日が傾き始め、夕時と呼ばれる時間に挿しかかるのも、もうすぐという頃。国際宇宙開発機構のファクトリーの横で、二人の少女がチェスに興じていた。
「Aの四のポーンを、Aの五に」
片方はスポーツウェアに身を包んだ、長身の赤髪少女ミランダ。その相手をしているのは、若干汚れた作業着の少女だった。
女性にしてはかなり短めのショートカットの黒髪。おっとりした感じの目尻のたれた目。アジア人種では標準的な体格。
少女の名は長船 湊(ながふね みなと)。機構のIS技術者の一人である。ある人物の言を借りると、三流と馬鹿しかいないと言われる機構のIS関係者の中では、馬鹿に分類される人物である。
そんな彼女はミランダの指示通り、ミランダの駒を動かす。
今のミランダは、普段は目の代わりに部分展開している『バロール』を展開していない。そのため自分の駒に触れず、対戦相手の湊に動かしてもらっている。
チェスや将棋のパフォーマンスで、盤面を一切見ずに対局するというのがあるが、これはミランダにとって数少ない特技だった。
ミランダの幼少時代、姉のセレーナが盲目の妹でも楽しめるものをと頑張った。そして能動的に行える娯楽が他に思いつかなかった結果、ミランダにこんな特技が備わるに至った。
「んじゃ私は……Dの四のナイトをBの五に、だよ」
湊は自分の駒の動きを口に出し、それを元にミランダは頭の中の基盤を動かしていく。
「ん~、なら次はルークを……」
二人の対局は続いていく。
「何か今日はイラついてる?」
ふと、そう口にしたのは湊。
「ん?どうして」
「今日の棋譜、何時もより大分乱暴って言うか、ね」
ミランダと湊は歳が近いこともあり、オフの時間で一緒に過ごすことがよくあった。二人の対局も同様で、相手の心の状態を察せる程度にはお互いの指し方を理解していた。
「うん……そうかも知れないね」
対してミランダは少し考え事をする素振りを見せ、すぐに曖昧な笑みを浮かべた。
「やっぱり戦闘訓練?元々やるって話じゃなかったものね」
湊が先ず思い付いたのはそれだった。戦うことがミランダに合っているかは知らないが、少なくともそういう覚悟をする時間は貰えたとは思えなかった。
「どうなんだろう。モヤモヤしたのがあるのは自覚できるんだけどね。自分でもよく分からないんだ」
今日の訓練も、滞りなくこなした。何時もどおり、問題なく。
飛行訓練は上々、相変わらず不調はあるが、タイムは良くなっている。
相対速度、位置関係の合わせも順調だった。ある意味一番疲れる訓練がこれだったりするが、基準は充分満たしている。
戦闘訓練、殊、武器の扱いに関しては何とも言えない。比べるべき基準が、ミランダにはないからだ。いや、元イタリア代表の姉という比較対象が居る事には居るが、昨日今日始めて武器を手にしたミランダと比較するのは酷でしかない。まあ、周りからの反応から、悪い結果ではないのだろうとは察しているが。
全体として、問題なくやれている、筈なのだ。周りの誰もが褒めの言葉しか出ない程度には。
「ふ~ん。まあ、私はIS乗る感覚はあんまり覚えてないから何とも言えないけど」
「そう言えばミナトはIS学園の出だったっけ?あっちのカリキュラムってやっぱり戦闘関連が中心なのかい?あ、Fの六のクイーンを……」
結局結論が出そうにない自問をしても仕方ないと、ミランダは話題を変えることにした。その間も二人の対局は続いていく。
「一年の内はね。二年から整備科とかにコース分かれるから。やっぱり攻めが何時もより早いのよ?何時もの堅さもないし。私はC六の……」
何時もはミランダがカチカチに守って、相手の息切れを待ち、逆襲を狙う。けれどこの大局に於いては僅かに早いタイミングで攻めに転じ、結局どちらも中途半端。逆にじわじわと湊に崩されていく。
「ま、私の場合中退ってことになるんだけどね。……考えてみると最終学歴が中学卒業でよくここにいられるわね、私」
「それ言うと僕も中学卒業なんだけど」
十五歳のミランダと、十七歳の湊。どちらも世界的な公的機関にいるような歳ではない。ISという物がこの世に現れるまでは。
