君と僕の物語   作:名無しの執筆者

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はかあまはさな


第六十話 「害虫」

 とある国。

 とある基地。

 形ばかりの演習を行うその場所に、午後一時頃、突如として異形の敵が襲来した。

 

 ◆

 

 その日、その町は祭りが開かれていた。

 小さな祭りだが、伝統のある祭りで、普段大人しいこの町も、今日ばかりは賑わいと活気に満ち溢れていた。

 石畳の道には露店が並んでいる。

 町の子供たちは盛り上がり、それを見る大人や老人達も顔を綻ばせていた。

 しかしその時、どこからかざわめきが伝わってきた。

 祭りの賑わいよりも大きなそれは、道行く人々の足を止めた。

 誰かが空を指差した。

 釣られた町の人々が上を見上げた。

 

「わー! 飛行機だー!」

 

 子どもの喜ぶ声が聞こえた。

 空に何かが通り過ぎた。

 町の祭りは静けさで満ちた。

 大人達はそれが何なのかを頭のどこかで理解した。

 

 ぐんぐんと空を舞う"飛行機"。

 

 子ども達が声を揃えて飛行機と呼ぶ何かは、太陽が一番高い、午後一時頃に現れたのであった。

 

 

 

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 朝、朝食を食べながらテレビを見ていると、気になるニュースが流れていた。

 鈴はそのニュースの内容に手を止め、隣の席で同じく朝食を摂っていたらラウラも手を止めた。

 

「……変な事件ね」

 

 鈴は感情を押し殺しながら呟いた。

 横目でそれを見ていたラウラは少しだけ唇を噛んだ。

 ニュースの内容は町が化け物に襲われたとの報道だった。化け物──と称されてはいるが、映像で流される町の状態を見るに、それがISの仕業である事は誰の目から見ても明らかであった。

 町の建物は黒ずみ、地上は焦土と化している。何かの祭りの最中だったのか、形を失くした店の残骸が散らばっている。

 人の手で起きたものではない異常な事。

 IS乗りの鈴は勿論、軍人を本文としていたラウラには嫌でも判ってしまう事実であった。

 

「……我々は、あれを食い止めなければならない」

 

 席から立ち上がったラウラはそれだけ言い残して去って行った。残った鈴はテレビの電源を落とし、暗くなった画面を見つめ、理由も無いため息を吐いて頭を抱えた。

 

「分かってるわよ……そんなこと」

 

 今回起きたニュースでの出来事。

 鈴にはそれが、戦いの狼煙であるような気がしてならなかった。

 

 ◆

 

「──ですから、何度も言っている」

 

 学園の地下。

 政府の人間との通信場所であるそこで、千冬の焦るような声が響いていた。

 

「確かにその施設は各国のものである。しかし優先順位が違う。黒うさぎ事件の後に結ばれた条約を守るのが先だ。……我々は、同盟を結んでいる国をまず守らなければならない」

 

 しわがれた老人の声。

 千冬は正論であるそれに拳を握る。

 

「しかし、狙われていることには変わりないでしょう」

「分かっている。君が教えてくれた通り、あの企業の連中は徐々に包囲を狭めてそこに近付いている。何の目的があるのかは知らんが……あやつらは目標を定めている」

「ですから──」

「だとしてもだ。奴らの目的がそこであったとしても、今をどうにかせねばならない。君も聞いただろう。ついにあやつらは、小さな村でさえ焼いてみせたのだ。軍事基地ばかり狙っていた企業達がだ。……戦線布告だよ、これは」

「……だから、人員は回して貰えないと?」

「そういうことだ。残念だがね」

「……」

 

 突きつけられた言葉に目を伏せた。どうしようもないと思った。けれど、それでも──千冬は諦めてなるものかと口元を結んだ。

 わかりました。千冬はそう一言だけ言って通信を切った。間際に老人から「すまない」という謝罪の言葉が出たが、気にせずにモニターを暗転させた。どうしようもないのはお互い様。そう胸の中で自分に言い聞かせて、千冬はその部屋を後にした。

