第四十四話 「新たな朝」1
朝が来て、日が昇り、また新たな一日が始まった。
カーテンの隙間から覗く朝日に網膜を刺激され、無理矢理に起こされる。どこかうつらうつらとする頭に手を押さえた楯無は、女としては避けられぬ周期の心地の悪さに眉を寄せた。
──いや、それだけじゃない。
布団を剥いだ楯無は、まず一番に顔を洗った。
冷たい水を浴びせた顔を鏡に映して、ほうと息を吐く。
楯無が思い出したのは昨日の出来事であった。
昨晩の夜に聞いてしまった、束の言葉だった。
タオルで顔を拭き、疲れ果てたようにベッドに座り込んだ。痛む下半部を摩る。今日は休みなので授業は無い。楯無はチクリとした痛みに一瞬顔を歪め、布団を再び体に包ませた。
「……怖いな」
洗脳──確かに篠ノ之束はそう言った。
一瞬の迷いも、間違いも無く、ハッキリとだ。
怖いと思うのだ。彼女のことを暖かい人だと思っていたから余計に。
篠ノ之束は怪奇な人──それが世界の認知だ。
世界をひっくり返した事を、世界の人々はまだ忘れていない。もちろんそれは自分も。あの日の事は覚えている。
けれど、だからといって──。
楯無は昨日の夕方、束と過ごした僅かな時間を思い出した。ぎこちなくとも暖かかった、まるで母と過ごしていたような夢の一時を思い出した。
だから信じたくない。あの人は良い人だ。確かな優しさを感じたのだ。それを嘘であると認めたくない。暖かさを与えてくれた篠ノ之束という人間は、他の誰とも変わらない人なんだと──
「……私は……信じたい」
自分以外に誰も居ない部屋に、その言葉は染み渡る。
睡魔にも似た感覚が襲ってきたその時、静寂だった部屋の中に扉を叩く音が響いた。
反射的に顔を上げた楯無は、今まで考えていた嫌な事を一旦置き去りにして、朝早くの来訪者の元に向かった。
「……あら? 簪ちゃん」
扉を開けると、それは簪だった。
どこか気まずそうな顔をしている。
少し怪しんだ楯無だったが、せっかく妹が来てくれたということで、笑顔で部屋に招き入れた。
「急にごめんね、お姉ちゃん」
椅子に座った妹がまず発したのは、およびのつかない謝罪だった。楯無には何かをされた記憶が無かった。
「あら、何かされちゃったかしら?」
可笑しく感じて苦笑してしまう。
簪は視線を彷徨わせて、足をソワソワとさせた。
どうしたのかしら? 疑問がさらに強まった楯無は、簪と対面するように椅子に座り、向かい合った。簪は目を合わせてくれない。落ち着きがないのだ。
唇を尖らせた楯無は、少し考え、そして紅茶でも淹れてあげようと考える。
もしかすると寒いのかもしれない。自分も寝起きの際に嫌な寒気を感じた。
「簪ちゃーん。お姉ちゃん、別に何も怒ってないわよー? だから素敵な笑顔……見せて欲しいなぁ〜」
キッチンでささっと紅茶を淹れ、簪の前にそれを置く。湯気を見つめた簪が、それをゆっくりと取る。
再び妹と対面した楯無は、観察するように目を細めた。少し熱そうにして紅茶を飲む妹の表情をジックリと見つめた。
あまり……良い話ではないのかもしれない。
一息ついた楯無の感想はそれだった。
妹の簪は元より自分を出さない癖がある。しかしそれはあまり酷いというものではなく、優しさと自信の無さの所為もある。しかし今回のこれはそのどちらでも無く、言いたいが言えない、これを言ったら怒られるかもしれない──なんていう、まるで門限を過ぎてしまった子どものような、どこか可愛いらしいと思ってしまう落ち着きのなさだ。だから楯無はさっきからニヨニヨが止まらない。……うむ、だから撤回しよう。良い話ではないのかもしれないが、なんか面白そうだからバッチコイであると‼︎
「ねえ〜? お姉ちゃんに教えて。ね?」
と、その時、女性特有の痛みが腹部に生じ、痛みの声が漏れてしまう。
簪はそれに反応して、すぐに「大丈夫⁉︎」と立ち上がった。そしてそのすぐ後に、
「大丈夫ですか⁉︎ 会長さん‼︎」
井伊月重吾が扉をぶち破って飛び込んできた。
「……」
「……」
「……あれ?」
そして再び……静寂が訪れた。
続く