目覚めの気分は最高だった。腕の中の温もりが大好きだった。
「んふふ、ミーちゃんの匂い~」
セレーナは軍人という単語の持つイメージから全力で逸脱するふにゃふにゃした笑みを浮かべ、未だ夢から覚めない妹を抱き寄せる。年の割りに大人びた造りの顔も、眠っていると可愛らしく見える。
セレーナがミランダを抱きしめて数分経ったころか、部屋に置いてある目覚まし時計が斧の責務を全うするべく、そのギミックを動かさんとする。だがそれよりも数瞬早くセレーナが目覚ましのスイッチを切る。漫画などだったらシュパンっと言った感じの擬音が出るであろう速度で。
こうして目覚まし時計は己の責務を全うすることが出来ず、日頃の疲労が出たのか、昼近くまで眼を覚ますことはなかった。
この後、ミランダが「ああ!窓に!窓に!ニンジンが!」と叫んで眼を覚ましたそうだが、さしてどうでも良い事である。
菊李は自分のPCの前で、一つの図面を弄っていた。そこは彼女に与えられた私室である。
PCのモニターに映っている図面、それは『プロジェクト・モビリティ』の要になるISの設計図だった。
『バロール』同様宇宙開発用ISとして設計されているそのIS。その設計に細かい変更をを加えているのである。
そもIS開発の主流は軍事用か競技用である、というかほぼその二つしかない。よって皮肉にも程があるが、宇宙開発用ISはまったくノウハウが存在しないという状態にある。
そのため、『白騎士事件』以前を除くと宇宙開発機第一号となる『バロール』の稼動データを元に、色々と改良を加えているのである。当然改良の余地が有るのは『バロール』も同様である。装着者のミランダが休暇をとっている内に現在ラボの方ではバージョンアップが行われている。今回の改良は新型の装甲材であり、耐熱性の向上と若干の軽量化が実現されるだろう。
ふと時計に目を向けた。もうじき午後一時になる。すでに溶けてなくなっているロリポップの棒を捨て、白衣から新しいのを取り出して咥える。
「……昼食を摂り損ねたか」
菊李はふう、と溜め息を吐いてPCのデータをセーブする。そしてPCの電源を切ると部屋を出る。休暇中のミランダを除いたIS装着者チームを施設のブリーフィングルームに呼んでいるからだ。
「ん、一之瀬君か」
施設内の寄宿舎を出て、ブリーフィングルームのある実験棟へと向かう途中、意外な人物に声を掛けられた。
「む、局長、何故こんなところに?」
それはこの組織のの最高権力者だった。
「いや、しばらく現場に来れなかっのでな。様子が気になったのだ」
「……偉い人の現場視察は正直邪魔にしかならないので遠慮して頂きたいのですが」
嫌そうな感情を微塵も隠さない菊李の態度に、思わず苦笑いを浮かべる。歯に衣を着せぬ物言いは、万人に好かれるものではないが、要らぬおべっか混じりの言葉を聞き飽きた局長からすればある種の爽快感を感じるものだった。
「そうかも知れんが、私も立場上な」
「ちっ、こっちの仕事ついでに案内するから着いてきて下さい。後、口出し厳禁で」
局長に背を向け、菊李は面倒くさそうに歩き出す。局長は黙ってその後ろについていくことにした。
ブリーフィングルームには二人の女性。国際宇宙開発機構に所属する、IS装着者候補たちである。
黒髪でアジア系の女性の名はエニア・ラウ。アメリカ籍華僑である。もう片方はエニアと比べるとやや大柄な印象を受けるブロンドのロシア人女性、オクサナ・コズロフと言う。
「ふむ、時間には間に合ったかな」
一時五分前に扉を開けて入ってきた小さな姿、彼女たちを呼び出した張本人であろ一之瀬菊李である。
気付いた二人は立ち上がり、挨拶をしようとして、菊李の後ろに局長がいるのを見て驚く。
「あ~、二人とも、私についてきた局長に挨拶する必要はない。無駄にするだけの時間は私にはないのでな。話があるなら今日の仕事を全て終えてからにしろ」