 

「よう。どうだった?」

 

 部屋の外でイーリス・コーリングが待っていた。イーリスは軽く手を上げ千冬を迎える。

 千冬は少し黙り、それから首を横に振った。結果を仕草で表す。目の前でイーリスが苦笑する。それに少しだけ千冬は心が軽くなった気がした。背負うのが自分だけでないと感じた。

 

「表面上は良いもんだが、結局お偉いさんの考えていることは自分達の国の保身なんだよ。あいつら兎にひでぇ目に遭わされたからこれ以上の損害を出したくないんだ」

 

 人気の無い通路を歩きながら、千冬はイーリスと会話する。

 

「……まあ、普通はそうだろう」

 

 それが国を背負う者なら尚更だ──千冬は目を伏せた。

 

「まあタイミングの問題じゃねえけど、悪い時期にくるもんだよな。そりゃ国だって人手は無いに決まってる」

「……商売上手だよ、全く」

 

 と。千冬の皮肉にイーリスが苦笑する。

 千冬はそんな彼女の様子に釣られ、苦笑した。

 

「でも、企業の奴らはなんでここを狙う?」

「……実のところ、私にはよく分かっていない。ただ束──篠ノ之博士がそうだと突き止めた。信じたくはないが確かな事実なんだよ」

「ふーん……篠ノ之博士ねえ」

 

 何か意味ありげな反応を見せるイーリス。

 千冬は眉尻を上げ、彼女の反応を伺った。

 

「別に信用してねーわけじゃねーけどさ。本当にその情報確かなのか?言いたくはねーが、嘘っぱちなんてのは聞きたくねえぞ?」

 

 それはない──と、千冬は言葉が出なかった。

 千冬自身、その考えがあった。もしかすると束が騙しているかもしれない。彼女がしてきたことを考えればそれも頷けると。

 

「……」

 

 けれど、それでも千冬は束を信じていた。そうするしかないと思っていたからだ。

「で、どうすんだよ?」イーリスが鼻を鳴らす。

 千冬は伏せていた視線を上げ、こちらを見つめるイーリスを見返した。やるべき事は変わっていない。何度も行ってきた交渉がまた失敗に終わっただけだから、今していることを続けるだけ。敵に備えて準備をするだけだ。

 

「このまま、奴らを待つ」

「……シンプルでいくのネ」

 

 口角を釣り上げたイーリスに一度だけ目を遣り、千冬は見えてきたエレベーターに乗り込む。そしてイーリスが乗り込むのを待ってから、動き出すボタンを押した。

 

「勝てると思うのか?」

「勝たねばならんのだ」

 

 エレベーターの稼働音を聞きつつ、千冬はそう返答する。

 

「でもな、最強。軍人が本分の私からすりゃ、この戦いにはなんのメリットも無いぜ? むしろ失くす物の方が多いかもしれないんだ。……まあ、それでもやるんだろうけど」

 

 愚問だな──と胸中で呟いた言葉は、気分を悪くさせた。

 千冬はふらつき、壁に手をつく。

 ズキズキと痛む頭に息を吐き出し、カサついた唇を舐めた。

 ──少し、疲れた気がする。

 横から感じるイーリスの視線に手のひらを向ける。

 大丈夫。大丈夫だ。微笑んでやって、両足を起立させた。

 

「……私は休む」

「その方が良いよ」

「うむ。……そうだな」

 

 また頭痛がして、歯を噛み締めた。けれど我慢する。

 

「……では、またな」

 

 地下と地上を繋げるエレベーターに乗り込み、去り際、千冬は霞んだ視界でイーリスを見つめ、微笑んだ。

 彼女はどこか心配そうに、こちらを見つめる。

 千冬は閉じて行く扉から最後までイーリスの姿を見届け、そして閉じた途端に、自分が酷い睡魔に脅かされていくのを感じた。

 

 ◆

 

「何か来る」

 

