君と僕の物語   作:名無しの執筆者

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なほや


第四十五話 「イーリス・コーリング」1

 冷んやりとした床には慣れた。

 水に濡れた肢体が触れると、酷く凍えるが──

 

 少女は空を見上げていた。

 まるで独房のような囲いの部屋。

 静かな世界と無機質な壁。

 唯一の灯りは虚空から差す──月明かり。

 あまりにも優し過ぎて、つい私は笑ってしまう。ああ、ここが私の世界なのだ。と、皮肉りながら口を歪ませるのだ。

 

 ──『月明かりは外の世界のものだった。』

 

 いつだったか、一人の女が言っていた。

「君の知る世界は狭い。言ってしまえばスタートですらない。ラインは遠い、行き先は遥か彼方だ。だとしたら君は、ここに居るべき人間じゃないんだろう。」

 可笑しな話し──けれど私は魅了された──外の世界という夢に憧れた──ああ、くそ──それはなんて素晴らしいものなのだろう。

 

 少女の肌は水に濡れていた。

 乾き切った空気にそれがなぞられた。

 雫だった水の粒が干上がっていく。経た時間は遡るように水滴を掬い上げ、そして少女を起こす。

 

 コンコン──扉の音。

 

 隅に置くスーツを引っつかんだ少女。

 角度を変えた月光が照らした少女の顔は、

 

「時間よ、エム」

「……ああ」

 

 織斑千冬によく似ていた──

 

 ──────────────────────────

 

 

 

 /1

 

 通信が隔絶された島。

 樹々の繁栄が色濃い孤島。

 その中心に存在し、そして傷を癒す基地が、其処にはあった。名を「地図にない基地」。矛盾と面白みを含んだ呼称を与えられて確かに存在する軍事基地である。

 

「──で、これがその資料だと……」

 

 言い、手元の資料を叩いたのはイーリス・コーリング。この名も無き基地の隊員であり、軍人である女性だった。

 

「はい」

「……そか。わかった、下がっていいぞ」

 

 国家代表でもある彼女は隊長の真似事もする。

 部下である軍人を部屋から退出させたイーリスは、もう一度手元の資料に視線を移した。

 彼女は眉間に皺を寄せていた。

 先ほど、日本の政府から送られてきた秘匿資料の内容があまりにも薄過ぎたからだ。つまりは空っぽなのである。

 

(隠すことでもないのによ……)

 

 ──『学園を襲った無人機について』。

 手元の資料に記される内容はそれだ。先日、日本の学園を襲撃した敵の情報が詰められている。しかし詰められている、というよりも必要最低限の事だけ、紙の上に綴られているだけだが──

 吐息を吐いたイーリスは、椅子に深く腰掛けた。

 今、この世界は酷く歪な状態だ。

 喧嘩しあっていた国同士が和平を結んでいたりもする。おっかない敵が来た時は、お互いに協力しましょう、と。

 

 ああ、そうだ。歪なのだ。しかし逆に言い換えれば、平和へと向かってきているとも言える。

 

 篠ノ之束の次に世界をひっくり返した悪魔、白兎と黒兎。あのテロリスト達の暴走は結果的に世界の道筋を変えた。皮肉にも悪行による修正が成されたのだ。

 ……まあ、世にはまだそれを認めない者もいる。というよりもそんな人々が大半だ。

 世界を狭く生きる人間が大半のこの世の中は、大きな括りの世界では無く、「個人の世界」の事しか知らないし考えない。だから巨大な考え方であのテロリストを見ることはせず、ただテレビの中で流れる「悪党」としか見ない。

 だからといって、それが間違いという訳ではない。イーリス自身も恨んではいるし、憎んでもいる。アメリカという母国を燃やした兎達を許してはいない。それに許すつもりも無い。ただ見方を変えれば"そういう風に見える"というだけで、根本的には他の者達と同じ考えだ。

 

 が、たまにふと思ってしまうことがある。

 もしかするとあの兎達は、正義を成す為に悪逆に染まったのではないか?──と。

 

「……はっ……馬鹿みてえ」

 

