君と僕の物語   作:名無しの執筆者

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なかたほやねさ


第五十三話 「動き出す夜」

 静かな室内。

 コポコポと珈琲を沸かすコーヒーメーカーの音。

 冷やされた空気は周りを取り囲み、より静けさを強調する。

 数時間前に起きた襲撃事件の被害を纏めていた織斑千冬は、そんな静けさの中に加わった人の気配に、目頭を揉んで振り返った。

 

「ああ、山田先生」

「お疲れ様です。織斑先生」

 

 左腕に包帯を巻き、もう片方の腕で資料を持った山田麻耶は、夜遅くまで作業を続ける千冬を労った。隣の椅子に腰掛け、持ってきた資料を机に置いた、

 

「頼んでいた資料、ありがとうございます」

 

 言い、千冬は麻耶が持ってきた資料を手に取る。

 麻耶はそれに「少しは休んだらどうですか?」と苦笑いしながら言った。沸かしていた珈琲をカップに入れて、千冬に差し出しながら、心配そうに言った。

 珈琲を受け取った千冬は、ただ頷くだけをして、再び作業に戻った。手を止めてしまっては駄目だという義務感が、自分を働かせていたからだ。

 そんな勤勉過ぎる千冬の様子に続けて苦笑した麻耶は、静かに椅子に腰を下ろし、自分用に入れた珈琲を一口だけ飲んだ。ホッと息を吐いて天井を見上げ、まだ傷の癒えない左腕にソッと触れた。

 静かな空間がまた訪れたが、麻耶が加わったことにより、その囲いの中は少しだけ暖かくなったような気がした。

 

「……準備をせねばな」

 

 しかし突然、千冬がそんな事を呟いた。

 その言葉の意味をすぐに理解した麻耶は、悲しむような覚悟を決めるような表情を見せてから、「はいっ」と強く頷いた。

 

「敵は、おそらくまた来る。こちらの消耗につけ込んでな……。もう、次は無い。だから……」

「生徒達には……その、可哀想な目ばかりに合わせてしまっていて、自分が情け無いです……っ」

「それは私も同じだ。自分だけを責めるな、麻耶」

「……でも私、悔しいです!」

 

 感情の端が溢れ出し、静けさを掻き消す。

 純粋で健気な麻耶の言葉は、千冬の心に触れた。

 

「もう時間は無い。だから、やるぞ麻耶」

「はいっ!」

「よし」

 

 瞳の内に、覚悟を決めた麻耶。

 それに応えるように、千冬もまた、覚悟を決めた。

 そして夜は更けていき、徐々に戦いに向けての緊張感が、学園を包み込んでいくのだった。

 

 ──────────────────────────

 

 /1

 

 目覚めると、そこは不思議な場所だった。

 視界に映るのは、鉛色の棒の列。

 冷たい空気は、周りを取り囲むコンクリートから。

 横になっている布団はふかふかで、特に寒さは感じない。けれど肌に纏わり付く感覚というものが、否応無く孤独という冷たさを感じさせてくる。ここにいるのが自分だけだということを知りたくも無いのに教えてくる。だから怖くなり、思わず瞼を強く閉じた。井伊月重吾という人間の弱点を、その空間が露呈させた。

 

「誰か……っ」

 

 自分の呼吸だけが、ここの音だった。外からの光は無く、ポツリと天井に存在する電灯だけが、この世界を明るく照らしている。それはあまりにも酷で、そして寂しかった。

 人の気配を何一つ感じない空間は、心をどんどんと擦り減らしてきた。灰色の世界は、硝子のように狭く、苦しい。まるで世界に自分だけが独りだと誤解させてくる。

 物々しい部屋の中、壁の隅に身を寄せた重吾は、怯えるように天井を見遣った。そして壁を、次に鉄格子を──やはり人の気配を感じない空間の全てを視界に収め、唇を噛んだ。

 ──怖い……っ。

 触れ合う背中と壁は、まるで氷だ。ただ冷たいだけ。心なしか体に巻き付けている毛布も、暖かさが無くなってきた気がする。

 

「みんな……寂しいよ」

 

 どこからか、水の音が聞こえた。

 けれど、それは、きっと気のせい──。

 求めるように布団に顔をうずめた重吾は、細く息を吐いた。

 変わらない空間の中にいると、時の流れを遅く感じるのだ。時計がないぶん余計かもしれない。今が何時で、昼なのか夜なのか、全く見当がつかない。

 扉は、鉄格子の向こう側にある。

 鉛色した、とても頑丈そうな外見の扉だ。

 すると突然、その扉が叩かれた。

 ──トントン。

 空っぽで静かなこの空間には、その音が良く響く。

 誰かがやって来たのだ。

 

「……っ」

 

