警報の音に反応した織斑千冬は行なっていた作業を止め、弾けるように部屋を飛び出した。
「織斑先生!」
同じく警報を聞いたのだろう。同僚の山田麻耶が向かいの廊下で手を上げて千冬を呼んでいる。
「手筈は教えているだろう。それを任せるっ」
少し焦り気味の口調でそう伝えた千冬。
聞いた麻耶は「はい!」と頷き、千冬が走る方向とは逆の通路へ向かった。
警報は未だけたたましく鳴り響いている。
それは雷のように激しい。
千冬はざわざわとする胸中に歯を噛み締めた。
頭の中で子ども達、生徒達の安否が気になっていたのだ。
出来る限りの力を振り絞って千冬は走った。時折勢い余って壁に激突しそうになっても走り続けた。
その時、胸ポケットに入れていた携帯が鳴った。
取り出した千冬はそれを耳に当て、応じた。
「なんだ!」
『織斑先生!学園が囲まれています!!』
麻耶の報告に思わず足が止まる。
胸中のざわめきが強くなる。もうそこまで手が回っていたのかと歯を噛み締める。
「……分かった。とにかくまず指示した事を」
『分かりました!』
「頼んだ」
乱暴に携帯を切り、千冬は壁に手をついた。次々に迫る事案に頭が痛くなる。こんなにも敵の接近を許してしまうなんて、束は何をしていたのだ。
しかしぶつけようのない怒りに眉を寄せながらも、千冬はするべき事をする為、再び走り出した。敵がそこまで来ているのなら佇んではいられない。
しかし、妙だな──。
多数の事に頭を悩ませながらも、千冬には一つの懸念があった、音が聞こえてこないことだ。もっと具体的に言えば、敵が放つ怒号や爆発の音である。すぐそこまで来ている敵は、音も立てずに何をしているのだ。その懸念──疑問があったのだ。
「……まさか、内部に潜んだ訳ではあるまいな」
千冬の頭に「潜入」という言葉が浮かぶ。もしかすると敵が、この学園内に忍び込んだかもしれないという不安が生まれた。と同時に、千冬にとって一番大事かもしれない"ある事"が頭をよぎった。
「──」
そして誰かに突き動かされたように、途端に走る向きを変えた千冬は、外ではなく奥へと通じる道を選んで走り始めた。
◆
「──さて、まずは上々……かしら」
そう言って化粧鏡を閉じた女性──スコール・ミューゼルはその艶かしい唇を吊り上げ、隣に佇む少女に視線を送った。
「──ねぇ、マドカ?」
言葉を送られた少女は興味無さげに鼻を鳴らす。
「ふふ。可愛い子」スコールはそれに微笑み、ツンとした少女の髪を軽くすいてやった。しかし軽く手で払われる。だがそれすらが可愛らしいと思った。
スコールは遠くを見遣った。先にあるのは世界に名高いIS学園である。あのどこか恭しい白色の建物を見て心が高鳴るのは待っていた時が訪れたからだろうか。
スコールはそんな、夢を見るような気分を味わいながら、過去の事を思い出していた。それはとても冷たい──戦いの記憶だった。
「……」
手のひらを握り締めたスコールは、はぁと息を吐いた。指先に集まった冷えた感触を払うように両手を合わせた。
暫くしてスコールは、何かを見通すように空を見つめた。その視線は遠く、遠く、どこまでも透き通っていた。晴れ渡る青色の空を見透かそうとしていた。すると彼女には見えてきた。銃弾の飛び交う血色の戦場──人の死が。
「──……さて。じゃあ、行きましょうか」
スコールは一歩を踏み出す。
それに合わせ、何かの地鳴りが起こる。
──いや、それは地鳴りではない。それは歩みだ。
命を持たぬ兵士。
肉を持たぬ人形。
スコール・ミューゼルが引き連れる鉄の塊達。
その地鳴りは少女達を怯えさせる蜘蛛眼の軍列がもたらす、始まりの足音だ。
◆
ガラスが割れる音が聞こえた。
立ち止まったラウラ・ボーデヴィッヒは即座に専用機である〈シュヴルツェア・レーゲン〉を纏うと、自身の感知も足してハイパーセンサーでの索敵を行なった。すると既に学園内に侵入したであろう敵が二機、そして周囲に三機存在していた。
多いな──少し心に焦りが現れる。認めたくはないが、この状況は不味かった。
基本的に戦闘とは一対一が上等。二対一はこちらが有利な時だけ。それ以上なら恥ずに逃げるのが最善だ。
ラウラの周囲には既に三機の敵がいる。なら、解答は撤退が正解だ。正解なのだが──
「選ぼうじゃないか、茨の道!」
この際だ。後悔なく挑もう──!
