耳が痛い。
これは、鉄の楽曲か──?
更識楯無は汗を流す。
息を吐く暇も無く、循環させる余裕も無い。
楯無は欠け溢れた槍を振るうのだ。何度も何度も。
敵は目の前の「蜘蛛」──人間だ。
黄色と黒の外骨格に包まれた、異形の敵。
背中に在る蜘蛛の脚は強靭で、槍で弾くたびに腕が痺れる。鉄同士をぶつけたように、甲高い音も響き渡る。
「──は」
忘れていた呼吸をし、再び口を結ぶ。
槍を振るう動きを止めず、上下左右を常に意識しながら、全ての攻撃に対処する。が、楯無は予兆を感じていた。意識の集中力が揺らぎつつある予兆を。
楯無は歯噛みする。連戦に続く連戦で疲弊し切った己自身に。
「楽しいィ! お前は強いな!」
「……ッ!」
対して敵はさながら獣の如く。
蜘蛛脚の連撃を常として、高笑う。
止まぬ攻撃、止まぬ勢い。
楯無は必至だ。けれどもこれ以上──防ぎ切れない。
手数は無数だ。パターンだって違う。
幾度の鍛錬で鍛え上げたこの肢体──どこまで持つ?
「くぉんのぉ……っ」
ギャリン──ジャリン──!
重なり合う、金属の表面。
槍の握り手は手汗に塗れて力が入らない。いや、体にある力自体が既に少ない。
はあ、と強く息を吐く。
それだけで楯無は、微々たる目眩に目が回った。
(……ほんっとーに……マズイわね……)
これは女子特有の周期体調状態に似て──ツライ。
特に腹部に感じる鈍痛なんて、本物だ。
クルンと手元で槍を回した楯無は、眩む視界を歯噛みで定かにし、〈ミステリアス・レイディ〉を加速させた。そしてぶつかり合った敵の蜘蛛脚のパワーに負けぬよう、細く柔らかな腕に全力を込める。
「あっはははは! なーんだそりゃよお!!」
グルンと体が一回転した。
敵に無理矢理動きを変えられたのだ。
急な体の軸の変化に目を丸くする楯無。
体の骨格が捻じれ、思わず濁った声を漏らす。
(このままじゃ本当に……)
解っているわ。自分の限界ぐらい。
けれど、負ける訳にもいかないでしょう?
微笑を口元にたたえつつ、楯無は槍を振るう。常に纏わせているアクア・ナノマシンは、装甲に回している分以外は全て使い果たしている。
軽いが、もはや軽装に近い鎧だ。次に何らかの一撃を喰らってしまえば容易く瓦解してしまうだろう。こうして防ぎ切れているからまだ健在しているが、この〈ミステリアス・レイディ〉だって無敵ではない。そもそもISが無敵でない。
「足、もーらいィひひひひ──」
蜘蛛脚に脚を掴まれる。そしてそのまま引っ掻くように下に降ろされ、鋭い激痛が走った。
「い──やぁ……!?」
酷い痛みにもがき、楯無は反射的に敵と離れた。
恐る恐る蜘蛛脚に引っ掻かれた場所を見ると、そこにはISスーツごと引き裂かれ、赤い血玉を浮かび上がらせる傷跡が存在した。見て、楯無は泣き出しそうになった。
私の……脚……いやぁ……っ。
戦いにおいて、それは小さな傷。
けれどもまだ──彼女は「少女」だった。
「いひっ! あははははッ! 泣くなよぉ〜!!」
「あ、ぐぅ……っ!」
喉元を掴まれ、呼吸が苦しくなる。
楯無は掠れた息を漏らして、苦渋に顔を染める。
嫌──まだ、終われない。
震える手を持ち上げ、敵の顔面に叩きつけた。固い感触が拳に伝わり、痛みも伝わる。ああ……もう腕の装甲もないのね。
何度も、何度も。
少女は拳を振るった。
度に拳は傷付き、血が散る──。
……これは、なんでしょうか?
数えて八度目の打撃。その時、敵がつまらなそうに欠伸を漏らした。目を開けてよく見てみると、敵には何のキズも、何のダメージも無かった。ただ顔に被っているマスクに、楯無の拳の血が塗られているだけ──無意味だった。
「……」
いつの間にか拳を下げていた。
と、いうよりも体自体が脱力していた。
首を掴まれ、吊られたような楯無。
彼女はもはや満身創痍で、少しも動けないほどの疲労を体に蓄積させていた。艶やかだった髪も、そして肌も──血や吐物で汚れている。
「あ〜……飽きたな。うん。じゃ、死ね」
グググ──敵の腕力が首を絞め付ける。
息が出来ないほどの強さだ。殺そうとしている。
「……あ、指輪」
ふと、その時、楯無は思い出した。あの日から肌身離さず身に付けていた「彼」の指輪を──思い出した。
「……ん? 笑って……」
怪訝な敵の声。
気にしない。ええ、気にしないわ。
「血の、カーペット……広がって……」
うん? 私、何か、言葉を──。
「……兎がぴょんぴょん……跳ねてたの」
息、できない。できないの。
──苦しいかい?
ええ、とっても。
「そしたら雷落ちてきて──」
でも、貴方も苦しかったでしょう?
「小さな兎、笑ってた」
──うん。とってもね。
「……こいつ……どうなってやがる?」
薄っすらと聞こえる敵の声が、何故だかとっても遠くて──近くて──曖昧で。
「ねえ……殺してよ」
私は少し、笑いたくなった。
かちり──。
するとどこかでスイッチの音が聞こえて、
「──あ、可愛い兎さん」
目の前に、黒い兎が現れた。
続く