 跳ねたように布団を剥いで立ち上がった重吾。

 ギィと重く錆びついた音を立てて開いた扉から入ってきたのは、何度か目にしたことがあり、話したこともある学園の教師だった。

 重吾は鉄格子に張り付き、声を出した。「あの──」

 しかし、教師はこちらに目も向けない。手に持った、食事らしきサンドイッチをお皿に乗せて、鉄格子の隅にあるポッカリと空いたスペースから中に入れて、それだけである。

 スムーズな動きは最後まで途切れることなく、教師は部屋を出て行った。ただ食事だけを残して、また重吾を静かな空間に置き去りにした。

 置かれたサンドイッチを見遣り、教師が出て行ったドアに視線を移した重吾は、どうしようもない気持ちに膝をついた。額に当てた鉄格子の感触が虚しかった。

 

「あの先生……泣きそうな顔してた」

 

 脳裏に浮かぶ、サンドイッチを差し入れた時の教師の表情。知らない風を装い、今にも罪悪感に押しつぶされそうだった苦しい表情。それが、脳裏に浮かんで離れない。

 鉄格子から離れる。

 そして、またベッドに座り込んだ。

 布団を巻き付けた重吾は、やってきた睡魔に半分瞼を閉じた。あまりにも静かで、寂しい空間だから、いつもなら心地いい眠気も違った感覚だった。

 

「……」

 

 重吾は、天井を見上げた。

 灰色の天井を、灰色の空を。

 ぼうとしていると、水の中を思い出した。

 今でも思い出せる、泡の音は、目を閉じればすぐに側から聴こえてくる。冷たかったあの世界は、今はもう、思い出したくはない。けれど、世界はまたやってきた。ここがそうだ。この鉄格子の中が、水の世界に代わる世界だ──。

 途端、怖くなる。

 重吾は布団を体に巻き付けた。

 怖い、怖い──と。

 頭の中でガンガン響き、叩かれる。感情の暴力だ。

 

「うぁ──」

 

 溢れ出した、声の想い。

 少年の身に収まる、成長に追い付けていない精神が、氷の世界を、酷だと認識した。

 

 ◆◆

 

 扉が開き、どこか疲れた表情の教師が出てくる。

 部屋の壁に背を預け、窓の外を眺めていた更識楯無は、その教師の登場に眉尻を上げた。

 

「どうでした?」

「大丈夫。元気でしたよ。意識は回復してました」

 

 報告。

 教師は気分が悪そうに、それを口にした。

 楯無はそれを察し、追求はしなかった。ただ「ありがとうございました」と静かに頭を下げ、教師の背中を見送った。

 視線を上げ、そして移した先には、先ほど教師が乗っていたエレベーターがある。その下に、「彼」がいる。

 一歩、足を踏み出した楯無だったが、すぐに戻した。

 私情を出しては駄目だと、自身に言い聞かせたからだった。

 足は、鉛のように重かった、

 

「──」

 

 何も言わず、その場を後にした楯無。

 彼女の心の中には、奥に押し込んでも隠し切れない彼への想いが、未だ存在していた。

 

 

 

 

 

 /2

 

 ここは整備室。

 人の気配は無く、静かな時間で満ちている。

 そんな静寂の中で、一人の少女が動き回っていた。

 脂塗れの両手で機械を弄り回す、更識簪だ。

 

「……」

 

 彼女は、機械オタクという訳では無い。

 しかし、機械が嫌いという訳でも無い。

 彼女がこんな夜遅くまで働き、そして油まみれになっている理由は、もっと別のところにある。機械が好きだから、宿題だから──そんなものとはまた別のところに。

 

 彼女は真剣だった。

 表情に陰りは無い。

 ただ目の前の、自身の専用機だけを見つめている。

 いつかの襲撃で破壊され、形を崩したその機体は、もう十分に動かせるところまで調整が終わっていた。それは彼女自身の力でもあったが、「友達」達の協力もあってのことだった。

 時たま、簪はふと思う事があるのだ。

 昔の自分と、今の自分。どうしてこんなにも差があり、違いがあるのだろう?──と。

 専用機だってそうだ。こんな短期間で形に出来る事など、今まで一度も無かった。誰かに協力を求める事も一度も無かった。いや、出来なかった。

 臆病で、陰鬱で、日陰のわたし。

 姉の光に埋もれる、小さなわたし。

 そんな私が、どうしてこんなに幸せなのだろう。

 

 そして考えていると、ふとある答えに辿り着くのだ。ああ、重吾が居てくれたからなんだ、と。重吾と出会えたから、私は変わっていけたんだ、と。

 

 だから──だから、彼女は頑張るのだ。

 恩返しの為で無く、友達の為に。

 自身の身を削り、彼が守ろうとしたものを自分が代わって守れる力が手に入るように。

 彼が安心して、「良かった」と笑っていられるように。

 もう彼が、一人で孤独に戦わなくて済むように。

 

 ──更識簪は、頑張り続ける。

 

「よし……出来たっ」

 

 その横顔は強く、そして尊く。

 かつての少女の憂いは消え、強い信念が宿っていた。

 




続く
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