ラウラは頭の中で友人の顔を思い浮かべ、胸に手を当てた。ぽうと暖かくなる感覚に微笑んだ。守らなければいけない思い出である。そしてこれからも作っていきたいのだ、私は。
レールガンを抱え込み、ラウラはそれに一手間を加えた。
怒られるだろうか? 怒られるだろう。これから私は決めたそばから学園を壊すのだから、きっと皆に叱咤される。
ふふ、と思わず頬が緩んだ。楽しいな──そう思った。
ラウラはレールガンの安全装置を手動で外すと、その内部機構に腕を突っ込んだ。そしてさらに指紋認証によるリミッター解除を実行し、レールガンに設定されていた上限を外した。これでこのレールガンは本当に兵器として機能してしまう。軍人を生業とするラウラにとっては、こんな機能、外しておけと愚痴らずにはいられなかった。
「しかしドキドキするな。私らしい」
唇を舐めたラウラはレールガンを強く抱え込み、アンカーを壁や床に突き刺して我が身を固定する。センサーで敵の姿をロックし、これから起こる衝撃を待ち望む。
吐息が耳元で聞こえた。
風はなく、レールガンは影響を受けないだろう。
一発だ。一発で殺し切る──。
敵の動きは「観察」だろう。動きが無いのだ。経験上、こういう場合の敵は本当に馬鹿みたいに動かない。それこそ司令塔の指示がない限り。だからこそ、唐突な一撃は動揺を誘う要因となる。
「女子からの贈り物だ。嬉しく無いわけないよなッ!」
拳を打ち付けるようにレールガンの側面を叩いたラウラは、瞬間放たれた砲撃に身体が吹き飛ぶのを感じた。激しい爆音が鼓膜を震わせ、背中が後ろの壁を突き抜けたのが分かる。
視界に瓦礫の崩壊が映ったが、センサーが捉えていた敵機の反応の消滅も確かに視えた。レールガンによる攻撃は成功である。そうしてラウラは唯一まだ壁に突き刺さっていたアンカーを命綱に体勢を立て直し、地面に着地した。それから今一度敵の反応を確認し、それが無くなっていることを確認する。
──次……っ!
壁から唯一のアンカーを雑に引き抜いたラウラは、それを鞭のようにしならせ、爆発音を聞き付けてやってきた敵にぶつけた。
破裂音──よりも、それは砕かれた音に近い。
空気を引き裂いたアンカーは敵の首を両断し、ラウラの足元までその生首を運んだ。
バチバチと音を鳴らすその首を蹴ったラウラは、続けてアンカーを振るった。敵が人間ではないのならと、ラウラは遠慮無しに力を出した。
ダン! と強く床を踏み鳴らす──!
アンカーを戻したラウラはレールガンを放り投げると、そのまま駆け出した。
(数にしては妙だ。敵は何を狙っている?)
あえて外に出ず、IS操縦時にとって狭い廊下を進みながら、ラウラは索敵センサーを張り巡らせた。確かに敵は攻め入ってきているようだが動きが少ない。むしろ自分の方が学園を破壊しまっている気がする。今もこうやってガリガリと、〈シュヴルツェア・レーゲン〉の装甲の突起が廊下の壁を削っているし。
一旦立ち止まったラウラは仲間に通信を取ることにした。恐らく各々独自に行動を取っているだろうが、人数が少ないとはいえ多少の連携は必要だろう。それに警報がなってからまだ一度も連絡を取り合っていなかったから、敵が落ち着いている今ならチャンスのはず。あらかじめ教えられていた緊急時の行動を阻害してしまうかもしれないが、仲間の事はやはり気になってしまう。
と、早速通信をしようとした──その時、
『ラウラ……ボーデヴィッヒだなッ』
どこか見覚えのある黒いIS。
無人機とは違い、確かな人の気配を持つその存在の出現に、ラウラは反射的ではあったが防御姿勢をとった。
私が接近を許した──!?
