君と僕の物語   作:名無しの執筆者

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なたかや


第五十六話 「思い出」1

 そろそろ夜が来るな。

 窓の外を見上げ、織斑千冬は思った。

 気が付けば、周りは書類の山だらけ。時間を忘れ、作業に没頭してしまっていたようだ。酷い肩の痛みと目の疲れを感じる。

 職員室の隅にあるコーヒーメーカーから珈琲を注ぎ、眠気覚ましも兼ねて飲む。ふう、と息を吐き、そして千冬は棚に腰掛けて職員室を見渡した。

「……」

 珈琲を飲みながら、静かな職員室を見つめる。人のいない職員室は不思議な雰囲気で満ちていた。

 窓の外が次第に暗がりを持ち始めていた。

 珈琲を静かに飲みながら、景色の変化を肴に休憩のひと時を味わう。落ち着く。

 暫くぼうとして、それから珈琲を飲み干した。

 棚から降りてカップを洗い、再び自分の机に戻った。

 まだ終わりの見えない書類の山から一枚取って、記載された文字の羅列を読み取る。すると判子が必要な部分があり、机の引き出しを開けた。中にしまってある判子のケースを探す。

「──……そういえば、そうだったな」

 目当ての判子を見つけた時、一緒にもう1つの物も見つかる。それはマグカップ。かつて井伊月重吾にココアを与えた際に使ったマグカップだ。

 少し懐かしく感じ、マグカップを机の引き出しから出した。

 机の上に乗せ、彼の顔を思い出す。

 ──そういえばあいつは、ココアが好きだと言っていたな。

 思い出だ。今では、遠い日の。

 そして自分の戒めの記憶でもある。

 立ち上がり、また机から離れた。マグカップを持ってだ。

 先ほど珈琲を飲んだ場所で湯を沸かし、棚からココアの粉を取り出した。それを持ってきたマグカップと自分が用意したマグカップに入れ、湧いた湯をその両方に注いだ。甘い香りが上がる。

 出来上がったそれを自分の机に持って行き、並べて置く。そして書類の山を少し整えてから、改めてマグカップを向かい合うようにして置いた。あの日を思い出しながら、微笑みながら。

「……ふっ。私は馬鹿か」

 しかしそこで、何をやっているのだとおかしくなる。一人しかいないのに、何故二つもココアを用意したんだと──おかしくなって泣きたくなる。

 気持ちを紛らわすようにココアを飲む。

 しかし猫舌が飲むのを邪魔した。途端にブレーキがかかる。

 本当に情けない。

 マグカップを机に置き、項垂れたその時、職員室の扉が開いた。廊下の光が中に差し込まれ、入り口に立つ人物の影が伸びてくる。

 顔を上げ、入り口を見遣った。

 逆光の所為で顔はわからない。いつの間にか、完全に日が落ちていたようだ。職員室の灯りを点けよう。

「あぁ、どうした、楯無──」

 入り口に立つ少女の名前を言った。

 影が揺れる。

 マグカップを机の端に置いて、職員室の明かりを点けた。それによって暗がりも影も消える。

 入り口に立つ少女は、少しだけ迷うように視線を彷徨わせた後、ゆっくりとそこから離れた。並べられた机の列を進み、こちらまで歩んでくる。

 少しだけそれに緊張し、視線を下げた。

 マグカップを無意識に奥へやり、彼女から隠す。

「こんばんわ……」

 浮かない様子と静かな声の沈み。

 楯無は落ち込んでいるようだった。

 あまり他人事では無いと思って、そんな彼女を見て胸が痛くなる。針で刺されたような痛みを感じる。

 キュッと口元を引き締め、そんな彼女と対峙した。

「あまり遅くまで頑張るなよ、楯無」

 精一杯の言葉である。

 喉が一気に乾いた。緊張する。

 彼女にかける言葉の一つ一つに気を付けなければいけない。その義務と当然がある。

 静まり返る職員室が、なんと居心地の悪いこと。

 今ここには、互いに「事情」を抱えた女が二人もいるのだ。反発し合うどこらか、なまら大人である分、相手を気遣ってしまう。言葉の発言を譲ってしまう。

 ココアはもう冷めただろうか。

 思わず──本当に思わず、隅にやっていたマグカップを持ち上げた。きっとあまりの静けさに、思考が壊れたのだろう。

「……ココア……あの人も、ココアの匂いがしました」

「……」

「もう、忘れましたけどね。私は……」

 

「私は」──ああ、泣きそうになる。

 

「あいつはココアが好きだと言っていた」

「……」

「お前には、何も言えてなかった。……すまない」

 謝罪。

 彼女には、もうこれ以上黙っていられない。

 ここで、あの日のことを語ろうと思う。

 

「楯無──私は────」




続く
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