ISという存在によって、夢を追う機会を手に入れた二人の対局は進んでいく。他愛ない会話と共に。
「はい、チェック。」
「え?ああ、そうか。不味いね」
頭の反応が鈍い。チェックと言われて漸く今の戦況を理解した。
確かに脳内で描かれている盤上の駒、その配置はチェックが掛けられている。だがチェックメイトにはまだ遠い。戦況も不利ではあるが、クイーンもナイトも健在。巻き返しは充分に可能。なのだが……
「今日はここまでね」
「悪いね、付き合ってもらってるのに」
言って、二人はチェスセットを片付け始める。どうにもミランダがこれ以上集中できそうにないと考えたからだ。
「そういう日もあるわよ。バロールも本調子じゃないし、一之瀬主任も居ないんだしちょっと息抜きの期間とでも考えればいいんじゃない?」
「いや、僕休み明けしてすぐだから、流石にそれはね」
港の提案に、つい苦笑いを返してしまう。気遣ってもらっているのは伝わってくるけど、そういうは流石に不味いと思う。年齢やISの事もあって、自分たちは目立ち易いらしいから、何か問題を起こすとすぐに人目につきそうだから。
ちなみに二人が片付けているチェスセットは、ミランダの誕生日に姉のセレーナがプレゼントした物である。そしてこの場の二人は知らないことだがこのチェスセット、実は二百ユーロ越えのアンティークだったりする。決して安いと言えない値段でも、妹の為ならポンと出せるその耽溺振りは、流石の両親も頭を痛めているらしい。
色々と調子の上がらない、三月末の午後だった。
ISが世に出てから現在にかけて、公的なIS関連教育機関はただ一つしか存在しない。
IS学園。設備土地など一切の費用は日本政府持ちだが、成果は世界で共有する、と言う真っ当な感覚持った者から言えば割とふざけた組織だ。
尤も第二次世界大戦以降、弱腰外交が最早腰砕けの領域に達していた日本としては良くやった方なのかも知れない。
建前上とは言え絶対中立である学園に上手く影響力を行使し、職員や生徒の日本人の割合を多くしている。その為IS関連の次世代を嘱望されている人材の多くは日本人である。日本はこの、決して広くはないが多大な影響力を持つ業界でもメイド・イン・ジャパンのブランドイメージを浸透させつつあるのだった。
そんな内部事情はさて置き、この未来の世界情勢に大きな影響を与え得る学園の迎賓室のソファーに一人の少女が座っていた。
いや、正確には少女のような女性、だった。
黒い和服の上に白衣、髪で半分隠れた容貌に、口に煙草よろしく咥えたロリポップ。国際宇宙開発機構、未だ動き出さぬ『プロジェクト・モビリティ』の総責任者、になる予定の女、一之瀬菊李である。
カナダから飛行機で日本へ。数時間のフライトを経て久しぶりの故郷となる。尤もこの帰郷はあくまで仕事であり、観光を楽しむ予定も余裕もないのだが。
日本に到着し、一日目の用を終え、二日目にこのIS学園に赴いた。そしてこの迎賓室に通され、今に至る。
手持ち無沙汰な菊李は出された緑茶の中に、咥えていたロリポップを突っ込む。やがて緑茶と呼ぶには些かおぞましい色に変色したそれを口に運ぶ。
「割といけるんだよな。見た目は酷いのに」
そんな事もあって十分ほど経った頃、迎賓室のドアがノックされ、今回会いに来た人物が現れる。
「お久しぶりです、一之瀬先生」
「ああ、こちらこそ、だ。織斑」
やや広がり気味な黒髪。凛とした容貌。女性物のスーツの下からも分かるメリハリのある体。
人類最強の女とも呼び声高い人物、『ブリュンヒルデ』織斑千冬その人だった。
「もう何年になるか、君とクソウサギ女が白騎士でやらかしてくれて以来か。面を向けて会うのは」
「……その節はご迷惑を」
苦い顔を浮かべる菊李に、若干申し訳なさそうに表情を歪める千冬。
「いや、君に言っても八つ当たりでしかないか。すまん。それより仕事の話をしよう」
菊李は自分を落ち着かせるように、ソファーに深く背を預ける。千冬は黙って向かいのソファーに腰を下ろした。
「改めて、遠い所わざわざ御労足頂きまして」