 そう言って空を見上げたのは、更識楯無だった。

 赤い瞳を空に向けた彼女は、透き通る空を凝視した。

 空に変化は無かった。どこまでも青い。

 見間違い、思い違いかもしれない──と彼女は思ったが、彼女自身こういうなんでもない時の直感ほど良く当たるものはないと知っていた。

 不安は消えず、胸の中に居座っていた。

 楯無は空を見続ける。見続けて見続けて、見つめ続けて、そうしてようやく胸を撫で下ろす。

 ──良かった。何も無かった。

 小さく息を吐いた途端、込み上げる安堵。

 口元に笑みを浮かべた彼女は飲みかけていた紅茶が入ったカップを手に取り、もう一度優しく吐息した。

 ふと、部屋の中を見渡してみた。

 アンティークなソファが置かれ、壁際には仕事机が寄せられている。その上には積み上がった書類やファイルが埃を被っており、お世辞にも綺麗とは言い難い姿を晒している。

 変わらない物。

 楯無はこの、毎日来ても変わらない場所が好きだった。

 落ち着く──否応無しに平和を感じさせてくれるのだ。

 一度瞼を閉じれば、その心境は表れる。

 これこれ、これが好きなのよね、私は──。

 更識楯無。

 彼女は来たる戦いが訪れるまで、この平穏を噛み締める。

 

 ◆

 

 時を同じくするように、更識簪は何かを予感した。

 けれど専用機を整備する彼女にとってそれは些細な事で、今ある時間が惜しい程に焦っている証拠でもあった。

 いつ来るか分からない敵の襲来が簪には恐怖だった。

 戦う覚悟は出来ていた。

 その決意を皆の前で知らしめたし、今もこうして心身を削っている。

 違う。それは麻酔である。

 彼女はその恐怖故に何かを行うしかなかった。

 心を削る努力は怖さから。

 身を働かす健気は震えから。

 意思を奮わそうと、立たせようと、更識簪の中には消えてくれない恐怖が在った。それを自身で知っていたから、更識簪は動き続けていた。

 

「──」

 

 あれ?──と。

 その時、彼女の手元が狂う。

 使っていた工具が手から滑って床に落ちた。

 整備室に響く高い音。

 更識簪は止まり、そして床に手を伸ばした。

 あれ?──あれ? おかしいな。

 落とした工具はひとつだけ。

 なのに、なんで、二つある?

 とりあえず、早く作業を。更識簪は工具を手に取ろうとする。掴もうと握る。しかし不思議なことにそれは出来なかった。そこにある工具は空気を掴むように手をすり抜けてしまう。

 と。そこでようやく少女は、自分の限界を悟った。

 ──そっか、私、頑張り過ぎたんだ。

 それが分からない程に、彼女の心は疲れ切っていた。

 霞む視界は数を騙した。

 少女の指先は震えていた。

 更識簪は言い訳も、仕方無しとも考えず、これまでだと思って体を横にした。

 膝にかけていた毛布を広げて体を包み、瞼を閉じる。

 暖かくはないが、それを補うだけの安心は感じた。

 ちょっとだけなら、みんな許してくれる。

 そうして睡魔に身を預けようとした──その時だった。

 横たわる床から強い振動を感じた。

 下から打ち付けるような衝撃だった。

 地震のように持続しているものではなく、殴打するように間隔的な揺れは不吉だった。

 簪の脳裏に蜘蛛眼の敵の姿が浮かんだ。

 駄目、駄目、思い出すな!

