ーー口笛ーー
ぺらりーーーぺらりーーーと。
ふかふかのベッドに寝転がり、足をパタパタとさせながら、井伊月重吾は学園から借りた本を読みふけっていた。
「ふん……ふふ〜ん♪」
口癖の鼻歌を鳴らしながら読む本の内容は、正義のヒーローがお姫様を助けに行くという単純な物語。悪者を倒し、最後にはハッピーエンドーーー分かりきった物語の本だった。
ぺらりーーーぺらり。
最後の一ページをめくり、そして物語は終わった。
息を吐いた重吾は、静かに瞼を閉じる。
「面白かっ……た!」
本を勢いよく閉じ、起き上がる。
机に本を置いて、そして冷蔵庫に向かった。
頭にまだ残っている物語の楽しさに鼻歌を歌いつつ、冷蔵庫の中からジュースを取り出す。パタン、と扉を閉めて、ジュースを一気に口に流し込む。
満たされた感覚に息を吐いた重吾は、ジュースを再び冷蔵庫にしまい、そしてベッドに飛び乗った。反動でトランポリンのようにベッドから体が浮く感覚が、堪らなく面白い。
そう、面白い。
世界ってーーーこんなにも楽しいんだ。
ふふん、と鳴らす鼻歌。
ゴロゴロとベッドの上を転がりながら、井伊月重吾は世界の楽しさを謳歌する。ずっと硝子の中に住んでいたから、全てが楽しくて仕方がなかった。
お母さんも酷いなぁ、こんな楽しいことを秘密にしておくなんてさ!
けれど、それすらがどうでもいいと思えるほどに、重吾は世界を楽しんでいた。
とんとんーーーあ、誰か来たみたい。
扉を叩いた来客に、
「どーぞ!」
と元気に言う。
すると一拍置いてから扉が開き、部屋の中にとても綺麗な女性が入ってきた。そして入ってきた人物を見て、重吾は焦ったように立ち上がった。
「こんにちは! 織斑先生っ」
ぺこり、とお辞儀をする。
部屋に来たのは"織斑千冬"ーーー先生。
先生は敬うものだと、お母さんに教えられているのだ。
「どうだ? ……部屋は気に入ったか? 井伊月」
どこか元気のない様子で、織斑先生は聞いてくる。
「元気ないです?」
心配になり、重吾は顔を覗き込んだ。すると、
「気にするな」
織斑先生は逃げるように、僕から目を逸らした。
僕は少しだけ、悲しくなった。
「……あ、部屋は……部屋は凄いですね!」
思い出した。悲しい人には笑顔を見せるんだ。前にお母さんが教えてくれたんだ!
重吾はできる限りの笑顔で両手を広げ、そしていかにもこの部屋が気に入ったかのように振る舞った。
その姿は、誰から見ても道化のものだった。無理をしているとすぐに看破されてしまいそうな演技である。
しかし、そんな重吾の健気さに、織斑千冬はやっと微笑んでくれた。クスリ、と。その冷たい表情に、初めての「色」を見せてくれた。
それだけで、重吾も笑顔になれた。
「うむ。ならばいつもの時間になったら食堂に来い。今日も一緒にご飯を食べよう」
「わかりましたっ!」
「ふっ、元気な奴だ」
最後に頭を撫で、そして部屋を出て行った千冬。
重吾はその背中を最後まで見届け、そして静かになった部屋の中でポツリと呟いた。
「先生……僕のこと嫌いなのかな」
織斑先生が自分を見ていた時の目。
あの目はとっても見覚えのある、
ーーー何かを怖がっている目なのだ。
続く