君と僕の物語   作:名無しの執筆者

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前編


第五話 「お前は篠ノ之じゃない」 前編

 ーー見覚えのある背中ーー

 

 朝の日差しに目を開けて、織斑一夏は目覚めた。

 微睡みの中に意識がまだいたが、鼻腔をくすぐった味噌の香りに食欲が暴れる。ああ、箒の味噌汁だ。一夏はボサボサの髪を撫でながら、緩慢な動きで布団から出た。

 

「おはよう、一夏」

「あら、一夏くん。おはようございます」

 

 部屋がある二階から下に降りると、幼馴染である箒とその母親である栞おばさんが迎えてくれる。

 一夏は軽く会釈してから、朝食が並べられた机の席についた。「おはよう、箒。おはようございます、おばさん」

 

「なんだか疲れてるんじゃない?」

 

 味噌汁を運んできた栞おばさんが、笑いながら言ってくる。

 

「あはは、ちょっとだけ……」

 

 実は昨日、ずっと外で走り込みをしていたのだ。

 栞おばさんからは、遅い時間に出歩くなと言われているので、本当のことは隠さなくてはいけない。居候させてもらっている身なので、破ったことがバレたら晩飯抜きだ。

 一夏はなるべく平静を保ったまま、味噌汁をすすった。

 

「一夏くん、昨日遅くまで走っていたでしょう?」

 

 思わずむせた。味噌汁が口元から溢れる。

 一夏は栞おばさんを見上げ、そして謝罪した。

 

「すみませんでしたっ」

 

 渾身の謝罪。

 その姿、なんと情けないこと。

 栞おばさんは怒ると怖いのだ。昔、一度だけ怒られたことがあるのだが、未だその時のことが忘れられないほどである。

 

 栞おばさんの顔はニコニコとしているが、それは仮面だ。一度あれを取ってしまえば、地獄を見ることになる。

 

 だから一夏は真摯に謝るのだ。

 情けない? そんなこと知らない。おばさんだけ絶対は怒らせたら駄目なんだ。絶対に。そう、絶対にだ。

 恥もプライドも関係ない。

 人生で二度目の本気の謝罪だ。

 机に額を擦り付け、一夏はドキドキと栞おばさんの言葉を待った。

 

「……もう。貴方を任せられているこっちの身にもなりなさい。いなくなった一夏くんに、どれだけ心配したと思っているんですか」

 

 返す言葉もない。

 一夏は下げていた頭を上げ、栞おばさんと目を合わせる。とても真剣な瞳だ。あまりにも真っ直ぐこちらを見てくるから、本当に駄目なことをしたのだと思い知らされる。

 隣に箒がつき、朝食の準備が整った。

 けれど、一夏に対しての説教は続いている。

 一夏は栞おばさんの顔を見つめながら、今一度頭を下げた。

 

「ごめんなさい、おばさん」

 

 箒は瞼を閉じている。しん、と静まり返った空間を苦とも感じない様子で、説教が終わるのを待っている。

 そんな箒を見て、おばさんーーー篠ノ之栞は口を開いた。その両眼は悲しそうに、少しだけ濁っている気がした。

 

「……貴方は、少し気負い過ぎる子です。昔から貴方を見ていた私にとって……それは不安で仕方がありません」

 

 その言葉に、嫌な気分になった。

 

「箒と一緒に居てくれるのは、それは嬉しいわ。けれど貴方は自分の為に箒といるんじゃないでしょう? 貴方はこの子の為に必死になっていて……貴方は……」

 

 おばさん。何も言わないでよ。自分の駄目なことぐらい、自分でわかってる。

 

「知っているでしょうが、私は出来ない母親です。娘の一人も守れなかった女です。そんな私が言うことは、きっと聞き入れるに値しない言葉でしょう」

 

 それは違う!ーーーと否定したかった。でも何故だが、それが出来なかった。

 

 だってこの人はーーー

 

「……けれど、私は貴方を任されました。一個人としての、保護者の務めは果たすつもりです。それを……どうか分かりなさい」

 

 悪い感情が芽生えかけていたその時、顔を上げるとーーー栞おばさんが泣いていた。いつもの真面目な眼差しと態度で嗚咽を堪えていた。一夏はそれに何を言えばいいのか、途端に分からなくなった。

 ただ申し訳ないーーーその思いに思考が支配されていた。

 

 俺は……どうしたいんだろ?

 

 ギュッと拳を握り、俯く。

 涙を拭う栞おばさんを直視出来なくなって、何も言えぬ自分の不甲斐なさに体が熱くなる。

 

「一夏くん。貴方は貴方よ。貴方のしたいことを、貴方の為にやりなさい」

 

 そう言って立ち上がった栞おばさんは、まるで箒に似ていた。

 ああ、箒もよく泣いていたっけな……。

 はは、と渇いた笑いがーーー思わず溢れた。

 

「ごめん」

 

 机から離れて箒に言い、俺も部屋を出ていく。箒には珍しく、何も言ってこなかったのが逆に虚しく、自分の不甲斐なさを際立たせた。

 

「俺……違うのかなぁ……」

 

 誰もいない廊下でポツリと呟いた言葉が、我が身に不思議なほど染みてきた。

 廊下の床の冷たさが、体の芯を冷やしていく。

 一夏は朦朧としてきた自分の信念に頭を抱えながら、自室の中へと戻っていった。

 




続く
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