IS 星海と共に   作:郭尭

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第一話

 

 

  漆黒の海を、彼女は泳いでいた。

 

  漆黒の海は人に優しくない。人がこの青空の上にある海に辿り着くまで、一体どれだけの挑戦があり、どれだけの敗北があり、どれだけの涙があったか。

 

  それでも先達たちは諦めず、宇宙という名の漆黒の海に一歩を踏み出した。そして人は月に足跡を残すに至った。

 

  だが、そこから先はどうだっただろうか?

 

  先達たちは絶えず努力し、挑戦を続けたのかも知れない。それでも人類が宇宙に飛び出すには至らず。

 

  彼女の祖父は挑戦者である。宇宙に夢を馳せた挑戦者だ。父は宇宙に踏み出した冒険者だった。ただ姉だけが違う道を歩んだが、それは自分のための選択であり、父祖たちと同じだけの尊敬と僅かな申し訳なさを抱いている。

 

  そして今、彼女はこの漆黒の海にいる。母なる蒼き星が眼前にある。夢にまで見た景色がここにある。自らの力では光を映せぬ眼に夢想した光景がここにある。

 

  彼女は心を奪われていた。光を映すという機能を果たさない目の代わりに鋼の鎧がその輝く蒼を伝えていた。

 

  だが、いつまでも心を奪われている訳にも行かない。彼女には役目があるのだから。証明しなければいけないことがあるのだから。

 

 

  「ミランダ・ウルバーニ、予定通り、降下します」

 

 

  通信機の向こうにいる仲間に、確認の言葉を伝える。

 

 

  『了解、幸運を祈ります』

 

 

  通信機越しに、誰かが唾を飲むのが聞こえた。いや、もしかすれば自分の音なのかも知れない。

 

  鋼の鎧を纏った体が、彼女の意思に従い動き出す。母なる星に少しづつ、近付いていく。

 

  彼女は証明したい。世界に知らしめたい。

 

  世界は星の中だけでないと。果てしない海があるのだと。人々には旅立つ希望があるのだと。

 

 

  「さあ、帰ろうか、バロール」

 

 

  帰ろう、母なる星へ。帰って示そう、僕たちの価値を。

 

 

 

 

 

 

 

  インフィニット・ストラトス、通称ISと呼ばれる物がある。元は宇宙開発用に作られた一種のパワードスーツのようなものである。

 

  世に出た当時、さして注目されることもなかったそれは、今では世界の中心だった。

 

  世界のあらゆる兵器を超越し、当時の最新兵器を悉く過去の遺物へと変えてしまった。

 

  今や国家の軍事力は保有しているISの数と質で決まる。世界はISの研究開発に躍起になった。その異常な戦闘力に魅せられて。

 

  いつしか人々はIS以外の技術を疎かにするようになった。ISの技術さえ高ければ、国際社会で優位に立てるのだから、その方面に力が注がれる事自体は自然な事だろう。

 

  そして兵器としてのIS研究により逼迫されているものに、その本来の目的である宇宙開発が含まれているというのは、どれほどの皮肉なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

  そこは所謂管制室。

 

  そこに幾人もの人間が、モニターを見つめていた。

 

  彼らが想うのは、赤い髪の少女。

 

  ミランダ・ウルバーニ。今、たった一人で宇宙からの帰還を果たそうとしている盲目の少女。

 

  少女を含めた彼らにとってISとは複雑な存在だった。

 

  それは人類の宇宙進出の為の希望である。そして同時に未曾有の試練でもあった。

 

  ISほどの物があれば、人類の宇宙進出が何十年も前倒しされるだろう。ISの存在が認知された時、彼らの内多くはそう思い、狂喜した。

 

  だが結果は今の零落振りである。ISがなければ、彼らは彼女と出会うこともなかったのも確かだが。

 

  ISは少女と彼らに小さな希望と大きな試練であった。

 

  そして彼らは決意した。

 

  世界がISにしか興味を示さないなら、ISで示してやろう。世界に自分たちをアピールする。自分たちの存在に目を向けさせるのだ。

 

  ISによる二十四時間以内で地球月面間の往復。名目上は月面探査だが、世に見せるべきは寧ろそちらにあった。

 

  宇宙開発には莫大な資金が必要になる。そのスポンサーの決して少なくない部分が軍需産業である。彼らが宇宙開発に投資する理由は一つ。その技術が兵器に応用できるからだ。

 

  ならば証明してやろう。自分たちの力を。

 

  この日の為に最高の機材を作った。この日の為に万全の準備を整えた。この日の為に最高のISを仕上げて見せた。

 

  自分たちの為してきた全ての最高を出し尽くした。

 

  そしてその全ての最高は、ミランダという最高のアストロノーツに託された。

 

  脱着式多段ブースターを用いての大気圏離脱から一気に月軌道までを移動し、月面を一周してIS故こその、嘗てないほど詳細なデータを観測した。ただの研究目的ならこの時点で大成功と呼べるものだ。

 

  だが今回に限ってはその先が求められた。

 

  アポロ計画を始とする月面探査は移動だけでも数日を要するものだった。それを二十四時間を数える前に帰還して見せねばならない。

 