考える間も無く、答えを出す猶予も無く、ラウラの思考は激しい衝撃で爆発した。耳を貫いた高音と、体に感じる痛みに声にならない悲鳴を零してしまう。久方ぶりの本物の痛みは、ラウラの余裕を消し飛ばした。
「──……っぁあ! セシリアの機体か!!」
戻ってきた判断力にようやく既視感の答えを得たラウラは、敵の操るそれがセシリアの持つ専用機〈ブルー・ティアーズ〉の兄弟機である事を理解した。そして理解したと同時に敵の正体にやはりと思い、一気に敵から距離を置いた。──が、遅かった。
「セシリアの十八番……!」
ラウラは悟った危険に即座に回避行動をとったが、理解した"それ"の位置までは把握出来ず、何かの熱線が機体を掠め、そして肉体にダメージを受けてしまう。
このままではまずい。激しくなる鼓動と冷や汗に眼帯を毟り取ったラウラは、その奥で光る金色の瞳を爛々とさせた。そしてそれをした瞬間に入り込んできた数多の情報に苦い顔をし、ラウラは続けてきた熱線の雨に体を焼かれながら、止む終えず廊下の壁を破壊して外へと脱出した。
しかしその瞬間、顔を上げたラウラの瞳に映ったもの、それはこちらに対して銃口の標準を合わせる、数えるだけでも億劫になりそうな程並んだ無人機の姿であった。
「──!」
まるでラウラが壁を壊して脱出することをあらかじめ知っていたかのような待ち構え方であった。──いや、違う。そうではない。ラウラは分かってしまった。この無人機は、最初からこの構えをしていたのだと。だから動きが少なく、音も無かったのだと。そしてこれは、
「私達を逃さない為か……っ」
ラウラは憶測だったが、それ以外考えられないと再び学園内に戻った。外へ逃げないのなら攻撃はしてこない筈──という予想からの行動だった。
急いで学園内に戻ったラウラは壁の内側に身を隠す。そして恐る恐る息を呑みながら外の様子を伺った。見ると、無人機達は銃口から弾丸を放つ事なく佇んでいるようだった。動きは止まっていた。
──……当たったか?
喉を鳴らし、数秒待った。そして動かないそれらに確信を抱き、ラウラはホッと息を吐く。だが、中に戻ってきたという事は今度は逆だという事を思い出し、足は再び動いた、
「ビットぉ……!」
悔しさを咬み殺す。
ラウラは待っていたかのように待機していた空中のビットを睨み付け、その射撃を避けた。ビットの軍列の奥にいる本体は余裕の佇みでこちらを見ている。それはラウラにとって酷い屈辱だった。
何とか攻撃を躱し、活路を探す。四方からの攻撃はまるで雨。色が違うだけの、赤い雨。一度当たれば全身が濡らされる。求めていない天の恵みは、死でもあるのだ。見つけろ、見つけろ。そこにきっと勝機はあるのだ。
吐き出す息に血の香りが混じっている──甘い。
ラウラは口内に感じる甘い味に不思議と高揚感を感じた。似ているものがあると想像した。
「もっとこい──」
渇望。口から飛び出したのは求めることだった。
ラウラは嬉々とした。戦場を楽しいと感じた。血が熱く、思考がシンプルになっていたからだ。何も考えなくて良い事が、こんにも楽な事だったとは。ラウラは自身の中で欠落していく自制心を感じながらも、その衝動を止めたいとは思わなかった。あったのが一つのみ、敵を壊す事だけだから。
『……!』
敵の表情が強張る。
強風に吹き付けられたような顰めっ面。
ラウラは周りのビットを認識しながら、無造作にも見える手の薙でそれらを弾いた。射線を崩されたビットが壁に穴を空けていく。頭上から砂埃がパラパラと落ちる。敵が驚いた理由だ。
