──……夢だった。
不思議な場所を、歩いていたんだ。
足裏の感触は無くて、浮いているみたい。
見上げるものが無くて、ずっと前だけを見てた。
するといつも現れるんだ。青い髪の女の子。それと、赤茶色の髪の男の人。
僕はいつもそれを眺めてる。他に見るものが無いから眺めてる。けどなんだかとても切なくなって、僕はいつも泣いてしまう。二人の姿がどこか幸せそうだから、僕は「よかった」って思って泣いちゃう。
『また、会いましょう──』
夢は、いつもそこで覚めるんだ。
女の子が幸せそうにそう呟いて、目が開くんだ。
それから僕はいつも、目元の涙を拭う。そして呟くんだ。
「僕は……二人いるの?」
夢の男の人を思い浮かべながら、独りごちて──
◇
どこか、真実味を帯びている気がした。
私は頷くばかり。
彼の様子はどっちつがずな、彼自身が戸惑いを隠せていなかった。故に大人として、黙り込み、話を聞くに徹した。
「僕ととても良く似た男の人が……いつも夢に出てくるんです。隣に立っているのは……楯無さん」
少年の暗闇の底が見える。
ああ──と、私は悲しくなった。
「怖いのね……」
彼は……井伊月少年は頷いた。
だからこそ私は、
「ほんと、不思議な夢だわ──」
私は、返す刀で言葉を紡いだ。
「僕じゃない僕……考えると、寒くなるんです」
「……」
ただの夢よ──きっと、私はそう言いたかった。
夢は夢だ。覚めればそこまで。
先は無いし、膨らみも無い。
うん、うん──と。
数度頷くだけで、次に考えるのは朝に食べるご飯だ。
──けど、それはつまらない「私」の日常。
井伊月少年にとっての夢は、現実を脅かす悪夢のそれだ。自身では無い何者かの存在が隣立つような恐怖。心の中に住み着いているかのような不安。
彼を脅かすのはそれだ。おどろおどろしい夢なのだ。だから私は何も言うことが出来なかった。
助けを求めていたわけではなかった。ただ懇願する少年の視線に、私が耐え切れなくなっただけ。恥ずかしい話し、私には解決策というものが浮かんでこなかったのだ。
「……大変ね」
なんて、他人事──
少年はどこか残念そうな顔をして、小さく頷く、
私はやはり視線を逸らす。
するとふと、遠くの方にイーリと織斑千冬が肩を並べて歩いているのを発見し、私はなぜかホッとした。私の視線に気付いた二人に手を上げてから、もっと胸中が軽くなった。
それと同時に、私は自分が酷い女だと思った──。
用事を終えたのだろうイーリと織斑千冬は、こちらに来るなり雰囲気を察した。特に過敏だったのは織斑千冬の方だった。
「どうした? 井伊月、何かあったか?」
傍に寄って顔を近付け、優しく問いかける。
その姿は少し異常な気がして、私は織斑千冬に違和感を感じた。
「あの……えと、その……何も、です……」
「本当か?」
「お腹……お腹空いちゃって……へへへ」
「……そうか」
明らかな遠慮の表情。
私は気付いたし、それこそ織斑千冬は一番に気付いた。イーリだって渋い顔をして口を曲げている。
少年らしからぬ少年の配慮は、ここにいる大人達に一抹の不安と違和感を与えた。それは予期せぬことの前触れのような気がして、私は静かに息を飲み込んだ。
◇
織斑一夏はラウラとシャルロットと別れ、食堂に向かっていた。足並みは一つだけ。廊下を歩くのは一夏だけである。
頭に刻んだ道順を進み、しばらくして目的の場所に到着した。
足を踏み入れよう──しかし、一夏はそこで歩みを止めた。
何か、人の視線を感じた。一夏は立ち止まって廊下の向こう側を見据えた。しかし人影や人の姿は無かった。
何か気持ち悪いな……──。
一夏は後ろ髪を引かれながら、食堂の中へ進んだ。
首の周りを違和感が付き纏っていた。
◇
織斑一夏が食堂に消え、再び静まり返った廊下。するとその廊下の陰から新たな人物が顔を出した。それは幼い少女だった。
少女は静かに全身を現す。どこか無骨な衣装を身に纏う少女は、織斑一夏が消えた先を見据える。
「……」
少女は、少女らしからぬ雰囲気で眼を細めた。
スラリとした手足に纏わり付く防刃スーツのような黒装束が風に揺られて、少女の独特な雰囲気を際立てる。あおがれたその装束の内側には、これまた無骨な刃物が仕込まれていた。
「……にい、さん」
どこか氷のような、しかし安らぎのような──
少女が呟いたその言葉の裏側には、何かを渇望するような祈りが込められているように聞こえた。
と。その時、少女が目を見張った。振り返った。
リン──と鈴の音が鳴る。
帯刀していた刃物を抜いた少女は、今度は背後を据えた。
「いやあ、バレないと思ったのかな? 仔ウサギちゃん」
少女の目の前に佇んでいた、ニコニコと笑む女性。
頭に兎の耳を持つ、底のない湖のような女性。
少女は一瞬凍り付き、そして溜まった息を一気に吐き出した。熱く滞ったものを吐き出した。
片手に握った刃物を握り直し、キュッと口元を結んだ。
「──篠ノ之束……」
「ん〜? キミはあれだねぇ、"人工人間"かな?」
「……っ! 黙れ──っ‼︎」
ほぼ反射的に反応した少女の体は、一直線に前に進んだ。握り締める刃物を前面に押し出して殺気を混ぜ込み、衝動的感情の波に押されて地面を踏み蹴った。
そして、鈍い金属音が鳴った。
一陣の風が通り抜けたように、篠ノ之束のスカートがふわりと舞い上がる。赤茶色の髪がひらひらと揺れる。
気付けば、廊下には篠ノ之束を残して誰も存在していなかった。黒髪の少女はいつの間にか姿を消していた。赤い血痕だけを残して。
「う〜ん。まだまだかなぁ、あの子」
そして篠ノ之束は、地に付いた赤い絵の具を踏み消した。
──────────────────────────
──────────────────────
────────────────
──────────
──────
──
脇腹をすれ違いざまに裂かれた。
ドクドクと血が流れる。
震える手で包帯を引き千切った少女は、乱暴にそれを巻き付け、腰のポーチからきつけの薬を打ち込んだ。
気が遠くなるような痛みが一瞬──そして引き戻される。
大きく息を吐いた少女は両手を地面につき、多量の汗をかいて目を見張った。まだ視界がチカチカとする。
「……ちっ」
まるで弄ばれたようだった──。
少女は篠ノ之束を思い出し、歯を噛み締めた。怒りに似た何かも胸の辺りに感じた。
あの女は、私を作りものだと馬鹿にした。許せない。
物陰に腰を下ろした少女。座り込んだ拍子に何かを落す。
緩慢な動きでそれを拾い上げた少女は、どこか恭しい手つきでそのペンダントを撫でた。
「──」
風に流された言葉。
その言葉は宙を舞い、散り散りとなる。
立ち上がった少女は、睨むように空を睨んだ。
「……」
そして立ち止まっていた影の中から足を踏み出し、少女は光の中へ消えた──。
続く