投稿時間を変えたこと、申し訳ありません。
「……何と言いますか、静かですねぇ……」
紅魔館地下に有る大図書館。その片隅にある椅子に小悪魔は腰かけていた。広大な図書館の中は、ただ彼女が本のページを捲る音だけが単調に響いている。
本来のこの図書館の主であるパチュリーは現在不在故に、彼女以外には誰も居ない。なので、彼女は何も気にすることなく読書に集中しているのだ。
「にしても、パチュリー様ったら、帰る時間位教えてくれたら良いのに」
暇を持て余しているかの様に何度も足を組み直し、何度も何度も読み過ぎて内容が完全に頭に入っている本をパタンと閉じる。
壁に掛かっている時計の短針は、パチュリーが出掛けてから既に三周していた。ごく普通の体力を持つものならば特に気に掛ける必要は無いが、滅多にこの紅魔館から出ないパチュリーとなると話は変わってくる。今何処かで日光にやられて干からびているのでは、と少々心配になる小悪魔。かなり過保護である。
「……まぁ、その内帰って来るだろうし、今は一人の時間を楽しもうかしらねぇ」
心配そうな表情から一転して、今度は膨大な知識を独占する愉悦にひたる。
さて、新しい本に挑戦してみようかしら、と重たい腰を上げ、近くの本棚に歩み寄る。口元に手を当て、目前の本を選んでいると、突然入口の扉が大きな音を上げた。
肩を強張らせ、手に持っていた本を床に落としてしまう小悪魔。急いでその本を拾い上げ、抱き締めながら扉に警戒の視線を投げかける。
乱暴にその大きな扉が開かれて、入って来たのは小悪魔にとってよく見知った顔だった。
「さ、咲夜さん!? に美鈴さんと……妹様? ど、どうなさったんですか?」
「一人の時間悪いわね。ちょっと匿ってもらうわ」
「は、はぁ。匿う? と言うか、妹様びしょ濡れですけど」
「少しばかり図書館の外であったんですよ」
うっすらと額に汗を浮かばせて、後ろ手に扉を閉める咲夜。フランドールを抱えていた美鈴は手頃な椅子にフランドールを座らせてタオルを取り出し、濡れそぼったフランドールの体を丁寧に拭いていく。そのフランドールはと言えば、キョトンとした表情を浮かべていたが、思い出した様に頭を振り、髪に付いた水滴を落としている。
「それで、何があったんですか?」
そんな咲夜達に、小悪魔はそのまま疑問をぶつけた。
「簡単に言うと、お嬢様の暴走。原因は分からないけれど、今はただの猛獣みたいになってるの」
「猛獣ですか……」
「そうですよ。たぶん、言語が通じる様な状態じゃないと思います」
フランドールの頭を拭きながら、美鈴が割と気楽そうに言う。意外と力が入っているのか、顔を覆われたフランドールがジタバタしていた。
「それでまぁ、そんなお嬢様と妹様が交戦していたので、私と咲夜さんで妹様を連れ出してここまで逃げてきたんですよ」
「なるほど、事情は大体分かりましたけど……どうするんですか? ここ、出口が一つしか無いので、実質完全に追い詰められていますけど」
「だったら、お嬢様がここに到達する前に抜け出すしかないの。完全に袋の鼠と化す前に、少しでも何とか出来る見込みのある場所にね」
「それって、どこですか?」
「分からない。だから、ここを出てから探すしかないわ」
思い切り真面目な顔でそんな曖昧なことを言われた小悪魔は、軽く絶望した。
「それ、どうするんですか!? 不意打ち受けたら終わりですよ!?」
「その時はその時よ。運命だと思って諦めるしかないわね」
「そんなぁ……」
「それと、小悪魔。貴方に一つ頼みがあるの」
表情を一切崩すことなく、咲夜は小悪魔の瞳を見詰めている。
その瞳はノーと言うことを許さない様な冷徹さが混ざっていた。
「妹様を、何とか守ってもらえないかしら」
「妹様、をですか?」
「えぇ。私と美鈴はお嬢様を何とかしに行くけれど、そうなれば妹様の傍に立つ者が居なくなる。だから、貴方に託すしかないのよ」