 震える指先がまた工具を落とす。

 泣きそうになりながらそれを疲労。

 怖い。また死ぬ思いをするかもしれない。

 嫌だ。嫌だ。もうあんな怖い思いはしたくない。

 ポロポロと涙を流し始める簪。

 しかし途端に彼女は下唇を噛み締め、それを堪えた。

 

「怖くない。怖くない……っ」

 

 虚言の強がりを口にした。

 そうしなければ恐怖に潰されそうだったからだ。

 意思は遠く、弱さが引き摺り出された。

 記憶と共に閉ざしていたトラウマは笑みを浮かべて蘇った。

 懸命に指先を動かしていた簪だったが、その指先は次第に力を失いつつあった。彼女の心が恐怖を受け入れようとしていた。

 

 次第に揺れは収まったが、彼女は耳は偽りの音を聞き続けていた。

 止めてはならないと、自らの手を動かし、霞む視界の中に映る武器を拵え続けた。

 その姿はとても惨めであった。

 

 暫くしてようやく揺れが止まっていることに気が付いた簪は、力が抜けたように座り込んだ。

 二、三度辺りを見渡して、顔をくしゃりと歪まし、それから涙を流し始めた。

 整備室の中で簪の泣き声が反響した。

 咽び泣くような簪の声は、とても悲しかった。

 ボロボロの指先で涙をすくう簪だったが、涙は滝のように次から次へと溢れて止まらない。

 彼女は止めなければと分かっていた。

 しかし彼女の弱さは、悲しみを跳ね返す強さが残っていなかった。簪の心は疲れ切って、擦り切れて、けれど尚進もうとする意志だけを残して、あとは消えていたのだ。

 膝を抱えた簪は、遂に大声を上げた。

 嗚咽だったそれは辛い悲鳴に変わってしまった。

 姉が居れば抱きしめただろう。

 親友が居れば駆け寄っただろう。

 けれどこれは簪の選んだ道だ。辛い事も、苦しくなる事もあるのも知っていた筈だ。だからどんなことがあっても、彼女はその弱さを切り売りする義務がある。

 

「もう……嫌──」

 

 もう、嫌だ。

 いけない。それは言ってはいけない言葉だ。

 喉の奥。そこへつかえる言葉。

 出しては駄目な本心。それは、たちまち毒に変わる。

 苦しむように胸を押さえる簪。

 体を震わし、その弱さで必死に耐える。

 

「……大丈夫。私は、まだ頑張れる」

 

 せめて、言葉だけでも──と。

 彼女の瞳は語った。

 潤んだ瞳は何とも弱々しい。

 けれど、彼女は卑屈故に抗う。

 

「大丈夫。大丈夫。これを頑張れば終わる」

 

 言え、言え。

 そうやって我慢することだけが、今の自分に出来る事だ。

 立ち上がった簪の背中は陰っている。

 身の内に隠してあるものは、まだ克服されてはいない。

 けれど彼女の意志だけは、その弱さを受け付けない頑固さと共にあった。

 と。その時。

 

「警報……敵!?」

 

 予感は、的中していたのかもしれない。

 唇を結んだ簪は自身の専用機に飛び乗った。

 万全では無いにしろ、形を取り戻した〈打鉄 弐式〉は動かす事が出来る。

 

「大丈夫。私は戦える」

 

 その言葉は紡ぎ続ける。

 操縦者の意志に反応して、機体は唸り声を上げる。

 整備室の扉に視線を向けた簪は、機体との接続を体感してから前傾姿勢をとり、一気にロックを解除した。そして体を押さえつけるような圧力がかかった後、簪と〈打鉄 弐式〉は空へと飛び出した。

 

「もう、前が見えない……!」

 

 目元に残る涙を拭った簪は、地上を見渡した。

 眼下にある学園に煙や爆発は起っていない。

 センサーを広げるも、網には何も掛からない。

 もし、あの時の無人機ならば──と。敵が光学迷彩などの遮断機能を持っているなら意味が無いと判断した簪は、他にいる仲間達に通信をとった。

 

「お姉ちゃん! 敵が来たのかも!」

『ええ、聞こえたわ……!』

 

 まず一番に姉の楯無と連絡を取った簪は、その時、視界の端で何かが通り過ぎたのを見た。

 通信に言葉を向けるのも忘れ、反射的に機体を反転させた簪は、視界に捉えたものを追った。

 

「また、お前……っ」

 

