人が少なくなった食堂。
薄っすらとオレンジのカーテンが張られた空間の中で、一人の少年と一人の少女が会話を弾ませていた。
「私の名前は凰鈴音。鈴でいいわ」
「僕は井伊月重吾。重吾でいいよ」
緩やかな時の流れ。
暖かなお茶を飲み、ほうと安堵の息を吐く。
「なんかさあ……あんたって本当、不思議だわ」
さっき購買で買ってきたスナック菓子を、肘をついて食べる鈴。口に入れた菓子からパリパリと小気味の良い音が聞こえてくる。
同様に購買から買ったチョコをヒョイっと口に投げた。「甘い」
「不思議って?」
「もっとこう──傲慢みたいに思ってたからさ。ほら? だって代表候補生って、選ばれた人間しかなれないじゃない。だからどんな奴だって、ちょっとした優越感みたいなのが産まれるでしょ?」
彼女は何が言いたいのだろう? と。チョコを食べながら考えた。
「そんな難しく考えないでよ〜」
うへ〜と大きく後ろに仰け反り、鈴はダランとなる。あまり女性らしくない仕草だが、彼女と身の内を明かし合っているように感じて気にはならなかった。少しづつ親しくなれている実感が湧いた。
カタン、と椅子が鳴り、鈴が慌てる。「あわっ!?」
それに思わず苦笑し、背もたれに体重を預け過ぎた少女の手を軽く引いた。
「別に自分が特別だなんて感じたことないよ、鈴」
今度は机に顎をつけた鈴を見下ろす。
「ふーん。私は別に威張ってもいいと思うけどなー。……あ、そのチョコ私も食べたーい」
「えー、さっきも食べたじゃんかあ〜」
「知らな〜い。鈴さんは腹ペコでーす」
「んむむ。仕方ないんだから。……はい」
袋の中の小粒のチョコを投げると、それを器用に口でキャッチする凰鈴音。その姿はまるで犬のそれである。
「むふふふ。甘い、甘い。これからもよろしくゾ」
「食い意地張ってんだから……」
「あんまり女子にそんなこと言うもんじゃないわよー」
だったらもう少しお淑やかにしてほしいよ──青髪の女性を思い浮かべ、すぐにそのイメージを沈めた。何だか鈴に対して失礼だと思ったのだ。
鈴は、壁が無い人だった。この場合、フレンドリーと言えばいいのだろう。けれどそうではなく、なんというか、女性らしく無いが女性らしいのだ。……そう。包み込んでくれるような深みを感じる。
見てくれだけを受け取れば、彼女は大雑把な人間なんだと大体の人は仮定するだろう。しかし本質はきっと真逆の──どーしようもなくお節介焼きなお姉さんタイプなのだ。まだ人生経験が皆無な自分が勝手に推測を立てても偉そうかもしれないが、きっとこの見方は間違っていない気がする。きっと。
「あ、ポテチ無くなっちゃった」
「はやーい……」
「ラーメン一杯でお腹一杯になるもんか。もう一袋買ってこよーっと!」
スタッ、と軽い動作で立ち上がった鈴は、そのまま購買の方へと駆けて行った。
手を振って見送った重吾は、元気過ぎる鈴の姿に思わず頬が緩み、それを味わうようにしてチョコを口に投げた。その時だった。
何か、ゾワリと嫌な気配を感じたのだ。酷く濃い、まるで泥のような深い何か。
辺りを見渡した重吾は、すぐさまその違和感に気が付いた。我が眼に捉えた。
「あ、あれ? 簪……何やってるの?」
食堂の天井を支える柱に隠れ、こちらに顔を覗かせる簪。
いつからそこにいたのか、姉とよく似た青い髪を持つ親友が、不穏な気配を漂わせてこちらを凝視していた。
「重吾……」
ゾワリ──。
感覚の正体は簪の視線だった。
「んむ……むぅ……」
何か嫌な予感がする。あの目の据わり方は「怒りMAX」の感じだ。簪なんて遠慮が無い子だから、何をされるか分かったもんじゃない。というか想像したくない!
