君と僕の物語   作:名無しの執筆者

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はならさ


第三十六話 「集った命。集った死神」

織斑一夏は走っていた。

訳も分からず走り回っていた。

両手には命に代わる和食セット。

口には白飯を詰め込んでいる。

 

まだ慣れぬ校舎。慣れぬ土地。

入学してからたった一日しか経過していないこの慣れない場所は、たとえ「避難サイレン」が鳴ったとしても、即座に対応出来るという訳ではない。

この織斑一夏のように、和食セットを持ったまま、そこら中を走り回る馬鹿者も存在する────稀有だが。

 

「ほほひへばひひんあ‼︎ (どこいけばいいんだ‼︎)」

 

モゴモゴと口の中の物を咀嚼しながら、手当たり次第の教室を開けていく。しかし当たりには一度も遭遇することはなく、不安ばかりが募っていく。

しかしこの和食セット、美味い。

味噌汁を啜った時に口の中に広がる味噌の風味。ほどよい塩加減で味付けたされた焼き魚の身。しっかりと味付けされた沢庵はごはんによく合い、止められない止まらない。

 

……って! こんなことしてる場合じゃないんだってさー!!

 

とにかくご飯を平らげるんだ。

その場に座り込み、急いで和食セットを食し始めた一夏。

彼の信念として、好き嫌いも、食べ残しも許さないというものがあるのだが、この危険な状況の中でそれを揺るがせ無いのは真面目だからではなく、ただの阿呆だからだった。

 

「ごちそうさまでしたっ‼︎」

 

パシンと両手を合わせ、ごちそうさまでした。

一夏は片付けた和食セットの空きを近くの机にとりあえず置き、再び走り回るのを再開した。後で片付けにくるから、食堂のおばちゃんごめんなさいっ。

 

口周りに付いた米粒を舌で舐め取りながら、今まで通ってきた道とは別の道を進む。

ガタガタと揺れるのは走ることからの振動ではなく、大地からくる揺れからだ。早く避難場所を見つけなければ、最悪のケースまで考えられる。

走っていると、おかしなモノが視界をよぎった。

確信は持てないが、黒髪の少女が立っていた。

 

──いけない。

 

すぐさま逆走し、その少女を探した。

こんな危険な状況の中に、年端もいかない少女を見過ごすわけにはいかない。

しかし先ほど見かけた場所にはもう少女は居らず、どこにもその影は無かった。特徴だった黒髪も、跡を残していない。

 

(…………)

 

避難はあとだ──。

目的を変え、少女を探すことに集中する。

危険な状況だが、避難する時は少女も一緒だ。じゃなきゃ織斑一夏は後悔する。

 

空唾を飲み、ダッと駆けた。

まだ通ったことのない道を通りながら、少女の面影を探した。

少女の容姿はどんなだったか?

唸り、一夏は唇を尖らせた。

虚しいかな。さっき見たばかりのあの子の姿が思い出せない。特徴の黒髪や、どこか凛とした毅然さは印象深かったのだが、その顔はどうしても……。

忙しなく両目を動かしながら、唯一の手掛かりである黒髪を探す。

手探りだが、何も考えずに走り回るよりマシだ。

 

と。そんな一夏の思いを神様が汲み取ってくれたのか、なんと数分足らずで再び先ほどの少女を見つけ出すことが出来た。

ホッとし、思わず天に手を合わせた一夏は、早速その少女の背中に声をかけた。

 

「ねえ、君、ここは危ないよ?」

 

優しく肩を叩く。

すると少女が驚いたようにこちらに振り返った。

その勢いに思わずこちらもビックリしてしまう。

 

「……」

 

少女は不安そうだった。

まあ、気持ちは分からなくもない。急に知らない人間に話しかけられたら、どんな人だって警戒する。

 

「あはは……」

 

なるべく普通を装ってから、再度笑んでみた。すると効果があったのか、少女の表情が幾分か和らぐ。それにこちらも少し安心した。

よく見ると、少女の姿が幼少の千冬に似ていた。昔の記憶なので定かではないが、この、年に似合わない気丈な雰囲気と表情が特に似ている。黒髪なところもポイントだ。

微笑み、手を差し出す。

それに意図を理解した少女は、少し迷った様子を見せてから、一夏の手を握った。

少女の不安そうな顔に苦笑する。

あまりこういったことには慣れていないから、何をすればいいのか戸惑ってしまう。

駄目だな……。

頬をかき、とりあえず出発した。

急がなければならない状況だが、急いて少女を怪我させてしまっては困る。それに姉似の顔だから、そんな配慮を考えなくなって体がそうしてしまうのだ。

 