 発見した、今も鮮明に記憶している昆虫のような外見の無人機。

 それを両面で据えて、簪は声を震わせた。

 

「……このぉ!」

 

 恐怖を塗り潰すように声を荒げた簪は、様子見も行わずに敵へと突進した。

 唯一武装していた鉄刀を背後のバックから抜き、咆哮と共に振り下ろした。

 空気を裂く一撃だった。

 敵は当然簪の存在を察知していた。

 甲高い鳴き声を上げた敵は、その身に鉄刀が当たる前に機体を加速させてそれを躱した。そして手のひらから収束されたビームを放った。

 

「ぐぅっ……!」

 

 迫るビームに機体を急転換した簪は、その圧力に声を曇らせる。途端にかけたバーニアが骨を軋ませる。

 眼球を動かし、敵の股下へと潜った簪は、再び鉄刀を構えて突撃した。

 敵は休む事なくビームを放ってくる。

 簪は近づくにつれて激しくなるビームを、瞼をいっぱいに開いて捉え続けた。躱し続けた。

 敵はこのままでは近付かれると判断したのか、手のひらからビームを放つ事をやめ、簪が上がる向きとは逆に、地上へと逃げた。

 ──逃さない!

 敵の後を追い、簪は向きを変える。

 そして鉄刀の切っ先を敵に向けたその時、簪は不思議な感覚に全身が包まれたのを感じた。

 

「……え? 敵がいる……?」

 

 不思議な感覚。

 直感とも言えた。

 意志とは関係なく、敵を追うのをやめて機体を停止させた簪の目の前を、赤黒いビームが通り過ぎた。

 声を詰まらせた簪は反射的に機体を後退させる。

 あのまま敵を追っていたら、死んでいた──!

 簪はどっと嫌な汗をかき、赤黒いビームが飛来した方向を恐る恐る見る。するとそこには記憶に新しい、無人機とは全く違う、確かな人間を搭乗させたISが存在した。

 

「チッ。当たんねえのかよ。使えねーな」

 

 まるで蜘蛛のような機体だった。

 フェイスマスクで包まれた顔から伺える口元を歪ませるその人間は、苛立ったように乱暴に息を漏らした。そして驚く事にそよ人間は簪では無く、味方機であろう無人機に対して先ほどのビームを放った。

 

「え……!?」

 

 

 ビームが直撃し、爆散した無人機を見て、簪は目を白黒させた。

 あまりにも突然な出来事に、目の前の人間に恐怖を抱いた。

 ──危険な奴だ。

 躊躇いも無く、引き金を絞った。

 それはあの人間の凶暴性を表している。

 簪は底から恐怖が上がってくるのを感じた。

 目の前の人間に怯えている。それが分かった。

 

「あー、スッキリした。──次はお前な」

 

 まずい。来る──!

 逃げるように機体を走らせる簪。

 背後に嫌な寒気を感じた。

 瞬間、〈打鉄 弐式〉がアラームを鳴らし、直後簪の頭上を赤黒のビームが掠める。

 おびただしい量の熱量に、人間としての防衛本能が働く。

 敵に正面を向け、顔を守るように腕を交差させた簪は、その隙間から敵が次のビームを放つのを見、目を見開いた。

 

「……っあ!?」

 

 避けられるタイミングでは無かった。

 敵が握るライフルから、恐ろしいビームが放たれた。

 思わず目を閉じた。

 簪はくるであろう痛みに構えた。

 しかしその衝撃は中々訪れず、簪は恐る恐る目を開く。

 するとそこには辺りを見渡し、狼狽するように怒号を散らす敵の姿が映った。

 何が起こったの──?

