの……この!」
だが、やはりこの糸は硬すぎる。強靭すぎる。
いくら力を加えても、糸くずのようなものしか取れない。
あまりにも解けない糸の強さに、重吾は焦りだす。
敵はまだ顔を押さえて暴れているものの、ずっと目眩しの効果が続く訳ではない。
ど、どうしよう……!
重吾はどうしよもうない現状に泣きたくなり、うわーんと頭を抱えて叫び声を上げた。
◆
変わって──地上。
消費したエネルギーを回復する為、地上に降り立った国家代表達は、それぞれの専用機を休ませる一方で、未だ建物の中に立て籠もっていた政府の人間達を避難させていた。
「さっさと歩く!」
「ろ、老人はいたわらんか……!」
皆、戦闘による疲労でピリピリとしていた。
のろのろと歩く政府の人間達に声を荒げている。
「回復なんて後回しでいいじゃない!」
そして更識楯無も、同じく声を荒げていた。
「無茶言わないの! 回復だけじゃなくて、機体全体に負荷がかかっているんだから、出られるわけないでしょ!」
「一人で戦っているのよ!? 井伊月くんは!」
「誰かこの子を止めなさいよ!!」
楯無は焦っていた。上空でまだ戦っている重吾が、現在危機的な状況に陥っているからだ。
彼はまだ子どもだ。いや、自分も子どもなのだが、彼は特に目が離せない。手を繋いでおかなければならないのだ。
「じゃあ量産機でいいです! 貸してください!」
「そりゃ私だって何とかしたいけど……」
困ったように眉を寄せる国家代表の女性。
楯無はこれ以上は意味が無いと口を紡ぎ、走った。目指すは回復装置に寝かされた、展開状態のISだった。
誰かの制止声が上がる。
だが楯無はそれを無視する。
辿り着いたISに飛び乗り、コックピットに体を滑り込ませた。回復装置に繋がれたこの専用機は誰のもの?
表示されているモニターに指を這わせ、コントロールをする。違法なことだが、パイロット認証が必要なISでも、このような展開状態であれば動かすことができるのだ。──IS自身が受け入れてくれればの話だが。
「なんでよ……っ」
楯無は一向に稼働する予兆を見せない専用機に歯噛みし、顔を歪めた。
「おい、それは私のだぞ!?」
乗り手の女性が、驚いた様子で覗き込んでくる。
楯無はどうにか出来ないかと思い、負けじとパネルを操作したが、ついに国家代表の女性方に引っ張り出され、拘束された。「は、離して……!」
「おい! 誰か縄でも持ってこい!」
「更識ちゃん! 落ち着きなさい! 今行ったって無理なものは無理なの!!」
二人の説得の言葉など聞き入れない。
楯無は鎖に繋がれた獣ように、噛み付く勢いで暴れた。
──その時だった。
「お、おい! また新手が……!?」
空に、謎の飛行物体が現れた。
楯無も、楯無を拘束していた女性達も、思わず止まる。
「白い……IS?」
驚く楯無。
しかし次に、そのISがとった行動に、楯無のみならず、
「あいつ、坊ちゃんを助けるつもりだぞ!!?」
その場にいた全員が驚愕した。
続く