少女の様子を気にかけながら、避難場所を探した。

だが、やはり中々見つけ出すことが出来ない。廊下の隅に配置された花瓶などが土をばら撒いて倒れている。このままでは天井が抜け落ちてくる可能性がある。

焦燥に唇を噛みながら、必死に両目を働かせる。

右へ──左へ──けれど何処にも見当たらない──。

カタカタと揺れる窓硝子を見つめながら、そろそろマズイと慌ててきた。このまま迷子だなんて洒落にならない。少女だって怯えた顔をしているではないか。

 

(くそ、どこに行けばいいんだ……)

 

その時、くぐもった声が聞こえた。

ハッとして視線を動かすと、焦りからくる強張りで少女の手を強く握り締めてしまっていた。少女が痛みで声を上げたのだ。

 

「ご、ごめんよ!」

 

すぐさま謝る。

いけない。本当に動揺してしまっているんだ。

頭をグシャグシャとかき回し、歯を噛んだ。

少女はそんな一夏をジッと見つめている。

少女の視線に気まずさを感じて、大きく溜息を吐いた。どんよりと重たい溜息。胸の内に溜まったいたものを、気を落ち着かせようと吐き出した。

 

(ああ、もうっ。俺ってばどうしたのさ。こんなんじゃ共倒れだって)

 

不甲斐なさに肩を落とし、何度目かの溜息をつく。

と。服の袖をクイクイと少女が引っ張ってきた。

見ると、少女の薄紅の瞳がこちらを見上げていた。

何か伝えたい事があるのだろうか? この少女は少し人見知りしそうだから、言葉にするのが難しいのかもしれない。

 

膝を曲げ、微笑みながら少女の顔を覗き込んだ。自分の中の焦りを押し込んでの懸命な笑みを浮かべた。

少女は俯き、もごもごと口を動かす。

やはり不安なのだと、一夏はそれを見て思った。

 

(…………)

 

駄目だな……俺……──。

胸中で呟き、静かに拳を握る。

一度瞼を閉じて思考し、気持ちを切り替える。

悩んでいても仕方がないのだ。不安なのはどちらも同じ。迷っているのは始めからだ。なら、やるべきことは足を動かすことだけだ。

 

少女の頭を撫で、一夏を腰を上げた。

その小さな手をそっと握り、「行こう」ニカっと笑う。

 

「……うん」

 

初めて、少女が言葉を口にした。

一夏はそれに不明な心地を抱き、歩き出す。

そしてその矢先に、目の前の天井が上から抜け落ちた。唐突に。唐突に。

砂塵と小さな瓦礫の破片が飛び、空気が振動する。

反射的に少女を抱き締めた一夏は、飛んでくる破片を背中で防いだ。小さな破片だったが、強い速度で飛んでくるそれは小さなものだからこそ針のような痛みを与えてきた。

少し収まった風圧に顔を上げると、陥没した天井から太陽の光が差し込んでいた。しかし、その幻想的な光景とはまた別の何かが、日照りの下で蹲っていた。

 

「なんだ……ありゃあ……」

 

生唾を飲み込み、目を丸くする。

天井を突き抜けてきたモノ──それが、すぐそこにいる。機械質で無機質なモノが、圧倒的な存在感を放って蹲っている。

ゆっくりと立ち上がった一夏は、静かに、少女を抱いたまま後ろに下がった。

そこにいる「化け物」を起こしてしまわぬように、少しずつ少しずつ後退した。──が、

 

「──うぐぅ……っ⁉︎」

 

何の前触れも無く、その化け物が動いた。突進してきた。人間の何倍もある巨体を駆らせ、まるで始めから狙っていたかのようにこちらに襲い掛かってきた。

無意識に〈白式〉を展開した一夏だが、その化け物のあまりの怪力に容易く首元を掴まれ、そのまま押し込まれる。

ぐぐぐ、と歯を食い縛るも、全く振り解けない。

 

少女を残し、一夏だけが化け物に連れて行かれる。そして強引に投げ飛ばされ、一瞬の空白が時を支配した後、一夏の体をとてつもない衝撃が襲った。

固い何かに当たった感触に顔を動かすと、我が身が廊下の壁にめり込んでいた。

ミシミシと嫌な音を立てる関節に顔を歪め、曇った息を吐き出した一夏は、再びこちらに突進してくる化け物の姿を見、思わず呟いた。「まじかよっ⁉︎」

 

