君と僕の物語   作:名無しの執筆者

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なかたな


第四十話 「奇妙な二人」

 どこか優しい風に頬を撫でられ、目が覚めた。

 微睡みとはまた違った眠気が微かに残留している。

 その時、頬を撫でられた。今度は風ではない。人の指だ。

 

「……おはよ。ふふっ」

 

 傍に、更識楯無がいた。微笑んでいた。

 

「……」

 

 驚きはしなかった。不思議と心は落ち着いていた。きっと楯無だからなんだろうな。重吾はそう思った。

 寝ていたベッドから起き上がり、大きく伸びをする。なぜか楯無がジッと見つめてくるので、こっちも見つめ返した。彼女の赤目と視線が交じり合う。

 静かな時間が流れた。溶けた時が風に扇がれ、虚空の中へと消えた。なんだか妙な雰囲気が流れ始め、空唾を飲む。真摯な楯無の視線に何かを見透かされているような気がして、鼓動が速まっていく。

 口を開き、問いかけようとした。なんで、そんなに見てくるの? そう問いかけようと思った。けれど、彼女は有無を言わせないような気がした。感じ取れるものが威圧だったから、全ての言葉を切り捨てられると思った。

 

 ──怒ってるんだ。

 

 そう。そうだ。楯無は怒っている。

 何に? と、言われればそれはわからない。けれど彼女は怒っている。それだけは感覚で感じ取れる。表情こそ柔和だが、その胸に秘めているものは熱湯のように熱く思える。いつそれが溢れてしまわないか不安で仕方がない。

 怖くなって視線を下げてしまう。重吾は楯無から顔を逸らし、どこでもなにどこかを見つめた。

 

「……林檎持ってきたの。剥いてあげるから食べましょ」

 

 台に置かれたバケット。楯無がその中に詰め合わせられている林檎をひとつ取り、器用にそれを剥き始める。シャリシャリシャリ。一度も途切れさせずに剥き始める。そして時間をかけず、林檎は剥かれた。「はい、どうぞ」

 皿に盛られた林檎が、膝に置かれる。見下ろし、ひとつ摘んだ。口の中に放り込み、爽やかな味と甘みを味わった。

 

「……美味しい」

「よかった。たくさん食べてね?」

 

 指に付いた果汁を舐め取り、楯無が微笑む。

 それに頷き、次の林檎を口の中に放った。

 

「……」

「……」

 

 静かな時間の中、林檎を食す。

 オレンジ色の景色を眺めながら、瞳を据える。

 

「──……ねえ、聞いてもいい?」

 

 彼女の言葉に手が止まった。

 彼女の顔を見ると、どこか儚い──

 

「……うん」

 

 おかしいな。なんで怖いって思うんだろう。

 手に持つ林檎をひと齧り。

「ありがとう」楯無はそう静かに呟き、目を伏せた。

 

「どうして……一人で戦ったの?」

 

 まるで洞窟の湖に水滴が落ちたように、言葉が沈む。

 

「……守りたかったから」

「…………違う。そういうことじゃないの」

 

 楯無は頭を振った。

 彼女はこちらを一切見ない。

 

「貴方は勇敢だわ。物怖じもしない。前だって、私を助けに異国までやってきてくれた……けど──」

 

 ──けど?

 

「けど……それは死にに行くことと同じじゃない」

 

 チクリとした。胸がナイフで刺されたみたい。

 胸に触れ、鼓動を感じた。ドクドク。心臓は動いている。いたって健康であり活発だ。けれど、どこか痛い。内か外か──いや、両方か。

 

「僕は強い」

 

 紛らわすように林檎を頬張る。

 

「そうね、貴方は強いわ。とっても強い……」

 

 なんだよ。また「けど」か?

 

「でも心配なの」

「……気にしないで。頑張るから」

「こうゆうの……頑張るとかじゃないと思うな」

 

 どこか悲しみを帯びている声だった。普通の語りかけではない震えた声色だった。

 林檎をまた齧り、飲み込んだ。けれど彼女の言葉は飲み込まなかった。頑張るとかじゃない、その言葉が受け付けられなかったからだ。

 

「……ごめんなさい」

 

 形だけの返事をした。怒られるかな? 気付かれるかな? 内心で少しの後悔をしながら、ゆっくりと彼女に視線を移した。

 

「──助けてあげられなくて……ごめんね」

 

 すると彼女は、泣いていた──

 

「え……あ、あの……僕、別に……」

 

 どうしよう、なにも思い浮かばない。混乱する頭の中はグルグルと回り、余計なことばかりが浮かぶ。涙を流す彼女にかける言葉を選ぶことが出来ず、彼女の嗚咽ばかりが耳に触れる。