 簪は敵同様に狼狽した。

 あの敵が狙いを外すわけないと思っていたからだ。

 けれど現に、敵は簪を生かしてしまっている。しかも見るに、あの敵は簪がどこにいるのかも気が付いていない。まるで目の前にあったものが忽然と消えたように、敵は簪の姿を探している。

 

「──え? なに、これ……黒い、霧が……」

 

 簪はそこで初めて気が付いた。

 自身の周りに、何か得体の知れない煙が渦巻いているのだ。

 しかし呼吸は苦しく無く、恐怖も感じない。

 まるで守ってくれる盾のようなイメージが浮かび、簪は黒い霧に触れてみた。するとそれは気体であると判り、実体では無かった。

 

(これ、何だろ。もしかして……私を隠してくれてるの?)

 

 確信はなかった。だが、自分が此処にいるのに気付けていない敵の姿に、そう思わずにはいられなかった。

 

「──なら、チャンスかもしれない」

 

 簪は賭けに出ようと決めた。

 下唇を舐め、緊張を誤魔化した。

 

「くそっ! あのガキィ……っ!」

 

 敵はまだ簪を探している。

 この機を逃してはいけない。

 そして息を吐き、簪は叫びと共に霧の中を飛び出した。

 

「はぁぁあ!!?」

 

 敵は仰天した顔を見せ、銃口を簪に向ける。

 しかし今度は敵の方が遅く、タイミングは簪のものだった。

 ──堕ちろ!

 寸分の狂いも無く、簪は鉄刀を敵に振り下ろす。そして両耳と手のひらで直撃した感触を感じ、目を見開いた。

 しかしこれでは足りない。

 簪は続けて鉄刀を敵に打ち付けた。

 無我夢中の攻撃。

 敵の反撃はまだ無く、驚きの中から抜け出せていないようだった。

 簪は息荒く、攻撃を続ける。

 何度も何度も敵の装甲を斬りつけ、ついに外装の一部を破壊した。

 

「このまま……──!!」

 

 簪の胸に勝利という文字が浮かんだ。

 天が味方してくれていると思っていた。

 油断だが、この優位な状況が簪の恐怖を麻痺させていたのである。しかしそれはこの場でだけ勇気に代わるものと成った。

 

「調子付けがぁ……っ!!」

「うるさい!」

 

 敵を蹴り付け、抑えつけ、剣を振るう。

 反射するように腕を上げた敵は、怒りに染まった顔で簪を見上げた。

 

「殺してやる!」

 

 吠えた敵が、ついに反撃に出た。

 背面に背負っている蜘蛛足を動かした。

 上擦った声を上げた簪。

 敵が操るそれに思わず圧倒され、止めてはならない攻撃を止めてしまった。すぐにそれに気が付いたが、簪は蜘蛛足に捕まれ、容易く敵から引き離された。

「くそ……っ」口中でそう呟いた簪は、〈打鉄 弐式〉の装甲の隙間を引っ掛ける蜘蛛足に鉄刀の柄をぶつける。しかしかなり硬い素材で出来ているのか、それは少しも欠けたりはしなかった。

 〈打鉄 弐式〉がアラームを鳴らしたのに反応し、簪は蜘蛛足から視線を逸らし、上を見上げた。すると、やはりそうであると言うべきか、敵がこちらにライフルを向けていた。

 

「ヒヒっ!!」

 

 薄気味悪い笑みと共に敵が引き金を引いた。

 反応した簪は、蜘蛛足を引き剥がすことを諦め、拘束されている装甲をパージすることで回避する。受ければひとたまりもない攻撃は、一度だって喰らうわけにはいかなかった。

 

「ああ、もう! なんで避けんだよ!!」

 

 ──当たり前でしょ。

 頭上の敵を据えた簪は、機体を加速させる。

 それに敵も同じく加速した。

 ぐんぐんと敵が目の前に近付いてくる。

 簪は喉を鳴らし、敵の背中を見遣った。

 計六つ、左右にそれぞれ三つ。

 独立して動く蜘蛛足はどうするか?

