君と僕の物語   作:名無しの執筆者

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短く、そして速く


第三話 「オリムラ」

 ーー素振りの音ーー

 

 走る太刀筋は鈍く、そしてノロイーーー。

 もう何度振ったかも分からない素振りに、とうとう織斑一夏は体を投げ出した。

 どん、と道場に響いた落下音。

 背中越しに感じる床の冷たさが心地良い。反面、着ている道着は汗に濡れていて気持ちが悪い。

 

「……うし」

 

 再び立ち上がった一夏は、また素振りをする。

 これを繰り返すこと、既に三度目。

 骨格、そして筋繊維がズキズキとしているのに、やめることなくひたすら没頭を続ける。

 まるで呪われたみたいに。

 まるで囚われたみたいに。

 1、2ーーー1、2ーーーと。

 交互に動かす両足の裏は何度も磨り減っている。この素振りは二年前から毎朝続けている鍛錬なのだ。一夏は、これをずっと休むことなく行ってきた。

 

「一夏よ、そろそろ休め」

 

 凛とした声。

 一夏は視線だけを動かして、道場の入り口を見た。そこには、長い艶やかな黒髪をポニーテールに結った少女が、茶の乗った盆を両手に立っていた。

 

「置いててくれ、箒。まだ終わってないんだ」

 

 言い、素振りを続ける。

 

「そんな無茶苦茶な太刀筋でやっていても、己の糧にはならない。私の言うことを聞いてくれ」

「……」

「一夏よ」

「……少しだけ休むんだからな」

 

 やはり箒は強い。なんてことを思いながら、一夏は持っていた竹刀を壁に立て掛けた。

 

「ふふ。ああ、そうしてくれると嬉しい」

 

 そんな子どもみたいな一夏に、篠ノ之箒は微笑んだ。

 

 ◆◆

 

 箒と出会ったのは小学生の頃だろうか。

 初めて会った時、最初は静かな奴だと思った。

 昔の箒は、今みたいに凄味がある訳でもなく、なんていうかこう……頼りない奴だった。というよりも、人見知りだったんだろうな。きっと束さんがいなかったら、話すことも無かったに違いないと思う。

 昔の印象のこいつは、少し酷いもんだ。けど、それは間違い。俺は箒に会えて良かったと思っているし、言い訳みたいになるかもしれないけど、昔から箒の笑顔は……好きだった。

 純粋っていうか、綺麗なんだ。箒の笑った顔は。

 だからなんていうかーーーうん、好きなんだ。

 

「……なあ、箒」

 

 昔のことを思いつつ、一夏は口を開いた。

 

「ん? どうした?」

 

 箒が、結った髪を撫でながらーーーこちらを向く。

 少しだけドキリとした。

 

「箒ってさ……好きな人とかいるのか?」

 

 普通。そう、普通だ。

 この年なら恋愛話の一つや二つ、するだろう。

 気恥ずかしさを隠すように、一夏は頬を掻いた。

 視線で箒を伺うと、彼女はなんだか困ったような微妙な顔をしていた。まずかっただろうか?

 変な空気間に緊張する一夏は、この話を終わらせようと言葉を紡ごうとした。けれどそれよりも先に箒が口を開け、言葉を発した。

 

「い、一夏はどうなのだ? いるのか? その……好きな異性というものが」

「俺に返すのか!?」

 

 180度回ってきた問いに驚く。けれど一夏は腹を括り、質問に答えようとした。

 

「俺は!」

「う、うむ!」

「俺はな!? 箒!」

「な、なんだ一夏!?」

「俺は……! 俺は……分かんねえ」

 

 が、寸前でやめた。

 情けないと、自分でも思う。好きな人のヒントも言えないなんて、子どもだ。いや、臆病だ。

 紛らわせに茶を飲んだ一夏だが、心に残ったものは拭えない。せめて少しだけでも言えばよかった、という思いが、強く根付いている。

 そんな一夏に、箒が手を伸ばした。持っていたタオルで、首元の汗を丁寧に拭い取る。

 きっと箒にとっては何気ない行為だったのだろうが、一夏にとっては少し刺激の強いものだった。年相応に成長した彼女はとても美人だから、そんなことをされるだけでドギマギとしてしまう。今にも心臓が爆発してしまいそうだ。

 もう一度茶を飲み、何とか心を落ちつかせようとする。しかし男というのは馬鹿なもので、間近にいる異性からどうしても目が離せない。

 

 が。一夏はそれ故、冷静さを取り戻した。

 

 箒のーーー服の間から覗いた「傷痕」。

 それを直視してしまい、織斑一夏は立ち上がった。

 

「どうしたのだ?」

「……稽古の続きだよ」

「なんだ、怒っているのか?らしくないぞ」

「……別にいいだろ」

「……あ」

 

 と、そこで箒も自分の傷痕が隠せていなかったことに気付く。すぐに服を正し、こちらから見えないようにした。

 それに、一夏は苛立った。

 その傷痕を隠そうとしたことに。なにより、傷痕を見せない為の気遣いをしていた箒に、"的外れ"の怒りを覚えた。

 

「気にするなよ? もう前のことなんだ」

 

 前のこと? 気にするな?

 一夏は壁に立て掛けていた竹刀を手に取る。

 

「私だって……気にしていない」

 

 そんな訳ないだろ。そんな訳ないだろ。

 なんでーーーそんな嘘をつくんだよ、箒。

 一夏は竹刀を握り締めた。胸の内に沸く怒りに、歯を食いしばった。だんだん息も荒くなってくる。箒のその優しさがあまりにも嫌でーーー手に持っていた竹刀を乱暴に投げ捨てた。道場に、酷い音が響き渡った。

 

「……帰る」

 

 しん、と静まり返った道場。

 さっきまでの雰囲気とは一変した静けさが、空間を支配していた。

 

「一夏!」

 

 箒の呼び止めなどもはや聞いていなかった。

 一夏は道場の入り口から外に出ていき、自分を呼び求む少女を無視して帰路を目指した。心の内にあるもどかしさを押し込みながら、がむしゃらに走ってーーー叫んだ。

 

 そして、一人取り残された箒は、

 

「一夏……」

 

 全てを抱え込んだ少年の名前を、震えた声で呟いた。




続く
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