 ふわりと風が吹いた。カラカラとカーテンが鳴り、視界の端に白い布地がそよぐ。

 彼女は泣き止まない。

 彼女らしくない、と言ってはいけないのかもしれないが、こんなに泣き崩れるなんて彼女らしくない。いったい何が彼女をこんなに苦しませるのだろう。……いや、理由はわかる。彼女は怒っているのだ。破裂しそうな感情に胸の内を叩かれ、その痛みで泣いているのだ。──だから、らしくないのだ。

 

「な、泣き止んで? あやまりますから……」

 

 けれど楯無は頭を横に振る。否定する。

 困り、唇を噛んだ。彼女のこんな姿は見たくない。早く笑顔にしてあげたいのだ。けれど、それに行き着く解決策が全く浮かんでこない。どうすればいい。どうすれば──

 震える彼女の肩にソッと触れた。けれどそれを、まるで拒絶するかのように楯無に叩かれ、手に痛みが走った。

 しまった。そんな顔をして、すぐさま楯無が謝る。「ごめんなさい!」

 叩かれ手を摩り、呆然とした。彼女に拒絶された──それだけが頭の中を満たして、顔が熱くなった。

 

「ごめん! 痛かったよね? ごめんね、ごめんね……っ」

 

 ギュッと彼女に抱き締められる。けれど何故だかそれを鬱陶しいと感じる、まるで違う自分がいた。

 首回りにある楯無の両手を解いてベッドを降りた。食べかけの林檎を握り締めて、彼女の声も聞かずに部屋を出た。

 

 ────不思議な静けさが世界に広がっていた。

 

 目の前にある窓から広がる景色をぼうと見つめながら、少年は暗がりの廊下を歩き出した。

 

 ◆

 

 カラカラと音を立てるカーテンを見つめながら、更識楯無は一人で泣いていた。代わる音は何もなく、彼が食べ残した林檎のほのかな甘い香りが鼻を掠めている。

 

(ごめんなさい……私、本当に駄目な女──)

 

 重吾を叩いた自分が憎い。何も悪く無い彼を拒絶してしまった自分が悔しい。

 傍にある、林檎を剥く時に使った包丁が目に留まる。それに一瞬残酷な事を思い浮かべ、そして破棄した。

 風が顔に吹き付け、髪が揺れる。歯を噛み締めて立ち上がり、苛立ち混じりに窓を閉めた。静かな部屋に乱暴な音と、自身の荒んだ息遣いが浸透する。

 

「なにがしたかったのよ……うっ、うぅ……」

 

 また涙が込み上げ、顔を押さえた。

 自分は弱い人間だが、こんなにも酷かったか?

 楯無は溢れてくる感情を必死に押し殺し、嚙み殺す。それは彼女にとってはあり得ない姿であり、またその歳の少女ならばあり得ることであった。

 

 ────彼が好きだから。

 

 重吾が瀕死だ。そう、簪から聞いた時は頭が真っ白になった。彼まで消えるのかと、今のように涙が溢れそうになった。しかし部屋に行けば軽いもので、彼は心地良さそうに寝息を立てていた。

 よかった──。素直にそう思った。だが、それがいけなかったのかもしれない。その思いとは反発して新たな感情が生まれ、彼の一人狼の戦いに怒りを感じてしまったのだ。その結果として悪い結末を招いてしまったのは言うまでもないだろう。

 後悔はもう遅い。彼は出て行った。

 開いた部屋の扉を見つめ、気分が沈む。こんな筈ではなかったのにと胸が締め付けられる。

 追いかければまだ間に合うだろう。事情を説明すれば、きっと彼は許してくれるだろう。その自信が確信としてある。けれどどうだろう? 追いかけたいのに、それをしたくない自分がココにいる。彼に会うのが怖い──そう思う楯無がいる。

 

 ────本当に彼が好きなの?

 

 自問したその時に浮かんだのは彼の笑顔。確かに彼の笑顔だった。けれど「今」の井伊月重吾ではなく、「思い出」としての井伊月重吾だ。初めて出会い、そして胸のときめきを感じさせてくれた彼の顔だ。

 楯無は自身にもう一度問うた。本当に彼が好きなのかと。すると今度はすぐには答えは出ず、モヤモヤとした気持ちが代わりに生まれた。……いや、この不確かさこそが答えなのかもしれない。

 

「もう……わからないわ」

 

 弱い。

 それを今日ほど実感した日は、きっと無い。

 

 ◆

 

「一夏よ、もう大丈夫なのか?」

 

 そう箒に聞かれ、

 

「おう! 意外と平気だ」

 

 一夏は元気にそう答えた。

 

「はあ……入学早々こんな事件が起きるとは……嫌な始まり方だな、まったく……」

「だよな〜。不幸だというかなんというか……うん」

 