「────‼︎」

 

両手を目の前で重ねた直後、化け物の体が再びこの体に衝突する。後ろの壁と化け物の巨体の挟み撃ちに、一瞬意識が持っていかれそうになった。

掠れた息を漏らして、壁と共に外に放り出される。廊下が瓦解する程の力に、〈白式〉のブースターのひとつが音を立てて爆散した。

 

「や、やろぉ……やりやがったなァッ……!」

 

地面に拳をつける。

肺にこびり付いた熱を吐き出す。

崩壊した廊下の壁から、のそりと化け物が姿を現した。足を動かしてこちらへ歩んできている。

バチバチと音を立てる〈白式〉。

一夏は歯を食い縛って立ち上がり、おかしな関節の痛みに眉を寄せた。最近は立て続けに、初めての痛みばかり味わっているよな……。

青空が時間の経過を教えてくれる。

力むように天を仰いで、数多の雲で塗装された空の天井を見つめた。どうやらまだ、授業の始まる刻ではないらしい──。

 

「────」

 

不確かな感情。

喉元から上がってくる強い熱。

ずっしりとした重い鉛が、無理矢理思考を穿つ。

 

知っている。

この感覚は、何かに立ち向かう時の感覚だ──

けれど、これは勇気じゃなくて、そう、

 

 

目を開けると、視界には大勢の人間がいた。

背中に伝わるのは、冷たい床の感触。

 

……あれ、私……何があったの?

 

思い出せ。いったい何を体験した?

なんて、詮索をする最中、大勢の人間の間を割って進む一人の少女に視線が移る。

 

「かんちゃん‼︎」

 

あ……本音だ。

 

「目が覚めたんだね? 良かった……。良かったよぉ〜。うえ〜ん!」

「ほ、本音……っ。苦しい……やめて……!」

 

突然の抱擁に困惑する。

本音のこんな姿は、久し振りに見た。

 

「落ち着いて、本音……」

 

胸に顔を押し付ける本音を優しく離し、笑む。

本音は目尻に溜まった涙の雫を拭うと、ぽつりぽつりと事情を説明し始めた。

 

「簪ちゃん、気を失ってたんだよ」

 

知ってる。だって寝てたもの。

 

「……襲われたの?」

 

額に巻かれた包帯。

触れると、鈍い痛みが生じた。

次第に眠る前の記憶を思い出す。本音を避難所に運び、そして〈打鉄 弐式〉を使う為に整備室へと駆けた。そこで──

 

「そうだよ。襲われたんだよ」

 

結論を代弁した本音に、簪は顔を顰めた。

脳裏によぎる巨大な化け物の姿はまだ鮮明だ。嫌なほどによく憶えてしまっている。

簪は空唾を飲み込んだ。胸の内には、恐怖の残留がまだ色濃く残っていた。それと、悔しさも──。

ギュッと拳を握り込む。

あの瞬間の記憶はきっと正しい。正しいからこそ、悔やみ切れない自分が出てくる。

あの場にいた自分は、決して無力ではなかった。〈打鉄 弐式〉があったのだ。専用機を使えば、あの化け物にだって太刀打ち出来た。けれどそれが出来なかったのは、私が化け物から怯えて退いてしまった所為だ。

強さと勇気を履き違えているつもりはない。だが、あの時の自分はそのどちらでもなかった。

強さも──勇気も無く──ただ怯えるだけ。

それは、自分が目指す理想から最も程遠く、そしてなりたくなかった成れの果てで、怖いと思っているものだ。

 

「私……私は……────」

 

と。その時、不穏な振動が全身を包んだ。

目を見開いた簪は、反射的に顔を上げる。

 

「な、なに……?」

 

揺れには見覚えがある。これは、警報が鳴ってからもずっと続く地震だ。あまり怖くはない。だが、

 

「……剣の……剣の音がする」

 

そう。剣だ。磨り減る剣の音が聞こえる。

地震とはまた違う揺れ。空気の振動。

本来なら不快な筈の金属音。しかし何故かこれが、とてつもなく聴き心地の良い音なのだ。まるで完璧な調律が成された……そう、楽器のよう。

 

「あのね? かんちゃんを運んでくれた井伊月くんがね? 外で戦ってるの」

 

