第十一章一話 迷い
あの異変から早くも一週間が過ぎようとしていた。燦々と照りつける太陽はずっと地面を焦がしていたけれど、今日は曇天。いつか見た空と同じ、どこまで重く、暗い雲の空。
そして今は夕刻。いつもならば綺麗な夕陽が西の山へと沈んでいく幻想的な光景が眺められただろうに、生憎と雲はそれを許さない。
そんな博麗神社の境内にて、食器を入れた桶を運んでいた霊夢は一人、溜息を吐いた。誰かが聞いている訳ではない。聞かれたい訳でもない。憂鬱な心模様を打ち明けるにも、それをしても許される相手もまた分からない。今日は異変の解決を記念した宴会の日ではあるが、果して彼女はそこで笑っていられるのだろうか。あの時から一週間ほど、異変の後処理に追われて誰かとゆっくり過ごすなんて余裕も無かったのだ。
「……何人来るのかしらねぇ」
そう呟く声にも覇気が無い。少しでも何かがあると切れてしまう細い糸で支えられている様な彼女は、機械的に敷物の上に食器を並べ始めた。
もっと道はあった。
あった、はずだった。
けれど、霊夢が諭された道は、かの首謀者の消失だけだったのだ。
『貴方は件の二人を、妖怪を消すのと同じ手段を用いて消してくれるだけで良いわ。何を気にすることも無い。彼女達が誰であるのか、貴方は知る必要もないし、詮索をしても分からない。霊夢、良いかしら。貴方はただ、何も考えずに消し去るの』
凡そ一週間前、ゆかりに言われた言葉が頭を過る。まるで全ての物事の責任を押し付ける為に、一方的に言われた様な言葉だ。
恐らくそれは思い込み過ぎているのだろう。だが、やはり腑に落ちなかった。
何も知らなくても、最後の最後だけ関与しただけでも分かる。
彼女達は人間だった。限りなく人間から外れた人間だった。更に言えば、幻想郷の人間でなかった以上、霊夢が手を下す理由も無い。博麗神社に連れて行けば外に帰ることができたかもしれないのだ。
端的に言えば、消す理由がまだ無かった。
まして、仮に人の道を外れて妖となったとしても、幻想郷の中に完全に属していない以上大きな影響力がある訳でもない。難しいかもしれないけれど、妖怪として歓迎することも不可能ではなかっただろう。
些細な話ではあるけれど、あの時手を下した二人は嘗て霊夢達と戦った棗と名乗る少女でもなかった。
霊夢は何も、分かっていなかった。
その状態で、最後だけ任されたのだ。
「……あれは、正解だったの?」
「知らん。知る気は無いが、興味はあるな」
返って来ないと思っていた、呟きへの返答。振り向けば、そこには魔理沙が立っていた。
「魔理沙……怪我はもう大丈夫なの?」
「ばっちりだぜ。この通りピンピンだ。とは言え、永琳には派手に動くなって言われているけどな」
「そう。ま、来たからには手伝いなさいよね」
「おうよ」
ワザとらしく敬礼した魔理沙は早速桶の中の食器に手を伸ばす。とは言っても暇を見付けては霊夢の脇腹を突いたりと、霊夢と比べたら余裕があった。
しかし、流石の魔理沙の霊夢があまりにも無反応だと心配になってくる。いつもならばニ三回突いたら怒られたり、頭を本気で殴られたりするものなのに。今は、何度突いても何の反応も示さなかった。
それはまるで、人形のような。
霊夢と言う名前の空白。
直感的に魔理沙はそう思っていた。
霊夢とアリス、そして小町と共に退治したパチュリー。それと同じような状態だったアリス。そこに何か近いものを感じながら、しかし決定的にその正体を掴めない。
ただ、今の霊夢には中身が無かった。
中身が無いように見えて、実は莫大な火薬を貯め込んだ爆弾でもあるのか。本当に、決壊すれば何も残らずしぼんでしまう、風船のような虚無なのか。
カチャカチャと、食器同士がぶつかる音。
それが魔理沙の心の中に拍車をかけ、気が付けば突いていた手で霊夢の肩を掴んでいた。
「……何?」
「……あ、あぁ、いや……その、なんだ」
「……」
「貯め込むなよ」
「……ぶちまけて良いかしら。そうね、愚痴と言うか、弱音と言うか」
もう一度振り返った霊夢は弱弱しく微笑んだ。
普段の霊夢ではない霊夢が、そこに居た。
思わず魔理沙は食器を置いて、霊夢と向かい合う様に座る。しかし霊夢は恥ずかしがるように体を横に向けると、ぼんやりと空を見上げた。
「……私は、幻想郷を守る役目を担っているじゃない」
「そうだな」
「だけどさ……あくまでも、それは他人の言う通り動いているだけ。守るんじゃない。その他人の思うがままの姿形に幻想郷を変えているって言うのが、真実なんじゃないかなって」
「そう、なのか?」
「例えば紫。今回の件もそうだった。言われるがまま私は首謀者を消したけれど……それは本当に、幻想郷を守ったってことになるの?」
必死だった。
普段の彼女なら迷う筈もないことなのに。何故霊夢はこんなにも揺らいでいるのか。
正しいことを見失っている。その正しいことを魔理沙は知らない。
かけるべき言葉が分からない。中途半端な肯定を口にする訳にはいかない。
そう、思っていた時にはもう、遅れていた。
「分からない……分からないのよ!! 何が正しかったの? あの子達……名前も知らないあの子達はどうして消えなければならなかったの? ねぇ、おかしいじゃない!! こんなの……こんなの理不尽じゃない!!」
「落ち着けって……」
「何も知らないからそう言えるのよッ!!」
怒声。
答える声は無い。
「……教えなさいよ」
「……私に言われても困るぜ。そもそも、普段のお前はそんな疑問を浮かべないからな」
「それでも、嘘でも良いから……虚言でも良いから……正しいことを、教えてよ……」
泣き始める霊夢を見て、魔理沙は確信した。
確実に、霊夢は無意識のうちに何かの干渉を受けた。それこそ、霊夢が信じて疑わなかった行動を疑問に思う程、根本から人格を覆すような干渉を。
今回の異変でもあった。
暴走し、異常な思考に変わってしまうことが。それと同じならば。
「……霊夢」
「何よ」
「がっかりだぜ。失望したよ」
「……え?」
「お前がそんな、腐った奴だったなんてな」
「どういう、意味よ」
「意味も分からんか。そのままの意味なんだが」
意識を奪えば良い。
魔理沙はポケットからミニ八卦炉を取り出す。
終わったと聞いた異変の、最大の事後処理は、どうやら骨が折れそうだ。
「……よくも言えたわね。何も、何も知らないくせに……!!」
「おぉ、おぉ。そうだそうだ、激昂しろ」
「何も、理解しようともしないくせに……ッ!!」
言われるがままに激昂した霊夢もまた、ポケットからお札を取り出す。
そうだ、霊夢を倒せばすべてが漸く終わる。
今宵の酒の肴に、いい話が出来そうだ。魔理沙はそう思うと、自然と笑っていた。
生き残ることができたなら、の話だが。