夏の昼前。段々と気温が上がっていく何とも憂鬱になりやすい時間帯。しかし、先の異常気象のおかげか暑いとまではいかず、心地の良い温かさが周囲を満たしている。
地面は泥沼と化している為に、大妖精は大木の枝の上に座っている。その傍らでは、どうしても救いたかった友達が、体を大妖精に預けて静かな寝息を立てていた。
ふわりと柔らかな風が頬を撫でる。葉が揺れ、テンポの良い音を奏でていく。
「風って、こんなにも穏やかなものだったんだね……」
無意識に大妖精は呟いていた。ほんの数分前までの争いがまるで幻想であったかのように、そこにはただ平穏が流れていた。
「ん……」
「あ、起きた?」
「……大、ちゃん?」
まだ状況を掴めない。そんな表情の友達の声が聞こえただけで、大妖精は心が温かさで満ちていくを感じた。
先の戦いは色々なことがあった。何一つ幸せだと思えることは無かったけれど、それでもこの結末に悲しむ者は居ない。取り返したものは、いつものありふれた日常。
それが、何よりも大事に思えた。
「な、何が……アタイ、どうなって……?」
「大丈夫、安心してチルノちゃん」
大妖精はチルノに面と向かって伝える。
「もう、終わったから。苦しむことも、悲しむことも、もがくことも全部終わったから。だから、安心して大丈夫だよ……チルノちゃん!」
たったそれだけの言葉では全てを伝えることは出来ない。
けれど、それ以上の言葉もまた必要無かった。
「……良かった」
少し離れた場所で妖夢は二人を静かに眺めていた。
何とかする。その約束を果たしたと言って良いのかは分からないけれど、それでも何かを変えられたのは確かだろう。その事実に妖夢は安堵の息を漏らす。
「服、ボロボロになっちゃったな……」
彼女達の問題は解決したけれど、まだ異変の問題を解決したとは思えない。その幸せに浸り続ける時間は無いのだ。
と言っても、たくさんの氷の刃に引き裂かれた服装で行動するのも気が引ける。だからと言って、白玉楼まで戻っては、幽々子に解決したと思わせてしまうだろう。
妖夢だって女の子、身嗜みはとても重要なのだ。
「どうしよ……人里なら代わりに着れる服を売ってたりするかな?」
服が変わればきっと気持ちも変わる。そう考えた妖夢は人里に向かうことにした。
(動きやすい服があると良いなぁ……きっとこれからも着ることになりそうだし、丈夫さもポイントかも)
急ぎたいものの、ちょっと疲労が激しい。走ったり飛んだりして行きたいが、体力的に歩くしかなかった。
それが失敗だったのかもしれない。
泥の大地を踏む不快な足音が耳に響いてきた。
「おめでとう。どうやら無事に解決させたみたいね」
聞いたことの無い声。その声には何の善性も無く、むしろ実験台のネズミに向けるかの様な哀れみのある声だった。
「誰ですか……?」
「その質問は何を求めているのかしら?私の名前だとするのなら、
足を止め、その女性に向き合う。それだけでなく、妖夢は少し身構える。
「そんなに警戒しなくて良いわよ。貴女から何かしない限り、私は何の干渉もしないから」
「私に何の用ですか? 何も無しではないのでしょう?」
「そうね。ちょっとした告白と助言と言ったところかしらね」
刀を構える妖夢に睨まれても余裕の態度を崩さない撫子は、何の悪気も無く言ってのけた。
「さっきの出来事の原因だけどさ、私なのよね」
「……え?」
予想を超えた告白に、思わず絶句してしまう。何か言わないといけないと思いながらも、何を言うべきか見付からない。少しでも下手な発言をするだけで踏み込んではいけない領域に入ってしまうような感覚に襲われる。
「ど、どういう……?」
「そのままよ。彼女の力を暴走させ、無益な災禍を生み出したのは私ってこと。そこまで難しい話ではないはずよ?」
「何で、そんなことを……?」
「簡単よ」
まるで、世界のルールを口に出すように、撫子は言ってのける。
「悪役になるため、たったそれだけのことよ」
「悪役に、なる……?」
「ええ。正確には、『私が』というよりも『私達が』の方が正しいけれど」
今までにも、この幻想郷には様々な異変があった。そして、妖夢本人が起こす側だったこともある。
けれど、自ら悪役になろうと思った者は、妖夢の知る限り一人も居ないはずだ。全員自らの善に従い異変を起こしたはずなのだ。
けれど、目前の少女はその善すら捨てているのだ。
「悪役になるって……何で? 何の利益も貴女には無いんですよ!?」
「理由を知りたいのなら、私達の起こす異変を解決した後に教えてあげるわ。大丈夫、この世界は正義が勝つ様に出来ている。必ず解決するから」
「じゃあそもそも何で異変を!?」
「全部終わって教えて上げる。その為の助言もしてあげるから、頑張って解決しなさい」
ふっと撫子は笑みを浮かべる。まるで、全て思い通りに進められていると言わんばかりに。
これにて東方覚深記第一章は終了です。
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