「眼は……使えるぞ!」
ラウラは叫ぶ。
敵は強かったが、ラウラの勇気の火は消えていない。培った経験からの度胸が強さになっているのだ。
ラウラの瞳が輝いていた。左眼だ。金色に。
それは『ヴォーダン・オージェ』と呼称されるものである。
ありきたりな理由で幼い頃のラウラに移植されたものだ。
『──』
敵の口元が歪んだ。
汚い。まるでそう言いたげに。
「……ッ」
ラウラはビットを掻い潜り、敵に特攻した。まさかと思っていたのか、敵はまんまと押し倒される。
「はあっ!」
『……くッ!』
サバイバルナイフを逆手で掴み、振り下ろすラウラ。
敵はそれに、彼女の手首を掴んで防ぐ。
「──」
ラウラの眼は殺意に満ちる。意思は、敵を殺すもの。
少女の細腕が力んで震えた。穂先である五指には銀色に輝く刃がある。細々と、そして雪のように淑やかなラウラの指が絡めるのは、似つかわしくない刈り取るもの。
ラウラは、左眼を熱く感じていた。他の者には分からぬ熱である。涙とは違う熱さ。
思惟──敵は、ラウラが狂気に映っていた。輝く左眼は怪しく、歯を剝きだす姿は獣。襲い掛かる者は獣だ。──敵はそう感じていた。
グッと手首を押され、ラウラが顔を仰け反らせた。強い力の発生に思わず怯んでしまう。そして次いで腹を蹴られ、呼吸がどこかへ飛んだ。空白の時間が視界を白く染め上げる。
このままでは離される。いけない。ラウラは左籠手からアンカーを射出した。真っ直ぐ飛んだそれは、敵の右籠手を縛る。グルグルに。
敵の舌打ちが聞こえた。
ざまあみろ。と──ラウラの左眼が細まる。
「撃ってみろ。共倒れだ」脅迫。
敵の感情が手に取るように分かる気がした。いや、解る。
悔しげな口元と、苛立ったような忙しなさ。明らかな怒りの感情はラウラに解答を教えてくれている。
いける。そのような希望が胸の中に湧いた。
ラウラはアンカーを巻き戻す。それによってゆっくりと、確実に、敵の腕に絡まるアンカーは手繰り寄ってゆく。
敵はバーニアを吹かせ、藻搔いた。
しかしそうはさせるか、とラウラも力を強める。
攻防は拮抗した。
戸惑い、彷徨うビットの思考は『撃ってしまえば主人に当たるかもしれない』というものに違いない。漂うだけのそれらは、少しの力で吹き飛ばせるだろう。
ならば、今は好機だ──。
「──!」
強く、力を振り絞る。
敵をこちらに引き込む。
少しずつ、少しずつ。そして、目の前まで手繰り寄せる。
敵の呻きが聞こえた。懸命に抗っている声だ。
ますます勝機の感じが強まるのが分かった。ラウラは慢心した。このままいけば勝てるぞ。口の端が上がった。
が、その瞬間、目の前が激しく揺れた。
景色が一瞬にして変わり、代わって灰色の何かが映る。
これはなんだ。ラウラは思案した。突然の痛みが頭部を包み込んで来た。なんだ、私は何をされた。頭の中に浮かぶ疑問は、痛みと混じって定まらない。ただ漠然とした危機を感じるだけ。
機体のアラームが鳴っている。
シールドエネルギーを叩く音。
ラウラの専用機が悲鳴を上げている。
──……いけないっ!?
ようやく取り戻した意識は遅く、認識は鈍く。
瓦礫に埋まった体は自由が効かなくて、ラウラを歯嚙みさせる。まだ判明しない痛みに戸惑いながらも、ラウラは体を動かす。
「うっ……!?」
軋んだ。
胸骨が確かに歪んだ。
肺の酸素が抜けていく。呼吸が──出来ない。なんで?
痛みと熱が同時にやってきた。今度は鮮明だ。
瞼が落ちる。
眠たいのではなく、苦しいから。
指先が熱い、熱いぞ。燃えているのではないか?
