ゆっくりと、ゆらりゆらりと近付いてくる霊夢。粉塵が晴れて見えた瞳に光は無い。ただ人形が歩いているだけのような、意思や理念も何もかも感じられない。
あれは、本当に霊夢なのだろうか? 浮かんできたそんな疑問はしかし、口に出す余裕は無い。一歩ずつ近付いてくる。進行形で侵食される間合い。まして相手は幻想郷でも頭一つ抜けた実力を持つ霊夢なのだ。
魔理沙の方を見ることができない。ただ霊夢を凝視して、霊夢が詰めてくる間合いが自身の必殺の領域になるまで待つ。
極度の緊張と蝉の声。
嫌な汗が背中を濡らす。
白楼剣の柄に掛けた右手に、必要以上の力が籠る。
トン、と足音がした。
「ふんっ……!!」
短く息を吐き、霊夢の首筋をピタリと狙った抜刀術を放つ。鋭く空気が裂かれる音。寸分の狂いも迷いもない一閃は明確に獲物を捕らえる。
ただそれは、相手が非凡でない場合のみ。
霊夢は表情一つ変えずに上半身を大きく仰け反らせ、その一閃を回避する。その前髪が三本ほど僅かに切られたが、それでも尚表情は変わらない。階段に片手を付いた霊夢はそのまま振り上げた右踵で妖夢の顎を狙う。妖夢は態勢を整える間も無く、強引に左肘で受け止めた。肘から腕、肩へと鈍痛が走り、妖夢の顔が僅かに歪む。その間に霊夢は器用に体を回転させ、妖夢の側頭部を狙って左足で薙ぐ。
その直撃を受け、視界の右半分が赤く瞬いた。一瞬刈り取られた意識は階段に叩き付けられた衝撃で強引に呼び戻さる。それが連なる痛みを無理矢理に体へと刻み付け、思わず妖夢は手から白楼剣を落としてしまう。何とか自身は踏みとどまったが、白楼剣はカンコンと音を立てて遥か下方へと滑るように落ちていく。
しかし霊夢は待ってくれない。ポケットからお札を抜き取ると、下方の妖夢に向けて飛び上がった。
(避けるしか……ッ!!)
階段の上。態勢を崩せば吸い込まれる様に転げ落ちて行ってしまう。
その逡巡が、決定的に行動を遅らせる。
「ちょっと失礼するぜ!!」
そんな妖夢を横から飛び出してきた魔理沙が拾い上げた。変な悲鳴を上げた後、既に誰も居なくなった場所に霊夢が着地する。よろける様子も無く、ゆっくりと顔を動かして魔理沙達を目で追う。
魔理沙は躊躇も無くミニ八卦炉を構えた。
「恋符『マスタースパーク』!!」
抱えられている妖夢までもを反動が襲う。情けない悲鳴を上げる妖夢を無視して魔理沙は射出を続ける。不安定な足場の所為か全力を出し切ることができないけれど、超至近距離で放たれた閃光を避けることはほぼ不可能だ。確かな手ごたえを感じる魔理沙はゆっくりと妖夢を下ろす。
その瞬間を狙う様に、閃光の向こうから無数の光弾が放たれた。
完全に不意を突かれた二人に光弾が直撃し、階段を外れて木々の向こうへと吹き飛ばされる。
「あ、ぐぁ……」
太い木に背中や頭を打ち付けた二人は昏倒し、急な斜面に転がる。手から離れたミニ八卦炉が転がっていくのを追うこともできず、意識を戻そうと魔理沙は必死に頭を叩く。当たり所が悪かったのか妖夢は呻くばかりで、最早真面に動ける状態ではない。
そんな二人にゆっくりと近付く霊夢。
「……何が、正解なのよ」
「……知るかよ」
感情の籠っていない声に吐き捨てるように答える。
「今のお前に答えても、何一つ解決しないからなッ!!」
まだ眩む頭を抑えたまま、魔理沙は叫ぶ。打ち出すのはなけなしの光弾。霊夢にはまるで効果が無い、そんな一撃。
諦める訳にはいかないけれど、分かっていた。
敵う訳がないのだ。
心の何処かには、勝てるかな、何て思っていた自分も居た。けれど、今目の前に居る相手はそんな低次元に居るのではない。
敵対する者を問答無用で倒すことができる、文字通りの最強無敵。
たった一発の光弾は呆気なく打ち消された。
「……はぁ」
魔理沙は深く溜息を吐いた。
霊夢があの異変の中でどれ程戦ったのかは知らない。
それでも自分はそれなりの修羅場をくぐり抜けた。過度な自慢はしたくないけれど、自分の中では誇れる部類に入る筈だ。
そんな経験はやはり関係なかった。
惑う友人一人を正す。こんなことにさえ至らなかった。
挙句の果てには今、自分以外にもう一人、その命を危険にさらす羽目になっている。
それは今、明確に自覚した奥底に巣食う心の闇。嫉妬、そして憧れと恨み。
「……う、あ、あああああああああああ!!!!」
叫んだ。
もう何もかも分からない。
一体何に影響を受けた?
どうして陽気に考えられない?
何故下ばかりを見る?
そもそも自分は、何の為に頑張っていたんだ?
あぁ、そうか。
これが、そう言うことなのか。
実際にその光景を目の当たりにした訳ではない。
だが、これはきっと。
霊夢が最後に受けたであろう攻撃が巻き起こす負の連鎖。
否定的思考の拡散。関われば関わる程に、希望の芽を摘んでいく。
その解決法なんて、知る訳がないじゃないか。
「あ、あぁ……」
悲痛な、少女の声が聞こえた。きっと妖夢だけれど、もう顔を向ける気になれない。顔を向けたら最後、これ以上の犠牲を増やすだけになるのだから。僅かに残った信念が負の感情を食い止める。善悪も何もかも混ざり合った以上な思考を掻き消すために、ただただ叫んだ。
いや、僅かに違うな。
これは後天的に浮かび上がった感情ではない。
沸々と、心の深遠なる闇の向こうから押し寄せてくる、元から抱いていたものなんだ。
せめて、この状況を変えてくれる様な、楽天的な馬鹿が居てくれたらなぁ。
「空が綺麗なんだから喧嘩とか止めさせるよ!!」