先日の夜の、鈍器を握り締めた親友の姿を思い出し、人知れず恐怖する。無意識に唾を飲み込み、口中が乾く。
柱から全身を現し、簪が近付いてくる。
まるで鬼のような形相で、目の前に立ってくる。再び息を飲み、嚥下した音を聞いた。
スッと簪の目が細く研ぎ澄まされ、我が身の心臓がキュウと締めつけられた。
「なんで、部屋に居なかったの……!」
簪にしては珍しい声色だ。強く押し込むような怒りの声である。
ビクッと肩が震えた重吾は、視線を彷徨わせ、言葉を不揃いに並べた。「あ、えと、その……」
息を吸い込んだ簪が、服を掴んでくる。小さな手を握り締めて怒りをあらわにする。
思わずそれに呻いてしまい、後ろに仰け反った。静かな食堂の中にカタンと椅子の音が響く。
「ご、ごめん……簪、ごめんよ」
無心──心地が悪くなり、謝った。
「……っ!」
が、簪の目が見開かれたのを見て、それが選択ミスだったことを理解する。
「ごめんじゃない……! 違う……っ!!」
服を握るその手は震えている。
少女は肩を震わせて、慣れない怒りにポロポロと大粒の涙を流し、悔しそうに歯を噛み締めている。
「心配っ……したの!!」
亀裂したような悲観の絶叫。
重吾の鼓膜を震わせたのは、たった一人の少女の、健気な優しさの鳴き声だった。
「…………簪……ごめんね」
おかしな感覚が喉元から込み上げた。不自然な熱が鼻の上をくすぐった。
震える彼女の手に自らの手を重ね、頭を下げる。「ごめんね」と何度も何度も繰り返し謝る。
「バカ。重吾のバカ……っ」簪も繰り返し呟いていた。その言葉の中に僅かな怒りと安堵の感情を混ぜて、親友である重吾の安全に微笑んでいた。
心配させていたんだ……──自分の馬鹿さ加減に皺を寄せた重吾は、熱を持った簪の手を握り締めた。強く、強く。
少女はそれに応えるように、少年の手を握り返した。
「簪、本当にごめ──ごふっ!?」
その時、目の前がひっくり返った。
何事だ。重吾は目を回した。
がらん、ごろん──ひゅー、ガッシャン。
食堂の床を回り、椅子を巻き込んで吹き飛ぶ。
脚を上に、頭を下に。なんとも情けない姿で目を見開いた重吾の視界に、メラメラと怒りに燃える鈴の姿が映る。怒髪天である。怒髪天。
「あ、おかえり、鈴」
「おかえり、じゃないでしょうが! なにあんた女の子泣かせてんのよ!」
「ひ、ひぃいいい……!!」
なんという怖さ。修羅とはこのことか……っ。
「え……いや、私は別に……──」
「大丈夫よ。この重吾の馬鹿は私が矯正してあげるから。そうね……少し強めのお灸を据えてあげましょうか」
どこか恍惚とした鋭い笑みを浮かべる鈴。
「あばばばばばっ!」
その鈴の気迫といったら、鉄をも貫通できそうな尖り具合である。
「──こらこら、鈴さん。あまり声を荒立てるのは女性としてどうかと思いますわよ?」
その時、別の声が違う方から差し込まれる。
なんだ? と思ってそちらを見ると、そこには燐光を蓄えたような輝きを放つ金色の髪をカールし、上品な所作をもってこちらに歩んでくる一人の少女がいた。
「どうもこんばんは、井伊月重吾さん。貴方のこと、鈴さんからほんの少しだけ聞かせてもらいましたわ」
少女──というよりも女性。
穏やかでありつつもどこか自信に満ち溢れた彼女は、微笑みながらこちらに手を差し出した。
少しだけ戸惑ってから、その手を掴む。冷んやりとした感触が伝わってくる。
グイと彼女が引き寄せてきた。
その力を借りて立ち上がり、少し恥ずかしくなって俯く。背についたホコリを払いながら、赤くなった顔を隠した。
「あ、ありがとう……」
「いえ、構いませんことよ」
ニコリと彼女が笑む。
綺麗なその微笑み方にドキリとする。
「……えっち」
「ふぇっ!?」
ぼそりととんでもないことを呟いた簪に、思わず変な声が無意識に飛び出す。「何をいうのさ!?」どこか機嫌の悪そうな彼女に詰め寄った。
「私……さっきまで泣いてたのに……もう違う女の子のところに行くんだね……。私の方が仲良くなったの先なのに。私の方がクラスメイトなのに……私と一緒に〈打鉄 弐式〉も整備した仲なのに……バカ」
結論。彼女は拗ねていた。
「──あれ? おーい! 重吾ー!」
また違う声。しかし聞き憶えはある。
「一夏くん! 箒ちゃんも!」
「なんだよ、結構アッサリしてんじゃん」
「大事ないか? 重吾」
入り口から足並み揃えてやってきたのは一夏と箒だった。
「──む。ようやく見つけたぞ重吾よ。医務室に居ないとは何事か。心配したではないか。……うむ?」
次いで別口の方から、ラウラと、そして初めてお目にかかる金髪の少女が歩いてきた。
「……わお」
自然と出た感嘆の呟き。
今ここに、"国家代表の卵"が集結した。
続く