君と僕の物語   作:名無しの執筆者

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なかあまひ


───── 「思い出」2

 隠し通す事が出来ない。

 ──それは違う。

 もう、抱え込むのが辛かったんだ。

 

 夜は更け、外は暗がりで満ちている。

 もう、起きている人間も少ない筈だ。

 明かりが灯るのは職員室の一角。

 そこに楯無と私はいる。

 互いの間にあるのは違和感だった。仲違いをしていた訳ではなかったが、向かい合う私達の間には壁とはまた違った気まずさがあった。

「──私はな、」

 けれど、進まなくてはいけない。

 もう、立ち止まることは耐え切れない。

 あの日、あの場所で見たもの。

 井伊月重吾という男。

 そして彼に関わる人間達。

 それを、ここで、彼女に話すのだ。全て。

「あの日……あいつはいなくなった」

 空気の重々しさは、語るまでもない。

 吐露する言葉も、また鉛のように重かった。

「残ったものは……血だ。──井伊月のな」

 ざわ、と彼女の雰囲気が変わる。

 怒り、そして動揺だろう。

 これは彼女に黙っていたこと。そして騙していたことだから。

「全部、嘘だ。……悲しませたくなったのだ、お前を。──いや、違う。私が認めたくなかったんだ……」

 好きだった。彼が。

 恋愛感情という尊いものではなく、人間として。

 夢に出るほど、それは大きい。

 楽しい記憶。一緒に飲んだココア。

 微笑ましい夢を見たその日は、思わず微笑む。けれどすぐに思い出す。地面に撒き散らされた、赤い血の絨毯を。

 息を呑み、目眩に似た感覚に額を抑える。

 自分から曝け出そうとするトラウマは、吐き気のように酷く気分を悪くしてきた。

「お前に隠していたのは、井伊月の生存だ」

「っ! 生きているんですか⁉︎」

「……ああ、"生きていた"」

 楯無から伝わる、それは悲しみの気配。

 彼女を見るのが怖くなり、視線を逸らす。

 込み上げ続ける吐き気と戦いながら、彼女から伝わる感情にも精神が磨り減っていくのが解った。

 けれど尚も、言葉を続けた。

「楯無……井伊月はな、黒兎だったんだ」

 何を馬鹿な事を言っているの?──彼女の、悲しみと動揺で歪んだ顔は、さらに心を削った。

「酷い……馬鹿にしてるんですね、先生。……ふざけないでください……っ!」

「……」

「何か言って──っ⁉︎」

 彼女の顔が、途端青ざめた。

 口元を押さえ、涙を零す。

 ああ──すまない、すまない──私は酷い奴だ。

 彼女の視線の先には、一枚の写真がある。

 それは、どこにでもある普通の写真だ。

 所有者は自分。撮ったのも自分。加工も複合も何もしていない、撮ったその時から何も変わっていない写真だ。

 

 ──そして、井伊月重吾の遺影でもある。

 

 写真の表面に写るのは、血まみれの井伊月。

 あの日、「黒兎討伐」作戦が実行されたあの日に織斑千冬が殺した「黒兎」──「井伊月重吾」の死に様だ。

 何度見ても、胸が抉られる。

 これは、慣れるものではない。

 だから、今の楯無は、計り知れない悲しみで死んでしまいそうに違いないと私は思う。

「嘘……噓、嫌です。なんでこんなもの見せるんです……っ。ありえないでしょう!」

「……楯無」

「嘘ばっかり! なんで、いやぁ……こ、こんなの、偽物だ。死んだとか、井伊月さん……い、生きてるもの! あの人はきっとどこかで生きてる! 嘘だっ!!」

「聞け」

「井伊月くんだって、あれ? いや、でも……誰が……だ、誰が井伊月くんを殺したの? 彼は、何もしてないのに……いや、いや、嫌ですよ……嘘だって言ってくださいよ、先生……っ」

「楯無っ!」

「嫌だっ!!」

 半狂乱に泣き叫ぶ彼女の両肩を掴む。強く、強く。

 そして彼女の瞳を見つめ、顔を合わせる。

 楯無の、涙で潤んだ瞳に自分の顔が映った。それで判った。今、自分も彼女と同じように泣いていた。

「もう、泣かないでくれ……やめてくれ……お願いだ。でなければ私はもう──耐えきることが出来ない……っ」

 声が震える。

 涙が止まらない。

 体の底からせり上がってくる寒さが、手を震わせる。

「……だって……だって……それじゃあ……井伊月さんが本当に黒兎だって言うんなら……──先生が、あの人を殺したんじゃないんですか」

 そうだ。そうだとも。殺したのは私だ。

 だが、仕方がない事だったんだ。知らなかったんだ。

「……もう、やめてくれっ」

 言い訳。言い訳ばかり。

 言葉を紡ぎ続ける。彼女には謝らなければならないから。

 けれど、胸中にある言葉は言い訳だった。

 自分は知らなかった。知っていたらやめていた。

 まるで子ども言い訳ばかりだ。

「ふっ、ううっ……ああっ……!」

 嗚咽だけが、職員室を満たした。

 悲しみの波が広がって──広がり続けて、

「そうだ、殺したんだ。あれは、井伊月じゃない……世界の敵だったんだよ」

「違う、あの人をそんなじゃないです……!」

「そうだったんだ!」

「違う!」

「じゃあ、なぜお前を襲ったんだ!」

 その追及により、言葉を詰まらせる楯無。

「あいつは、国を落としたんだ。死人だって出た……。お前も見た筈だろう、ロシアを……!」

「で、でも……私を襲ったのは白兎……──」

「だが、奴がしたことは変わらないのだ!」

 その瞬間、一気に楯無の顔が引き攣る。

 私は、本当に絶望した人間というものを、初めて見た。

 楯無から離れ、項垂れる。

 重力に従って落ちる涙を拭き取る。

 彼女は、黙り込んで、そして何かを堪えていた。

 上を見上げているのは、涙を流さない為か。

 拳を握り締めているのは、怒りに震えているからか。

 呆然とする彼女は、ただ虚空を見つめる。

 

 そんな澄んだ夜の静けさの中、丘の木の上で、つがいの小鳥が身を寄せ合っていた。




続く
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