その本音の言葉に思わず息を飲んだ。

井伊月重吾──彼が戦っている。

立ち上がり、慌てて剣戟の鳴る方へ駆けた。そして連なる人の海を割いて進み、それを見た。数体の化け物に取り囲まれながらも、両手に携えた一振りの槍で踊る、井伊月重吾の姿を、目に捉えた。

 

「重吾──‼︎」

 

無意識のうちに叫んでしまう。

込み上げてきたものが、間髪入れずに溢れた。

 

「────」

 

荒れる戦場の中。ひとり、戦う重吾。

そんな彼と、一瞬だけ目が合い、時が止まる。

 

──に、げ、て。

 

空白の中で彼が呟いた言葉。耳に届かずとも読み取れたそれがあまりにも優しく、あまりにも虚しい。

簪は堪え切れなくなり、目の前の戦場に飛び込んだ。自分でも馬鹿だと思った。けれど体が無意識に動いた。

 

(重吾……! 重吾っ‼︎)

 

しゃりん、しゃりん──。

細かに聞こえる摩擦の音。

次いで聞こえるのは己の足音。

自分は着実に、命の交う世界へと進んでいる。だから、簪の身に死神の手が這い寄るのは必然であった。

 

背中をなぞった恐怖。

振り返ると、化け物がそこにいた。

自身を覆う程の影。化け物の巨大さを感じさせる漆黒の手が、こちらに向かって伸びる。

逃げろ、逃げろ──。

しかし、言い聞かせても体は動いてくれない。

麻痺してしまったように、心が恐怖で支配される。

 

「い、や……────」

 

ようやく出た言葉は怯えた言葉。

やはり「私は──更識簪」は弱かった。

 

「やめろぉォォオオオッ‼︎‼︎」

 

獣の雄叫びが耳をつんざく。刹那、目の前の化け物の胴体を黒塗りの槍が貫き、穿った。

 

「おおおおっ‼︎」

 

まるで本物の獣。

地を駆け、化け物にしがみ付き、その喉元を削り取る様は、獣と表現するしか他が無い。

井伊月重吾は本能に従うように、次々と化け物の肉体を喰らった。食べるの意味では無く、殺す意味での喰らうを行った。

 

何が起きているのか理解出来なかった。

彼の豹変ぶりに、簪は呆気にとられた。いや、簪だけではない。避難所で固まっていた生徒達も皆、重吾の戦い方に言葉を失っている。

 

「…………」

 

怖い──と。素直にそう思った。

脇目も振らず、ただ目の前の命を刈り取る彼の姿に、人間本来の本能的な恐れを感じた。

その時、胴体を射抜かれた化け物が、その身を動かした。槍で貫きが甘かったのか、まだ化け物が生きていた。が、

 

「────ッ‼︎」

 

間髪入れず、命の胎動を感じ取った重吾が、その化け物に跨り、今度こそ命を奪い取った。刺さっていた槍を引き抜き、そして何度も何度も刺し穿った。

ようやく動きを止めた彼が、こちらに振り向く。

その顔には、さっきまでの戦い方からは想像も出来ないような、悲しみの感情が色濃く反映されていた。

 

「…………重吾?」

 

言葉を紡ごうとしたその時、突如として爆音が耳奥をつんざいた。

瞬いたのは銀色の光。

白銀の翼を広げる騎士が、新たに現れる。

 

「く・た・ば・れェェェアアアアッ‼︎」

 

それは織斑一夏だった。

犬歯を剥き出し、足で押さえつけた巨大な化け物を、どこからか引き抜いた鉄パイプで突き刺している。

彼もまた、この化け物に襲われていたのだ。そして、戦っている。

簪は不思議とそれが、心地良いものだと感じた。

誰かが守ってくれているという実感。

それが、とてつもなく安心すると思った。

 

化け物は暴れていた。

喉元を貫いた鉄パイプにもがき苦しむように、その豪腕、豪脚をバタバタと暴れさせている。

だが、それを織斑一夏は歯を食い縛って押し留める。首に血管の筋が浮き上がる程の力を込めて、不快な高音を騒ぎ立てる化け物の命を殺そうとする。

化け物は生き物か──?

