初めての地であるはずなのに、何故だか妹紅は迷わなかった。何かに導かれる様な感覚に包まれて入るものの、それを不思議とも思わずに妹紅は進み続け、件の白玉楼まで辿り着く。
とうに紫の気配は消えている。逆に感じるのは、もっとドロドロとしておぞましい何かの気配。触れるだけではない、ただ見るだけで禁忌となるような、ただ何処までも黒い気配。次の生を待つ者の地とは到底思えない、妹紅が感じているのは正反対の地獄のような感覚だ。
「……こりゃ、相当厄介な仕事を引き受けたもんだ。また死なないことを恨みかねないよ」
ズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、妹紅は気だるげに呟いた。
しかし、いつまでも独り言をしてはいられない。フッと強く息を吐き、両手に炎を出現させて目の前の門を強引に破った。
爆音が轟き、焦げ臭さが周囲に蔓延する。それを気にすることも、躊躇することもなく妹紅は白玉楼の庭に踏み入り、ざっと見渡した。それは一見なんともない、ただ池やそれを跨ぐ橋が架かる豪華な庭。ただしそこは今、黒い気配が満たしており、妹紅には綺麗だとかそんなことを思う余裕は無かった。
「……妙だな、そこら中に気配を感じるのに、人影が無い」
全ての障子が閉じられた館へと妹紅は進んで行く。派手な音を鳴らしたのだから、誰か出てきてもおかしくはない筈だが、何も影すら表わさない。
「中に、居るのかな?」
不審に思いながらも橋を渡る。そして縁側に靴を脱いで上がり、その障子を僅かに開けて中を見た。
そして両目を疑った。
一言で表せば異形。白い、得体の知れない塊が部屋の中にあり、その中に下半身を取り込まれ、ぐったりした様子の幽々子の姿。
そして、見慣れない二人の人影。
「な、んだ、これ……?」
「ん? あぁ、来客さんかぁ」
思わず妹紅が漏らした言葉にその人影の傍らが反応する。
「これはね、私達の最高傑作さぁ。この二日前から何人か操ってきたけど、これはそんな次元じゃない代物さぁ」
灰色の長髪を揺らす長身の少女は妙に間延びした甘ったるい声で妹紅に話しかける。その顔には歓喜の色と、そして僅かな虚しさが浮かぶ。けれど口元は恍惚的でまさに今この瞬間に酔っている様子だ。
そして何よりも気になるのはその言葉。何人か操ってきたとはどういうことなのか。少なくとも、それを聞き出すために刺激するのは危険だ。分からなくてもきっとそれは終わったこと。今は関係無いだろう。
「お前等は、誰だ……?」
「私達かい? 私は
エリカと呼ばれた、背が低い少女は芙蓉の影に隠れる。
真の敵、その響きだけで何てことの無い誰かではないことは明白。妹紅が身構えると芙蓉は制する様に右手を前に出した。
「まぁ落ち着きなって。今から君が戦うのは私達じゃないんだ」
「……敵なのでしょう?」
「ほら、私達の最高傑作が後ろに居るんだ。君で試してみても構わないだろう?」
背筋にゾクッと寒気が走る。同時にエリカが何かを呟いた。
直後、ぐったりしていた筈の幽々子の上半身が不自然な挙動で起き上がる。部屋中から何かが軋む様な音が響き、その白の塊が動き出す。
「じゃ、頑張ってねぇ」
それだけ言うと、二人は忽然と消えた。それは比喩でも何でもなく、なんか妙な音がしたと思った直後にはその姿形は何処にもなくなっていたのだ。
そんな些細なことよりも、妹紅はただ目の前の異形の姿に圧倒されていた。
「冗談じゃない……」
今までにない程の恐怖。可能なら、今すぐにでも逃げ出したい衝動。全身から冷や汗が吹き出し、自然と足が震えた。
それほどまでの脅威だと、彼女の深層からの意識が叫ぶ。死なないからと安心できる相手ではない。死なないからこそ、もっと恐ろしい未来を作り出せるような異形だ。
異形から無数に伸びる大小さまざまな触手が奇妙に蠢く。幽々子の虚ろな両目が妹紅を捉える。その瞬間、妹紅は障子を叩き付ける様に閉めた。そのまま振り返り、半ば倒れる様に縁側から飛び降りる。
それでも、一瞬遅かった。背後で障子を突き破る音がしたと思った瞬間、一瞬の衝撃と共に背骨が異音を上げる。触手で殴打されたことは直ぐに分ったが、吹き飛ばされて受け身も取れずに地面に叩き付けられる。
「ち、くしょう……」
軋む体に鞭を打ち、何とか上体を起こす。メキメキと縁側や天井を破壊しながら館の外に出てきた異形は直ぐに妹紅を見付けた。
異形の上で、幽々子の口角が吊り上がる。
「が、うぐぁ……!?」
その直後、心臓を鷲掴みにされた様な尋常でない痛みと息苦しさが妹紅を襲った。思わず胸を押さえ、足をバタバタと動かしてのたうち回る妹紅へと異形は更に近付く。
(な、んだよこれ……何が起こった……!?)
そんな状況でも必死に頭を巡らし、事実を飲み込もうとする。
ただ、遅かった。
無数の触手の、圧倒的な乱打が妹紅を襲う。