アメリカ合衆国がフロリダ州、ケネディ宇宙センター。アメリカ航空宇宙局、俗に言う所のNASAの所有する有人宇宙船発射場及び打ち上げ管制施設である。
ケープカナベラル空軍基地併設され、主に有人ロケットの打ち上げを中心に担当するこの施設はこの日、騒がしく動いていた。
発射場には聳え立つ二本の円筒状の物体が複数組み合わさったものが見える。見る者が見れば、それがスペースシャトルの打ち上げに使われるロケットに似ていると気付くだろう。だがそのサイズは酷く小さく、とてもシャトルを宇宙に運べるようには見えない。
「それにしてもIS使って宇宙に行くってさ、酔狂な使い方だよね。どこもコアが余っている訳じゃないのに」
口にしたのはアメリカ空軍に所属するIS部隊のメンバー、ミナ・アダムス。腰まで届く金髪が特徴的な女性で、二十歳を越えて間もないといった歳に見える。アメリカ人女性としたはやや小柄な体格で、よくティーンの学生に間違えられる。
「本来はこっちが正しい使い方ですよ。まあ、今のISの主流が兵器だってことに異論は在りませんけど」
それに返すのはベンチに座って雑誌に目を通しているミランダ。彼女の視線の方向を示すバイザー上の光点が-になって気だるげな雰囲気をかもし出している。
二人のいる場所はケネディ宇宙センター、スタッフ用の控え室である。
この日、ミランダの所属する国際宇宙開発機構は新たなミッションの為、通算三度目のIS打ち上げを行う事になっている。そのメンバーに機構の専用機持ちであるミランダが含まれているのは当然だろう。
NASAの力を借りての打ち上げである以上失敗した場合、その原因如何ではアメリカの面子にも多少の影響を与えることになる。そのため、万が一IS目的のテロを警戒して送られてきたIS部隊。ミナはその一員だった。世界で唯一ISを宇宙開発に使っている連中がどんな奴らなのか、興味を覚えたミナがシフトがオフの時間でスタッフを訪問してきたのである。
「そんなの建前ですら誰も言わないよ」
そんなミナが口にしたことにミランダはムッとしたが、反論はしなかった。事実、ISは建前上スポーツであり、ISが宇宙開発用のマルチフォームスーツとして生み出されたという事実はほぼ風化していると言っていい。
だから今は何を言っても意味がない。自分たちが行動で道を創るしかないのだ。言葉だけでは薄っぺらく聞こえてしまうのは実績がないから、少なくとも世間に認められる実績が。
「まあ、いいけどね」
ミランダは不貞腐れて雑誌に目を戻す。そんな様子を見て虐めすぎたかと苦笑いを浮かべた。
『IS用ロケットの最終調整を始めます。国際宇宙開発機構所属IS操縦者は発射場にて調整に参加してください』
丁度いいタイミングでのアナウンス。気分を害していたミランダはいい口実を得たと、挨拶も程ほどにその場を後にした。謝罪の機会を失ったミナは肩を竦めるしかなかった。
ケネディ宇宙センターのロケット打ち上げ場。聳え立つ、巨大なロケットを宇宙に飛ばすための発射台、の横にあるロケットのミニチュアっぽいものが二つ。
「やっぱり見た目が締まらないなぁ」
仰向けに近い体制で、『バロール』を展開しているミランダは呟いた。十メートルに満たないロケットの先に接続される形になっているその姿は、端から見ると割りと不恰好である。
一応ロケット固定用の設備でロックされているが、打ち上げ前のロケットが持つ特有の威厳のようなものは微塵も感じられない。
「本当はこれがなくても宇宙に飛び出せちまうんだ。貧乏な機構がわざわざロケットを準備してくれるだけでも有難いと思いな」
応えたのはすぐ横に付けられた足場でコンソールを弄り続けている南米系の黒人男性だった。
「でも初めての時のロケットはもっと大きかったですよね、ダニー」
「一足で月にいく為のモンだろありゃ。衛星軌道まで行くのにオーバースペック過ぎんだよ」
ダニーと呼ばれた白衣の黒人男性。本名はダニエル・アンダーソン。
二メートル程も有ろうかという大男であり、スキンヘッドと強面も相まってマフィアのボディーガードのような印象を受ける。尤もそんな見た目の彼だが、プライベートでは小学生の娘を持つ一児の父であり、一途な愛妻家でもある。