それは簪には解らない。その巨大な鎧の中に人が存在するのか、それともしないのか、更識簪に理解する余裕は無い。けれど、こうして暴れている、逃げようとしている──と、いうことは生きている──と、思う。

 

再び高鳴った化け物の悲鳴。

それに目を奪われた簪だったが、視界の上あたりを横切った黒い影に無理矢理視線を動かされた。

目を凝らすと、新たな化け物が飛来していた。

ハッとし、一夏と重吾にそれを伝えようとする。だが、既に数多の敵を相手にする二人にこちらを守る余裕は無いと、そう直感的に理解し、口を閉じた。

────ど、どうしよ……っ。

混乱している間に、新たな化け物が地面に着陸する。顔に備わる赤目を滾らせこちらを凝視する。

 

(み、みんなが後ろに……!)

 

化け物が見つめる簪の背後には、多くの避難生徒が存在する。もちろん防護シェルターで壁は覆われているが、ここには生徒が集中してしまっているため、外に数人が溢れている。安全な防護壁の中に全員が入れていないのだ。

だからもしも、あの化け物が弾丸を放とうものなら簪を含めた他の数人は容易く殺される。それどころか壁を壊され、中に進入されてしまうかもしれない。

守る──という選択肢の他、ここにいる皆を安全にする方法は無いと思う。しかし、それを選択するには「力」が要る。あの化け物に対抗出来る手段。即ちISという武器が要る。

 

だが、それは無理だ。

 

簪はギュッと拳を握る。

ISは壊された。いや、壊れたのだ。

いくら求めても、直さない限りはこの身に纏うことも、化け物を倒すことも出来ない。だから、今ある希望は目の前の一夏と重吾の二人だ。彼らだけだ。

生徒会長? 更識楯無? ──いや、きっと無理だ。

姉は、一夏や重吾のように他の避難生徒の保護で手一杯に違い無い。もしかすると、この学園の生徒会長である分、彼らより酷な戦いをしているかもしれない。

 

「死にたく……ない……。死にたくないっ‼︎」

 

ギョロリと動く化け物の目玉。真っ赤な目玉。

それが動く度に、背中に寒気が通る。

恐怖だ。圧倒的な恐怖だ。私の命はいま、あのおぞましい異様の化け物に握られ、潰されようとしている。だからこんなにも震えが止まらない。目が反らせない。ほら、ほら──化け物がこちらに向かってクル──。

 

(いや、助け────)

 

伸びてくる化け物の手。

顔、そして頭を覆い尽くす巨大な手。

視界に広がるのは無機質な手のひらと、鼻腔を掠めるのは嫌な密度の油の臭い。

恐怖を加速させ、そして無残な未来を連想される光景が、簪の怯えた両目に映り込む。遅く、スローに、味あわせるように。

 

「────がぁぁああああッ‼︎‼︎‼︎‼︎」

 

しかし、その咆哮と同時に、化け物の手から先──その全身がピタリと止まった。いや、というよりも何かに阻まれた。

 

腰を抜かした簪は、言葉も漏らさずへたり込む。

視線を動かすと、化け物の背後から銀色の針金のような物が伸びていた。よく見ると、それは重吾の〈黒兎〉の手の付け根の下あたりから出ているもので、そして化け物の体を拘束している正体だった。

 

「か、簪ぃ……っ!」

「あ……え……?」

「早く──早くっ、逃げ、て……っ」

 

苦悶の表情。苦悶の悲鳴。

重吾の言葉に頷いた簪は、震える体を何とか動かして地を這った。こちらへ手を伸ばす他の生徒の力を借りて、防護壁の内側へと身を寄せた。

 

「ふっ、うううウウウ……グゥウウウウッ‼︎」

 

重吾は巨大な化け物の体を、腕一本の力だけで繋いでいた。簪達の元へ化け物が向かわないように、必死に力を込めて拘束を続けていた。

 

「待ってろ……重吾っ……!」

 

敵を一匹仕留めた一夏がヨロヨロと、ワイヤーで拘束された化け物の元へ駆け寄る。そしてひしゃげた鉄パイプを握り締め、大きく振りかざす。

──カーン……。

遠く、山びこのような音が、空気を揺すった。そして次いで一夏の倒れる「ぐしゃ」という音が新たに加わり、この場にいる者達の心にどうしようもない絶望感を植え付けた。

そして、追い打ちをかけるように重吾もついに力尽き、声も上げぬまま、〈黒兎〉の展開を強制解除して大地に伏せた。

 

「ああ……い、いや……嫌ぁぁぁぁあッ‼︎」

 

その悲鳴により、そこに存在する化け物すべての視線が、無力な少女達の元へ集まった──。




続く
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