 ありえないな──一蹴し、自虐した。

 そして視線を移したイーリスは、銀色に輝く自らの右手を見つめ、改めてその考えが間違いであることを認識した。

 

「後が良くたって、結果が良かったってよぉ……その最中で人を不幸にしてんだ……正しい訳ねえんだよ……」

 

 吐き捨てるように、歯を噛み締めたイーリス。

 彼女は苛立ちを表すように髪を掻き上げ、そして、

 

「なあ? ──イーリス・コーリング」

 

 鏡に映る自分──片目を失った自分──災厄のテロリストにより体を奪われた己に向かって、言い聞かせるように呟いた。

 

『イーリ、入ってもいいかしら?』

 

 と。その時、不意に部屋の扉が叩かれる。

 聞こえてきた声から誰かを察知したイーリスは、間を空けることも無く、来客者を通した。「どーぞ」

 

「体の調子はいかがほど?」

 

 重い扉を開けて入ってきたのは、部屋の無骨さに似合わない可憐さと美しさを持った女性──ナターシャ・ファイルス。

 イーリスと同じく、名も無き基地の隊員であり、彼女の無二の親友であるナターシャは、そう言って親友の体を心配しながら部屋に足を踏み入れた。

 

「全然。……別に対したことねーぜ」

 

 言い、イーリスは義手の右手を上げ、ガシガシと何度か手を握り締めた。その姿にホッとしたのか、ナターシャは静かに微笑んだ。

 

「ごめんなさいね。あまり仕事を手伝ってあげられなくて」

「別にいいさ。ナタルには他の面倒事をやってもらってんだから文句なんてねーよ。この前の会議だってご苦労様だぜ」

 

 確か、政府の代表の会議だったかな?

 ふと思い出し、イーリスは鼻で笑った。上辺だけの人間が集まったところで、何も出来るわけが無いと思ったからだ。

 

「まあ案外に楽なもんだぜ? 頭を使う作業は殆ど他の隊員がやってくれるしよー。私はただ責任者の印を押してるだけだ」

 

 ふんっ、と胸を張る。

 

「無い胸張ってまた〜」

「うっせえ」

 

 手をわきわきと動かす親友の手を叩き、天井を仰ぐ。ナターシャが来たことにより、今まで張っていた気が緩んでしまっていた。何もしたくない。

 暫しボーッとしていると、目の前にコーヒーが注がれたカップが置かれた。

 視線を上げると、ナターシャと目が合う。その顔には微笑みがあった

 カップの中に視線を落としたナターシャは、それを取り、口に付けてゆっくりと傾けた。

 

「……」

 

 コーヒーの味はほのかに甘く、ミルクが多く入れられていた。独特である。しかしこの淹れ方は知っていた。だって私が好きな味だもの。好み通りの味を淹れられる人なんて、それこそナタルしかいない──

 チラリとナターシャを見ると、彼女は何も知らないというような顔で自分のコーヒーを飲んでいた。

 そんな親友の姿に少しだけ嬉しくなったイーリスは、あえてお礼を言わずにコーヒーの味を楽しんだ。兎との戦いで負った傷の所為で味覚が少し変わっていたが、そのコーヒーはいつも通りの安心する味だった。

 

「平和だねぇ……」

 

 ポツリと呟いた言葉だったが、実感は出来ると思う。

 窓の外は晴天で、太陽の光が輝いている。草木は喜び、獣たちは世界を満喫している。基地にいる自分を含めた軍人達も、再び訪れた静寂の世界に胸を撫で下ろしている。

 軍人ならばいつも考える。いつか戦いの無い世界が訪れることを──地雷の埋まった土地を花畑に出来ることを──かならず一度は考える。

 それを実現できるとすれば、チャンスはきっと今だけだ。最悪の後に訪れた平穏は、その落差故に特別に幸福で、特別に幸せだと感じられる。各国が和平を結んでいることが何よりの証拠だ。世界の人々は今、持ち上げられた平和に酔っている。

