博麗神社に歩いていくのなら、森の中の獣道を通る必要がある。昼間であっても決して明るくないのだが、夕方は西日の影響で多少の光が差し込む。夏も近い今頃はこの時刻になるとちらちらと虫の声が聞こえ、危険性を度外視すれば、心を休めるのに持って来いの場所になっている。故に、並大抵の妖怪や獣なら容易く屠ることができる強者なら、この道はただの安らぎの道になるのだ。
「紫も物好きねぇ。わざわざ歩いていかなくても良いでしょうに」
「あら、そうかしら? 時にこのような道を行くのも悪くないと思うのだけど」
「そうかしらねぇ」
八雲紫、そして西行寺幽々子。彼女等はそれぞれ妖夢と藍を従えてその獣道を歩いていた。
幽々子は閉じた扇子を口元に当て、空を行く鴉を眺める。隣の紫は特に視線を動かしたりはしていないけれど、ただ雰囲気に楽しさを感じている様子。
しかし、幽々子はそんな紫の瞳の奥に怪し気なものを感じ取っていた。
長年友人として付き合ってきた彼女だからこそ分かるその僅かな気配。まだ何か、重大なことを隠している様な気配があるのだ。
反面、幽々子には特に不安を抱く様子は見られない。それは彼女が紫のことを信頼している証だろう。少なくとも、不利益なことを紫がする筈がないという確信があるのだ。
だからこそ幽々子は遠回しに紫に尋ねる。
「酒の肴はまだ無いのかしら?」
「今は、ね。何より、それは喜怒哀楽を生むに値する肴になるであろうことは間違いないわ」
「怒ったり哀しんだりできるのねぇ」
「あら、そこだけ着目するの」
「生憎、私は喜びと楽しみに満ち溢れていますから」
くすくす笑い合う二人。前を行く妖夢と藍は訝しむ様に振り返ったが特に何も言わず、そのまま向き直って談笑を再開した。
「それでもねぇ、今宵の酒の肴にはそれなりに準備が必要なの。後はそうねぇ、今から協力者も募らないと」
「あらあら、もう少しで宴会じゃない。間に合うの?」
「大丈夫よ。間に合わせるから。いや、間に合うようになるからね」
幽々子は「なるほど」と呟き、妖夢の肩をトンと叩いた。微笑みながら和気藹々と談笑していた妖夢は「ぴぃっ!!」と奇声を上げた。頬を紅くし、僅かにふるふる震えながら振り返った妖夢の額をつんと突いた幽々子は笑みを浮かべたまま言う。
「妖夢、先に行って、霊夢の手伝いをして来てもらえるかしら」
「は、はぁ。分かりました」
「それじゃ、行ってらっしゃい」
言われ、妖夢は頷くと、藍に「ではまた、後程」と言って駆けて行った。獣道の奥、段々と見えなくなる背中。自然と藍は紫の隣に立った。とは言え二人の会話に入ろうとはせず、自然を眺める振りをしながら歩く。
「がんばってねぇ」
もう見えない背中にそんな声を投げかける幽々子。それ以上に応援する素振りも心配する様子も見せない幽々子を咎めるように紫が袖を引くと、幽々子は扇子で口元を隠した。
「……従者に厳しいのは紫も変わらないでしょう? 可愛い子には旅をさせるべきなのよ」
「あら、そんなことないわ。ね?」
「……失礼ながら、それは私に答えを強制させているのでは。首を横に振るとまた躾を受けるのでしょう……?」
「あらら、釣れないわねぇ」
頬を膨らませる紫を横目で見た藍。しかし大きくため息を吐いた後、ワザとらしく大きく首を縦に振った。勝ち誇ったように扇子を畳んだ幽々子は仕返しとばかりに紫の脇腹を小突いた。藍の顔が引きつる。
そんなことをしている内に、西の陽が山の頂上に触れていた。東の空から覆う黒い夜。それは即ち妖怪の時間の訪れ。宴を前に、紫は珍しく高揚していた。万人の理想郷はまたその側面を表していく。
全てを受け入れる。それは水面下の秩序があってこそ。
その秩序を乱す者の居場所は無い。
「……藍。幽々子と一緒に先に行っていてもらえるかしら。野暮用を思い出したの」
「仰れば私が行きますよ」
「あぁ、いえ、大丈夫よ。従者には優しく優しく」
「……」
何処か言いたいことを残している様子の藍だったが、再び溜息を吐くと幽々子を促した。立ち止まった紫に一礼し、長い九尾を揺らしながら歩いていく背中。それが遠くへと行く前に紫もまた踵を返して来た道を戻っていた。
正面に見えるは太陽。幻想的な朱色。物思いに耽ることもなく、ぽつりぽつりと進む。
酒の肴の準備をしよう。その為の協力者に会いに行こう。
初めは予想もしていなかった件の異変も、終わった今は彼女の掌中の出来事。彼女以外の誰も知らない結末を、今漸く幻想郷が受け入れる。全ては面白く、腹を抱えて笑ってしまう程上手くいっていた。
嫉妬すら覚える程にこの世界は美しい。
狂おしい程全てが素晴らしい。
今は居ない少女達の執着も今なら分かる。その声を、言葉を、スキマの向こうからでしか聞いたことのない紫でも、何となく理解できた。
まして直接手を下した霊夢なら。
頭上は藍色。
神社の上はもう闇夜だろうか。
陽が沈んでしまう前に。
先の異変はまだ、終わりを告げない。