 敵の殲滅は終わったそうだった。怪我をした自分が治療室に運ばれ、目を覚ました時にいた教師から聞いた。天晴れだと思う。

 歩いている廊下には、ところどころ戦いの跡の面影があった。破損した壁や積み上げられた瓦礫が現実に突き刺さる。本当にあった事なんだと目がパッチリとする。

 今思えば本当に唐突だった。世界に名高いIS学園も所詮は学校で、突発的な事件には敵わないのだと知った。入学前に余計な期待をした分、少し残念でもある。それに千冬だっていると知っていたから尚更だ。

 

(そういえば千冬姉も怪我してたって聞いたけど……俺よりも重症だったくせになんであんなにピンピンしてるんだよ。我が姉ながらおかしいぜ)

 

 頭を包帯で巻き、腕をギプスで固定した千冬が巨大な瓦礫を持ち上げていたのを思い出し、ブルッと身震いした。あれは人ではなく人外だ。きっと熊に育てられたに違いない。

 なんて、頭の中で妄想を膨らませつつ、一夏は新たな事を思い出した。それは戦いの中、道中に見つけた千冬によく似る少女の事である。

 成り行きであの子とははぐれてしまったが、無事かどうかを考えると気が気でならない。手を離してしまったのが自分だから余計に気になる。やはり別れたのは間違いだったか……。怒りに身を任せなければ良かった。自分が不甲斐ない。

 

「どうした? 一夏」

 

 箒が心配そうな顔でこちらを見ていた。

「なんでもないよ」だから微笑み、笑いかける。

 

「ならいいが……」

 

 不安げな顔をする箒。いつだって心配してくれるのは、隣にいてくれるこいつだよな。

 あの子のことは、あとで先生にでも聞くか──。

 一夏は頬を叩き、笑った。まずは目の前にいる箒を安心させなくちゃいけないから、しみったれた顔をずっとしている訳にはいかないのだ。

 

「よし、じゃあみんなのとこに行こうぜ、箒──ん?」

 

 と。その時、遠くに重吾の姿が見えた。

 箒もそれに気づいたようで、手を上げ名前を呼んだ。

 

「おーい、重吾ー!」

 

 よく通る箒の声が廊下に響く。けれど重吾には届かなかったのか、こちらに振り向くことはなかった。どこかボーッとした雰囲気で静かに歩いている。

 

「どうしたんだよ……あいつ……」

 

 上の空のような重吾の姿に何か不安を覚える。いつだって元気な彼の姿が、今は消沈し切っている故に、胸の辺りがざわついた。悪い事でも起きなければいいのだが……。

 同じく不安そうか箒をチラリと見つめ、口を結んだ。そうしてまた新たな心残りが、一夏の中に生まれたのだった。

 

 ◆

 

 何をしたいのかわからない。もう、帰って寝よう──

 

「おーい、そこの男子」

 

 ──……誰?

 

 夢のような感覚の中でゆっくりと振り返る。するとそこには見覚えのある栗色の髪をした少女が立っており、背反するような元気な笑みを浮かべていた。

 ああ……君か──。体を向け、無理矢理笑った。けれどどうしても顔が引き攣ってしまい、上手く感情を表現できなかった。それを彼女に見破られたのか、どこか不満げな顔をしてこちらに歩み寄ってきた。

 

「ねえ、よかったらご飯食べない?」

「……あ、もうそんな時間なんだ」

 

 ボーッとしていたから気が付かなかった。窓の外は暗がりを持ち始め、薄っすらと星が現れ始めている。

 

「はい決定。もう断りなんか効かないからね。そんな辛気臭い顔、腹立つったらありゃしないわ」

 

 背を向けて歩き出した彼女は、何故だかとても大きな背中をしているように見えた。身長は自分より背は低いのに、この感じ方は何なのだろう……。

 まだ夢のような気分が抜け切っていない意識の中で、少女の背中を追って歩き出した。今さらながらお腹が空いていたことにも気が付き、腹に手を当てて溜息を吐く。

 少しだけハッキリとしてきた思考の中は、黒い何かで満たされていた──。

 

 

 

 

 

 食堂は思いの外、活気と騒がしさで溢れていた。

 あんな大事態があった後だというのに、意外にも同年代の少女達は元気である。けれど中にはやはり疲れ切った顔をした者もおり、戦いで起きた恐怖の名残が残留していた。

 

「何してんのよ。早くしないと席取られちゃうわよ?」

 

 目の前の彼女も元気である。というか元気過ぎる。

 

「あ、待ってよ……」

 