あまりと言えばあんまりな言葉に、二人は局長に目線を向ける。局長は構わないと、目線で告げる。それを無視して菊李は自分の話を続ける。
「二人とも、我が機構のIS装着者候補たる諸君らにはこれまで仕事らしい仕事は訓練くらいだった訳だが、それが何故だか分かるか?答えは諸君が三流だからだ。
私が専用機を預けたウルバーニを除きここにいるのは皆適正Cランク前後の、IS装着者として二流にもなり得んと判断された人間だ」
唐突に始まった菊李の暴言に、焦ったのは局長だった。
確かにこの場にいる者たちはIS装着者として決して優秀とは言い難い。真に優秀な者はより高待遇を約束できる国家や企業に所属する。同じような業務内容なら、誰だって寄りよい条件の方が良いのだから。そして国際宇宙開発機構はそれらと比べると場末以外の何物でもなく、当然ここに集まった人材も謂わば余りものである。
とは言え機構からすれば苦労して集めた人材である事に変わりはない。こんなことで辞められては堪らない。
「い、一之「口出し厳禁です」……あ~、すまん」
三白眼の片目睨みで沈黙する局長。どうやらここの力関係は肩書きでは決まらないらしい。
「だがまあ、一流足り得んのは私も同様だ。今、一流とはISを作り出した篠ノ之束だけであり、後の人間はその遥か後ろをえっちらおっちら追いかけているのが現状だからな。
だが、天才の足元を掬うのは凡人と相場が決まっている。そこで凡人たる私はせめて諸君らが駄馬で終わらんように、目の前に人参を垂らしてやろうと思う。着いて来い」
言いたいことだけ言うと、とっとと部屋を出る菊李。
菊李の傍弱無人な振る舞いに戸惑う二人だが、彼女が自分たちの上司である事には変わりはない。どこか疲れた表情で手招きしてくる局長に負担を掛けるのも申し訳ないという思いもあり、黙って後ろに着いて行くことにした
一方菊李の横まで進んできた局長は腰を曲げて、彼女に耳打ちする。
「一之瀬君、あんなきつい言い方をする必要などあったのかね?君たちの内、どちらが欠けても致命的なんだがな、我々にとっては」
「事実です。我ら技術側の人間はISが世に出てこれだけの年月が経っているにも拘らず、篠ノ之束の影すら踏めずにいる。着いてきている二人に至っては謂わば余りもの。この程度の貶し文句、力にするくらいの反骨心がなければ使い物になどなりません。それならばいっそ切り捨てて次を探すべきです」
自分を含めて容赦のない批評を下す菊李に局長は溜め息を吐いた。
彼女の能力を二流と評するのは彼女だけだろう。彼女がここにいるのはそのの出自と、多分に政治的な理由が合わさった結果なのだ。
「まあ、彼女らにぴったりの人参は用意してあります。それよりプロジェクト・モビリティ、いつになったらゴーサイン出るのですか?」
「昨日の今日で出せるわけがないだろう。出資国との調整もある。これでも運営はフル稼働だよ」
二人の会話の通り、『プロジェクト・モビリティ』は未だ正式に動き出していない。
当然といえば当然である。基本参加国からの援助で成り立っている組織が、その参加国に何の断りもなく、「ちょっとプロジェクト勝手に変えました」という訳にはいかないのである。
その言葉を聞いて菊李は露骨に舌を打つ。機構の中では彼女の舌打ちは生態の一種であり、その音でその時の心境やら健康状態やらが分かるなどという噂が流れている。
「まあ、兎に角政治屋は政治屋の仕事を全うしてください。でなければこっちも自分たちの仕事に集中できませんので」
話はそれまでとばかりに言葉を切る。
やがて到着したのは施設内の複数あるファクトリーの一つである。この中では宇宙開発に必要な機材の研究や開発などが行われている。
その内菊李に任せられているのは比較的大きな建物である。開きっぱなしのシャッター口から入っていく。中は三つの区画に分けられ、それぞれ作業員たちが仕事に追われている。
