冥界から少女が飛び出した頃、幻想郷にある湖の畔に一人の妖精が立っていた。その妖精にはこれといった固有名がなく、彼女の友達を含めた周りの者は『大妖精』と呼んでいる。この名前ですらも、本来は『妖精の中でも特に大きな力を持つ妖精の俗称』でしかない。傍から見れば相当に不憫であるものの、その妖精本人は気に留めている様子は無いのであった。
「ふぅ……」
初夏であっても、朝の湖の水は冷たい。顔を洗えばその爽やかな冷たさで眠気が飛ばされる。続けて体を伸ばすと身も心も完全に回復する。
「今日は何をしようかなぁ。まずはチルノちゃんの所に行くとして…。後は、ルーミアちゃんとかも誘って…それから話し合えばいいかな。」
すこし考えた少女は、自分の羽で空気を掴み、ふわりと浮き上がる。快楽的浮遊感に包まれた少女は、森の方へと体を向けると、心なしか風向きが追い風へと変わる。少し湿ってはいるけれど、その風は小さな特別感を運んでくれた。
「チルノちゃん、まだ寝ていたりして」
口に手を当ててクスリと笑った少女は、友の元へと急ぐためにその速度を上げた。その場所までは、今居る所からそう遠くない。
「き、今日こそは大ちゃんに見つかるより早く大ちゃんを見付けるんだ……!!」
森の中で一人、鼻息を荒らげて意気込む妖精が居る。まさしくチルノ本人である。この湖周辺の妖精のリーダー的存在で、他のあらゆる妖精の中でも最も強い力を持ち、主に冷気を操ることが出来る。それ故か、彼女の体からは常に冷気が溢れ出ており、夏場等では一部で人気があったりする。
大ちゃんと言うのはまさしく大妖精のことであり、毎日のように向こうから声を掛けられることに対抗心を燃やしているのだろう。別に、一切気にすることは無いのだが、そんなことを気にするのが妖精故のことなのだろう。
「さぁ、どこだー……どこにいるんだー……おぶっ!?」
「きゃっ!?」
よほど探すのに集中し過ぎたのだろう、チルノは目の前に居た女性にぶつかってしまった(おかしな話ではあるが)。そして、尻餅をついたまま噛み付くように言った。
「いったぁ~……ちゃんと前見てよ!」
「見てなかったのはどっちよ……」
「あれ?アタイが見てなかったんだっけ?」
「知らないわよ…。それより君、怪我とかしてない?」
「アタイは頑丈だからね、怪我とかしたことないよ」
「それは、羨ましいわね」
「そう言うアンタも怪我してないみたいじゃない」
「流石にあれ位じゃ怪我はしないものよ」
その女性は変化の激しいチルノに半ば呆れながらも、その小さな体を起こしてあげようと右手を差し出した。チルノもその意味は直ぐに理解したのか、何も迷わずにその右手に手を伸ばす。
もしかしたら、ここが分かれ目だったのかもしれない。もしここで手を伸ばさなければ、何かが変わっていたのかもしれない。けれど、そんなことは今の彼女には知る由もないことだった。
繋がった右手を中心に、チルノの内側から何かが起こった。その何かは、少しの時も経たずに意識を刈り取り始める。
「な……に……?」
あまりの突然の出来事に、もはや疑問を浮かべることしか出来ない。もはや自分が立っているのか寝ているのかも分からない位になったとき、その女性の声があまりにも鮮明に響いてきた。
「ごめんなさいね。本当は、こうするためにワザと貴女にぶつかったの」
そこが、限界だった。ブツリ、と世界が暗転する。
その変化は唐突に訪れた。森の中で友を探す大妖精も直ぐに知覚出来る程大きな変化、それは彼女にある不安を掻き立てさせる。
「何か、急に寒くなった……? い、今初夏なのに……?」
寒さ。夏場になれば、そうそう感じることのない感覚なのに、季節を間違えたかのように現実のものとなっている。
原因は知らない。心当たりも無い。
ただ一つ、可能性があるとしたら…
「チルノ、ちゃん……?」
もしや、とそう思った時には体が動いていた。
「……? 鳥が……逃げてる?」
妖精達の居る森から離れた所に居る妖夢にもその変化は見て取れた。最も、その変化によって起こされた、派生の出来事ではあるが。
「きっと、あの森で何かあったって、そう考えるのが妥当よね」
妖夢は少し考える。そして、これから何をするべきか、速やかに結論を出した。
「なら、あの森に行ってみるしかない。厄介事について分かることがあるかもしれないし。」
二人の少女は、一直線に突き進む。その先に何が待っているか分からないままに。