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とぷりと年月は流れ──
朝の目覚めは重吾の泣き声で始まる。
私を呼び求める声。いつしかそれが、母の愛を求める行為だと解った。不思議とさ、わかっちゃうんだよね。
決まった時間に呼ばれて起きて、ベッドに近寄る。そして言うのだ「おはよう」と。
「よーし、よしよし」
笑顔を作ったほうがいいのだろうか?
腕に抱く重吾を見つめながら、口を曲げる。科学とは違った命の息吹と温かさ。まるで私の領分とは違うけれど、試してしまったが最後、やり通す。けれど幾ら手を加えても変化の無い赤子だと、実感が無くて面白味が無い。
だったらやめるか? と、問われれば首を振る。まだ始まったばかりの研究を無駄にしてたまるものか。……いや、違う。「勿体無い」のだ。
「お前はよく食べるね」
授乳という行為をとにかく繰り返した。初めは胸から出る栄養を与えていたのだが、どうやら粉ミルクというものがあったらしく、今はそちらを上げている。きっとこの子も、こっちの方が良いと思っている。
この子はとにかく何も出来ない。全てが人の手を借りる。あまりにも未完成、そして不完全で産まれてくることに一体何の意味があるのかと疑問だ。ようやく這えるようになっても、人の目で見ておかなければならないのだ。か弱い故に。
「……喋った?」
さらに数ヶ月。重吾が「声」を上げた。
発声と称した方が正しいかもしれない。なにしろそれは言葉では無かった。あまりにも整いの無い、まるで空気の流れのような歪な可愛らしい鳴き声。
けれどおかしなことに、不思議な達成感が胸の中に湧いた。それに温かい。今までの人生の中でまだ一度も感じたことのない初めての感覚である。
抱き上げると、また声を上げた。今度は判った。楽しいと、この子は感じているのだ。ニコニコと笑い、キャッキャと私の顔を見つめている。気が付けば、私の口元の両端は楽しそうに吊り上がっていた。
「ほら、おいで! 上手だよ、重吾!」
さらに月日を重ねて、重吾は歩き出した。初めての体験だ。しかしそれは私も一緒だった。愛しいと、重吾に対して明確に感じ始めていたのだ。いつの間にか、いつの間にか。
誰よりも、どんなことよりも──気が付けば研究の事など頭の中から消えていた。毎日付けていたレポートも破り捨てた。今となってはこの子を研究対象と見ていたことが、私にとっての最大の「誤ち」だったのだと理解している。
腹を痛めて産み、求められれば応える。母とはこんな風なのだろうか? 私は上手く成れているのか? 時にふと考えてしまうことがある。けれどそれには答えが無くて、私はいつも自問自答するのだ。
「いつか、二人で一緒に……」
家に、帰りたいね──。
母は……妹は、今の私を見てどう思うだろうか?勝手な娘? 悪魔の姉? それとも家族? ……いや、考えたくない。考えたくないけれど、もしまだ家族だと思ってくれているなら、私はいつかこの子を連れて帰りたい。そして言うのだ。ただいま、と。
ああ、きっとこの子は毒だ。悪ではない、清い毒なのだ。だってそうだろう? あの私が、あの私がこんなにも笑顔でいる。笑えている。心の底から幸せなのだと、意識せずとも常に感じている。
ああ、毒だ。きっとこの子は毒だ。私を狂わす、私を私で無くす、
「どうか君が、幸せな世界を過ごせますように」
──かけがえのない、私の毒だ。
続く