そんな外見の男だが、これでもIS用に使われているロケットと、その接続機の基礎設計を行った人物である。
「元々、こんなモンなくてもISは宇宙に出れるんだ。操縦者への負担を考慮しなけりゃな」
彼の言う通り、元々ISは事理意で宇宙に上がる事は出きる。だが、その場合掛かる時間などの要因で操縦者の体力と集中力を削いでしまう。
「衛星軌道に乗るだけならこのサイズで充分なんだよ。資材や燃料も節約できるからな。代わりに試作とラインの変更に金が掛かった訳だけどよ」
何処もかしこも試行錯誤だ、と苦笑いを浮かべるダニエル。事実として、機構の計画は端から見て急ぎすぎている面がある。本来ならもっと時間を掛け、様々な技術を熟成させていく必要がある。だがそうするだけの時間が機構には残されていないのである。色々と不安要素の多い中でやっていくしかないのがこの組織の現状でもあった。
「よし、こんなもんか。ミランダ、バロールの方からシステムチェックを頼む」
「了解です。システムチェック、開始。……ダニー、三番サブロケットに異常、バロールが認識できていません」
ロケットと、接続関連の機材のシステムチェックをバロールで行う。ISコアの凄まじい情報処理速度で問題を洗い出す。現代の最新技術をあらゆる方面でぶっちぎっているISコアは情報処理能力でも理不尽の領域にあった。
「三番?あいよ。こちらダニエルだ。第三ロケットに不備有りだ。第四班にチェックさせろ!」
通信機越しに他の作業班に指示を出すダニエル。ミランダは空に顔を向けながら彼に問いかける。
「あの、ダニー。ダニーは僕たちのプロジェクト、上手く行くと思います?」
「あ?どうしたいきなり?」
突然の問いを怪訝に思うダニエル。彼はミランダと顔を合わせる機会が多いという訳ではないが、こんな質問をされたのは初めてだった。
「ほら、僕たちも今は色々と良くない状況ですし。いえ、すみません、変な事聞きました」
ふと漏らしたその言葉は弱音なのかも知れない。『プロジェクト・ジャーニー』。機構の現場スタッフにはこのプロジェクトが停止する方針だという事は伝えられていないので、まだこのプロジェクトを最終目標と考えている。
尤も現場にとってプロジェクトの名前などはどうでもいいことであり、内容が変更されようがかまわないと考えるだろう。結果として人類の宇宙進出に貢献できるならそれで良い、と。そう考える事ができる人間が多く残っているというのも、今の機構の一側面なのである。
「変な事かよ。自分のやってることに不安になるって事は、そんだけ真剣だってことだろ。ま、周りに期待され続けてりゃ、偶には変な事言いたくなる気分になるんじゃないか?」
ナーバスになっているのかも知れない、とダニエルは考えた。無理もないのだろう。ミランダはまだ十五の子供なのだ。この年頃の女の子の事は彼には分からないが、彼女の身に掛かる期待の大きさが、尋常なものではないという事は分かる。
「ま、いいけどよ。偶に変な事言うくらいで丁度いいんじゃねえか?人ってな」
どんな声を掛けるのが政界なのか分からず、取り敢えずそんなことを言ってみた。相手が子供じゃなかったら酒に誘って愚痴でも聞いてやるくらいはできるんだが、と心中呟きながら。
「そんなものですか?」
「そんなもんだ」
素っ気無い言葉かも知れないが、ダニエルはそう返した。正解らしい返答が分からず、それでも何も言わない訳にはいかないだろうとも。
その答えの意味を考えているのか、それきり黙りこむミランダ。その顔は空に向けられているが、実際は何処に注意を向けているのかは端には判断はつかなかった。
「ロシア、ボストチヌイ宇宙基地より入電。ロケット打ち上げ成功、現状は順調に高度を上げているとの事」
ケネディ宇宙センターの管制室にて響くオペレーターからの報告。
「了解した、ミランダたちの打ち上げは予定通りに」
指示を出したのは菊李である。
「了解。ミランダ、エニア予定通り1120に順次打ち上げ予定。時間まで55秒。間もなくカウントダウンに入ります」