 握り締める鉄刀ではきっと対処しきれない。かといって装甲を犠牲にしたように機体の防御を減らすしてまで対応する訳にもいかない。

 視線を鉄刀に向け、簪は唇を噛む。

 あと少しで──敵と交差する。

 考えても仕方がない。今は自分がこうして戦えている事を幸運と考えよう。

 鉄刀を強く握り直し、簪は気持ちを強くした。

 徐々に機体を加速させ、そして間合いに入った敵に向かって刃を向ける。

 敵はニヤついた笑みでこちらを見てきた。そしてその背中には当然蜘蛛の足が在る。

 こちらに向かって爪を向けてきたそれを凝視し、簪はバーニアを更に噴かせた。

 敵はその動きに驚きの声を上げた。容易く拘束出来る範囲に簪が詰めてきた事が不思議だったのだ。

 

「馬鹿が!」

 

 完全に貰った──!

 敵の表情がそう語る。

 そしてその通り、簪の全身は蜘蛛足に捕らえられた。

 だが突如、その蜘蛛足にたワイヤーが絡み付き、動きが鈍る。

 

「ああん!?」

 

 どこから伸びてきたのか分からないワイヤーの元を辿った敵は、それが簪の機体手首から出ていたことに気が付いた。それに怒った敵は、簪に向かって頭突きを見舞った。

 

「……この距離なら当たる!」

 

 額の痛みに耐えながら、簪はワイヤーを掴んで引いた。

 そして敵から離れないよう片腕を回し、腰のアンカーで敵を掴んで施錠をした。

 

「なんだよコイツ……離れろッ!」

 

 敵は猛獣のように暴れる。

 簪はそれを必死で抑える。

 しかしその時、敵が暴れた拍子で蜘蛛足の一つがワイヤーから抜け出した。

 それに目を見開いた簪は、すぐにワイヤーを掛け直そうとする。だが蜘蛛足はそれよりも前に行動し、その先端から本物の蜘蛛を連想させる糸のようなものを発射した。

 

「う、がぁ……っ!」

 

 その蜘蛛糸は簪の喉へ絡み付いた。

 キャップを閉めて空気を逃さなくするように、簪の喉が蜘蛛糸でどんどん絞られていく。

 簪は、視界が霞むんでいくのが分かった。

 〈打鉄 弐式〉の身体維持装置は働いていたが、この蜘蛛糸はそれでは補えない力で喉を締め付けていた。もしも鎧で身に纏われていなかったらと想像すると、簪はゾッとした。

 

「ヒヒヒッ……逝っちまえよぉ〜」

「ぐぅ……ぅッ!」

 

 堪らず、簪は敵から手を離してしまう。喉に絡み付く蜘蛛糸を掴んで引き千切ろうとする。

 

「あっは! お前、マジで死ね死ね♪」

 

 それにより自由を得た敵は、心底嬉しそうに笑みを浮かべ、渾身であろう蹴りを簪の顔面に叩き付けた。

 そして、簪の目の前が暗転した。

 

「──……ッッッ」

 

 痛みは無かった。

 何が起きたのか分からなかった。

 ただ自分の体が何かに衝突したという確信だけが存在していた。

 簪はゆっくりと眼を見開いた。

 視界は砂煙で曇っていた。

 体は自由に動かせなかった。

 何が、起きたのだろう──。

 まるで惰眠を貪った直後のような思考。

 緩慢さで辺りを見渡す簪は、そこで初めて自分が瓦礫の中に埋まっていることに気が付いた。そして目の前に迫る赤い流星も。

 

「────わ」

 

 そのたった一言の後、簪の鼓膜を爆音が支配した。

 辺りが熱で包まれ、景色が吹き飛んだ。

 歪む視界の中、むせるような熱を感じながら、簪は、こちらを見下ろす敵の姿を見つけた。

 

「じゃ・あ・な」

 

 口の動きから読み取れたその言葉と共に、簪の思考は一気に冷え渡った。

 周囲の熱量から次の攻撃を予想し、すぐさま機体を動かそうとした。

 

「……嘘、壊れてる……動かない!!」

 

 見ただけでも分かるほどに破壊されたブースター。

 それに一気に血の気が引いた簪は、痛む全身を動かした逃げようとした。しかし稼働していないISは少女が身に纏うにはあまりに重く、その動きは当然の如く鈍足になった。

 

「嫌、嫌だ! お姉ちゃんっ!!」

 

 一向に訪れない敵の攻撃。それが逆に恐怖だった。簪は涙を流しながら惨めに地面を這い、押し殺していた恐怖に支配されてつつあることを感じた。

 怖い、怖い──!

