君と僕の物語   作:名無しの執筆者

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続き


第六話 「お前は篠ノ之じゃない」 中編

 

 あの日のことは、今でもよく覚えてる。学校から帰り、いつもみたいに箒の家の道場に入ったあの日のことを、俺はよく覚えている。扉を開き、足を踏み入れた途端、ぬるりとしたものを踏んだあの瞬間も、とても覚えている。

 

 そして道場に入り、薄暗い中で蹲っていた幼馴染ーーー箒の泣きじゃくるその姿も、俺は今でもよく思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーー帰れーー

 

 栞おばさんに叱られ、一夏は道場に逃げ込んでいた。一心不乱に竹刀を振るい、朝の出来後を忘れようとしていた。

 素振りを始めて、かなりの時間が経っていたが、疲労とは無縁かと自分でも思うほど、体力の底が尽きる気配が体に起きていなかった。

 

 俺はーーーいや、違う。

 

 まだだ。まだ弱い自分が出てくる。

 しがらみを振り払うように一夏は、さらに竹刀を振る速度を上げた。道場内に空気の裂ける音が響く。汗は止めどなく溢れてくるが、やはり疲れたなんて感覚は襲ってこない。

 真っ直ぐ前を見つめ、一夏は己の呼吸のみを聞いた。

「弱音」が入り込まないほど、思考の中を無で敷き詰める。微々たるものすら入る隙の無いほど、頭の中を真っ白にする。

 

 太刀筋は、誰の目から見ても不安定だった。

 けれど何も考えようとしていない一夏には、それが気付けない。意味の無い鍛錬を続ければ続けるほど、時間の経過は早く、そして一夏を耄碌になっていく。

 

「ーーー甘い太刀筋です。しっかりとなさい」

 

 ずっと降り続けていた竹刀の動きが、その声に止められた。もっと細かに言うと、その声を発した栞おばさんの竹刀に止められた。

 

「……おばさん」

 

 今までの苦労が何だったのか、一夏は朝の出来事をすぐに思い出してしまう。そして気まずくなって顔を逸らし、鍛錬を切り上げて道場を出て行こうとした。

 

「待ちなさい」

 

 が、栞おばさんはそれを許さなかった。

 一夏は栞おばさんが突き付けてきた竹刀の先端を見て、大人しく竹刀を持ち直した。

 

「貴方の振り方は綺麗な筈です。まばらな振り方はあまりにも雑多が過ぎます。まずは息を整えなさい」

 

 栞おばさんは、朝のことを気にしていないのだろうか? 表情を見る限りでは、いつもの栞おばさんと何も変わらない。もしかしておばさんは、別に怒っていなかったのかもしれない。

 ならば、と。一夏は竹刀を強く握り締め、ゆっくりと息を吐いた。数多に潜んだ雑念を振り払い、静けさの中に身を投じた。

 栞おばさんの言う邪念を無くす為、吐く息を出来るだけ少なく、そして小さく。ほんの少しの邪魔も無くそうとした。

 段々と己の呼吸を抑えていきーーーそして止める。

 息をするということを置き去りにし、ただ目の前に存在する空間に竹刀を振り下ろすことだけを考えた一夏は、背中の辺りから伝ってくる感覚を感じ取った。そしてそれが脳天まで伝播してきた瞬間、極限の感覚と共に竹刀を振るった。

 

 すると音はーーーーー響かなかった。

 

「……良い音ですね」

「え?」

「聞こえませんでしたか? 空気の流れが感じ取れる、良い音でしたよ?」

「……わからなかったです」

「そうですか。なら、それだけ貴方が集中していたという証拠です。……よくここまで、辿り着くことができましたね、一夏くん」

 

 突然の賞賛に、初めは理解が及ばなかった。けれど後から込み上げてきた震えに、褒められたのだとハッとした。

 予想していなかった一夏の不思議なリアクションに、栞おばさんは目をパチクリとさせていた。

 頭をかいた一夏は、照れくさくなった。

 何だか朝の出来事が、本当に無かったかのようにである。

 

 しかし、それはやはり思い知らされた。

 

「朝、私が言ったことを覚えていますか?」

 

 唐突に注がれたその言葉ほど、苦しいものはなかった。

 一夏は声が張り付いた喉を無理矢理絞り、掠れた吐息を吐き出す。

 

「覚えてます……」

 

 けれど一夏が感じた雰囲気に対して、栞おばさんはとてもおおらかな態度で接してくれた。それこそ何気ない毎日の中で、さり気なく話しかけてくるぐらいの気兼ねさで。

 複雑な空間の中、しかし一夏はビクついていた。

 またあの言葉をかけられる。と、思っていたからだ。

 

「……あれは、少し間違いでした」

 

 だが、栞おばさんは本当に優しかった。普段では見られない、少し照れた様子で、頭を撫でてきたほどに。

 

 いつ振りだろ? 栞おばさんに頭を撫でられたのって。昔はよく、俺を本当の子どもみたいに撫でてくれてたっけ……。

 

「貴方は……きっと貴方の為に、あの子を守ろうとしてくれているのですね。罪の意識では無くて、ただ純粋に……」

 

 思わず目を見開いた。

 胸に染み込んできたその言葉すべてが、自分に対する肯定の言葉だったからだ。

 

「おばさん……」

 

 見ると、おばさんはまた泣きそうになっていた。

 けれど朝の時のような悲しい涙じゃなくて、その涙は透明で綺麗なものだった。

 

 俺は少しだけ、それにつられそうになった。

 

「親だから辛い。母だから辛いだとかは、そんなもの関係ありません。……けれど、もしどちらが辛いのかというのをハッキリさせるのであれば、それは貴方です。……道場でのあの光景を見た時の貴方は、まだ12歳だったんですから」

「違う……違うんです、おばさん。俺は……っ」

「大丈夫です」

「本当に辛いのはおばさんの筈で……守れなかったのは俺の所為で……っ。おじさんが死んだのも……全部……全部俺が……俺がっーーー」

 

 俺が弱かったからーーーーー。

 俺はきっと、それを口にしたかったんだ。

 だから俺は朝、おばさんを泣かしてしまったんだ。

 

 一夏の震えた言葉に、おばさんは震えた。そして堪え切れなくなった強引さで、頭を抱き締めてきた。強く、とても強く。

 

「本当に貴方は優しい子です、一夏くん。なぜ貴方のような子が、こんな呪いを背負わなければならないの……!」

 

 感情的になった栞おばさんは、道場の外にまで聞こえるほどの声で叫んだ。悲劇的にーーー喜劇的にーーー。

 それを間近で聞いた一夏は、あまりにも悲しくなって泣いてしまった。二年分の涙を、母とも言えるおばさんの胸の中で溢れ出させた。

 

「貴方はきっと報われる。その日がくるまで、どうか箒をーーー守ってあげてください」

 

 凛ーーーと道場に浸透したその言葉は毒だった。一夏の人生を決定させる、呪いの言葉。

 けれどそれにしてはあまりにも優しく、そして気高いそれは、泣きじゃくる一夏の心を奮い立たせ、過剰だった何かを変えた。

 

 かちり。

 

 そしてどこかで、スイッチの音が聞こえた。

 




続く
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