帰ってくるオペレーターの声に黙って頷く。菊李は今回のミッションの責任者の立場にあったが、どちらかと言えばお飾りに近い。この後発動されるであろう、『プロジェクト・モビリティ』の総指揮に就けるための点数稼ぎの意味合いが強い。
そんな政治的な思惑とは別に、このミッションも今後の計画にとって大事なものである。
ロシアから打ち上げられる無人ロケットで宇宙まで上げられる、宇宙ステーションの人口重力型居住モジュールの運搬、本体との接続である。現在も別に居住用区画を収めたモジュールは存在するが、数年単位という長期間の宇宙航海には重力が欠かせないものと考えられている。
「カウントダウン、始まります。……10……9……」
カウントダウンが始まり、管制室の視線は一斉に正面の巨大モニターに注がれる。
近付く打ち上げの瞬間。先ずはミランダのロケットが打ち上げられ、その影響がなくなる頃にエニアが打ち上げられる手筈となっている。
そして打ち上げの瞬間、画面へとミランダのサムズアップのジェスチャーが投げかけられた。
「3……2……1……」
そしてロケットを固定していたロックが外され展開。接続されたロケットが炎を吹き出し、『バロール』が宙へと打ち上げられていく。
「バロール順調に上昇中、映像ブラックウィドーに切り替えます」
バロールが完全にドロップアウトした基地内のカメラから、護衛のためもあり、周囲に展開されているIS部隊からの映像に切り替わる。
米軍主力IS、ブラックウィドーⅡから送られてくる映像は音の壁を突破する『バロール』の様子が映し出される。
「間もなく補助ロケット、切り離します」
画面の中、『バロール』は空を切り裂き続けていく。
大気を切り裂き、やがて音を置き去りに。雲を突き抜け、大地を忘れ。
重力を振り払い昇る中で、少女は激しき静寂に抱かれる。風を飛び越えていく中で、少女は不変刹那の悠久を焼き付ける。
音速の壁を飛び越えた向こうは静かだった。地上の静寂と違い、寂しさも、焦燥も感じない。
遥か天空から見渡す世界は不変だった。凄まじいまでの速度で動いている筈なのに動きを感じぬ景色に、世界の広大さを見出す。
地球が自分を送り出してくれている。
不安も迷いも忘れていた。只々、この晴々とした胸中を謳い出したい衝動に駆られた。
やがて少しづつ、垂直の上昇が傾きだしていく。少しづつ、少しづつ。仰向いていく姿勢、蒼天が足元に迫ってくる。
そして青天がその青さを深めていく。蒼から藍へ、藍から紺へ。それは星の瞬きを交え、黒へと近付いていく。
『メインロケット、接続ユニット、間もなく切り離します』
地上からの通信、それがミランダを現実に引き戻す。
「ミランダ・ウルバーニ、了解。スタンバイ、OK」
間もなく、ロケットは接続ユニットごと切り離される。そして噴出される、『バロール』自信のバーニア。
ロケットには推力で劣るが、『バロール』のいる位置は既に引力の坩堝の端。『バロール』自身の推力で充分迅速な飛行が行える位置だった。
大気圏を飛び越え、衛星軌道に乗る。
「こちらミランダ、衛星軌道へ到達。予定通りエニア機と合流まで待機します」
360度の全方位を網羅するハイパーセンサーの視界。頭上には青と緑の母星が輝き、足元には無数の星光瞬く虚空が広がる。
合わせて三度目の宇宙。人類が何れ新たな天地を求めて旅することになるであろう、漆黒の大海。自分が最も人の役に立てる場所。
ミランダ・ウルバーニという人間が、本当の意味で必要とされる場所。
生まれついて背負ったハンデ故に、ただ他人の負担にしかなり得なかった自分を忘れることが出来る場所。
自身という存在に対し、最も充足を得られる場所。
やがて第一宇宙速度を維持し、衛星軌道上に制止している『バロール』の視認範囲に、エニアの纏う『隕鉄』が映る。
打ち上げの勢いのまま、上下間逆の状態である『バロール』と違い、『隕鉄』は脚を地球に向けている。足元に地面がないのが不安なのかも知れない。
「エニア機を視認、間もなく合流。その後コンテナとのランデブーポイントに移動します」
『隕鉄』が『バロール』との距離が近くなる頃、ミランダはバーニアを吹かす。それに付いていくためにエニアもバーニアの出力を上げる。
星の上を、二つの彗星が駆ける。