胸に手をやる、が、熱くない──熱くない、けれど、
「……痛い…っ」
激痛。
渇いた喉にやる生唾が棘のようだ。
見下ろした。
体は健在である。しかし、黒煙が上がっている。燻製のように焦げた臭いを上げている。
小さく、途切れた悲鳴が溢れた。
怖い、死んでしまう──心の叫び。
揺らぐ視界で周囲を仰いだ。
──そしたら、火の鳥がいたんだ。
「な、に?」揺らめいていた。陽炎みたいに。
赤く、赤く、中心には双眸がある。妖艶な瞳だ。こちらをジッと据えていて、舐めるような歪んだ瞳だ。
思い出したかのように呼吸した。やっと、自身の状態を把握出来た。
ラウラは激痛に苛まれる体を起こした。
周りは焦土。
ぷすぷすと、焦げ臭さと共に地面が炙られている。
……ああ、あれは亡国のスコール・ミューゼルだ。炎の魔女。そうか、この体はあいつに燃やされたのか。
「闘志は……どう?」
スコール・ミューゼル。彼女はフラメンコのように規律正しい動作で、まるでドレスをなびかせるように炎のスカートを持ち上げ、微笑んだ。問いかけた。
「……くそっ」
ラウラは顔を歪めた。
痛いのだ。体中が痛い。しかも敵からの心配もとくれば、それはもう堪らなく悔しくて殺意が湧く。
「……」
「悔しそうな顔だこと」
「……ん? どこが……?」
「ふふ」
分かっているとも──とでも言いたげな顔。
それはラウラの殺意をさらに燃やす。
重い腰を持ち上げるように、痛む体を上げる。ハァと息を吐く。一歩踏み出すと、軽く目の前が眩んだ。くそ、くそ。
「二対一よ?……あ、多数一か」
その言葉にチラリと外を見遣る。そこには変わらず、獲物の到来を直立不動で待つ無人機がいる。
「諦めろと?」
「いーえ。お好きにどうぞ」
「……」
正直、逃げても良いと思っていた。ここまで敵と戦ったんだからと。
けれど、それでは駄目なのだ。自分に言い聞かせるのだ。
逃げるのは駄目。立ち止まれ。本当に駄目な時は、それは手足が動かなくなった時なんだ。どうだ? 動けないのか? もう終わってもいいと気持ちが負けているか?──いや、まだだろうが。
瞼を閉じる。浮かぶのは、昏睡する親友。
めら、めら。闘志の炎。
ラウラは胸を強く叩き、肺の空気を出した。そして補うように吸い込み、キッと両目を吊り上げた。すると、対して敵は驚いたように目を丸くした。
「驚いた。逃げないのね」
「……ふん」
足は……どうだろう。腕は、動くか?
不安になるほど体は傷付いた。
途中で動かなくなるかもしれない。
「……」
けれど、私に出来るのはこれだけ。これしかない。役割では無く、身に沁みた技術だけが、この私の取り柄だから。だから、他には何も持っていない私は、敵と対峙しなければならない。
「──ふうん。やっぱり逃げない」
敵の言葉が少しだけ胸を軋ませる。
「……」
私にはこれだけしかない。私にはこれだけしかない。私にはこれだけしかなくて、これだけしか出来ない。
「……じゃあ、文句はナシでお願いするわよ?」
「……」
汗ばんだ手を握り締める。
肌にまとわりつく熱気に息を吐く。
戦いが、またくるのだ。──だから、私は震えている?
敵が一歩を踏み出す。瓦礫を踏み、音が鳴る。焼ける音が。
敵の熱気に身が強張った。素直な恐怖を感じてしまっていた。敵がこちらに一歩近付くたびに、逃げ出したいと思う弱さが強まっているのがわかる。喉がひくつくのだ。握り締めたナイフの揺れが視界に映ると、その酷さが否応なく理解出来る。追い詰められた生き物の弱さを実感する。きっと酷い顔をしているに違いない。だってもう、笑う余裕がないのだ。
敵が短い息を吐いた。力を込めるような吐息だ。揺らめく炎を背後に引き連れ、敵は悠然と歩んでくる。
来るな──私は、今にも逃げ出したい衝動に駆られた。
「いくわね」そして、ついに敵が動いた。
無意識に顔が逃げた私は、背いた意思とは別に視線だけは敵に向けた。苛烈な敵の接近が見えた。ナイフの構えは防御の姿勢。最早立ち向かう事ではなく、私の頭には耐えるという選択肢だけが存在していた。
ぎいん、とナイフが何かとかち合う。それは敵が放った炎の弾丸だった。それは灼熱の炎だった。
──熱い…っ!
