君と僕の物語   作:名無しの執筆者

35 / 76
はやな


第三十二話 「逃げるように」

 朝。

 小鳥のさえずりよりも早くに目が覚めた。

 日の登っていない朝は芯を凍てつかせるほど冷たく、息を吐けば白く濁った。

 ──更識楯無は考えた。

 思い出すは深夜の出来事。

 井伊月重吾が苦しみから解放された途端に見せた、まるでスイッチでも切り替わるかのような豹変を思い出していた。

 足先の凍えに足指を巻き込み、身を縮める。

 彼のことが解らない。楯無は眉を顰めた。

 恐ろしいとまではいかないが、怖いとは思った。

 苦しんでいたあの姿を、「彼」に重ねてしまった所為もある。だがそれを考慮したとしても、あの様子と雰囲気は五感をなぞり上げ、不愉快にさせた。もう──見たくはない。

 

 彼のことは、正直好きだ。

 なにせ面影がある──。

 それを理由にしたくはないが、どうしても横切ってしまう程、彼は「彼」によく似ている。赤茶色の髪、優しげな目元。

 私は恋といったものを知らない人間だ。

 告白──その経験は幾度かある。しかしそのどれもに釈然と、そして心に「がつん」とくるものは無かった。だから、全ての好意の贈り物は受け取りはしなかった。……いいや、違う。受け取れなかったのだ。

 どうせ私の事を知れば、皆、逃げていく──。

 その考えがあったから、きっと私は臆病だった。

 

「……井伊月さん……それとも井伊月君かしら……」

 

 視線を伏せる。

 彼の事を考えると、胸の内側が強く振動した。

 ──これは……恋なのか?

 ──それとも……恐れか?

 一緒くたは決して無い。

 それぞれ別と理解している。

 ……だが、そうだとしても、更識楯無の中ではそれが混濁としているのだ。不明なのだ。それが恋からの違和感なのか、それとも恐怖からの違和感なのか──彼女は上手く判別出来ていないのだ。

 

 でも、恐怖ではなくて欲しいとは思う……。

 

 私は胸に手を当て、音を聞いた。

 とくん、とくん──と。

 変わらず、絶えず、動く我が身の心臓。

 もしそれが機械であったなら、この強い想い──きっと故障させる原因になってしまうに違いない。

 

 微笑み、そして楯無は吐息した。

 白い息が、空で溶けていった。

 

 ◆

 

「…………朝だ」

 

 カーテンの隙間から溢れる朝日で理解する。

 冷んやりとした冷気が、意識を覚醒させた。

 

 ──……遠くにある物が近くに見える。

 

 酔ったような、酷く吐き気のする気分。

 足裏を床に這わせて、ゆっくりと冷たさを味わうと、それは綺麗さっぱりに消えて無くなった。

 

(……ご飯)

 

 ボサボサの髪を直さず、顔と歯だけを洗って部屋を出る。制服はどうしようか。……ま、いいか。

 部屋の外はより寒く、思わず身を縮めた。

 まだ早い時間帯の所為か、自分以外の生徒はどこにも見当たらない。居るのは窓辺に座る小鳥達だけである。

 

 ……可愛いなぁ。

 

 井伊月重吾は微笑み、歩き始めた。

 空腹を訴える肉体は、昨日の簪の手伝いで少しの痛みを有していた。筋肉痛である。激しくはないが、肩を回したりすると違和感があって、ちょっぴり気になった。

 

「イテテ……ん? 楯無さんがいるゾ?」

 

 向こうに見えた更識楯無の姿。

 思わず口元がにやけてしまい、ドキドキとする。

 咄嗟に駆け出した。寒さは我慢である。我慢我慢。

 

「──…………あ」

 

 と。その時、不意に昨日の出来事を思い出した。彼女の困惑に満ちた顔を思い出した。そして自分に対して向けていた恐怖の瞳を、あまりにも鮮明に思い出してしまった。

 自ずと、足が止まった。

 力が抜けていくように、鳴りを潜めた。

 そして逃げるように背を向けて、再び走り出し、元々の目的であった食堂へ向かう。何故だか胸が苦しくて、僕は泣き出しそうになった。

 

 ◆

 

 思い付きで早起きをしてみたが、中々良いものだ。

 小鳥の歌声に、鮮やかな太陽の光。

 地球の宝物を一身に受け止めるこの心地良さは、一週間に一度は経験しても良いかもしれない。

 

「さーて。飯だ飯〜」

 

 織斑一夏は綺麗に身支度した体を伸ばし、首を鳴らした。コキコキと鳴る首の関節もどこか調子が良い気がする。

 昨日憶えた学園の通路を歩き、暫くして食堂へと辿り着けた。早起きのおかげで、まだ人も少ない。副担任の山田麻耶先生がかなり混むと言っていたから、少し不安だったが、これなら気兼ね無く食事が出来そうだ。

 

「箒も誘えば良かったなぁ……」

 

 と。そこでマズイと思った。

 辺りをすぐさま見渡し、誰もいないことを確認する。

 良かった。誰もいない……。

 別に聞かれても、何でもないよで返せば済む話なのだが、これが本人に聞かれてしまえば詰みだ。理由は言えない。いや、別に言ってもいいのだが、いや、駄目か。うん? いや、駄目でもないか? あれ? どっちが正解?

 

 何だか訳がわからなくなってきたので、これ以上、先には進まないようにする。

 気を切り替えるように息を吸い込み、そして食堂へと足を踏み入れた。厨房の方では既に料理人の方達が朝食の準備を始めていて、「ご注文はいつでもどうぞ」といった感じである。これは期待出来そうだ。

 食券を購入し、早速注文をする。

「すみません。お願いします」受け取り口から顔を覗かせ、そう言うと、奥から割烹着を着たおばあさんが出てくる。それにますます期待が高まった。

 

「はいはい。和食セットね。ちょっと待ってねぇ」

 

 柔和なおばあさんの笑みに、こちらまで笑顔になる。おばあちゃんっ子という訳ではないが、ああいう人を元気にさせる笑顔は好きだったりする。たとえば重吾とか──。

 

(……そういやあいつ、どこいんだろ?)

 

 と。ぼうとしていたら、いつの間にか目の前に和食の定食が置かれていた。しかも量が多い。

 目を丸くし、おばあさんを見る。するとおばあさんは「若いんだから沢山食べな」と言って奥の厨房に戻っていった。

 

「おばあさん……」

 

 心の中で感謝し、朝食をありがたく受け取る。

 ホカホカと湯気を立てる料理達が、なんと旨そうなことか。

 

(さーて。どこで食べっかな〜)

 

 どうせなら眺めがいいとこが良いな〜。

 窓際の席を見遣ると、すみの一角の席から見える景色がとても綺麗だった。窓が大きく所為もあるのだろう。その席に注がれる日光はとても心地良さそうで、窓から一望出来る海もここ踊らされる。

 スタスタと歩み、その席に位置を決める。

 ああ、幸せだ……。

 織斑一夏は、心の底からそう思った。

 

「さーて、じゃあ早速!」

 

 ──いっただーきまーす!

 そう言い、食事を始めようとした瞬間、

 

「は、はぁ!? サイレン!?」

 

 高々に耳煩いサイレンが騒ぎ出し、静けさに包まれていた学園の全てを覚醒へ誘った。

 




続く
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。