 しかし、だからといって──

 もしこの世界に溺れ続けたら、いつか溺死してしまうのではないか? そんな不安も、軍人ならば考えてしまう。上から塗られたペンキのように、下に隠された「汚れ」が再び現れる。そうなってしまった時、人は災厄の再来に耐えられるのか? そんな事を馬鹿正直に考えてしまう。

 

(みんなが……本当に分かり合えれば……きっと──)

 

 ふと浮かんだ新たな考え。

 その考えのあまりの望みの無さに、イーリスは静かに吐息した。

 その様子をジッと見ていたナターシャは、何か胸騒ぎを感じたように自らの髪を梳いた。

 

 ──そして、それは訪れた。

 

「……ちっ。警報が鳴りやがった……!」

 

 皮肉にも、イーリスとナターシャが会合したあの日ように、今回も同じく、互いが揃ったその日にサイレンが鳴った。敵の訪れを告げる警報が、イーリスとナターシャの平穏を破壊した。

 

 悪夢が、再現される──。

 

 

 

 /2

 

 騒がしい廊下を抜け、訪れた場所は管理棟。基地の全内の監視をしている部屋に、緊急を強いられるイーリスとナターシャは足を踏み入れた。

 

「状況は?」

 

 暗がりの中、数多のモニターだけが光源である。

 張り詰めた空気を掻き分け、奥へ進んだ。

 忙しなくキーボードをタッチする監視員達。

 その監視員の座る椅子を掴み、モニターのひとつを睨んだイーリスは、中に映る映像に目を凝らした。

 

「襲撃者は一名。しかしIS操縦者です。こちらのセキュリティを突破し、第二各ブロックまで進入しています」

 

 言葉を羅列させる監視員。

 彼らは迅速な対応をし、被害を事細かに記録していた。

 

「兎……じゃ、ないと思いてーが……」

 

 頭痛のように脳内を刺激するトラウマ。

 あの白塗りの悪魔を思い出し、手が震える。あの悪魔に切断された右腕が軋む。義手の片腕が怯える。

 舌打ちを漏らして管理棟を出たイーリスは、相棒であるナターシャに目打ちをして各自散開した。イーリスは左。ナターシャは右である。

 

(どうか違っていてくれよ……!)

 

 迷路のような通路を走り抜け、壁を叩き、一番早く外へ出られる道を選ぶ。そして外界に出た瞬間に専用機を身に纏い、間を置かずに空へ飛翔した。

 ──敵はどこだ……っ。

 ハイパーセンサーを稼働させ、伝播する波のように輪を拡げて認識領域を拡大する。視界を司る脳神経の増長に意識の底が深まり、センサーが読み取った地形状況を一瞬で把握する。

 鼻を突き抜けた煙の匂いに顔を動かしたイーリスは、空に向かって黒煙を上げる建物の上空に機体を走らせた。白兎に破壊され、そして奪取されていた機体だが、何とか調子は良く出来上がっているようである。

 ブースターの負荷を考えながら上空を旋回し、被害状況を通信する。この映像を見ているであろう、管理棟の仲間に他の被害がどれ程のものかを確認した。

 

「まだ既存機は一機か……増援も無し──だがッ‼︎」

 

 機体を反転させたイーリスは、その勢いと共に脚部装甲から引き抜いたナイフを投擲した。

 

『──不意打ち……失敗』

「野郎!」

 

 不意な気配に違和感を感じたので何かと思えば、何とも大きな獲物が釣れたものだ。

 義眼の片眼が疼き出し、体の底が燃え上がる。

 ゾクゾクとする感覚に下唇を舐めたイーリスは、黒煙に紛れて隠れていた敵機を睨み付けた。

 

「……そいつぁ……イギリスの……」

 

 専用機の〈ファング・クエイク〉が識別する反応には、イギリス国家が開発した第三世代の〈ブルー・ティアーズ〉のカテゴリーがなされていた。確か二機同時開発による兄弟機である。世界初の遠距離操作兵器である"ティアーズ"と呼ばれる物を搭載したISだが、何故今ここに──

 ふと、その時ナターシャが言っていたことを思い出した。そうだ……確かあの機体は奪われた……。しかもその奪った奴ってのが──

 

「亡国起業……!」

 