一気に熱が上がった刀身はドロリと溶ける。粘りのあるそれが地面に落ちて焦げた音を立てる。
「う、うぅ……ぐっ!?」
たった一度でこれだ。次はどうなる? 考えただけで体の芯が冷たくなってしまう。
ラウラの足は無意識に退く。
本能からくる恐怖は、ラウラの意識を動かした。背後が既に瓦礫で埋まっていることも知らずに、ラウラの逃げ足は後ろへと進んでいく。
炎の鳥が飛んできた。それは真っ赤な敵の炎弾。
反射的に腕を交錯させ、その炎弾から体を背けたラウラは、真隣の瓦礫の山に着弾したそれに小さく呻いた。見るとジュウジュウと音を立てて瓦礫が燃えている。駄目だ。どうすればいいのだ。ラウラの表情はどんどんと厳しいものに変わっていく。燃える炎に瞳の中が染まる。
と。その傍観の中、刺すような気配を感じた。
ラウラは思わず身を屈め、訳も分からない感覚に目を見開いた。瞬間、無理矢理腹の中を押し出される不愉快さに襲われ、口から熱い液体を吐き出してしまう。次いで右頬に強い衝撃が発生して、体が真横へと吹き飛んだ。
──……っ!!
視界が真っ白になり、それから暫くしてようやく呼吸が出来るようになる。汚れた呼吸で空気を吸ったラウラは、自らの内で渦巻く体の異常に再び吐瀉した。赤い血の混じった嘔吐物だ。それは既に血液と違わぬ赤黒さを持っている。ラウラは口元を押さえながら立ち上がり、そして抜けていく力に膝をついて項垂れた。
ただ、ただ苦しかった。
周囲にある煙が喉を焼いてきた。
身体に降り注ぐ痛みが辛かった。
磨り減っていく我が身の命が、もうこれ以上はやめようと囁きかけてきた。
ラウラは脳裏にシャルロットの顔を思い浮かべ、拭いきれない悔しさと、仇を討てなかった怒りに乾いた笑顔で笑った。許してくれ。そう心の中で呟きながら。
敵の歩みが聞こえる。次できっと最後だ。
パチパチと聴こえる音は、身を焼く炎だろう。
ああ、シャルロット。お前はこれに立ち向かったのか。
まだ震えている脚に目を遣り、そこで闘志というものが己の中から完全に消えていくのを理解した。あまりにも弱々しい自分に自身で諦めてしまった。
「じゃあ、眠ってなさい」
敵の女の声が聞こえた瞬間、腹部に強い衝撃が走る。体が無理矢理後ろへと飛ばされ、ガクンと首が傾く。地面を転がる。そして何度かの殴打を味わって何かに激突して止まる。
収まった激しさに呼吸をする。
が、吸い込んだと共に込み上げた吐き気に咳き込み、地面に向かって嘔吐く。そして砂ぼこりとは別の臭いがすると思い、目を凝らしたラウラの視界に映った真っ赤な血。
「あ──あぁ……」
そこで気付く。腹にパイプの様な金属が突き刺さっていることに。それが、激突を止めてくれた瓦礫から伸びていることに。
運が悪い。ラウラは止まらない血に目を遣りながら思った。
深々と刺さる金属棒。身をよじると激痛が走る。しかしこのままではいけないと、少しずつ体を動かして金属棒を体から逃がしていく。異物が体の中からいなくなっていく感覚は言葉にならない激痛である。手足の先を強張らせ、歯を噛み締めていなければ意識が飛んでいきそうなほどに。
ずり、ずり、と。
ようやく金属棒が引き抜かれ、体が前向きに倒れた。
顔面が地面と接地して、散らばった血液の中に沈んだ。
小石が池に投げられたように、血液の溜まりが静かに揺れた。
息をするのも苦しかった。体全体が痺れて指先の感覚が曖昧だ。
