君と僕の物語   作:名無しの執筆者

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なたかめらは


第五十七話 「それぞれ」

 朝が来た。

 頰に当たる光。

 瞼を閉じていても、膜を通して分かる明るさ。

 私は冷え切った体を起こし、瞼を擦る。

 ──朝が来た。

 ベッドから降りた更識楯無は"赤くなった目元"を凝らし、カーテンを開けた。一気に日差しが差し込み、部屋が明るくなる。青い空が映える、良い天気だった。

 私はぼう、とした。

 あまりにも煌びやかな太陽だったから、眺めた。

 しかしハッとする自分。

 私は窓から離れ、顔を洗いに洗面台へと向かう。そして見る。酷く怖い更識楯無の顔を。私は見てしまう──気付いてしまう。

「……──えへへ」

 にこり──と。

 ああ、なんて酷い作り笑いなんだろう。

 更識楯無は口元を釣り上げた。

 私は頑張って笑ってみたのだ。

 けれど──けれど──心が軋んで、苦しい。

 ぐぐっ、と喉元から違和感が込み上げる。

 私は堪らなくなり、顔を洗面台に突っ込んだ。そして込み上げたそれを勢いのまま吐き出した。

 

 そして朝、午前七時。

 私は最悪の気分で部屋を出た。

 

 ◆◆

 

 眼が覚めると、変わらない天井が迎えてくれる。

 五回目の朝の起床。

 僕は消えてくれない眠気と吐き気を抱えて起きる。

 井伊月重吾の朝は最悪だ。

 自身で理解するほどの虚無感と虚しさ。

 それを解消しないまま迎える朝は、最悪の一言である。

 僕は枕に顔を埋めて、たくさんの溜息を吐いた。

 少しでも紛れるなら、と──たくさん吐き出した。

 ……けれど、うん。……違うよね。

「ふ〜ん……ふふ〜ん、ふ〜ん」

 鼻歌も──違う。

 井伊月重吾は一生懸命寂しさを紛らわす。

 時刻は朝の七時。

 今日も変わらない、最悪の朝である。

 

 ◆◆

 

 ──何度、打ちのめされただろう?

 

 朝のIS学園。

 静けさと陽の光が映えるその時間。

 しかしそんな静謐の中、学園のとある場所だけは、まるで祭り騒ぎのような活気で満ち溢れていた。そのとある場所とは、

「ほら、一夏君……立ちなさい」

 ──アリーナ。

 砂埃と熱気で満ちたそこでは、織斑一夏とナターシャ・ファイルス。そしてイーリス・コーリングの三人が自らの専用機で飛び回っていた。

「──は、はい……っ!」

 織斑一夏はボロボロになった我が身に鞭打ち、立ち上がる。

 ナターシャはそれを見て頷く。

 頭上で待機するイーリスは、そんな状態の一夏に無慈悲にも大砲のような弾丸を放った。

「うわっ──!?」

 叫ぶ一夏。

 しかし構わずナターシャは発砲を続ける。

 砂埃が更に舞い、薬莢が落下する。

 訓練では無い。その激しさは苛烈であった。

 遠慮無しの弾丸の雨は続いていた。

 懸命に避ける一夏だが流石に限界が来る。

 身に纏う〈白式〉の右翼に弾丸が命中し、バランスを崩した一夏は顔面から地面に激突した。

 それをジッと見つめるナターシャは、イーリスに目配せする。すると弾丸の雨は止み、アリーナの振動は落ち着いた。

「限界? 一夏君」

 静かだが、それは強制でもあった。

 彼女の目が言っていた。──立て、と。

 激しく呼吸する一夏は言葉が発せない。

 だから彼は、彼女と同様に目で答えた。

 ──まだ、やれる。

 彼のその真っ直ぐな目は素直だった。

 とても勇敢で、勇気のある男の目だった。

 そんな少年の真っ直ぐ意志に満足げに頷くナターシャ。上から見下ろすイーリスも、「よしよし」と言わんばかりに頷いている。

 そんな、側から見て暴力的とも取れる彼女達のやり取りは、織斑一夏を成長させるスパルタの特訓だった。

 

 ▽▽▽

 