  真空の世界に、休む場所などない。アストロノーツの少女に掛かる負担がどれほどのものか、彼らにも理解できていた。

 

  それでも彼女は志願した。同じ夢を目指す者として。

 

  だから彼女に託した。同じ夢を歩む者として。

 

  やがて管制室から歓声が沸きあがる。管制室のモニターに映る夕日に、鋼の鎧を纏った彼女の姿が映ったのだ。

 

  夕日に照らされ、降りてくるシルエットは、海亀に見えた。海を悠然と泳ぐが如くの姿は、この部屋にいる多くの者たちが待ち侘びた姿だった。

 

  ISとしては珍しいフルスキンの装甲はオレンジと黒という自己主張の強い色合となっている。全体的に重装甲のアーマーは、彼女の体を二回りは大きく見せている。

 

  形状としては最大の特徴、背中に背負った巨大な円盤、所謂レドームである。

 

  頭部は各種センサー付きのバイザーを備えたフルフェイスマスク。バイザーの形状が亀の嘴に似ていなくもない。

 

  綺麗な流線型を描く両肩の大型アーマーを始め、各部のアーマーは美しい曲線を描いている。

 

  脚部パーツは膝から下全て覆う形で、足首の間接は存在しない。そして滑らかな曲線を描きながら、膝に近付いていくほど太くなっていくという独特の形状をしている。両足に計四つの大型スラスターがあり、背中とレドームの間に展開されている大型スラスターと共に、その機動力を支える。

 

  上空から写した飛行写真が、海を泳ぐ海亀に見えることから天文ファンから『海亀』と親しまれている宇宙探査用IS『バロール』が彼らの見える場所まで帰ってきたのである。

 

  やがて海亀は指定されていた滑走路に、ふわりと降り立つ。その硬い両足が地面についた瞬間に、管制オペレーターの見ていたモニター上に表示されていた数字が止まる。

 

 

  「バロール帰還を確認。所要時間……」

 

 

  オペレーターの言葉のよく通る声に、管制室は静まり返る。

 

  そうだ、自分たちにとっての本当の目的は単純に彼女の帰還じゃない。時間にこそ価値があるのだ。

 

 

  「22時間38分17秒……です」

 

 

  暫しの沈黙。誰もがその言葉を反芻し、その意味を確かめていた。

 

 

  「ぃやったあああぁぁぁ!」

 

 

  誰かが叫んだ。一人が歓声を挙げれば、後は連鎖反応だった。瞬く間に歓声は広がり、部屋を覆い尽くした。

 

 

 

 

 

 

  ミランダの気分は高揚していた。

 

  シャワーで汗を流し、国際宇宙開発機構の指定ジャージに着替えていた。親しい局員に軽くメイクをしてもらい、頼りない軽く緩い足取りで通路を行く。

 

  これから記者会見がある。宇宙開発史上、自分たちは大きなことを成し遂げたという自負がある。時代が違えば、今回の全過程が生中継されてもおかしくない出来事だと。

 

  それでも、きった明日のニュースや新聞じゃ僕たちのことで持ちきりになるんだ、と。心の底からそう思っている。

 

  やがて喧騒に近付いているのが分かる。ミランダは一番近くの女子トイレに駆け込んだ。

 

  そして鏡に映る自分の姿を見やる。

 

  短く切り揃えられた鮮烈な赤髪、艶やかな質感を誇っている。髪質の硬さ故に前髪がやや跳ね気味だが、彼女に健康的な爽やかさを演出している。

 

  唇には、局員の女性に塗ってもらった薄いルージュ。優しいその色は、ミランダも気に入っている。

 

  自分の身嗜みを確認してよし、と声に出す。問題はない筈だ。自分は今回のプロジェクトの顔役である。微塵も粗相があってはいけないのだ。

 

  ふと湧いてきた緊張感を解き解す為か、意図せず小さな深呼吸をしていた。

 

 

  「大丈夫、僕たちは遣り遂げたんだ。僕たちは認められていいんだ。そうだよね、バロール」

 

 

  自分に言い聞かせるように呟く。視線の先には彼女の専用ISである『バロール』の待機状態であるペンダントが握られている。ペンダントからは彼女の言葉に応えるかのような熱を、ミランダは感じたように思えた。

 

  もう一度深呼吸。

 

 

  「さて、皆待ち侘びてるかな?もう、いかないとね」

 

 

  前髪を掻き揚げて気合を入れる。

 

  相も変わらずどこか危なっかしい足取りで出て行くミランダ。視力を持たない彼女の目の代わりを務める、顔の半分近くを覆う機械的なデザインのバイザー。他人の精神衛生の為に彼女の視線の方向を示す赤い光点が元気よく輝いていた。

 

 

 

 

 

 

  そして翌日のニュース番組の時間、プロジェクトの全メンバーがテレビに注視していた。この番組は今彼らが滞在している地域で最も大きなニュース番組である。

 

 

  『……なんと日本で、世界で始めてISを起動させた男性が現れました。男性の名は織斑一夏、……』

 

 

  放送の大部分は織斑一夏という少年の事で占められ、彼らの偉業は僅か一分ほどの報道で終わり、一部の天文ファンを喜ばせるだけに留まるのだった。

 

 

 

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