ラウラは少しだけ身動ぎして、視線を上げた。見たのはこちらを見下ろす敵である。ラウラは虚ろな瞳で敵の全身をくまなく視界に留め、少ない理性の中でその姿を脳裏に焼き付けることに集中した。吸い込む自分の息が掠れて聞こえ、まるで木枯らしのように乾いた音を立てている。きっとこれは自分の死の音に違いない。
少しずつ、少しずつ──何かが遠くになっている。
それは指先から、そして頭から逃げていく。
暗くなっていく視界。ラウラ・ボーデヴィッヒは瞼を閉じた。
冷たい、冷たい血の中で、ラウラの体は朱に染まっていく。
見下ろす敵は足を動かし、その場を去った。
残されたラウラの体は誰にも看取られず、静かに血の海の中に沈んでいく。唯一ある意識は聴覚だけで、ラウラは最後、自分の近くに何者かの気配があることを感じ、眠りに落ちたのだった。
そして少女の体は、どこかへ消えた。
◆
空気を裂く。
一直線にそこを目指し、彼は進む。
「──」
高鳴った鼓動。
彼は目を見開き、その少女の名前を叫んだ。血に濡れた体を強く抱き上げ、顔を歪めながら叫んだ。しかし──動かない。
彼は手遅れになる前にと、少女の体を運ぶ。
小さな全身。
彼は自分の中に沸々と怒りが湧いてくるのを感じていた。
彼の眼は恐ろしい。
何かを殺す獣の眼で、目の前を見ていたのだから。
◆
「でりゃぁぁぁぁ!!」
ガチン、ガキン──!
アリーナでは未だ鳳鈴音による敵との攻防が続いており、その余波により空気を震わせていた。
『うぜぇぇ……なぁっ!』
一方、敵は中々に隙を見せない鈴に苛立ちを見せており、攻防と見せながらもその実は、鈴による優勢の色があった。
「技量は同じ、パワーも同じ、持久戦! なら、燃費が良い私の〈甲龍〉が有利なのよ。……だからッ」
鈴が握る身の丈をゆうに越える薙刀での一刀。
『うぐぅ……!?』
敵はそれに反応するも、薙刀が持つ"長い"という特性により、背中に背負っていた蜘蛛足の武装に刃が引っかけられ、体勢を崩した。
「チャンス!」勿論、鈴はそれを見逃さない。重しでもある薙刀をすぐさま放ると、回転を交えた蹴りを敵の顔面に直撃させた。吹っ飛ばした。
エネルギーバリアがあるというものの、人体に直接の打撃を貰ってしまった敵は、その鼻から情けなく血を流してしまう。そしてハッと気付き、何も無かったかのように拭い、その顔を怒りで歪ませる。
『殺す! ぶっ殺してやる!』
恨みがましくこちらを睨む敵。
「あー! たのし! 敵をブチのめすのって、最高にスカッとするわねっ」
鈴はそれに最高に挑発的な態度で応じ、さらに増した敵からの憎悪を全身に浴びた。
(なーんて、調子に乗ってカッコつけてるけど……)
鈴は自分だけに見えている〈甲龍〉のエネルギーゲージを見て、焦りの混じった思いを胸中で呟いた。
本当に長い戦闘だったから、エネルギー燃費の向上を謳う〈甲龍〉とて無理が祟っていた。現に今はエネルギー消費の無い物理兵器ばかりを使用しているし、〈甲龍〉の切り札でもある不可視の弾丸もエネルギーの事を考えると不用意には使えないでいる。敵はこちらの密かなピンチに気付いている様子では無いが、もし悟られてしまっては最後、捨て身も覚悟しなければならないかもしれない。
生唾を飲み込んで吐息。
込み上げた恐れを落ち着かせる。
鈴は今一度敵の姿を据え、右手に握る薙刀を構えた。
「さあ、ちゃちゃっといきましょ!」
迅速に敵を落とす。その考えの元に機体を加速させた鈴は、敵の脳天に目掛けて薙刀を振り落とした。気合の声と共に素早く振るった。
しかし敵とて動く。