美鈴から解放され、頭を振って髪を乾かそうとしているフランドールには、どうやらその会話は聞こえていない様だ。タオルを折り畳み、近くの机の上に置いた美鈴は静かに小悪魔の返答を待っている様である。
「……もしもの話、私が妹様を守り切れなかったとしたら?」
「貴方は決して失敗しない。でなければ、貴方には頼まないわ」
「……分かりました。引き受けましょう……それでも、過度な期待はしないでください」
「ありがとう。とても助かるわ」
口角を少し上げるだけの笑顔を見せて、咲夜は小悪魔に背を向けた。
もう一度、戦いの場に戻る為に。安全圏を脱する為に。
咲夜は、静かに背を向けた。
「私と美鈴が出て行ってから暫くして、安全だと思ったら出て来なさい。幸い、戦いの音は大きい筈だから、私達が交戦の途中ならお嬢様に遭遇しなくて済むと思う」
「交戦の決着がついていたら?」
「私達が勝っている筈よ。胸を張って出て来なさい」
「それじゃあ……行きますか咲夜さん」
気楽な声で美鈴が咲夜の肩を叩いた。これから死地に赴くからこそ、気持ちにゆとりを持とうでも言いたいのか、その顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「あ、そうだ。行く前に一つ話をしておきましょう」
「何の話?」
「まぁ、話って程でもないですけど」
咲夜の前に出たことで、自然に小悪魔の前にも立つ構図になった美鈴は、笑みを崩さない。
「もうダメだ。そう思ったならば、最も危険な場所に全力で逃げてください。生きたければね」
最後に小首を傾げた美鈴は振り返り、大きな扉のノブに手を掛けた。後は、手に力を加えるだけでその扉が開け放たれる。
後戻りは出来ない。
美鈴のその一言を飲み込み、そして理解した咲夜と小悪魔は顔を見合わせて小さく頷き合う。
「頼むわよ」
「任されました」
「じゃあ、行きましょうか、美鈴」
「はいはーい。扉、開けますね」
相も変わらず気楽な声を上げて、美鈴は扉のノブを回す。そのまま、遠慮せずに開けようとした、その直後、
「咲夜!! めーりん!!」
椅子に座っていたはずのフランドールがいつの間にか立ち上がり、その小さな体で出せる精一杯の声で叫んだ。
「がんばってね!!」
少し震えたその叫び声。先の会話も、聞こえていなかった様に見えていただけなのだろうか。
咲夜と美鈴は顔を見合わせて、少し目を閉じる。
二人は言葉には表さず、微笑みと立てた二本指で意志を示した。きっと、それだけで伝わる筈だから。
それでも不安そうなフランドールの手を小悪魔が握ったのを確認して、二人は無言で大図書館を後にした。
大図書館の入り口の扉の前、二人は少しの言葉を交わす。
「猶更死ねなくなりましたね」
「妹様にあんなことを言われてしまったらね。意地でもお嬢様を止めないと」
「さてさて、取り敢えず、水入りバケツを取りに行きますかね。食堂ってどっちでしたっけ?」
「何で忘れてるのよ……食堂は向こ」
言い掛けた咲夜の言葉が唐突に途切れた。一瞬、その理由を咲夜本人にも分からなかった。
何故? どうして?
幾ら考えても答えは浮かばない。彼女一人では、どうしても結論を出せなかった。
だから、その答えは意外な場所から判明する。
「すみません、咲夜さん」
「美、鈴……貴方、何をして……」
「少しだけ、眠っていてください」
その言葉を聞いて初めて、美鈴が意識を刈り取ってきたのだと理解した。
けれど、それは既に過ぎたこと。糸が切れたマリオネットの様に崩れていく自分を制御出来ない。両目を見開いて何とか美鈴の顔を見ようとも、視線そのものが定まらない。
「何、で……?」
「ごめんなさい」
それでも、その声だけは鮮明に聞こえた。
決して裏切った訳ではない、その固い意志の声が。
「それでも……私にも、譲れないものが有るんです」