熱い吐息が漏れる。気が付けば暗い足元に気を付けて階段を駆け上る妖夢の額には汗の珠が浮かんでいた。何度となく登ったこの神社前の階段も、今は何故か懐かしく感じる。
先の異変が終わり、宴会を開くと言うことで、妖夢の心にも漸く余裕が生まれてきた。しかし、最後の最後に敵の掌中に落ちていたと言う事実だけはどうにも払拭できない。仕方なかったとはいえ、主のことを任せきりにしてしまったことも、彼女にとって負い目でしかない。
彼女が知る中で、あの異変は目に見えた被害が一番大きかった。その中で、自分がとても深い場所で関与していたのではないだろうかとも薄々感じている。腕の中で消えていったあの少女の面影を何処かに求めては、しかし居ないと分かり切った現実に阻まれる。
本当に、消えてしまうことが。
彼女達ではない、この幻想郷にとって正解だったのだろうか。
異変が終わった今、新たに浮かんでいるこの疑問の答えとなる導は無い。あの見知らぬ世界の入り口を見付けることさえ、妖夢には敵わなかった。
しかし、何も全てが負の方向だった訳ではない。あの異変から様々な者、特に鈴仙や美鈴、そして妹紅と言った者達と親しくなった。鈴仙とは約束通り美鈴を連れて一度飲みにも出かけたりもした。漠然とした日々の中、また新しい芽を見付けて健気に水をやる。それは前と変わった様で、変わっていない様な気もする。
それでも、思うのだ。
もしも、心の奥底をひけらかして良いのならば、もう一度あの撫子と名乗った少女に会ってみたい。会って、世界に花を咲かせてみたい。何でもいい。人里でお茶を飲んだり、できたら冥界の桜だって見せてあげたい。
あのまま彼女、いや、彼女達が救われないのであるならば、それはどうしようもなく嫌なのだ。せめて、彼女等の灰色の世界を彩ってあげたい。それだけで良い。
けれど、もうきっと、この思いは届かない。
「……知らずに、ただ敵として倒していたならなんて、思うのは罪なのかなぁ」
そうであるのなら、今こうして蟠りを抱えてはいなかった筈だ。終わったことを思っても仕方ない。それは分かっているのに、やはり浮かんでくるのはそのことばかり。
せめてそれを解消しよう。そう思った妖夢はまた更に走る速度を上げ、階段を一気に駆け上がる。誰かと話をしている時だけは、そんな蟠りも何もかも感じないで済むのだから。
段々と大きくなる鳥居。息と一緒に漏れる声を押し殺すこともせず、登っていく。
その登り切る直前、丁度神社の境内と目線が同じ高さになった瞬間のこと。
真っ黒い何かが砲弾のように吹き飛ばされてきた。
「ふわぁっ!?」
咄嗟にその黒い何かを受け止めたのは良いのだが、衝撃で体が仰け反る。下にあるのは崖の様に長く急な階段。驚きは一瞬で消え、本格的な命への恐怖心が沸き起こる。
落ちる。
妙にゆったりとした時間の中で、妖夢の体にはびっしりと鳥肌が立っていた。妖夢は無我夢中且つ本能的に霊力を生成し、浮遊に移行する。直後に体は重さを取り戻し、感覚的な時間は一瞬で元に戻る。同時に黒い何かを見る余裕は生まれた。
仄かに暖かい、人の様な。いや、金髪に真っ黒の服を着るそれは間違いなく人、それか妖怪だ。同時に、その金髪黒色は妖夢にとっても見覚えしかないもの。幻想郷の人の中では珍しいその風貌はあの魔法使い。
「ま、魔理沙さん!?」
「……妖夢、か?」
妖夢の驚きの声に反応した黒い何か、及び霧雨魔理沙が反応した。自らを抱きかかえる妖夢の顔を見た魔理沙は安堵した様に息を吐くと、途端に顔を歪めた。
「大丈夫?」
「いっちち……ちょっとへましたぜ。あぁ、自分で飛べるから大丈夫だ」
魔理沙はミニ八卦炉を持つ腕を抑えながらも妖夢の腕から抜け、自力での浮遊を始める。普通ではないその様子に妖夢は戸惑い、鳥居と魔理沙を交互に見遣っていた。
間違いなく神社で何かがあった。それが魔法の失敗などと言う杞憂に終われば良いのだが。しかし、この妙な胸騒ぎは何だ。無意識の内に刀へと伸びる手を止めるものは無い。隣で魔理沙が額を手の甲で拭い、忌々しそうに呟く。
「霊夢だぜ。アイツは今、敵だ」
「えっ……? 一体何が……」
「よく分からん。分かったところでマシなもんじゃないだろうな。アイツは今、ただのバーサーカーだ。悔しい話だが……打ち勝つのは無理だろうよ」
簡単にそう言われた所で理解できるかと言われるとまた別の話。だが、ミニ八卦炉に木片を詰め込んでいる魔理沙にそれを聞く余裕は無かった。兎に角、霊夢と戦っていることだけは間違いない。果たして魔理沙が味方なのか、それとも魔理沙が敵なのか。そんな疑いさえ持ってしまうけれど、実際の霊夢を見てみれば解決するはずだ。
妖夢は刀に手を掛ける。何処から来ても、気付くことができたなら対処もできる。遠くに聞こえる蝉の声以外の音が遠退いた中、どちらかが唾をのむ音が響いた。
「来るぞッ!!」
魔理沙が叫ぶ。それと同時に鳥居の向こうから無数の光弾が襲い掛かってきた。
今までに見たどの弾幕よりも高密度。それでいて高火力だと言うことは一目瞭然。刀で弾くなどと言う次元ではないと直感した妖夢は迷うことも無く横へと飛ぶように避けた。
光弾が地面に着弾し、衝撃が服を大きく揺さぶる。幸い怪我はしていないが、魔理沙も同じかは分からない。舞い上がる粉塵の中、必死にその名前を呼ぶ。
だが、聞こえてきたのは返答ではなくて足音。トン、トン、と階段を下りてくる音。
「……一人増えたのね」
「霊夢さん……ですか……?」
「まぁ、いいわ。うん、どうでも」
奇妙な程のっぺりとした声が粉塵を越えて聞こえてきた。
間違う筈もない霊夢の声。
感じたのは、純粋な殺意。