 そして、早朝の訓練は終わった。

 体中の酸素を全て使い切ったかのように、酷く荒い呼吸する織斑一夏は地面に倒れている。

 彼を見下ろすナターシャとイーリスはその姿に苦笑していた。

 この訓練は彼が持ちかけたものではない。

 スパルタで残忍なこの特訓はナターシャとイーリスの提案だった。もっと細かに言うとナターシャ発案のものである。

 一夏は知らないが、この二人は彼の事を気に入っていた。

 その諦めない姿勢。男らしい意志と勇気。

 戦い、人々を選ぶ軍人の道を選んだナターシャとイーリスを好ませるには十分過ぎる異性であったのだ。一夏は。

 きっと年齢が近かったなら狙われていただろう──と思う。

「ほら、立てよ一夏」

 手を差し出されたが、顔を横に振る一夏。

 彼は満身創痍を超えた疲労で立てる体力が無かった。

 それを理解したイーリスは呆れたように息を吐く。

 ナターシャは頰に手を当て、微笑んでいる。

 このやり取りも、かなりの数をした。

 ボロボロになった一夏も。

 呆れるイーリスも。

 微笑むナターシャも。

 織斑一夏が戦士として昇格していく中で何度も行われた。

「まあ瞬時加速も多加速も覚えたんだ。ボロボロになるぐらい繰り返したんだから、死んでも忘れねーよ」

「……うす」

 事実、今の彼はボロ雑巾である。

 故の戦闘技術は彼女達のお墨付きを頂いた。

「ともかくまず一日目よ。……でも、昨日の夜からぶっ通しのオール稽古お疲れ様。今日は良く寝て休みなさい。訓練は明日の朝からしますからね」

「え? いや、俺はまだやれます!」

「うるせーなあ。いいから休んどけ」

 一夏の額を叩くイーリス。

 その額を摩った一夏は、こちらを見る二人の視線に負け、渋々アリーナを去って行った。

 そして彼の後ろ姿を見送ったナターシャとイーリスは互いに向き合い、表情を変え、思う事を口にしあった。

「瞬時加速……覚えやがったな、あいつ」

「まさかって感じよ──いえ、違うわね。当たり前だったのかもしれないわね」

 彼は──彼は必死だった。

 と。ナターシャは思い出す。織斑一夏の横顔を思い出し、枯れなかった彼の意地を胸中で讃える。

「……私ね。もしかしたら、"勝てるかも"って」

 ポツリとナターシャは呟いた。

 しかしすぐ嘆息し、彼女は欠片の可能性を自らで否定する。

 彼女の脳裏に浮かんだイメージは単純な勝利。混じり気の無い成功への道筋が見えたのだった。

 そんな親友の一瞬の問答を見逃さなかったイーリスは、少しだけ目を伏せてから、彼女の肩に手を置く。そして自らの銀色の義手に視線を遣りながら、噛み締めるように言った。

「絶対勝つんだよ、ナタル」

 ──ええ、そうね、イーリ。

 実際に声に出した訳ではないそれは、長年連れ添ったイーリスだからこそ読み取れた、ナターシャ・ファイルスの言葉だった。

 

 ◆◆

 

 目の前が揺らいで、足が空を蹴った。

 間抜けな声を漏らして、俺は窓枠を掴む。その表紙にポケットから何かを落としたような音が聞こえる。

 ゆっくりと体勢を戻し、下を向いた。

 見ると、落としたそれは何かの鍵だった。

 腰を屈め、一夏は鍵を拾う。

 恭しい手付きでそれを持ち上げた一夏は、鍵を陽に翳して観察するように目を細めた。

「……俺、鍵なんか持ってたっけ?」

 それは、不思議な形の鍵であった。

 黒く、黒く、鈍く光る鍵であった。

 しかし、自分の物ではない。

 一夏は眉を寄せ、辺りを見渡す。

 人の影は無く、気配は無い。

 ならばこの鍵は落し物?──そう考えた一夏はそれをポケットに押し込み、再び歩き出した。後で届ければいい。そう、睡魔で染まった頭の中で考えながら。

 

 ◆◆

 

 どこか物々しい雰囲気が漂う廊下。

 候補生らを残し、家へと避難した生徒達が残した静けさは、カビのように空間へこびり付いている。

 そんな鬱蒼とした廊下を歩く更識簪は、不自然な肌寒さに手を擦り合わせ、ハァと白い息を吐き出した、春だというのに、まだこんなにも寒い。

「──……あ、織斑君」

 ふと、向こう側の廊下に人影が一つ。

 気まずいまま別れた織斑一夏が、フラフラと歩いていた。

 更識簪はそれを見て立ち止まった。

 なんて、声をかけたらいいだろう──

 乾いた喉を鳴らし、凍えた思考の中を埋めたのはそれだった。簪は罪悪感と羞恥の板挟みになりながら、彼との仲直りを願った。

 しかし、そうこうしているうちに彼の姿は消えてしまう。

「あ」と短い言葉が溢れた後、少しの安心感が込み上げた事に、簪は自分自身が嫌になった。

 と、その時。後ろから腕を回され、ギュッとされる。

 後頭部に膨よかな胸部を感じ、簪は肩越しに振り返った。

「……お姉ちゃん」

 目視。

 更識簪は抱き締めたのは更識楯無であった。

 にこやかな笑みを浮かべる姉だった。

「どーしたのかな? 簪ちゃん♪」

 ──あ、違う。

 楯無はコロコロと内心の心情を変える人間なのは、身内である簪には知れたことである。計り知れないその身の内が恐ろしく感じる時期もあった。しかしそれが姉の弱き部分であり、本心を隠すための藁だとも知っている。では、何が違うと思ったのか。簪自身の胸中で渦巻いたのは少しの懸念と、確信的な見破りだった。彼女は何かがいつもと違う。そして何かを隠している。彼女が自分自身で作り上げる偽造の藁とは違う、また別の何かを用いて、その身の内を晒すまいと笑んでいる。日々の気付きのような些細なものである。だからこそ、他の者は気付かなかったのだろう。もしも誰かが気付き、指摘していたならば、簪の気付きはなかったのだから。

「お姉ちゃん、何かあった?」

 その問いかけをした時、楯無の眉が微かに上下したのを簪は見逃さなかった。簪の懸念は確信に変わった。

 楯無の表情はそれ以降は鳴りを潜めたように表には出なかった。簪もそれには言うことは無かった。誰しもがそうすると思ったからだ。見られたくない側面を見られてしまった時、人間とは隠してしまう生き物だと知っていたからである。けれどもやはり心配である事には変わり無い。この、弱いくせに強がり続ける姉には強引なぐらいがいいのだ。しかしそれが出来ないのが簪自身でもある。それも自分でよく知っているつもりだ。

「お姉ちゃん。ちょっと私と勝負しよ」

 だから、私は、稀にない奇行に走ろうと思う。

 自分が好きなヒーロー番組が贈る、温かくも心燃え上がる拳での語り合いというものを──やってみようと思う。




続く
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