魂魄妖夢は苦笑いをしていた。元々こんな宴の席でも多人数と話をする様な性格ではなく、いつも誰かしらと一対一でやり取りすることが多かった。その方が、落ち着きが合って性に合っているかなと自分でも思っていたし、何よりその一対一のやり取りですらにわかに緊張する程であったのだ。酒の席、無礼講とは言うけれど、相手に気を遣わないではいられない。酒が入るからこそ相手にとって何かしら不快なことをしてしまわないようにいつも以上に注意を払う。相手となる誰かしらからは「もっと肩の力を抜きなさい」とか言われるのだが、生憎妖夢は生真面目なのだ。意識せずとも気を遣ってしまうのだ。
普段の会話なら良い。お酒が入ると無駄に気を遣う。だから余計に疲れる。主からはよく「損をしているわね」と言われる。自分でもそう思う時がある。
「あ、の、もう一杯どうですか?」
「んー……なら、もらおうかしら」
そして今。酌み交わす撫子もまた、その部類の者だと発覚してしまったのだ。
会話が続かない!!
「……まぁ、初対面だからってところもあるでしょうけど。貴方達、お酒が半端に入ると会話が続かないタイプなのね」
一緒に呑んでいる鈴仙が呆れたようにそう言った。反論できない二人は愛想笑いで誤魔化し、顔を隠す様に桝の中の酒を呷った。鈴仙の視線が痛い。周りのがやがやとしたざわめきが羨ましい。
「ほ、ほら、私達ってつい一週間程前は思い切り殺し合っていた仲じゃない? ほら、こうして一緒のお酒を飲むってこう、ね?」
「それは私も一緒じゃないかしら……幻想郷では割とよくある話だし。向こうで騒いでいる魔理沙とかしょっちゅうよ?」
「えぇ……なんか途轍もなく恐ろしい席に今座っているんじゃ……」
「……それを撫子が言っちゃうとお仕舞な気がするんだけど」
撫子はまた顔を隠す様に酒を呷った。桝の中の酒はたった二回飲んだだけで空になる。初めは遠慮していた撫子だが、こうしてみるとかなり飲める口だ。愛想笑いをしたままの妖夢が日本酒の瓶を持つと、これまた愛想笑いの撫子がその桝を差し出す。
鈴仙は思った。これは、完全に酔ってしまった時が厄介なタイプなのでは、と。背中に走った悪寒を掻き消そうと、鈴仙はお猪口を傾けた。
「……にしても、撫子さんが今ここに居ることがまだ信じられません。確かにあの時、私の腕の中で消えてしまったのに……」
妖夢は話を切り替えた。無理に盛り上げるよりも、こうして言いたかったことを言うだけで良いではないか、と言い聞かせる。そんな思いを呼んだのか、鈴仙はまた苦笑いをしていた。
「そうね……私も不思議なのよ。あの女性……八雲紫と名乗ったかしら、が突然私達が居た暗い世界の中に入って来てね。それから色々あって、今に至るわ。妖夢はもう見たけれど、能力は健在よ」
「流石は紫様……」
「まぁ、なんかもう悪を演じる必要性も無い訳だし。今思えば最初からあんな悪を演じず、ただ四人の来訪者としてこの幻想郷で振る舞うだけで良かったのでしょうけど。若さゆえの誤りとして見逃してもらえる?」
「見逃してもらえる? と言われてもねぇ……もうお咎めなしだけど、流石にあんな死にかける様な戦いは御免だわ」
「そうですよ、と言える程はっきり覚えている訳ではないですけどね……」
「お互い必死だったからねぇ。それに、貴方達だけではないわ。例えば貴方達と一緒に居たあの青い髪の女性、そして白い長髪の少女。吸血鬼の少女や氷の妖精なんかも、きっと何かしら私に言いたい所があると思うわ。もしかしたら一発二発殴られたりするでしょうけど……まぁ、それもしょうがないわよね」
「そうかそうか。つまり殴られる覚悟はできている訳ね」
突然聞こえたその声に三人はギョッと振り返る。見れば、得意気な顔をした妹紅が立っていた。手に持っているのはまだ酒が並々と入っている一升瓶。まだ飲むことになるのかと妖夢は若干血の気が引いたけれど、撫子は撫子でまた挑発する様な視線を妹紅に向ける。
「あら、覚悟はあるけれど、無論無抵抗とはいかないわよ? どうする、賭け事の餌にでもなってみる?」
「おう、良いわよ。ちょっと表に行きましょうか。何だかんだ、あの時も圧倒していたのは私だし」