 先々進む彼女を追いかけ、その後ろについた。すると「もう」と彼女に悪態をつかれてしまう。

 げんなりとし、何度目かの溜息をついた。騒がしい少女達の喋り声に耳を傾けて、沈んだ心を少しでも紛らわせようとする。……いや、今回ばっかりは駄目みたい。

 どんどんと黒ずむ心が重たい。正直食欲が湧かない。目の前の彼女には悪いが、このまま帰って眠りたい。

 

「ねえ、ラーメンでいいわよね?」

 

 けれどここまで来て帰れば、きっと彼女は悲しむ。というか怒られそうな気がする。女の子というのは怒ると怖いのだ。……そう、楯無だってそうだった。とても怖かった……。

 と。そんな時、お腹の辺りを押された。

 

「またその顔してる」

 

 見ると、少女が目を据えてこちらを睨んでいた。

「ご、ごめん……」反射的に謝る。するとそれが快くなかったのか、少女はさらに眼光を強くした。

 列が進み、ようやく順番が回ってくる。

 少女からの眼光は避けられたが、この後は必然的に向かい合って食べることになるだろう。胃がキリキリと痛む。ああ、本当に帰りたい。絶対にこの後、彼女に怒られるよ。

 重い体を引きずるように動かし、夕食を受け取って、先に行った少女の後を追った。足は鉛のように重たかった。

 

 

 

 

 

 向かい合い、早速始まった食事会。しかし蓋を開けてみれば楽しく愉快なものでは無く、それは拷問と称しても似合ってしまいそうな空間だった。

 

「早く食べなさいよ。麺が伸びちゃうじゃない」

 

 栗色の髪の少女は慣れた様子でラーメンの麺を啜る。

 それを見つめ、促されるままにラーメンに手を付けた。口元まで持っていき、勢いよく面を啜った。

 

「……美味しい」

 

 今更ながら、このラーメンが今日初めて口にした食事であることを自覚する。だからこんなにも味わいが深いのだ。

 その後は貪るように麺を啜った。

 少女はそんな重吾の姿を、どこか嬉しそうに眺めていた。

 気付けば麺は無くなり、残すのはスープだけ。しかしそれも空腹の前では直ぐに無くなり、椀の中には蓮華と箸だけが残されていた。

 

「ふぅ……」

 

 舌鼓を打つことも無く、ただ空腹を満たすだけの行為。けれどそこには確かな幸福感があって、自然と表情が緩んでしまう。

 

「どう? 少しはマシになったでしょ?」

 

 重吾は頷いた。自らの心に幸福感が存在したからだ。

 満足した少女は破顔した。

 そこには怒りも苛立ちも無く、あるのは爽やかさと心地良さの両方。まるで初めから何事も無かったと思わせる晴天の笑みを見せてくれる。

 思わず見とれたのだ。重吾は惚けた。

 

「……なんかゴメンね。私、きっと嫌な顔してたでしょ?」

「そんなこと……」

 

 そんなことないよ。喉元まで出かけていた言葉は、まるで誰かに押し込まれたかのように奥へ下がってゆく。生唾を飲むようにしてそれを流し込んだ。

 

「そんなことないよ!」

 

 ならば嘘でもいい。彼女を悲しませたくない。

 重吾ははにかんだ。満ちるものは罪悪である。心の中に良かったなどの気持ちは存在しない。真っ直ぐに彼女を見つめる。それだけが唯一出来ることであった。

 

「そっか……」

 

 少女は俯いた。

 ふわり、と。嫌な風を感じた。

 

「……アンタのこと……全然知らないけどさ。……もしかしたら余計なお世話って思うかもだけどさ…………凄く心配した……アンタが倒れたって聞いて……とっても」

 

 張り付いた喉で息を飲み込む。

 ああ……──悲しませているんだな────。

 

「私は代表候補生……他の奴らより力がある。──……けどさ……なんていうか、そのさ……はは……なんだろ? すっごく悔しいのよね……。私、何もできなかった……」

「でも……僕を助けてくれたじゃないか。あの時、君があの斧みたいなのを投げてくれたんでしょ? あれがなかったら僕だって無事だったか分からない……何もできなかったなんてことは絶対に無いさ」

 

 少し目を丸くする少女。どこか気恥ずかしそうに俯く。

 

「なんかさ……アンタって、他の奴とは何か違うわよね」

「んん? 僕は僕だよ?」

 

 何が言いたいのだろう。僕は僕──君も君だ。

 少女は可笑しそうに笑った。

 それに重吾も笑う。やっぱり彼女の笑顔は素敵だ。

 

「そう……そうよね。アンタはアンタよね」

 

 目尻に溜まった涙を拭い、少女は頷く。

 

「えへへ……」

 

 納得してもらえたか。そう、重吾も頷いた。

 そして、どこか暖かく、どこか不思議な二人のお茶会が、日の落ちた食堂で始まったのだった。




続く
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