君と僕の物語   作:名無しの執筆者

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第八話 「お前は篠ノ之じゃない」 後編

 ーー家族ーー

 

 襖が閉じようとしている。

 ぱたん──そして少年が動いた。

 机に足を乗せた一夏は、目の前に座る束に掴みかかった。彼女との距離はたったの数センチ。伸ばした腕は容易く、その首を握り締めた。

 

「一夏くん!」

 

 やはり止めてきたのは栞おばさんだった。

 けれど一夏はそれを押し除けた。

 力加減も分からぬ一夏の腕に突き飛ばされた栞おばさんは、机に並べられたコップを巻き沿いにして畳に頭をぶつける。

 一夏はそれを見ようともせず、束の首を絞める力を強めた。それこそ殺す勢いでだ。こいつだけは許せないと、一夏はどんどんと腕に力を込めていく。

 

「お前の所為で……っ! お前の所為でェ!」

 

 顔に当たる束の掠れた呼吸。

 自分がする行為は殺人。

 もはや何がどうなっているのかも定まらぬまま、一夏は彼女の歪んだ顔をジッと覗き込む。瞳に反射した顔が、まるで鬼のようだ。

 くそっ! 死ね! 死ねよ、さっさと!

 片腕だけでは駄目だ──と両腕で首をさらに締め上げる。

 束はそんな一夏の行為に抵抗することも無く、ただ顔を歪めるだけで暴れたりはしなかった。それが、酷く不愉快だった。

 許されたと思っているのか? そんな訳ないだろ。お前は篠ノ之なんかじゃない。ただの赤の他人だ。だから死んじまえ! どんどんと籠っていく腕力に歯を食い縛る。だんだんと息が苦しくなっているのは、この行為に対しての罪悪感か。

 

 ーーーもし俺がここでこの人を殺したら……きっと千冬姉や栞おばさん……箒は悲しむんだろうな。

 

「う……うわあああっ!」

 

 迫り来た罪の意識に叫び声を上げた一夏は、そこでようやく自分が束を殺そうしているのをわかった。けれど、もう手遅れだった。強張った我が身は力の使い方をおかしくし、束の首から手を離したくても離さない。たとえ一夏が強く念じたとしても、万力のようになった両腕は、鍵をかけられた施錠のように離れ離れになろうとしない。

 しかし、そんな一夏を栞おばさんが助けた。

 力の加減を見失った一夏の両腕にそっと手を重ね、固まった指を一本ずつ丁寧に引き離してくれた。

 一夏はやっと軽くなった両手を広げ、嫌な汗をかいたそれを見つめた。

 耳元でずっと聞こえていた音は、自分の吐息だった。

 

 気持ち悪い。

 

 素直にそう思った。心に在った殺意に。

 一夏は震える両手をギュッと握り締め、そして膝を抱えた。あまりにも目の前を見るのが恐ろしかったから、顔を腕で隠して視界を消した。

 誰が悪いんだ?

 ーーーお前が悪い。

 どこで違った。

 ーーーはなから違ったさ。

 家族と思っていたのに。

 ーーーあいつはそう思っていなかったんだよ。

 そんなこと、そんなことは──

 

「私を殺しなよ」

 

 顔を上げた。束は微笑んでいた。

 眉を顰めた一夏は、何故束がそんなことを言うのか分からなかった。

 

「何なんだよアンタ……もう帰れよ」

 

 考えていることがわからない。それより怖いものはない。

 一夏は束に対して感じるものが底知れぬ思考であることを、知らず知らずのうちに理解し、だからこその拒絶をした。

 隣から優しく撫でてきてくれた栞おばさんの手が、とても暖かく感じる。

 束は少しだけ瞼を閉じたあと、ゆっくりと立ち上がった。

 栞おばさんはその所作を、ひとつも見逃さず見続ける。

 

「箒を……連れて行くつもりですか?」

「悪いことをする訳じゃないから」

「あの子は一夏くんのそばに居たいと思っています!」

 

 一親子の間で繰り広げられる言葉の交わし合いに、一夏は静かに耳を傾ける。

 震えはまだ、止まらない。

 

「貴方はあの子をどうしたいのです! あの子に構うのはもうやめなさいっ!」

 

 束はそれに答えない。

 

「……篠ノ之束。貴方は何をしに帰ってきた」

 

 篠ノ之束がこの家を出て行ったのは、数えて八年前らしい。一夏はその頃まだ小さかった為、その出来事の詳細を今ではよく覚えていない。姉である千冬に聞けば分かることなのだろうが、一夏がそれをしなかった。だって「どうでもよかった」からだった。

 ほのかな記憶の残留だが、覚えているものもある。泣いていた栞おばさんと、酷く落ち込んでいた箒の父親。そして居なくなった束をずっと探し続ける、小さな箒の後ろ姿だ。

 箒はずっと探していた。いつも姉と遊んでいた部屋。背中の流し合いをしていた風呂場。そして両親からこっそり隠れておやつを食べていた道場の中を、ずっとずっと──繰り返し探していた。

 昔のことだ。今のことじゃない。

 けれど思い返すそれは許せないことだ。どんな事情があったって、箒をひとりぼっちにしたことは裏切りだ。親がいない一夏にはそれがどうしても受け入れられない。

 

「アンタはいつだってそうだ……。周りを引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、飽きたら忘れる。天才だか何だか知らないけどさ……鬱陶しいんだよ、いい加減。──消えろよ」

 

 これで最後だ。後は何も言わない。

 一夏は立ち上がり、襖に手をかけた。部屋を出て行こうとする。少し後ろめたさがあったが、あとは栞おばさんがどうにかしてくれるだろう。押し付けて悪いが、一夏はもう疲れ果てていた。

 そして弱々しい力で襖を開いたその時、外で聞き耳を立てていた井伊月重吾と対面した。まずい──って顔をした重吾と目が合う。

 

「……なにやってんだ?」

「……えへ♪」

 

 ──イラ。

 こめかみの辺りがピクピクと動いた。ああ、少しイラついたぜ。一夏はその場凌ぎの仕草を見せた重吾に苛つき、そして乱暴にその横を通って行った。

 

「何なんだよアイツ……変なことしやがって」

 

 まだ頭に纏わりつく重吾の「てへっ♪」という顔に、一夏はこれ以上にない不愉快さを感じた。そしてあいつとは絶対仲良くなりたくない、とも思った。

 




続く
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