「今は今、昔は昔。過去の栄光に縋るご老体?」
「生憎お前よりは遥かに年上だ」
一触即発。宴会は苦手な雰囲気を醸し出していた筈の撫子は今、ニヤニヤと挑発的に笑いながら妹紅と額をぶつけ合っている。その性格が全くと言っていい程掴めない妖夢と鈴仙だが、取り敢えずなんかマズそうなので二人してオロオロしていた。この二人の喧嘩に割って入る勇気なんて有る筈がない。無論、それがお遊びだとしても、勇気なんて沸く筈がない。
さてどうしようか。お互いに目線で割って入る様に諭すが、お互い動こうともしない。撫子と妹紅は何かあるとすぐに白い変なものを出したり炎を出したりしそうだ。
「こら、こんな所で喧嘩を始めるな。子供っぽい」
そんな撫子と妹紅の頭にゲンコツが落ちた。ゴッ!! と大層痛そうな音が響き、妖夢と鈴仙は思わず目を閉じる。撫子は「きゃっ!!」と言って頭を抑え、妹紅は「いだぁ!!」と言って涙目になった。
その後ろに仁王立ちしているのは慧音。あの異変の中で撫子に腹を貫かれた彼女だが、永遠亭での入院とそして獣人という人を外れた身も相まって、既にほぼ完治している。
初めキッと睨みつける様な眼光で撫子ら二人を見ていたが、やがてふわりと柔らかな表情を浮かべた。
「さて、私も混ざっても良いかしら? 妹紅のように無駄な騒ぎは起こさないと約束しよう」
「あぁ、お構いなく。寧ろ歓迎しますよ」
「ありがとう」
慧音は撫子の隣に腰を下ろし、その隣に妹紅が腰を下ろす。すると五人は丁度円の形に座ることになった。その中心に妹紅が一升瓶を置く。とは言え先程まで飲んでいた瓶の中にもまだそれなりに酒は残っている。慧音はそれを持つと、妖夢達に勧める。遠慮しながらも桝を差し出し、また酒が並々と注がれる。
「ここに来た時に耳にはしていたけれど、まさか本当に貴方が幻想郷に居るなんてね。驚いたわ」
「私としては、そちらから今私ともお酒を飲もうとしていることが驚きよ。妖夢達もそうだけど……殺し合った仲と言うか、貴方なんて特に殺されかけた相手でしょうに」
「今更腹を貫かれた程度で気にする私ではないよ。それに自ら受けに行った攻撃。それを口実に貴方を咎めるのはお門違いと言うものよ。言っては何だけど、妹紅は死なない故、貴方の攻撃を幾ら受けようとさほど影響は無かったのだから」
妹紅は自慢気に自分の二の腕を叩いて見せた。浮かべる無邪気な笑顔には慧音と同じ様に咎めるような意思は見受けられない。寧ろ今は一人の友人として接している様な雰囲気さえ醸し出している。
撫子は最初、歓迎されたりはしないだろうと考えている所があった。あれだけ暴れた悪人。良く思う者なんてそうそう居る筈がない。しかし、蓋を開けてみればこの通りだ。きっと何処かに嫌悪を浮かべているかもしれないけれど、それを見せびらかす者は誰一人として居ない。
「……あの、皆に、聞きたいんだけど、さ」
「どうかしましたか?」
「……本当に、何とも思わないの? 目の前に居るのは確実に貴方達にとって敵なのに」
「逆にどうしてまだそう思う必要があるの? 仮に思っていたとしても、酒の席にまでそれを持ち込む意味が無い。だからお前ももう気にするなって」
妹紅はポンと撫子の頭を叩いた。殴られたばかりで痛みが残る頭にその衝撃は中々堪えるものがある。だが、何故だか心地良くて、温かかった。
「まぁ、そんな訳だ。幻想郷の新しい仲間を歓迎する為にも、今一度乾杯をしましょう」
酒の入った桝を妹紅は掲げた。それに合わせ、妖夢も鈴仙も、そして慧音もまたは嫌お猪口を掲げる。最後に撫子が遠慮がちに掲げると、妹紅が一層笑顔になった
まだ疑問は残る。撫子にとって、これはあまりにも異常な光景だから。
けれど、まぁ、それで良いかと思う。
今この世界にこうして許容され、一員として生きることが、これ以上ない幸福なのだ。
撫子ははにかんだ。
「乾杯!!」
妹紅が音頭を取り、四人は続いて声を上げる。騒がしい宴会の一角にまた新たな騒がしさの輪ができる。その中に座る撫子は、笑っていた。
純粋な、心の底からの笑顔。
長らく忘れていた、いや、最初から知らなかった、本当の笑顔だ。