その刃の接近を寸前で敵は弾いた。甲高い音が鳴る。
かなり強い衝撃だったので鈴は思わず手から薙刀を離しそうになり、ここにきてもまだ衰えを知らない敵の闘争心に苦笑してしまった。冷や汗がポタリと垂れた。
「うっざいなぁ……っ」
変わる事ない攻防。
そんな両者の拮抗に終止符を打ったのは、新たな戦士の乱入だった。
「──背中、空いてますわ!」
『なん──!?』
気品のある声だ。鈴はすぐにその声の正体に気が付いた。
敵は突然のことに目を見開き、振り返ろうとした。が、それは本当に突然だったから、敵は完全に振り返ることができずに、声が宣言した"空いた背中"に攻撃を受けてしまう。
「ナイスよ! セシリア!」
鈴が名前を呼ぶと、撃たれて堕ちていく敵の後ろから、優雅にお辞儀をするセシリア・オルコットが現れた。いつからそこにいたのか分からない友人は、颯爽と敵を撃ち当てると、何とも決まった登場を見せてくれた。
機体を寄らせた鈴は、セシリアの肩を叩いた。セシリアはそれに軽く微笑んで返し、気の良い反応を見せる。
黒煙が上がる地上には、敵が地面に激突して悶えている様子が伺えた。良い気味だとも思った鈴だったが、火に油を注ぐ事にならないかと心配もした。
『……っあぁ…! 殺じ、て、やるゥ……絶対!!』
悪い予感は当たった。敵は燃えている。相手を殺し憎んでいる。こちらに注がれるのは殺意の眼差しだ。鈴は背筋が強張るのを感じた。
敵はジグザグの軌道を描きながら、こちらに目掛けてくる。背中にある半壊した蜘蛛足をカチャカチャと鳴らせながら、他には何も見えていないといった様子で立ち向かってくる。
鈴は怯みそうになったが、セシリアの心強さもあってまだ笑える余裕を保てた。視線をセシリアに送って、迎撃の意思を示した。
「いくらおっかなくても、こっちは二人──!」
自分を奮い立たせる言葉を呟きながら、鈴はセシリアの援護を信じて立ち向かう。
「お気をつけて!」
そんな鈴にセシリアは応えるため、自衛装備でもある自立型兵器のビットを送った。ビット達は操縦者の意思を受け、鈴を守るようにその周りを追従する。
横目でビットの増援を確認した鈴は、さらに機体の速度を加速させた。ので、一気に敵との間合いが詰まったが、難なく対応の動きをとった。敵が向けてきた拳、そして背中の蜘蛛足を両目を見開いて見切って見せて、がら空きである敵の顔面に頭突きを見舞った。「ぬぐぅ〜! あたまぁ〜!」
頭を抑えながら痛みに悶える鈴。落下していく敵に欲を出して追撃の蹴りを入れる。しかしそれは軽率で、怯む敵の背後から蜘蛛足が伸びてきた。油断をすり抜けて牙を剥いたそれは、鈴の脚装甲を容易く貫き、喰い込み、爪を立てた人間の手の様に鈴の脚を掴んで投げ飛ばした。
「鈴さん!」
セシリアの絶叫と共にビット達が敵を狙い撃つ。だがその標的はビームを掻い潜って脱出し、蜘蛛足から噴出した粘着質のネットをビット達目掛けて放出してからその場を離脱した。セシリアは歯噛みして敵の背中をスナイパーで狙うものの、鈴の容態が気掛かりとなって追撃をやめ、機体を降下させる。
「いっつつ……! あー、油断した。完全に油断だわ」
地面に落ちた鈴は近くに降り立ったセシリアに向けて言葉を放った。脚がズキズキと痛み、穴の空いた装甲から血が流れ出ている。
セシリアはそんな鈴に片膝をついて顔を寄せると、彼女の額に滲んでいた汗を冷たい手のひらで拭った。少ないが、それは落ち着いた静寂で、二人が心を落ち着けることのできる時間だった。
続く