第九章一話 桜色の仙人
「……紫は永遠亭に居ると聞いた。だけど、本当に居るのかしら?」
桜色の仙人、茨木華扇は
遡れば昨晩のこと、突然やってきた狐が忙しなく飛び回るので何事かと聞いてみれば、紅魔館も人里も、妖怪の山も冥界の白玉楼も、その全てが襲撃に合って崩壊、及び占拠されている、とのこと。揶揄っているのかしらとも思ったが、念のため博麗神社を訪れてみると、なんと誰も居なかった。そこで段々現実を理解し始めた所で、再びひょこっと現れた狐に紫の場所を教えられた。
全て仕組まれた様な、そんな気さえした。ごく普通に現状を知り、そのまま紫の元へと訪れる様に、そう仕組まれている様な。
分かっている。少なくとも紫は犯人ではない。その目星がついているのかはまだ教えられていないけれど、紫のことだ。自身の場所を知らせてきたということは、何かしらの情報を開示する予定なのだろう。
「……最悪、私が退治しろとかそういうことかしら。普通に考えるとこの手の出来事の管轄は霊夢でしょうから、私に自分の場所を知らせる意味は無い」
野を越え、竹林の上を翔る。地上に居れば道も分らぬ竹林も、空から見下ろせば迷うことはない。向こうに永遠亭らしき建物を見付けた華扇は、竿打に少しずつ高度を下げるように指示を出した。
やがて着いたのは永遠亭の上。竿打に旋回させて庭の様子をざっと見たが、今は誰も庭に居ない様だ。これなら誤って頭上に着地することもないだろう。そう思い、竿打をそっと撫でてから飛び降りた。
ダンッ。少々大きな着地音。誰も出て来ないのは、そこまで響かなかったからだろうか。腕を組み、入口を探す。カツカツと足音だけが庭に響いていた。
「……あぁ、ここが入口ね」
暫く歩いて、漸く見つけた入口。鍵は掛かっておらず、華扇は恐る恐る戸を開けた。
しかし、誰かが出迎えてくれた訳ではない。誰も居ない、長い廊下がそこには有った。ただその遠く、微かにだが部屋から漏れる光が見える。誰か居るのだろうか。華扇はお邪魔しますと挨拶をしてから靴を脱ぎ、駆け足でその光へと近付く。
段々と、その向こうの話し声が大きく聞こえてきた。聞き覚えのあるその声は紫のものだろうか。ヒタヒタと足音を立て、近付いた部屋の光が漏れる隙間から、ばれないように中の様子を窺う。そこに居たのは紫と、そして八意永琳。何故かしら紅魔館当主レミリアとその妹フランドールが居た。
「……そこに居るのは華扇かしら?」
「えっ」
「当たりね。入ってきなさい」
紫の妙に静かな声が響く。同時、一斉に他の四名の視線が集まり、華扇はゆっくりと戸を大きく開けて中に入る。
そして目に入った。死角に寝かされていた数人が。
「これ、は?」
「つい先程、この永遠亭も襲撃を受けた。幸い牽制程度で被害は殆ど無かったけれど、本気で攻められていたら、負傷者もどうにもならなかったでしょうね。言いたくないけれど、その場に居合わせなかったことを良かったとさえ思っているわ」
悔しさを滲ませ、紫が言った。
襲撃。その意味を華扇は未だに上手く呑み込めない。けれど、紫が浮かべるその表情が全てを物語っている。そしてそれは、ひたすらに華扇の不安感を煽るばかり。
「でも、貴方……八意永琳と、そして吸血鬼の姉妹も居たのだから」
「控えめに言って、あれを倒すのは私達には無理よ。前提としてこちらの世界の力学を無視するもの。打撃も射撃もあったものではないわ」
「こっちの世界の住人ではないのかしら。前提としてその意味も分からないけど、フランがその『目』を破壊できなかったのよ。悔しいけど、私も何もできなかった。まして、夜ではないもの」
永琳とレミリアも忌々し気に言った。フランドールも黙って頷き、枕をギュッと抱き締めた。誰も皆、強者なのに。それが皆、負けて諦めすら見せていることが華扇にはあまりにも衝撃的だった。
そして思ってしまうのは、今ここに自分が居て、一体何ができるのかと言うこと。戦えと言われても、勝機なんて無いことはもう、言われなくても分かる話なのだから。
「……だけど、霊夢ならきっと勝てるのよ」
「霊夢、なら……?」
「そう。霊夢なら、彼女に苦戦することはないでしょう」
紫はそう言った。
「彼女はこの世界の何事にも縛られない。ただルールの中に甘んじているだけ。もしかしたら、かの芙蓉の世界ですら彼女を縛ることはできないと思うのよ」
「なるほど……して、霊夢は何処に?」
「さぁ、探せば直ぐに見付かるでしょうね」
「……芙蓉は?」
「人里へ向かったわ」
割り込む様にそう言ったのは永琳。腕を組み、部屋の中に一つだけ有る窓から外を見て言った。
「今人里には、少なくとも妖夢と美鈴、そして内の優曇華が居る。彼女は言ったわ。先ずはアイツ等から潰すと」
「無論、それを成し遂げる為に十分な力が有ることを、私達に見せつけた上でね」
「まぁ、厄介なことよ。ただでさえ件の撫子や棗を倒せたのか分からないし。仮にまだだとしたら、考えたくも無いわね」
永琳に続いてレミリアも口を開く。それは、ただ華扇の不安を助長させるばかり。華扇は何かが胸の奥にスッと逃げていくのを自覚した。
このままでは最低三人が襲撃を受ける。それはあまりにも致命的。対面したことのない華扇はその得体の知れない脅威に恐れを覚える。
「……急いで、霊夢を見付けないとね。それで、倒してもらわないと。こんな時位、こき使っても許されるわよね」
「それは私が引き受けるわ。それで、華扇」
「何……?」
紫は恐る恐ると言った様子で華扇に聞く。
今何よりも、承諾を得られないであろう頼み事を。
「貴方には、時間稼ぎをしてもらいたいの。勝てとは言っていない。ただ、私が霊夢を見付け、人里へ向かわせるその間を、繋いでほしい」
「妖夢達三人はもう……」
「……こうなってしまった以上、最初から捨て駒よ。死なないことを、祈るばかり」
その場の全員が顔を伏せた。最初から分かっていたことなのだ。それを言葉にして、受け止めたことが何よりも厳しいだけで。
そして、華扇はいつになく足が震えている。嫌な汗が滲み出る。逃げたい、怖い。最初から勝ち目のない、一方的に遊ばれるだけであろう相手に立ち塞がれなんて、こんな突然言われて決意が固まる訳がないのに。
「ゆ、紫……」
「……思っている通りよ。残酷だけれど」
「私も、捨て駒の、一人なのね……」
「……弁解の余地があるのなら、最初はそのつもりは無かったけど、事情が変わったの。同時に、今ここには上白沢慧音と、十六夜咲夜という怪我人が寝ている。誰かが警護に付かないと、こちらは抵抗もできないのだから」
「……この昼間に、吸血鬼姉妹が出る訳にもいかず、医者である永琳もまた、出る訳にもいかない」
重圧。理不尽な期待。
華扇に突如圧し掛かった、途方も無く多大な責任。
怖い。怖い。怖い。
だけど、それでも、華扇にはもう。
それ以外の道が、無い。
そうだ、霊夢が私よりも早く着いてくれたら。
そう、少しでも楽観的に考えなければ、押し潰れてしまう。
視界の端、フランドールが何か言おうとしたけれど、それ以上誰かが口を開くことは無かった。