改めて挨拶を交し合い、今回の用件に入る。
「詳しい話は事前に書類が贈られている筈だが、そこは大丈夫だな」
菊李がわざわざIS学園にやってきた理由、それは六月に学園で行われる予定の、新しいイベントに関してである。
元々は菊李の属する機構側から打診したもので、社会見学の要領で学園の生徒たちに講談会を開こうというものである。
当然、機構としての思惑は人材確保にある。ISに関しては、ギリギリ淘汰されなかったというレベルの人間が大部分を占めているのが機構の現状である。人材の宝庫とも言うべきIS学園ですべきことなど、他にあろう筈もない。
と言うのはスポンサーたる出資国に対するポーズの意味合いが強い。理由をつけて機構への出資を減らしたい各国にその口実を与えない為に、最大限の努力をアピールしなければいけない。隙を見せればすぐにごっそり投資を減らされてしまうのだ。
と言うのは機構の事情。無論大事なことであるのは事実だが、それなら菊李がここに来る必要はない。IS関連の人材なら兎も角、機構に交渉事の専門家は不足していない。その中の誰一人技、術者たる菊李に劣る者はいない。
菊李がここに来たのは彼女が望んだからであり、自ら志願したからである。
「スケジュールはこんなところか。この方向で調整を、ということで構わないな?」
菊李の言葉に千冬は肯定を反す。誰が来ても問題はないだろう打ち合わせはこれで終わりとなる。ここから菊李の用事である。
「織斑、ここからは私人としての話になるのだがな」
菊李がわざわざ日本まで足を運び、千冬に合ったその理由。
「うちが本道に使うISを実用化させたことは知っているな?」
本道とは、本来の姿、中心にあるべき存在を言う。菊李はISの兵器としての在り方も、一つの形として認めている。だがISの本分は決して兵器ではないとも考えている。故に口にした本道という言葉。
嘗て戦場で多くの命を奪ったダイナマイトが、元々は人々が安全に土木作業をする為の物だったように。嘗て戦場の空を支配した戦闘機の原型は、元々は空を飛ぶという人の夢を実現させるためだけに存在したように。
同様にISは戦うために創り出されたものではない。如何に兵器として有用でも、そうあることを願って創ったわけではないのだから。それが本道であってはいけないのだ。
そしてその意味をISを兵器にした人物の一人であるという自覚を持っている千冬は、菊李の言葉の意味を正しく理解していた。
「はい、月面への往復を達成したと伺いました」
千冬の立場からしてIS関連の情報はよく入る。特に『バロール』関連は機密でも何でもないので、その気になれば誰だって手に入る情報である。
「そのうちのISがクソウサギ女の攻撃を受けてな」
その一言で千冬は全てを理解した。
「連絡が着いたらどうにかしてみようと思います」
これで宇宙での脅威、と言うか理不尽が減ることを、菊李は願った。
これで話すこともなくなり、会談も終わりと流れになる。二人は部屋を出ると、千冬が菊李を校舎の外まで送ることになった。
そして別れの挨拶を交わし、菊李が背を向けた時だった。菊李は今思い出したといった感じで千冬に尋ねた。
「そう言えば織斑、話題のISに乗れる男と言うのは、アレは君の弟か?」
直接会った事はないが、千冬に弟が居るという事は、菊李も聞いていた。尤もニュースの情報に、話題の織斑一夏なる人物の縁類の情報はない。だからこれは完全に菊李の勘である。
「そうですが、何か」
質問の意図を尋ねる千冬に、菊李は神妙な表情で答える。
「そうか。言われるまでもないだろうが、お前の弟は暫く台風の目だ。色々と大変だろうが、支えてやれよ」
彼はただそこに存在するだけで周りに決して小さくない、それこそ何人もの人間の一生さへも左右するような存在となっている。本人の意思に関わらず恨まれ、妬まれ、狙われるだろう。
そう思い、だが菊李は敢えてその言葉を口にしなかった。
千冬にとって、菊李の気遣いの言葉は意外だった。
「ご心配なく。うちの弟は強いので」
菊李の気遣いに、千冬は力強い声を返した。