 合点がいく。

 イーリスは己の機体である〈ファング・クエイク〉のバーニアを恐ろしく加速させ、一気に最大加速度までエンジンを上昇させた。

 

「今度は私達の機体を奪いに来たってか⁉︎」

 

 合点がいくとはその事だ。

 あの兎の真似事か何かは知らないが、奴らは機体を集めている。被害報告も何件かある。大体は奪取を免れているようだが、あのイギリスの機体は「あの事件」の最中に奪われたものだ。手薄になった所を攻めたのだろう。

 しかし、とはいえまだたった一機を盗まれただけ。その国にとっては大きな損害だが、大きく見れば小さな被害でもある。他人事で申し訳ないが、盗まれた方が悪い。

 ……だが、それを考慮した上で改めて「兎」は異常である。かの有名な亡国起業でさえ、混乱に乗じての奪取でようやく一機なのだ。それをたった二機のISで十個以上のコアを盗むなど、もはや人間技ではない。それこそ大きなバックアップ──篠ノ之束のような世界を掌握出来るような力が無ければ、到底成し遂げられない事だろう。

 

「……いいチャンスを狙ってきたもんだ」

 

 が。回り回って順番が来た。亡国起業が次に狙ったのは名もなき基地──まだ修復されていないくたびれた基地──かっこうの餌食である我が軍が狙われた。……守り切れるかどうか、正直不安である。

 申し訳ねーが、速攻でケリつけんぜ……──

 〈ファング・クエイク〉の装甲をタッチし、内部機構のリミッターを解除した。完全な稼働が不安であるが故に施されていた施錠を、他の誰でもない、それを掛けておいた自分自身で外した。ガコン、と機体の一部がパージされる。

 

「ちっとばかし全力──だっ‼︎」

 

 弾けた音はブースターの音。

 ドクンと脈打った心臓に眼を開き、イーリスの体は自身でも認識が遅れ程の加速の世界に突入する。

 

『速──ッぐぅ……‼︎』

 

 敵の身体がくの字に曲がり、横殴りされる。

 脚に感じるのは敵の身体──一撃が見事にヒットする。

 歯を噛み締めたイーリスは、全速に身を預ける自分に鞭打ち、続けざまに蓮撃の拳と蹴りを見舞った。

 振るう身体は悲鳴を上げるが無視である。

 一身を武器に変えたイーリスは、敵の反撃を許す暇も与えず、自信が培ってきた格闘技術の全てを駆使して、相手の身体を殴り続けた。

 ──が。惜しくも先に根を上げたのはイーリス・コーリングであった。彼女の身体自体が、既に手負いであったのだ。

 

「くそっ……調子出ねえぞ……ッ」

 

 見ると義手の右腕はひしゃげ、内部が外に露出していた。生身の肉体である左手も小刻みに震えており、明らかな限界が訪れている。

 不甲斐なさに舌打ったその時、顎の辺りを衝撃が襲った。

 目を見張ったイーリスはそれが反撃であることに気が付き、上を向いた顔を下へと向けた。──すると、拳が迫っていた。

 

「がふぁ……ッ⁉︎」

 

 一瞬、意識が飛ぶ──

 

『返すぞ。痛みだ……!』

 

 腹と顔──そして右胸。

 鈍痛よりも深い痛みをその部位に与えら、意識と呼吸を置き去りにした。果てしない痛みに我を忘れた。しかし、本能はまだ生き残っていた。

 

「ああああッ‼︎‼︎」

 

 雄叫びと共に何かを掴む。

 それは敵の腕であったが、半ば無意識であるイーリスにはそれを認識する意識が残っていない。

 

『この──』

 

 と。そこで敵の言葉が途切れた。そこでイーリスの意識も戻ってきた。

 

「──先走っちゃ駄目でしょ!」

 

 見ると、そこには白銀の羽根。太陽の光を煌びやかに反射させる銀の翼が、雄々しく広がっていた。

 

「すまねぇ……ナタル……っ」

 

 嚙みしめるように呟き、イーリスは隣り合わせた親友の頼もしさに場違いな安堵感を感じたのだった。




続く
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