 地面に何かが衝突し、土が飛び散る。

 簪はそれに情け無い悲鳴を上げ、潤んだ瞳を向けた。そして存在する抉れた地面にまた絶叫した。

 あの敵はきっと自分を逃さない。虐めて弱らせる猫のように命を玩ぼうとしているのだ。

 

「やめて……っ。助け──」

 

 最悪の懇願が溢れそうになったその時、簪の頭上を何かが通り過ぎた。

 しかしそれに気が付けない簪は戦慄を続け、恐怖に歯を震わせる。

 

「動け! 簪っ──!!」

 

 現れたのは鈴だった。彼女は他にもある機影を後回しにし、まだ整備が完全に終わっていない〈打鉄 弐式〉を使う簪を心配して駆け付けたのだった。

 

「またガキッッッ!」

「蜘蛛女め……っ」

 

 簪の頭上で火花が散る。

 鈴は己の〈甲龍〉を操り、敵を蹴り飛ばした。

 

「簪! ねえ簪ったら!!」

 

 震える簪に近寄った鈴は声を張り上げた。

 しかし一向に落ち着きを取り戻さない簪、そして敵の接近に舌打ちを漏らし、強引ではあるが簪をアリーナの隅に蹴り飛ばした。「ごめん、簪!」

 直後、敵が目の前に降り立つ。そして背面にある全ての蜘蛛足が稼働し、鈴を捕らえようと動いた。

 

「気持ち……悪いっ!」

 

 薙刀のような武器を〈甲龍〉のパスロットから呼び出した鈴が、それで蜘蛛足の爪を防ぐ。しかし粘着質の糸までは防ぎ切れず、片腕を拘束されてしまう。

 

「何なのこれ!?」

「見りゃ分かんだろぉ!!?」

 

 〈甲龍〉の胸部装甲にライフルの銃口を押し付けた敵。

 それに即座に反応した鈴は銃口を手で押しのけ、直後に放たれたビームを回避した。

 

「あっぶなッ!?」

 

 敵の舌打ち。そして上手く回避出来た事に口笛を吹いた鈴は再び敵を蹴った。

 

「ぐぅ……何度も!?」

「っせーの──!!」

 

 そして腕に括り付けられた蜘蛛糸を強く引き、その反動でこちらに戻ってきた敵を倍の力で蹴りつけた。際に足裏から何かを踏み潰すような感覚が伝わり、鈴の腕に鳥肌が立つ。

 

「もうほんっと気持ち悪い奴ねぇ!」

 

 貼った蜘蛛糸をナイフで切断した鈴は敵を追う。

 視認できる敵は胸の装甲が陥没しており、目に見えてダメージを負っていた。しかし少し考え、機体を停止させた鈴は向きを変えた。まずは簪を治療してやろうと思った。

 

「簪! もう大丈夫だから、ねえ!?」

「…ぅ、あぁ……鈴? ……鈴っ!」

 

 鈴の介抱により少しだけ落ち着きを取り戻した簪が、安堵からか大量の涙を流した。鈴はそれに微笑み、良かったと同じく安堵する。

 ──しかしここにはまだ敵がいる。

 それを再認識した鈴は簪を〈打鉄 弐式〉から引き抜いた。際に機体を少しだけ破壊したが仕方がない。

 

「簪、あんたは下がってて」

「鈴は?」

「あの害虫をぶっ潰す!」

 

 そうして再び敵に視線を向けた鈴は、こちらを恨みがましく睨む敵に鼻を鳴らした。




続く
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