一番手前のスペースには装着者無しの状態で展開されている『バロール』が鎮座している。『バロール』は現在装甲の交換作業が行われており、新しくライトグリーンの装甲を装着した部分と、機会が露出した部分に分かれている。
菊李はその様子に目を向けると、またもや舌打ちを一つ。彼女はその作業の遅さに苛立っていた。IS関連の人材の不足は、現場ではより顕著だった。
「この機構に残っているのは誰にも相手にされない三流か、損得勘定の出来ない馬鹿か、はたまたISに関わりを持っていないかだ」というのは菊李の言である。
対して一番奥にはやたら大きく取られたスペースがあり、そこでは機械の設置作業が行われている。
そして、菊李の口にした『人参』とはその中央のスペースに存在していた。
「これが諸君が命を預ける事になるIS、宇宙開発用打鉄改、開発コード隕鉄だ」
『打鉄改』の名前の示す通り、それは純日本製量産機『打鉄』の改造機である。
量産機としては装甲に優れ、総合的な機体性能も良好。その打鉄を更に重装甲に仕立て、肌を完全に隠すフルスキンの装甲を追加。さらにただの装甲であった両肩の非固定浮遊部位には、『バロール』の両膝に内蔵されているマルチアームの廉価版を内蔵し、戦闘能力の低下と引き換えに作業能力を向上させている。
装甲板も、今まで『バロール』が使っていた物のデータを元に選ばれた素材が使われている。『バロール』とは比べ物にはならないが、大気圏再突入に必要な装甲強度と耐熱性を確保している。
尤もデザイン上の違いなど、スペースシャトルカラー(つまりパンダ)というカラーリングと、装甲形状が多少丸みを強めたことくらいである。
普通のIS装着者にとっては、余り魅力を感じる事のないだろう、作業用改造機。だが、それでも群れに混じる事のできなかった駄馬として認識されてきた彼女らには、それは充分すぎるほどに『人参』だった。
尤も菊李は二人に目を向ける間も惜しみ、自分の部屋に戻り、図面の続きに取り掛かりに向かう。
さて、これからISを使った訓練も出来るようになる。訓練用設備もいつでも使えるようにさせておかなくてはならない。
「やれやれ、あのクソウサギ女の十分の一くらい、分けてもらいたいもんだ」
隕鉄に目を奪われている二人を置いて、菊李は工場を出る。「私じゃまだまだ仕事が遅いか」と呟きながら、次の仕事を片付けるために。
その後ろをゆっくりついて行く局長との姿を見た者はこう言った。
「まるで孫とおじいちゃんみたいだった」と。
「そう言えば兄さんが開発に参加した人工衛星、打ち上げっていつだけ?」
「ああ、確か観測衛星だっけ?木星だか土星行きの」
その日の晩、この日も同じベットで寝ることになった姉妹は夜の歓談をしていた。話題はこの場にいない彼女達の兄についてである。
「うん、仕事があるから居合わせるのは無理だけど、やっぱり気になるから」
セレーナは後ろから妹を抱きすくめるようにして、ベットの中で談笑している。肩まで伸びる、いつもうなじで纏めてある赤髪を手櫛で解いている。
「そういえばさ、また宇宙に出るのっていつ頃になるの?」
「そういうのは言えないよ、姉さん。けど、正直前の時に上手く話題が浚えなかったのは痛かったみたいだね。偉い人達が頭抱えてたから」
ちなみにセレーナの中では織斑一夏と言う名はいつか泣かすリストの最上段にいる。本人の全くもってあずかり知らないところであるが、こいつの存在が妹の晴れ舞台を邪魔したのは間違いない、というのがセレーナの認識である。
半ば八つ当たりなのは自覚しているが、それでも直接の面識のない男をボコる機会があれば躊躇はしないだろう。
「でもね、姉さん」
そんな姉の想いに気付かず、言葉を続けるミランダ。
「ん?」
「地球の外から見る世界って、綺麗なんだ」
後ろから抱きすくめているため、妹の表情は見えないが、セレーナには手に取るように想像できた。きっと妹の表情はこの上なく輝いているだろう。
「そっか」
彼女はギュッと妹を抱きしめた。